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まさおレポート

ボロブドール遺跡の謎 なぜ仏教が忘れさられたのか

ボロブドール遺跡に焦点を当ててみると未だわかっていないことが多いという。ほとんどわかっていないと言った方が正しいかもしれない。インドは英国の植民地化で大いに考古学的研究が進んだがインドネシアではまだまだこれからだという印象だ。
 
このピラミッド型遺跡の内部は小さな丘であり土のみでエジプトのピラミッドのように石室があるということではなさそうだ。しかしここから新たな仏教研究上の発見例えば仏陀の入滅年代が明らかにされる石碑が見つかるなどというロマンは否定できない気がするのだが。
 
釈迦の入滅年代が不明だということが新たな驚きで、紀元前383年説を今まで記憶していたがこれもいくつかある一つの仮説だということが佐々木閑氏のyoutubeで知った。紀元前600年とか160年とか500年近い幅があるのも驚きだった。
 
ボロブドール遺跡が発見されるまで土に覆われていたという理由もわかっていない。ヒンドゥやイスラム勢力からの破壊を防ぐためかあるいはムラピ山噴火(920年)の火山灰によるものかサンジャヤ家に実権がうつったためか、のちのイスラム勢力の侵入によるものか。
遺跡が発見されるまで覆われていた土が基壇の底にある土と同じ成分というのも気になる。ムラピ火山の溶岩でできた石を画一に切って階段上に積み上げたもので、そのために同じ土質になったのだろうか。
 
なぜこれほどの大寺院と仏教が忘れられたのか。プランバナン寺院は1世紀遅れて建立され、おそらく両寺院は並び立っていたものと推測するが、ジャワの近接地点にこのような巨大宗教が並びたつのは難しい、そのために互いの圧力はあったと思われるが王の気が変わったのか。
 
あるいは仏教はインドでも僧たちはナーランダなどの巨大な寺院、いわば象牙の塔に閉じ籠り、学問的には進んだが権力者の布施で安楽に暮らした僧は人々の心を掴むことができずに遠ざかっていった。ジャイナやヒンドゥが人々の心を掴み仏教が廃れていったという説が正しいのか。
ヒンドゥは歌や踊り、身近な神々で人々の中に浸透した。インドでは仏教僧は王の方だけを向いていた、この違いによるものか。
 
インドと同じことがジャワでも同じことが起きたと推測される。ブランパナンが1世紀後に立ったのはこのことを示している。精緻な仏教学を打ち立てていくのは重要なことだが民衆にわかりやすい教えを説く人が欠如すると宗教は滅びるという教訓を得ることができる。
 
インドではイスラムがインドに入り仏教が完全消滅、絶滅することになるがこれと同じことがジャワでも時間差をおいて滅びた。イスラムのジャワ侵入ではなぜボロブドールのみ覆われ、ブランパナンは覆われなかったのか。
 
インドではその後仏教は再発見され復活するのだが実に興味津々の物語が浮かび上がってくる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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