エレミヤ44章
26節「それゆえ、エジプトに住むユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。わたしはわが大いなる名にかけて誓う、と主は言われる。エジプト全土のユダの人々の中に、『神である主は生きておられる』と言って、わたしの名を口に唱えて誓う人はひとりもなくなる」(新共同訳)
1節「エジプトのミグドル、タフパンヘス、メンフィスならびに上エジプト地方に住む、ユダの人々に対する言葉がエレミヤに臨んだ」。既に前から在留していたユダヤ人もいたようだが、エレミヤはエジプトに移住したすべての民に向って預言した。それは、神の警告を無視し、信頼を裏切り、異教の神々に香をたき、礼拝したと告げる(2~3節)。
4節「わが僕である預言者たちをお前たちの処へ繰り返し派遣して、わたしが憎むこの忌まわしいことを行ってはならないと命じた」。預言者らを繰り返し派遣して警告したが、それにも関らず、彼らは聞かず、耳を傾けず、悪を改めず、異教の神々に香をたくことをやめなかった。そこで主の怒りと憤りが燃え上がり、エルサレムは廃墟と化したと語った(5~6節)。
7節「このとき、バビロンの王の軍隊は、エルサレムと、ユダの残っていた町々、すなわちラキシュとアゼカを攻撃していた。ユダの町々の中で、これらの城壁を持った町だけがまだ残っていたのである」。何故、ユダの滅亡を経験したにも関わらず、寄留しているエジプトにおいて、自分の手で偶像を造り、異教の神々に香をたき、わたしを怒らせ、世界のあらゆる国々で、ののしりと恥辱の的となるのか。神の審判としてなされたエジプトで同じ背信行為を行うのは何故なのかと問う(8節)。
14節「エジプトの地へ移って寄留しているユダの残留者には、難を免れ生き残り、ユダの地に帰りうる者はひとりもない。彼らは再びそこに帰って住むことを切望しているが、少数の難を免れた者を除けば、だれも帰ることはできない」。神の厳しいが告げられる。それに対して、自分たちの妻が異教の神々に香をたいているのを知っている男たち、そこに多く集まって居合わせていた女たち、更にはエジプトの上エジプトに住む人々がこぞってエレミヤに反論する(16節)。新改訳では「大集団の女たち」とある。彼らは「あなたが主の名を借りて我々に語った言葉である」として反論するのである(新改訳)。
17節「我々は誓ったとおり必ず行い、天の女王に香をたき、ぶどう酒を注いで献げ物とする。我々は、昔から父祖たちも歴代の王も高官たちも、ユダの町々とエルサレムの巷でそうしてきたのだ。我々は食物に満ち足り、豊かで、災いを見ることはなかった」。預言者エレミヤを通して警告が続く。これに対して大集団の女たちは、エレサレムの災禍は「天の女王に香を焚くこと」をしなかったのが原因だったので、今ここで「天の女王を愛して香を焚くこと」を止めることはできないという(18~19節)。主の警告は変わる事はない。26節でも繰返している。かつてのモーセのようだ。
28節「このことこそ、わたしの言葉か、彼らの言葉か、どちらが本当であったかを悟るであろう」。口語訳「わたしの言葉が立つか、彼らの言葉が立つか…」。歴史を支配する神が真実を証すると語り、「わたしの告げた言葉が実現する」その時を預言者は確信する。
26節「それゆえ、エジプトに住むユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。わたしはわが大いなる名にかけて誓う、と主は言われる。エジプト全土のユダの人々の中に、『神である主は生きておられる』と言って、わたしの名を口に唱えて誓う人はひとりもなくなる」(新共同訳)
1節「エジプトのミグドル、タフパンヘス、メンフィスならびに上エジプト地方に住む、ユダの人々に対する言葉がエレミヤに臨んだ」。既に前から在留していたユダヤ人もいたようだが、エレミヤはエジプトに移住したすべての民に向って預言した。それは、神の警告を無視し、信頼を裏切り、異教の神々に香をたき、礼拝したと告げる(2~3節)。
4節「わが僕である預言者たちをお前たちの処へ繰り返し派遣して、わたしが憎むこの忌まわしいことを行ってはならないと命じた」。預言者らを繰り返し派遣して警告したが、それにも関らず、彼らは聞かず、耳を傾けず、悪を改めず、異教の神々に香をたくことをやめなかった。そこで主の怒りと憤りが燃え上がり、エルサレムは廃墟と化したと語った(5~6節)。
7節「このとき、バビロンの王の軍隊は、エルサレムと、ユダの残っていた町々、すなわちラキシュとアゼカを攻撃していた。ユダの町々の中で、これらの城壁を持った町だけがまだ残っていたのである」。何故、ユダの滅亡を経験したにも関わらず、寄留しているエジプトにおいて、自分の手で偶像を造り、異教の神々に香をたき、わたしを怒らせ、世界のあらゆる国々で、ののしりと恥辱の的となるのか。神の審判としてなされたエジプトで同じ背信行為を行うのは何故なのかと問う(8節)。
14節「エジプトの地へ移って寄留しているユダの残留者には、難を免れ生き残り、ユダの地に帰りうる者はひとりもない。彼らは再びそこに帰って住むことを切望しているが、少数の難を免れた者を除けば、だれも帰ることはできない」。神の厳しいが告げられる。それに対して、自分たちの妻が異教の神々に香をたいているのを知っている男たち、そこに多く集まって居合わせていた女たち、更にはエジプトの上エジプトに住む人々がこぞってエレミヤに反論する(16節)。新改訳では「大集団の女たち」とある。彼らは「あなたが主の名を借りて我々に語った言葉である」として反論するのである(新改訳)。
17節「我々は誓ったとおり必ず行い、天の女王に香をたき、ぶどう酒を注いで献げ物とする。我々は、昔から父祖たちも歴代の王も高官たちも、ユダの町々とエルサレムの巷でそうしてきたのだ。我々は食物に満ち足り、豊かで、災いを見ることはなかった」。預言者エレミヤを通して警告が続く。これに対して大集団の女たちは、エレサレムの災禍は「天の女王に香を焚くこと」をしなかったのが原因だったので、今ここで「天の女王を愛して香を焚くこと」を止めることはできないという(18~19節)。主の警告は変わる事はない。26節でも繰返している。かつてのモーセのようだ。
28節「このことこそ、わたしの言葉か、彼らの言葉か、どちらが本当であったかを悟るであろう」。口語訳「わたしの言葉が立つか、彼らの言葉が立つか…」。歴史を支配する神が真実を証すると語り、「わたしの告げた言葉が実現する」その時を預言者は確信する。