佐々木閑氏はYouTubeで大量の阿含経講義を行なっている。実に大量だ。この努力は大変なものだ。
紀野一義氏もまたぜんしょうあんなどで生涯を通じて膨大な講義を行なっている。そして現在でもYouTubeでほとんどを視聴する事ができる。
紀野一義氏は没しての後もYouTubeでわたしの心を温めてくれる。佐々木氏は現役でやはり聴くことが楽しみに。
佐々木閑氏は布施、善業、陰徳の講義で承認欲求のある善業は業を積む行為であり、いいねを求める気持ちは陰徳ではなく涅槃への道ではないと言う。それはわかっていながらやはり視聴数は気になると苦笑している。
紀野一義氏は小林秀雄と話をしたかったとして、本当はそんなことどうでもいいことなんだがと言い、反省を述べながら、でもそうしたい自分がいると複雑な心境を述べている。
これだけの人でも承認欲求を完全に抑えることつまり陰徳に徹することは実に難しいことだと告白している。
陰徳しか善業を積むことはできないとは凄まじいね。承認欲求を払拭する事はこれだけの人たちでもできないし、許される範囲だと考えている節がある。
わたしも例外ではない、初期仏教は現在に生きる人にとって全てがその通りだとは行かないものらしい。それがまた面白い。万人向きの宗教ではないとの佐々木閑氏の指摘を改めて凄いと思う。