エレミヤ39章
18節「わたしは必ずあなたを救う。剣にかけられることはなく、命だけは助かって生き残る。あなたがわたしを信頼したからである、と主は言われる」(新共同訳)
1節「ユダの王ゼデキヤの第九年十月に、バビロンの王ネブカドレツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、これを包囲した」。小見出し「エルサレムの陥落」。バビロンの王ネブカドレツァルと全軍に包囲され、三年後のゼデキヤの第十一年四月九日になって、城壁の一角が破られた (2~3節)。ゼデキヤと戦士たちは逃亡したが、逮捕されリブラで裁きを受け王子らと貴族たち約70人は処刑され、ゼデキヤは両眼をつぶされてバビロンに連れていかれた(4~7節)。城壁は壊され、町は焼かれ、投降した者、町に残っていた者らも捕囚の民としてバビロンに連れ去られ、無産の貧しい民の一部が残され、ブドウ畑と耕地を与えられた(8~10節)。列王記下25章にも詳細に記されている。紀元前586年、第二回捕囚である。
11節「バビロンの王ネブカドレツァルはエレミヤに関して、親衛隊の長ネブザルアダンに命令を下した」。バビロンの王はネブザルアダンにエレミヤの保護を命じた。それは彼を連れ出し、よく世話をするように、いかなる害も加えてはならない、彼が求めることは、何でもかなえてやるようというものであった(12~13節)。
14節「監視の庭からエレミヤを連れ出し、シャファンの孫で、アヒカムの子であるゲダルヤに預け、家に送り届けさせた。こうして、エレミヤは民の間にとどまった」。書記官シャファンと、その子アヒカムは、ヨシヤ王の時に宗教改革を主導した人物である(列王記下22章see)。その孫アヒカムは40章にある通り、新しくユダの統治者として任命される。新バビロン政策を支持する人物だったことが伺える。
16節「『クシュ人エベド・メレクのもとに赴いて告げよ。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしはこの都について告げたわたしの言葉を実現させる』」。クシュ人とはエチオピアを指し、エジプト人の背景を持っている人物であった。かつて彼がエレミヤを保護した事柄を覚え(38章10~13節)、エルサレムが破壊され、焼かれる時に救助されることを主の言葉として伝えた。
18節「わたしは必ずあなたを救う。剣にかけられることはなく、命だけは助かって生き残る。あなたがわたしを信頼したからである、と主は言われる」。彼のエレミヤに対する厚意が、主への信頼から来ていたことを教えている。
この思想は原始キリスト教会では「聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい」として説かれている(ローマ12章13節、エフェソ3章8節、1テモテ5章10節)。主の弟子たちは「杖一本をもって伝道の旅をした」(マルコ福音書6章8~13節)。キリスト教会は信頼し合う愛の共同体である。主イエスはこれがわたしの命令であると示している。ヨハネ福音書15章12節「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」
18節「わたしは必ずあなたを救う。剣にかけられることはなく、命だけは助かって生き残る。あなたがわたしを信頼したからである、と主は言われる」(新共同訳)
1節「ユダの王ゼデキヤの第九年十月に、バビロンの王ネブカドレツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、これを包囲した」。小見出し「エルサレムの陥落」。バビロンの王ネブカドレツァルと全軍に包囲され、三年後のゼデキヤの第十一年四月九日になって、城壁の一角が破られた (2~3節)。ゼデキヤと戦士たちは逃亡したが、逮捕されリブラで裁きを受け王子らと貴族たち約70人は処刑され、ゼデキヤは両眼をつぶされてバビロンに連れていかれた(4~7節)。城壁は壊され、町は焼かれ、投降した者、町に残っていた者らも捕囚の民としてバビロンに連れ去られ、無産の貧しい民の一部が残され、ブドウ畑と耕地を与えられた(8~10節)。列王記下25章にも詳細に記されている。紀元前586年、第二回捕囚である。
11節「バビロンの王ネブカドレツァルはエレミヤに関して、親衛隊の長ネブザルアダンに命令を下した」。バビロンの王はネブザルアダンにエレミヤの保護を命じた。それは彼を連れ出し、よく世話をするように、いかなる害も加えてはならない、彼が求めることは、何でもかなえてやるようというものであった(12~13節)。
14節「監視の庭からエレミヤを連れ出し、シャファンの孫で、アヒカムの子であるゲダルヤに預け、家に送り届けさせた。こうして、エレミヤは民の間にとどまった」。書記官シャファンと、その子アヒカムは、ヨシヤ王の時に宗教改革を主導した人物である(列王記下22章see)。その孫アヒカムは40章にある通り、新しくユダの統治者として任命される。新バビロン政策を支持する人物だったことが伺える。
16節「『クシュ人エベド・メレクのもとに赴いて告げよ。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしはこの都について告げたわたしの言葉を実現させる』」。クシュ人とはエチオピアを指し、エジプト人の背景を持っている人物であった。かつて彼がエレミヤを保護した事柄を覚え(38章10~13節)、エルサレムが破壊され、焼かれる時に救助されることを主の言葉として伝えた。
18節「わたしは必ずあなたを救う。剣にかけられることはなく、命だけは助かって生き残る。あなたがわたしを信頼したからである、と主は言われる」。彼のエレミヤに対する厚意が、主への信頼から来ていたことを教えている。
この思想は原始キリスト教会では「聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい」として説かれている(ローマ12章13節、エフェソ3章8節、1テモテ5章10節)。主の弟子たちは「杖一本をもって伝道の旅をした」(マルコ福音書6章8~13節)。キリスト教会は信頼し合う愛の共同体である。主イエスはこれがわたしの命令であると示している。ヨハネ福音書15章12節「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」