旅や日常のブログを書くことはそのときの一瞬の印象をピンで止めておくことで、歴史的な建築などでは過去もついでに覗くことができる、さらにいいことには未来と出会えることだ。なんで未来と出会えるのと疑問符がつくかもしれない、つまりその訪れた土地でなにか大きなイベント、例えばオリンピックがあり、報道に接すると「ああ、あの地にはこんな風景があったな」と印象が立体的に、陰影をともなったものとなる経験を13年のブログでたびたび持った。
書くということは単なる記憶を超えるような気がする、そのことをブログは助けてくれる、もちろん日記帳でも構わないがほんの少し他人に読んでいただくという軽い緊張感も具合が良い。
書くということはひとつ未来と出会えるという意味がある。ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」の吐露のような大それた思いは無理だが、心の奥底に万分の一かこれに似た気持が潜んでいるのかも知れない。つまり来世の自分に語りかけるという思いだ。
自分が見たまま聞いたままを、言葉によって 繰り返し、そこから敢えて一つの意図だけを汲み上げようとはせずに、いわばやがて来る世の人々のために徴の徴として、いつの日か読み解かれんことを願いつつ、ここに書き残しておこう。 「薔薇の名前」ウンベルト・エーコ P23