2019/7/8 追記
フランク・ロイド・ライトの建築が世界遺産になった。
鶴本氏は80年前に芦屋で活躍した建築家で、かつて芦屋で彼の設計した八角形の建築を見たことがある。20代の頃だからずいぶん前のことで今では取り壊されて存在しない。八角形とは珍しいなとその時思った。
フランク・ロイド・ライトの建築が世界遺産になったことでネット上にも記事が増えた。芦屋の旧山邑家住宅も1924年竣工の日本で唯一そのまま現存するフランク・ロイド・ライト作品だと知りひょっとして鶴本氏はフランク・ロイド・ライトの建築に触発されたのではないかと根拠なく想像してみた。ロバート・P・パーカー邸とトーマス・H・ゲイル邸(1892年竣工)を見てそう思った。旧山邑家住宅も1924年竣工だから鶴本氏も見ているはずだ。フランク・ロイド・ライトから八角形の建築へとつながり芦屋の八角形の建築を設計したと考えても少なくとも土地と年代には矛盾しない。
故鶴本氏、勝手な想像で、間違っていたらすみません。
20190315追記
2015/10/28 追記
2012/12/7 初稿
このところフランク・ロイド・ライトによく出くわす。といってもウェブサイトでの出会いのことで、最初は松岡正剛氏の千夜千冊で、次の日は国会図書館所有の旧帝国ホテルの写真に出会った。それも元をただせば17年前に訪れたシカゴでオーク・パークのロイド建築を見たことが関心のきっかけになっている。
このオーク・パークには今でもロイドの建築が多く残っており、それぞれはぼんやりとした記憶の中にある。当時ロイドの建築の一つの特徴である屋根の水平な線は韓国の影響を受けたのではないかと直感したが、その後に誰もそんなことを言っていないので当時の直感の当否の自信は記憶と同じように薄れてきている。又、電電公社本社として建てられ、現在はNTTコミュニケーションズの本社になっている建築を見て、これはきっとお隣の帝国ホテルを設計したロイドの影響を受けているとかつて確信したが、これも電電公社建築局のスタッフの設計になるものだが、彼がロイドの影響を受けたかどうかの直接の確認はできていない。
とにかくおぼろげなロイド邸の記憶なのだが、どなたかのロイド邸訪問のブログの写真を見て徐々に記憶が戻ってきた。(子供部屋があってピアノの上から下がのぞけるようになっていたことなど) ガイドが説明してくれたロイドの「凄まじい悲劇」もあまりの悲劇ぶりに現実感が薄く、その説明の場では今一つ実感がわかなかったことも思い出してきた。使用人が突然気が狂って、ロイドの妻と子供二人さらに弟子4人が斧で惨殺されるなんて残酷すぎるて、とても本当にあった話とは思えない。しかも子供の引いていたピアノの前でガイドが説明するのだエドガー・アラン・ポーの小説よりも凄すぎる。
八角の建築はかつて芦屋で見た八角形の木造建築を思い出させた。鶴本正太郎氏の建築になるもので、やはりこれもロイドの影響を受けたものだろうか。あるいは日本に昔からある八角堂の影響だろうかとはかりかねたが、芦屋には山邑邸がある。やはりその影響を受けたのに違いない。
今日見た明治時代の帝国ホテルの写真はオーク・パークの建築とは様式が大きく異なっているがよくみると水平線は強調されており、やはりロイドらしさが色濃く出ている。古い写真のせいかもしれないがロイドの悲劇の直後に建てられたものだけに美しさと陰鬱さが同居しているようにも見える。
シカゴ オーク・パークのロイド邸 子供遊び部屋
子供遊び部屋
ダイニングルーム
ウィング
ホール 木製の柱でギリシャ風
ギャラリーウィング 緑青が石のタイルと調和
リビングのハンギングランプ
ステンド鉛ガラス窓
リビング
リビング
鉛ガラス窓 にもライトらしい直線図形が
リビング レンガの柱
シダの観葉植物
リビング マントルピース
ポピーの壁紙
ソファとカーペット
参考 2018/12/15
https://propertylistings.nikkei.jp/jp/topics/argentina/5355-05022018.html?n_cid=TPRN0002
正太郎は私が生まれた時には既に個人だったため、詳しい話がなんとやらとあるわけではないのですが、こうして曽祖父の軌跡を覚えてくださっている方がいらっしゃることに感銘を受け、一言お礼を申し上げたく、コメントを残させていただきます。
なお、正太郎の会社は今でも芦屋に鶴本工務所として残っており、現在ではお弟子さんが正太郎の跡を継がれ、残念ながらそのあたりで些か疎遠となってしまったため、以降の詳細は不明でございます。
この度はステキなブログのほど、誠にありがとうございました。
そうなんですか。こういったことがお聞きできるのもブログの醍醐味ですね。