~ ゆがんだ鏡 ~
「短歌とはゆがんだ鏡である」と、歌人ではない奥本大三郎。氏は大阪芸術大教授、フランス文学者、ファーブル昆虫記を翻訳、「虫の詩人の館」の館長である。NHK短歌のゲストとして、永田和宏とのミニ対談。学者二人のお話しなんてシンドイなあと思ったら、意外にも分かりやすく楽しい25分間だった。奥本大三郎の 「短歌は主観をゆがめなければ面白くない」 に私はハットする。鏡が見え隠れする歌をしばしば詠んでいる私。次の7首のなかに主観をゆがめた歌があるかしら。
鏡のなかの 松井多絵子
あかときの鏡はわれをひき寄せてひき離す、鳥になれというらし
タワービルが鏡面ビルが傾いているあの路を行かねばならぬ
昨日(きぞ)五月、今日は六月、鏡には冬枯れのままの私がいる
こちら向く鏡のなかの私よ今日も明日も離れていたい
厚化粧これも偽装とおもえども鏡の中のわれは華やぐ
窓際の鏡のなかに立つ裸体、となりの庭の葉のなき朴の
雨の夜の鏡の奥のわたくしは太宰治のように頬杖
2月18日
雪になれない雨が降る昼わたしはパソコンの前で頬杖を 松井多絵子