ふとしたことから、思い出しました。
息子、小学校5年、
地区大会ベスト4からの試合、
肘の骨を折って、治りかけの時、
息子、病院の先生に泣いてギブスをはずしてほしいと頼みました。
先生も「最低、あと一週間なんだけどな・・・」「絶対にこけるなよ。」といいながら、
ギブスをはずして、テーピングで肘をV字に固めてくれました。
その日、もちろん、息子の怪我のことにはふれずに、
みんなには、いつもどおり指導しました。
準決勝、
息子はピッチ。僕はベンチ。
見守ることしかできませんでした。
何とか勝ち進みました。
決勝、
息子はピッチ。僕はベンチ。
やっぱり見守ることしかできませんでした。
負けました。
その2試合。
「こけるなよ。」と心の中でつぶやきながら見守りました。
父親として、それしかできませんでした。
息子、高校3年の春。最後の大会。
大会直前。
息子の足は、悲鳴をあげてました。
病名は、「シンスプリント」
最後の大会。
大会に入ってから、家では怪我の話は禁句になっていた。
言ってもどうにもならないことは、僕も息子自身もわかっているので、
その話はしなかった。
最後の2試合を都合をつけて観にいった。
息子はピッチ。僕は観覧席。
やっぱり見守るしかできなかった。
この話。
怪我を知っていて、出場をとめなかったことが、
指導者として、そして父親として、
良いか悪いかは、いろんな意見があると思います。
でも、その時、僕自身は『見守ってあげよう!』
そう判断して見守りました。
怪我に限らず、
親として見守るしかできないことってありますよね。
心配で、心配で仕方ないけど、見守ることしかできない。
我が子の成長を願って、見守ることしかできない。
そんなことって、ありますよね。 (〃^×^)★あははははっ
息子、小学校5年、
地区大会ベスト4からの試合、
肘の骨を折って、治りかけの時、
息子、病院の先生に泣いてギブスをはずしてほしいと頼みました。
先生も「最低、あと一週間なんだけどな・・・」「絶対にこけるなよ。」といいながら、
ギブスをはずして、テーピングで肘をV字に固めてくれました。
その日、もちろん、息子の怪我のことにはふれずに、
みんなには、いつもどおり指導しました。
準決勝、
息子はピッチ。僕はベンチ。
見守ることしかできませんでした。
何とか勝ち進みました。
決勝、
息子はピッチ。僕はベンチ。
やっぱり見守ることしかできませんでした。
負けました。
その2試合。
「こけるなよ。」と心の中でつぶやきながら見守りました。
父親として、それしかできませんでした。
息子、高校3年の春。最後の大会。
大会直前。
息子の足は、悲鳴をあげてました。
病名は、「シンスプリント」
最後の大会。
大会に入ってから、家では怪我の話は禁句になっていた。
言ってもどうにもならないことは、僕も息子自身もわかっているので、
その話はしなかった。
最後の2試合を都合をつけて観にいった。
息子はピッチ。僕は観覧席。
やっぱり見守るしかできなかった。
この話。
怪我を知っていて、出場をとめなかったことが、
指導者として、そして父親として、
良いか悪いかは、いろんな意見があると思います。
でも、その時、僕自身は『見守ってあげよう!』
そう判断して見守りました。
怪我に限らず、
親として見守るしかできないことってありますよね。
心配で、心配で仕方ないけど、見守ることしかできない。
我が子の成長を願って、見守ることしかできない。
そんなことって、ありますよね。 (〃^×^)★あははははっ
クスン。。。かんどー
『見守ってあげよう!』
言葉は簡単
でも
これほど 辛抱強い気持ちはないですよね
見守るって簡単じゃないですよね
あ、酔っ払いなんで私の涙は
気にしないでください(笑
『見守る』
子どもは、絶対に 感じてくれている。
そう思うんです。
『見守る』
子どもからのSOSは、見逃さないように・・・
ですよね(^-^)ニコ
いろいろと口出せるのは、小学生までかな?
中学生になったとたん、1つ言えば10くらい帰ってきそうだし・・・(ノ_・。)
それでも、いろいろと考えているようで
ケガをしていても「これだけ」は試合に出たいという。
見ている私は勝敗なんかより、また同じところを痛めるんじゃないか??とハラハラしてました。
少しずつ、自分のことも、自分のケガのことも考えられるようになっちゃうんですね。さみしー。
本当は、怪我の痛みは、本人しかわからないですよね。
子どもの成長。
自分のこと、自分のケガのことも
考えられるようにならないと困るしね。
我慢強い子とそうでない子・・・
そんな違いは、指導者としては難しいです。
「がんばれ!」というべきか?
「無理するな!」というべきか?