
以下は紀野一義youtube講演よりのメモです。
時空を超えないと仏教は理解できないと思いますね。鎌倉を歩いていてふと日蓮上人の歩くお姿を感じる。
長谷を降りて大仏の方に歩いていくと左側に四条金吾邸跡がある。この家から四条金吾が飛び出してきて日蓮上人の馬に取りすがったとある。確かに幻視できそうな気がする。
あるひとが紀野氏に手紙を書いて数日後に届く。届いたものを読むと一大事が書いてある。そのタイミングで母親から電話があり無事であることが知らされる。これも計ったように時空を超越している。
700年とか1000年とかは宇宙の時空から見れば瞬間ですね。わたしは宇宙感覚と呼んでいます。
インドのチター奏者と結婚された女性から鎌倉に住みたいので家を探していただけませんかと頼まれた。どうぞ借りてください、家賃はいりませんといわれた家は武将の幽霊がでるという。その夫婦は幽霊は平気だという。どうですかと尋ねると出ていらっしゃいますと答える。
紀野氏は日蓮宗の寺に生まれ育った。奥様は極楽寺の娘さんだという。日蓮上人は極楽寺良寛をせめられた。氏はこの関係も時空を超えて面白いですねという。
氏の母上ははるこさんというがはるこさんを巡って争ったのが後の氏の父ともうひとかたの男性で、この男性が不思議なご縁で広島の連隊長になって赴任するというめぐりあわせを紹介している。
氏は中国の秦の始皇帝に西安で思いを馳せる。秦の始皇帝は釈迦より100年後の人であるがこの地に立ち風景を眺めると2000年の時空を超える気になるという。
氏はインクレディブル コインシデンスという絶版になった本を引きながら偶然という事象は時空を超越したつながりだと考えている。
高僧と言われた僧でも臨終でみっともない姿を示す方もいる。死に臨んで「妻のことがこころのこりだ」といわれた僧に「そんなことをいっちゃいけませんね。家族のことが一番に気になるようなら出家しないほうがよい」とも。
ヘッセのシッダールタに触れているが聞き取り未完了。
柿本人麻呂の
大君は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも
は持統天皇に対する皮肉であり、そのために最終的に死を賜ることになったと氏は解している。
梅原猛が水底の歌を仕上げたことに対して「よくこのような暗いテーマに長い間精力を傾けられましたね。わたしはこういうことを長く考えるのは苦手です」と氏の楽観的思考と対比している。
マルコポーロも時空を超えた。ベネチアからクビライの国へ旅し25年後に再戻る。彼の表した東方見聞録はシルクロードを旅するものには必須であったという。
当時日本は鎌倉時代で元寇のあった時代であることを想うと時空の超え方が半端ではない。
こうしたことを述べながら氏は鎌倉時代の祖師たちに思いを馳せ、800年程度はついこの間の出来事であるとの感覚を持つことの肝要さを説く。
時空を超越しないと仏教はわかりませんよとも。
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