NHk短歌第2週の講師-大松達知の歌である。歌誌コスモスの選者であり教師でる。本日の朝日俳壇・歌壇「うたをよむ」で掲出の歌について田中愛子は次のように書いている。
しなびた胡瓜はもう食べられないが、捨てるにはしのびない。いっそしなしなになるまで待って、、、.こんな小さなことは日が経てばすっかり忘れてしまう。人生にも記録にも残らないけれど、てもたしかに心は小さく揺れたのだ。ふときざした小さな心の揺れをとらえた歌に出合うと、忘れていたというより眠っていたなにかを呼びさまされて、はっとさせられるのだ。
この欄ではじめて読んだ田中愛子の寸評に共感する。人生の感慨などを深刻に詠んだ歌はテンションが高く窮屈である。しかし、しなしなの胡瓜の歌は馴染みやすい。昨日、ス一パ一で3本100円の胡瓜を6本買った。二人暮らしではしなしなの胡瓜になりかねない。私は胡瓜が大好きなのでしなしなになったら炒めて食べる。老人には皺だらけの方が歯にやさしい。まだ4本残っている胡瓜はビニ一ルのラツブに包まれて冷蔵庫の野菜室でいま昼寝をしている。