わたしは現役時代通算4回の転職をした。うち一回はあまりにも短いので転職三回と言っていいだろう。それでも私の年代では比較的多い方に入る。
最期の転職をした際にはNTTの取締役に電話で「また転職したの」と嫌味っぽく言われた。まあ、かねてからその程度の男と思っていたので腹もたたず「そうなんですよ。よろしくお願いします」と大人の返しをしておいた。
そういえば2回目の転職の際もやはりNTTのOBで新電電に会社の差配で転職してきた男に説教されたことを思い出した。NTTに限らず世間の多数意見だろうなとも受け止めた。
転職の度に仕事の楽しさが増していき、年収、ポジションもアップした。そして58歳のときにサラリーマン生活をぷっつりと辞めた。
以来海外漫遊、海外滞在、起業、子育てなどで15年が過ぎさった。そしていまだ人生の旅を満喫中だ。
サラリーマン生活をぷっつりと辞めたのは何故だろうと最近になって自らの心の奥に向かって自問自答してみた。
時の運
最初の転職は1989年で、既に1985年に新電電が誕生し、通信の経験者は比較的転職しやすい時代になっていた。
人の運
紹介してくれた人や採用してくれた人、面接してくれた人などに恵まれた。
一回目は同窓のS君が紹介・仲介をしてくれ、面接は私が学んだ電電公社元中央学園長の木村さん。彼が役員面接で当時の花形であるレギュラトリー部門(企画部課長)に強力に押してくれた。
このポジションがなければ総務省幹部や他の新電電幹部とも知己になれなかった。
二、三回目も誘ってくれる人がいた。
四回目は孫正義さんが直接面接してくれる幸運に恵まれ「なんでも思う通りにやってください」とも。以降5年弱夜中や週末を問わず連日顔を合わせることになり、実にエキサイティングで楽しい仕事生活を送れた。
人の運、時の運に感謝の言葉もない。
そんな仕事生活を送ってきたが58歳のときに退職してサラリーマン生活に終止符を打つことになった。いわばアーリー・リタイアメントで、伸び盛りの企業を辞めることは実にもったいないとも言われた。辞めた理由を表面上こまごまと上げてもしかたがないと思う自分がいる。
もっと心の奥深いところでなにかが生まれていたことを後年に紀野一義氏の文章で納得した。
転職も旅でそのはざまにも旅をしたが本当の意味での旅をしたくなったのだ。
人間の一生は旅のごとしという。誰でもそのことは感じている。しかし、人は、一日一日の忙しさ、面白さ、かなしさ、おかしさにかまけて、そのことを忘れ去るのである。
この一日一日をなし崩しに生きる生き方に溺れてしまうと、人はその魂を失う。永遠なるものに生かされている自覚をすり減らしてしまう。そして、ぼろ雑巾のようになってその生を終わるのである。
組織に体を拘束され、給料で飼い殺しにされることを随喜するような生き方などしたくない。
旅に出たければさっさと旅に出、大自然と語りたいと思うときは、大自然に心も体もあずけていきたいと思う。
日本人の魂の底に眠る「旅の心」をなくしたくないのである。 紀野一義「日蓮 配流の道」p52