宮元啓一 「インド哲学七つの難問」を読んで以来、インド哲学の自己について興味を持ち続けている。(いや、この本を読んで以来というよりも子供の頃からといったほうが正確かもしれない)
宮沢賢治、松岡正剛も参考になるので過去のブログに付け加えてみる。
松岡正剛氏も千夜一夜でこの本について「ヤージュニャヴァルキヤやブッダの自己認識不可能説」として次のように記述している。
【第3難問】本当の「自己」とは何か?
これもかなりの難問だ。ずっとそう思われてきた。「私」って何かだなんて、とうていわかりそうもない。哲学が躓いてきたものがあるとすれば、それこそは「自己」や「私」なのである。
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」も、問題は「我」だった。認知科学や脳科学もそこをいまだに明快な説明をしていないままにある。とくに自己の本体と自己意識の区別がなかなかつかないままになっている(最近の認知科学では自己ないしは自己意識は脳のモニタリングによる産物だとみなされつつある)。
これははっきりいえば「自己は知りえない」ということである。生きるものが生きる器の中にあることを器世間というが、アートマンはその器世間に内属してはいるだろうが、その全体を器世間という環境たらしめているものそのものであるからだ。アートマンによる自己認識は不可能だという説である。
ブッダは五蘊いずれもが常住の自己ではないと説き、それゆえこうした頼りにならないものを錯誤して心身活動の根拠にしてはいけないと戒めた。これを「五蘊非我説」という。五蘊には我(自己)がない、非我であるという説だ。宮元は、ここにはヤージュニャヴァルキヤの哲学を正統に継承できているものがあると見る。
ヤージュニャヴァルキヤやブッダの自己認識不可能説は、ずっと下って8世紀に登場した哲人シャンカラによって「不二一元論」というものになる。これは梵我一如をさらに発展させたもので、原因を必要としないで存立するブラフマンと個別の本体であるアートマンとは、本来において同一で、それゆえ梵我は一如にして、かつまた不二一元であると説いたものだった。
宮元啓一「インド哲学七つの難問」のメモを拙ブログで次のように書いている。
「インド哲学七つの難問」メモ その3
2012-02-20 08:46:28 | 映画・音楽・読書・宗教
さらに、今後の探求のために、重要と考える文章を列記しておく。
①「ヤージャナヴァルキヤ(紀元前8~7世紀)は、・・・地の中に住し、地とは別ものであり、地が知らず、地を身体とし、地を内部で統御しているもの、これがなんじの自己であり、内制者であり、不死なるものである。
②水の中に 火の中に 中空の中に 風の中に 天の中に 太陽の中に 方角(空間)の中に 月と星宿の中に 虚空の中に 闇の中に 光の中に(ここまでは宇宙的環境をなす要素である。仏教でいえば、器世間 生き物がいきる器としての環境世界をなす要素だといえる。万物の中に 仏教でいえば有情世間)・・・気息のなかに(生命エネルギー) 発声器官のなかに( 行為器官) 眼の中に(感官) 耳の中に(感官) 意の中に(心という内官) 皮膚の中に(感官)・・・認識の中に(感官と心という内官により生じた認識作用) 精子の中に(行為器官)・・・ヤージャナヴァルキヤは、自己は、これらすべてのなかにあるけれども、それらとは異なるものであり、それらを内から照らすものだといっている。p94
③なお、紀元後4世紀にヴァスパンドゥ世親によって完成された唯識論では、・・・じつは本質的にはほとんど有我説なのである。p96
④認識主体は認識対象とはなりえない、という意味で自己はしりえないといっているのである。p99
⑤紀元後8世紀の不二一元論(幻影論的一元論)の開祖シャンカラが・・・なぜなら、(認識しようとする欲求が)認識主体を対象とすると、認識主体と、認識しようとする欲求とは、無限後退するという論理的過失に陥るからである。p99
⑥シャンカラ(8世紀)は・・・自己が存在することは否定できないから、「に非ず、に非ず」といって・・・「これはわたくしではない、これはわたくしではない」といったふうにして、自己に到達するのである。p103
⑦世界は自己をみることがない。幻影の世界を成り立たせている無明(根本的無知)が取払われたとき、世界は消滅し、自己のみがひとりのこる。・・・唯識説までいって、仏教は開祖ゴータマ・ブッダを飛び越えて、はるか昔へ先祖帰りしてしまったのである。p106
⑧古代ギリシャ哲学では、自己の問題は魂の問題であった。そしてその魂は記憶をもつとされる。プラトンもいっているように、魂がイデアに憧れるとは、魂によるイデアの追憶にほかならない。p108
⑨輪廻説は・・・因果応報思想に論理的に支えられて、紀元前8世紀ごろに、インドの宗教、哲学の前提となる考え方として確立された。・・・輪廻説が確立すると同時に、輪廻からの永遠の脱却、つまり解脱を求める人々が現れ、出家となり、さまざまな宗教、哲学を唱えた。p112
宮沢賢治は「春と修羅 序」で(ひかりはたもち その電燈はうしなはれ)と自己について記している。
「春と修羅 序」
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈はうしなはれ)
「(あらゆる透明な幽霊の複合体)」「せはしくせはしく明滅」「いかにもたしかにともりつづける」が「わたくしという現象」なのだと述べる。
(ひかりはたもち その電燈はうしなはれ)電燈はうしなわれとは死後のことで、しかしながら「ひかりはたもち」で自己は存続し続けることをうたっている。