紀野一義講演(youtube)メモです。
仏教の空は多くの本が出ている。全部読んでもわからない。しかし大乗仏教は空がわからないと前に進めない。
空といえば空しい、切ないような受け取り方をする方が多い。だから空しさからはいっていくのがよいと。
虚空遍歴を山本周五郎が書いた。山本周五郎の作品では人間がそう悪い奴がいない、存在理由を持っている。五味康介みたいにゴボウを斬るように人を斬ったりはしない。読んでいると人間に対するなつかしさがある。
日蓮上人も一匹狼の存在だったが山本周五郎も一匹狼だった。人間に対する情が深い。
あらすじ概略を紹介。
自分でいいことをしたとしても満足感があるとは限らない、人生は虚空遍歴的だ。
色即是空のサンスクリットは色空だけだ。この即を(否定する)動きをあらわしていると亀井勝一郎は言ったのは卓見だ。
形のあるものは一旦否定して本当のものがでてくる、空は否定すること。仕事ができた、しかし満足するものではないと否定する。形あるものは美しいものか醜いものか、美と醜はちょっとしたことでひっくり返る。色即是空はそれを教えてくれる。
奈良の法華寺にある十一面観音は光明皇后をうつしたと言われる。
この観音にはどこか影がある。光明皇后は天平時代第一の美人と言われた。皇后になるには身分に問題があった。皇后になるために長屋王が殺されてしまうが光明の母橘夫人が計画したと言われている。
歴史上の人物が母親の冥福を祈るというのは背後になんか事件がある。美しい方の後ろには醜いものが隠れている。
光明皇后がハンセン病患者の背中をながしているときに「身分が高いかたが膿を吸いだしてくれると治る」とお願いされる。光明皇后がそうする。そして聖武天皇にばれてはいけないので公言してはいけないと口止めする。すると「おまえはアシュク仏の変身を公言してはいけない」と応え、ハンセン病患者はみるみるうちにアシュク仏にかわったという伝説がある。
膿は罪の意識であり、自分で自分の膿つまり罪の意識を吸いだすことになる。
アシュク仏と光明皇后はひとつになっている。このエピソードは荒唐無稽だと済まないものを持っている。美と醜は背中合わせでこれを色即是空という。
空即是色は虚空遍歴は同じですね。色即是空は向こうへ行く動きで空即是色は向こうから帰ってくる。向こうから帰ってくるときの空は否定ではなくおおきな世界、包み込むものを指す。
命には終わりあり、能にははてなし 世阿弥
芸術家は50、60になっても妄執を捨てきれず、富の上に安定し、親分子分の組織であぐらをかく人がいる。人も「これは誰が作ったと、中身を鑑賞せずにすぐ聞いて名前だけで感心する。
横山大観の晩年は抵抗を感じなくなる。若い時の絵は恐ろしくなる 、それほど凄いものを感じる。
芭蕉は晩年になっても「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」これは芸術家の鏡ですね。最後まで追いかける人だ。それが芸術家の宿命であり、好んでその世界に入っていったのでこれは仕方がありません。
お終いがないところで空が広がって戻ってくる、そこに入るまでは空しいことを何べんも何べんも経験しなければいけない。
野ざらし紀行は芭蕉41歳の句集です。秋に旅をするというのは当時でも普通ではない。当時の旅は春に出発して秋に帰るのが普通です。
野ざらしを心に風のしむ身かな
芭蕉は相当な決心をして冬に向かう旅の出発をしている。死ぬ時がこわいから決心ができるんですね。
41歳で切なさの究極までいっている。そしてそこから戻ってきている。この野ざらし紀行は最初からお仕舞までその性格をもっている。
道元 正法眼蔵 生死の巻
この生死はすなはち佛の御いのちなり。これをいとひすてんとすれば、すなはち佛の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて生死に著すれば、これも佛のいのちをうしなふなり、佛のありさまをとどむるなり。いとふことなく、したふことなき、このときはじめて佛のこころにいる。ただし、心をもてはかることなかれ、ことばをもていふことなかれ。ただわが身をも心をもはなちわすれて、佛のいへになげいれて、佛のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、佛となる。
生死は迷い ほとけの命を生きている 嫌だと放り出せば仏の命を放り出すことになる。
さらーっと生きて行けるようになるとほとけの命をいきることになる。
佛となるに、いとやすきみちあり。もろもろの惡をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のために、あはれみふかくして、上をうやまひ下をあはれみ、よろづをいとふこころなく、ねがふ心なくて、心におもふことなく、うれふることなき、これを佛となづく。又ほかにたづぬることなかれ。
むつかしいことはなんにも言っていません。念のうすきは人間、念のなきはほとけといった盤珪さんとおなじ。
こうなるため前には何年も切ない思いをするんですね。
高村光太郎の妹への詩
泣きたいだけ一人でなきなさいと、すると丘や林が見えてくるだろうと。お前が馬鹿だと思っていた人がお前を仏さまだと思う。
仏とかだらーんとした気持ちとかは本当はいらないんですね。
ここに空即是色が味わえる。ここに入るためには空しいと言う思いが必要になる。新しい世界が始まる、そうすると生きてくことが楽しみになると思うんですけど。