相田みつをは紀野氏に勧められて足利の旅館に書を売りに行った。
「わたしの書なんか買う人いませんよ」
たしかに
「できなかったのではない やらなかっただけだ」みたいなだれも買わないような文を書き、それもみみずをぬたくったような書体で書く。それじゃ売れないよね、良寛みたいに意味深長なことを書いてあれば売れるんですけどと内心思いながらとにかく売ってきてごらんと励ましたと紀野氏は話す。
「売ったことがなくてどうして売れないとわかるんだ」
背中を押されて足利の一流旅館に売りに行ったが2件とも断られた。
3件目にいった「旅館 なか川」で65歳の女将が対応してくれた。
「あんた、うちにくるまえにどこへいった」
「xとyです。売れませんでした」
「どちらも一流だね あんた なんでうちに売りに来た」
「2流の旅館ならどうかなと」
「あんた はっきりいうね 気に入った それ二つとももらうよ いくらだい」
「いくらといわれてもわたし売ったことがないんでよくわからんのです。・・・そうですね米屋の支払いが3000円溜まってるんで3000円下さい」
「あんた 面白いね これから書いたものみんな持っといで 全部買ったげるから」
あるとき女将から「あんたデザインもやるんだよね うちの宣伝になんか書いてよ」
そこで書いたのが「2流の上です」との看板だ。それから「旅館 なか川」は繁盛するようになり女将にアトリエまで作ってもらったそうだ。しかし事情がありそこには長居しなかった。
PTAの役員をやめることになると相田みつをはみんなに愛されていて辞めないでくれという。「わたし住むところもないんですよ」というとPTA仲間が手分けをして足利のお宮のなかに住まいを見つけてくれた。
紀野氏は相田みつをに招待されてそこを訪れた。落ち葉で風呂を沸かしてくれて背中を流してくれたという。
「先生に一番にきてほしかったので」と言われた。
今は「めん割烹なかがわ」となっているらしい。
紀野氏はこうした陰徳を積んでいたことが覗える。
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