広島高速道路から中国高速道路へ入り、六日市インターから津和野に入る。途中の山並みの新緑と杉林の濃緑、それにときおり姿を見せる藤の花の紫が眼前に広がる。インタチェンジを出ると高津川の清流が傍を流れそれが津和野にたどり着くまで続く。ヤマメの釣れそうな清流だ。
森鴎外記念館は休園中で隣の森鴎外旧家をみることに。5間ほどの家屋に庭がある家で質素といってもよい家だった。庭に面した4畳半は森林太郎の勉強部屋で掘りごたつのような床が掘られていた。家のすぐ隣が清流の流れる高津川だった。数々の文明開化用語を残した西周旧家はすぐそばにあるとのことだったが、いけなかった。
森鴎外は終生津和野に帰ることはなかったが、「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と遺言した。森林太郎の名前の通り森と林に囲まれた地で、石見人と誇りえるなつかしさのつまった土地柄であることを清流と森の緑に圧倒されながら感じた。
「生死別ル瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス」には鴎外の死生観がよく表れている。この世の栄達を目指しながらもその心の奥には森と川に恵まれた地に帰ることを願望する。思うに森鴎外はエリスを捨てた後に深い後悔にさいなまれ、その負債を返さんと栄達に励んだがついに達しきれず、最後の遺言でその帳尻を合わせようとしたのではないか。
<鴎外の遺言> 大正11年7月6日
余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ一切秘密無ク交際シタル友ハ賀古鶴所君ナリ
ココニ死ニ臨ンデ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ
奈何ナル官権威力ト雖、此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス
奈何ナル官権威力ト雖、此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス
余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス、宮内省陸軍皆縁故アレトモ生死別ル瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス、森林太郎トシテ死セントス、墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス、書ハ中村不折ニ委託シ宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ、手続ハソレゾレアルベシコレ唯一ノ友人ニ云ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サス
ある人が若い日のヨーロッパでの悲恋の思い出を語った。さながら森鴎外の「舞姫」に登場する太田豊太郎とエリスのようだと感想を述べたら、「そんな高尚なものではないですがね」とやや恥じらいを浮かべて謙遜した。
そんな話を聞いたせいで急に森鴎外の名作「舞姫」を読みたくなった。青空文庫のなかに幸い収録されている。いつもの湾をのぞむレストランで一気に読んでしまった。おそらく40年ぶりの舞姫だが今回の方が一層感動的に読めた。しかし40年ぶりの舞姫は以前の単純な感動ではない。幾分は太田に対して、つまり鴎外に対して「いい気なもんだ」という感情も交じっている。
太田が望郷の念と出世欲の入り混じった思いと、身重のエリスとの生活を続けたい思いの激しい葛藤で、ある寒い夜に疲労困憊の果てに高熱を出して倒れる。目が覚めると友人の相沢謙吉がエリスに引導を渡していた。そのためにエリスは怒りと落胆で狂ってしまう。そのあと太田は金をエリスの母親に預けて帰国し、出世する。
太田が望郷の念と出世欲の入り混じった思いと、身重のエリスとの生活を続けたい思いの激しい葛藤で、ある寒い夜に疲労困憊の果てに高熱を出して倒れる。目が覚めると友人の相沢謙吉がエリスに引導を渡していた。そのためにエリスは怒りと落胆で狂ってしまう。そのあと太田は金をエリスの母親に預けて帰国し、出世する。
森鴎外にも同じようなエピソードがあることは有名な話で、その女性は日本まで鴎外を追った。しかし追い返すことになる。そのときに鴎外には賀古鶴所(かこつるど)という友人がいて相沢謙吉と同様の働きをしたらしい。
思うにこの「舞姫」は鴎外の血を吐く思いの懺悔であるに違いない。太田も相沢に背中を押されている。鴎外も賀古に背中を押されたに違いない。相沢と賀古は当時の日本の国益推進の熱情の権化だと思えばよい。その権化が友情の名を借りて太田と鴎外の背中を押した。この相沢が存在せず、太田が日本に帰国し出世を遂げたとしたら、いかにこの小説が高雅な文体と浪漫的な内容であろうとも、妊婦を狂わせ、捨てた太田は下種の屑野郎に過ぎないし誰も感動しない。おそらく鴎外も賀古がいなければ下種野郎に堕していただろう。この「舞姫」はそんな国益中心主義の時代背景でしか成り立たない小説であることになる。
下種野郎の小説から名作に転化しているもう一つの点は、「舞姫」の最後に鴎外自身の叫びのような文章が置かれたことだろう。
「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。」
つまり太田を下種野郎とさげすみながらも、この懺悔の深さで、最後の最後で感動に変わっているということになる。
つまり太田を下種野郎とさげすみながらも、この懺悔の深さで、最後の最後で感動に変わっているということになる。