※ 4年前のいまごろ世を去った妹をおもいながら、歌集『厚着の王さま』より抄出します。
❤ いもうと 二十首 松井多絵子
病室の前にてわれは立ちすくむ、扉のむこうに癌のいもうと
点滴にか細き腕を任せいてなにも話さぬいもうと、われも
眠いわと小声にて言いいもうとは瞼をとじる、眠ってほしい
なぜ癌になったのですかと妹の主治医に問えば「さあ、ねえ」と応える
自殺する癌細胞もあるらしい逞しく生きる癌細胞も
終戦の年に生まれたいもうとはいま癌細胞と戦っている
いもうとよ癌細胞を削除せよ、笑えばいいのだ笑えばいいのだ
子宮とはこんな形のものなのか茄子ひとつが俎板の上
海へむく手術室にていもうとは子宮を失い笑顔を失う
癌はまだ体に残るいもうとの「快気祝」の干菓子は紅梅
死が迫る、緩和ケアーを言う医師の口調はやんわりのんびりしている
病室はスカイブルーに塗られいて窓のむこうの空は汚い
われのみが話していたり話さねば空気がさらに重くなりそう
たちまちに地上に降りきて十階の緩和ケアー病棟仰ぐ
この秋の旅の予定の記されぬ手帳の空白、白がふるえる
すでに遠くへゆきてしまいし妹の亡骸に会う真昼なりけり
苦しまず逝きしとう嘘あたたかく我はうなずき供花にふれる
死はふかき眠りか生はごく浅きねむりか、窓にひろがる夕日
あと幾度ここに来て骨を拾うのか火葬を待つこの四十分は
病む日々のいもうとのメールを収めたるケータイはいま枕辺にあり
(了)