まさおレポート

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仏教とキリスト教の接点 果たして牽強付会か 

2021-10-19 | 紀野一義 仏教研究含む

ネットで得られた次の文言、なるほどそうかもしれないと思わせる。仏教がキリスト教に与えた影響もあるがここではキリスト教やヒンドゥが仏教に与えた影響をメモしてみる。

紀野一義の講演録を聴くと実に柔軟な考えを披露されています。

下記は当否はさておいて後の検討材料です。


後期インド仏教はヒンドゥー教のタントラ教(密教)を取り入れ祈祷や呪詛とした。


シャカ 一切のものは空(無我)世界も、苦も、生も、死も、すべては空 無神論にみえるが空が仏でありダルマ。

空を無ととらえると無神論だが、紀野一義は空を仏だと。


人々を救う思想は原始仏教には表面化しなかった。自分を救う2乗のみが顕在。

紀野一義は大乗の菩薩団が人々を救う思想を顕在化したと。


仏教史学のエリザベス・ゴードン女史 弥勒の原語 インドのマイトレィアは、中国ではミレフ、日本ではミロクで、ヘブル語のメシア、ギリシャ語のキリストであるとしている。

あるいはそれもありえるか。


仏教史学のアルティは阿弥陀仏はインドでつくられたものではない。中国仏教はカシュミールやネパールから伝来し、阿弥陀仏は、当時この地方に影響を与えたペルシャのゾロアスター教とキリスト教に起因する。


聖書には、
「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづく」(コリント人への手紙第二、四・一八)
大乗仏教が「常住なるもの」を強調 聖書の思想の影響があった。

触発された可能性はある。しかしこれが大乗を貶めるものではない。


紀元一世紀、イエス・キリストの十二弟子の一人トマスはキリストの昇天後、中国およびインド地方に伝道に行き、インドで殉教したと伝えられている。

インドでは、すでに二世紀にはキリスト教徒の数もかなり、三世紀にはキリスト教の団体もあった。
大乗仏教「八宗の祖」と言われるインドの龍樹(紀元一五〇~二五〇年頃)が、キリスト教思想に触れた。

「龍宮」で法華経を授けられ、その後「南天の鉄塔中で、金剛薩埵から大日如来に関する経典「大日経」を授かったと主張。
龍樹が授かった大日経は太陽崇拝、バラモン教、キリスト教、ゾロアスター教などの影響を受けた混合宗教ではないか。


龍樹以後、仏教は大きく変貌した。
龍樹は経典を授けられた際、金剛薩たから「潅頂」を受けたとされていますが、これは頭に水をかける儀式で、彼以前の仏教にはなかった キリスト教の洗礼をまねて、こうした儀式を取り入れた

空海は「潅頂」(キリスト教で言う洗礼)を受け、遍照金剛という潅頂名が与えられた。「遍照」とは"広く照らす"の意味で、これは聖書「マタイの福音書」五章一六節の、「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」の漢語から取った。

空海は、死に就こうとするとき、弟子たちに次のように語りました。
「弥勒」の来臨の時に、自分も復活する"キリストが再来するときにクリスチャンは復活する"というキリスト教信仰と同じ。


親鸞が「南無阿弥陀仏」の念仏を大衆化しました。
 「南無」とは、「帰依する」とか「信仰する」という意味で、「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀仏を信じます」とか「阿弥陀仏に帰依します」聖書「使徒の働き」二章二一節の、
「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる」

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