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「人生には2つか3つの物語しかない。しかし、それは何度も繰り返されるのだ。そのたびごとに、初めてのときのような残酷さで」
「エディットは親の過ちを繰り返さないだろうか。人間はなぜ親に似るのだろうか。なぜ運命はいつも同じ装いをするのだろう」
この二つのセリフ、この年になり親を考えるとき「人間はなぜ親に似るのだろう」と言う言葉が実感を持って感じられる。
どこが似ていると言われても説明に窮するがどことなくとしか言いようがない。具体的な事例ではないのだ、」通奏低音と言って良いかもしれない。
2021-07-15
それにしてももっと気合をいれてパリの写真を撮っておくべきだったと深い後悔が襲うが今更どうしようもない。色褪せたぼろぼろの写真を集めて記憶を呼び覚ますしかない。
若い時は、「いずれまた来るから写真なんかとらなくてもいいよ」とか「写真よりも自分の目でしっかり記憶しておくんだ。」などと粋がっていたが実に若気の至りとしか言いようがない。
「いずれまた来る」は「もう2度と行くことはない」に変わり、「写真よりも自分の目で」の目の記憶など実にあっけなく忘れ去られる。
24歳の時に仕事でのストレスから回復するためにパリに行った。団体ツアーで1週間少しの短期旅行だった。これは団体ツアーだから2回目の40歳のときに転職の合間にもう一度パリに寄ったバックパッカー旅行に比べると貴族と使用人くらいの差があった。なんだか年齢や収入と反比例したグレードの差があり、今思うと面白い現象だ。
どのくらいグレードに差があったか、一例をあげると一回目は名門ホテルのルテシアに泊まった。2回目はB&B風に泊まった。ルテシアを見上げてその差に思わず笑ってしまった。
ルテシアに泊まった時に窓を開けて下をみると朝市が開かれていて色鮮やかなピーマンや緑豊かな青菜、ソーセージや肉などを商う光景に見とれた。
2回目にはその面影は既になかった。20年近くたったのだから当然のことなのだが。
2回目は転職のはざまのバックパッカーで2か月の長期旅行だ、予算は切り詰めていて写真だけを撮った。2回目から既に35年、おそらくもう行くことはあるまいと思うと懐かしさが一層ます。
「愛と哀しみのボレロ」は原題 Les Uns et les Autres 「入口と出口が異なるそれぞれの人生」で「人生には3つか4つしかパターンがない」というナレーションが最初に入り印象に残る。渋谷で見てレンタルでは数回見ているほど好きな映画の一つだ。
第二次世界大戦を経てそれぞれの壮絶な人生を歩んだ彼らの子供たちの世代、4人の男女がエッフェル塔にあつまり演奏会を開く。4人はヌレエフ、カラヤン、エディット・ピアフ、グレン・ミラーを模している。
映画は1981年の制作だから撮影の時期は数年前で、この写真の頃1973年とそれほど変わらない思う。
どこだろう。メモもないので思い出せないのは当然か。
ベルサイユ宮殿
ベルサイユ宮殿
パリの街角
パリの街角
パリの街角のショットが新鮮に見える
ベルサイユ宮殿
パリの裏通り 雰囲気出てる
この飛行機でやってきた。初めて飛行機に乗った。機内で航空事故ものをやっていた。無神経だねまったく。
ベルサイユ宮殿 それにしても色あせがひどい。
ベルサイユ宮殿
ノートルダム寺院を後ろから望む。
パリについてバスに乗り、この古い建物群の眺めに興奮したことを鮮明に覚えている。
今となってはどこかわからないパリの一角
有名な建物なのだろうがわからない。走っている車が時代を映す。
ベルサイユ宮殿の広場
コンコルド広場前に立って通りすがりに写真を撮ってもらう。
これも有名な建物だが・・・
コンコルド広場
またしてもバスから見えるパリの街角になんでもかんでも撮りまくる
バスから見えるパリの街角
コンコルド広場でビートル風の車が停車している
一軒家が気になって
コンコルド広場で写真を撮るわたし
こころよく送り出してくれた人へ、深い感謝を込めて。