まさおレポート

夢の記録007のようなアクションの主人公

2008年7月5日初稿を加筆

ほとんど毎晩夢を見ている。この間などは007のようなアクションの主人公になった夢を見た。目覚めた直後は覚えているのだが、しかし何となく覚えているレベルで非常に心許ない。寝床の中で体が目覚める頃には単に「007のようなアクションの主人公になった夢」という言葉と、後は断片がほんの少し残っている位だ。トイレに立ち朝食を食べる頃になると、夢の断片も消えてしまう。そして「007のようなアクションの主人公になった夢」という言葉の記憶のみが定着する。


この記録を取ってみようと思うのだが朝目覚めた直後にメモを取る必要がある。そのためにはメモ用紙と筆記用具をしっかりと寝床に用意しなければならない。果たしてうまくいくかどうか。

夢の記録をとり続けて著名な僧に明恵上人がいる。19才から60才まで41年間も夢を記録し続けたという。大変興味深い。明恵上人が樹上で瞑想している図が残っているが、瞑想と同じくらい夢を重要視し、仏との直接のコンタクトとしてとらえていたという。当時の人々は現代人よりもはるかに夢を重要視していたのだろうが、41年間も夢に取り組み記録し続けた人がいたのだと言う史実に感嘆する。

フロイト、ユングは心理学の立場から夢の分析に取り組んだ。明恵上人は信仰から夢に取り組んだので同列に考えるわけにはいかないが、鎌倉時代に世界史的にも非凡な着想を得て、生涯にわたって実行したその思いは凄い。

日中にほんの一瞬、わずかな思念のすきまに夢の断片がちらりとかすめるときがある。そういつもあるわけではないが、年に何回かそう思うときがある。しかし何がかすめていったかは言葉にできない。「あれ、たしか夢の断片だ」との思いのみが残る。かすめた断片が言葉にならないというのは左脳でなく右脳のみで認識している「何か」をみているということか。この経験は誰でもあるのだろうか。デジャビューの変形なのだろうか。本でも、人からもこの経験に類する話を聞いたことがないが物心がついたときからの密かな疑問だ。

インデクスの切れた夢の記憶の断片が意識下に現れてすぐに消える、なんの役にも立たないとも思う現象だが私にとって楽しみのひとときともなっている。おそらく瞑想と同じ気づきの一種だろう。
出たがっている何かが記憶のどこかにあるのだ。

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