1923年9月1日の関東大震災以降の叙述は手厳しい。
天地忽鳴動す。、、糞尿の臭気堪ふべからず。、、帝都荒廃の光景哀れといふも愚かなり。、、この度の災禍は実に天罰なりといふべし。、、外観をのみ修飾して百年の計をなさざる国家の末路は即かくの如し。自業自得天罰覿面といふべきのみ。
文壇の付き合いを避けた荷風は、手厳しい。
悪むべきは菊池寛の如き売文専業の徒のなす所なり。
世の文学者といふものは下宿屋とカッフェーの外世間を知らず、手紙を書くことも知らず、礼儀を知らず、風流を解せず、薄志弱行、粗放驕慢、まことに人間中の最も劣等なるものなり。
芸者や女給などは文士議員らに比較すれば遥かに品格も好く義理人情をも解するものといふべし。、、独ろ菊池寛山本有三らをのみ下等なる者と思ひゐたりしが、、
余は日本の文学者を嫌ふこと蛇蝎の如し。
余が死後において、余の全集及びその他の著作が中央公論社の如き馬鹿馬鹿しき広告文を出す書店より発行せらるることを恥辱と思ふものなり。
世には偽君子多し。己の過去を自ら省み身の恥を知るが如きものは、到底世に立つこと能はざるなり。
人生に三楽あり。一に読書、二に好色、三に飲酒。
官権万能にして人民の従順なること驚きに堪えたり。
かつて訳ありし女と一時別れし後再び往来するやうになりて半年一年と月日をふるや、冷静なる交情、さながら親戚の娘または真身の妹と相語るが如き心持となるものなり。