昨夜、テレビを見ながら「今年もあと46日か、いい年ではないけれど去ってしまうのは淋しいなあ」と思っていました。そのとき「森光子さん死去」のニュース。ますます淋しくなりました。私たちを元気にしてくださる方が、この世を去ったなんて。私は加齢と共に「去る」という言葉を避けるようになり、近年の歌は「去る」が少なくなりました。次の15首の古い作品が懐かしいです。
★「去る」を歌った十五首 松井多絵子
どの花もわれの味方のように見え向日葵畑を去りかねており
自らを向日葵にたとえし人が去る九月尽日この世より去る
追い越して振りむけばまるで違うひと、母はあの春この世を去った
あと五年生きていたなら母は見たわが晩春のすばやく去るを
あたたかな冬がすぎ去り寒い春さくらが雪のように降りくる
エアバスが燕のように飛び去った或いは燕だったかもしれぬ
八月と共に去るもの思うとき蚊が鳴きながら我にまつわる
木陰には万葉人がいるような明日香の村を去りがたくおり
あの人にまた驚かされる予告なくさっとこの世を去ってしまった
バス停のわれの後ろに春が来てコートをぬげば春は去りゆく
書くならば言葉の身なりを整えて光が窓を去らないうちに
勝ち組を応援なんかするものか何も買わずにユニクロを去る
ペットショップのうさぎの背なを撫でしのち店より去りゆく細身の男
ケータイの電話帳には生きているこの世を去りて二か月のひと
浜辺にて拾いし貝殻みな貝に去られてしまいし儚い器
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