独り住まいの高齢女性が一人で亡くなっていた。
金曜日午後2時に奄美行きのチケットを渡す予定がカフェに来なかった。
「ここ2、3日少し疲れたのでもう少し待ってください」とメールが来「では月曜日に」と返した。
日曜日の夜に彼女の姉から彼女が電話に出ないと不安そうな連絡が来た。
月曜日午前中に訪れるとすでに亡くなっていた。
奄美へ越す準備も完了した13日前のことだった。
3年前から彼女に対する安否確認を兼ねたメールを3日に一回程度やりとりしていた。
メールのはざまの土曜日に彼女は亡くなっていた(医師の見解)。
彼女の死の8ヶ月前に彼女が可愛がっていたメグ(高齢の猫)が姿を消した。
彼女の死の3ヶ月前には奄美の姉の元を訪ねて三姉妹でカヌーを楽しんだ。
彼女の死の1ヶ月前には姉の作ってくれる美味しい食事で暮らすと述べていた。
今回の東京の異常な寒さを苦にしながら引っ越しの準備を進めていた。
力仕事は全部手伝うと申し出ていたがそれでも80歳の引越しは狂気の沙汰だとぼやいていた。
見るべきものはみた(メキシコの海外生活)、楽しむべきことは楽しんだ(夥しい映画、パチンコ、タバコ)、そしてよく働いた。
私の娘や姪たちを半端なく可愛がり、彼女の妹(わたしの故前妻)に最後の世話をしてくれた。
奄美ではテレビも不要、少しの野菜を作り、ただ海を眺め、犬や猫の世話を手伝って美味しい姉の食事を楽しみ、そのうち動けなくなると奄美の養老院に姉と二人で入ると述べていた。
昨日家族や親しい友に見送られた火葬を終え、今日は遺骨を奄美の姉のもとに送った。人が亡くなって伴う作業が終わった今一人の死を考えている。
ひっそりとでもなく、かと言って周りに負担をかけることも無く、少し疲れたと1時間ほどで亡くなった(医師の見解)。
高齢と孤独の絶望ではなく姉や姪との奄美の生活を2週間後に夢見て亡くなった。
先きに逝った彼女の妹や父母が迎えにきてくれることを信じていた。
彼女の家に泊まった妹は朝5時10分に彼女の声を聞いた(何を言っているのかはわからなかったが)。蝋燭を灯すと火がぐるぐると回転したことで彼女が挨拶にきたと述べた。
こうして死ぬことが重い糖尿病(医師の見解では1型糖尿による心不全)を抱えた80歳の高齢女性にとって如何に幸せなことかと考えながら挽歌にかえて記してみた。