エレミヤ40章 人々と共にとどまる
6節「こうしてエレミヤは、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共にとどまることになった」(新共同訳)
1節「主から言葉がエレミヤに臨んだ。それは親衛隊の長ネブザルアダンが、バビロンへ捕囚として移送されるエルサレムとユダのすべての人々と共に、エレミヤを捕虜として鎖につないで連行したが、ラマで釈放することにした後のことである」。小見出し「エレミヤの釈放」。彼の釈放はエルサレム北20キロ程のラマであった。そこで親衛隊長は今後の処遇について極めて好意的な言葉を告げている。主なる神は、この場所に災いをくだすと告げ、その通り実行された。それは主に対して罪を犯し、その声に聞き従わなかったのでこのことが起こったのだ(2~3節)。
4節「さあ、今日わたしはあなたの手の鎖を解く。もし、あなたがわたしと共にバビロンに来るのが良いと思うならば、来るがよい。あなたの面倒を見よう。一緒に来るのが良くなければ、やめるがよい。目の前に広がっているこのすべての土地を見て、あなたが良いと思い、正しいとするところへ行くがよい」。そこで、エレミヤはミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共にとどまることにした(5節)。アヒカムはかつてエレミヤを保護した人物である(26章24節)。親衛隊長ネブザルアダンはエレミヤに割り当ての食糧を与えて解放したのである(6節)。
7節「野にいたすべての軍の長たちはその部下と共に、バビロンの王がアヒカムの子ゲダルヤをその地に立てて総督とし、バビロンに移送されなかったその土地の貧しい人々に属する男、女、子供たちを彼のもとにゆだねたことを聞き」。小見出し「ゲダルヤの働き」。そこで軍の長たちは、ミツパにいるゲダルヤのもとに集って来た。イシュマエル、ヨハナンとヨナタン、セラヤ、エフィイの一族、エザンヤとその部下たちの名前が挙げられた(8節)。
10節「このわたしがミツパにいて、やがて到着するカルデア人と応対しよう。あなたたちはぶどう酒、夏の果物、油などを集めて貯蔵し、自分たちの確保している町々にとどまりなさい」。ゲダルヤは、避難所から帰って来た人々に寛容な態度を示した。彼はバビロンの王に仕え、平安な日々をすごすようにと告げた(11~12節)。
13節「ときに、カレアの子ヨハナンと、野にいた軍の長たちがそろってミツパにいるゲダルヤのもとに来て」。小見出し「ゲダルヤの暗殺」。アンモンの王バアリスが、暗殺しようとして、ネタンヤの子イシュマエルを送り込んでいるのをご存じかと告げたが、ゲダルヤは、この進言を信じなかった。そこで重ねてヨハナンは極秘に、事態の重大さを告げ、暗殺されるなら、ユダの人々が散り散りになってしまう。わたしが行ってイシュマエルを殺害すると申し出た。しかしゲダルヤはこの進言を拒否した(14~16節)。この結果は41章に記される。これは、信頼に基づく共同体でない時に必ず内紛によって、崩壊するという教訓となる。
エレミヤ晩年の記事であるが、彼がバビロンではなくユダの民の間に住む決断をしたことに注目したい(5~6節)。彼は自らの安寧を求めなかった。神の言葉を伝えるという召命に応えるためだと思う。老いの身ながら、死に至るまで忠実な僕の姿を見る(ヨハネ黙示録2章10節)。預言者には隠退はない。現代の社会は人の平均寿命が延びて高齢者の占める割合は高くなった。出産率と連動して「少子高齢化」と呼ばれるが、課題は与えられた人生をどのように生きるかである。キリスト者、取分け伝道者には「隠退」はしない。
6節「こうしてエレミヤは、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共にとどまることになった」(新共同訳)
1節「主から言葉がエレミヤに臨んだ。それは親衛隊の長ネブザルアダンが、バビロンへ捕囚として移送されるエルサレムとユダのすべての人々と共に、エレミヤを捕虜として鎖につないで連行したが、ラマで釈放することにした後のことである」。小見出し「エレミヤの釈放」。彼の釈放はエルサレム北20キロ程のラマであった。そこで親衛隊長は今後の処遇について極めて好意的な言葉を告げている。主なる神は、この場所に災いをくだすと告げ、その通り実行された。それは主に対して罪を犯し、その声に聞き従わなかったのでこのことが起こったのだ(2~3節)。
4節「さあ、今日わたしはあなたの手の鎖を解く。もし、あなたがわたしと共にバビロンに来るのが良いと思うならば、来るがよい。あなたの面倒を見よう。一緒に来るのが良くなければ、やめるがよい。目の前に広がっているこのすべての土地を見て、あなたが良いと思い、正しいとするところへ行くがよい」。そこで、エレミヤはミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共にとどまることにした(5節)。アヒカムはかつてエレミヤを保護した人物である(26章24節)。親衛隊長ネブザルアダンはエレミヤに割り当ての食糧を与えて解放したのである(6節)。
7節「野にいたすべての軍の長たちはその部下と共に、バビロンの王がアヒカムの子ゲダルヤをその地に立てて総督とし、バビロンに移送されなかったその土地の貧しい人々に属する男、女、子供たちを彼のもとにゆだねたことを聞き」。小見出し「ゲダルヤの働き」。そこで軍の長たちは、ミツパにいるゲダルヤのもとに集って来た。イシュマエル、ヨハナンとヨナタン、セラヤ、エフィイの一族、エザンヤとその部下たちの名前が挙げられた(8節)。
10節「このわたしがミツパにいて、やがて到着するカルデア人と応対しよう。あなたたちはぶどう酒、夏の果物、油などを集めて貯蔵し、自分たちの確保している町々にとどまりなさい」。ゲダルヤは、避難所から帰って来た人々に寛容な態度を示した。彼はバビロンの王に仕え、平安な日々をすごすようにと告げた(11~12節)。
13節「ときに、カレアの子ヨハナンと、野にいた軍の長たちがそろってミツパにいるゲダルヤのもとに来て」。小見出し「ゲダルヤの暗殺」。アンモンの王バアリスが、暗殺しようとして、ネタンヤの子イシュマエルを送り込んでいるのをご存じかと告げたが、ゲダルヤは、この進言を信じなかった。そこで重ねてヨハナンは極秘に、事態の重大さを告げ、暗殺されるなら、ユダの人々が散り散りになってしまう。わたしが行ってイシュマエルを殺害すると申し出た。しかしゲダルヤはこの進言を拒否した(14~16節)。この結果は41章に記される。これは、信頼に基づく共同体でない時に必ず内紛によって、崩壊するという教訓となる。
エレミヤ晩年の記事であるが、彼がバビロンではなくユダの民の間に住む決断をしたことに注目したい(5~6節)。彼は自らの安寧を求めなかった。神の言葉を伝えるという召命に応えるためだと思う。老いの身ながら、死に至るまで忠実な僕の姿を見る(ヨハネ黙示録2章10節)。預言者には隠退はない。現代の社会は人の平均寿命が延びて高齢者の占める割合は高くなった。出産率と連動して「少子高齢化」と呼ばれるが、課題は与えられた人生をどのように生きるかである。キリスト者、取分け伝道者には「隠退」はしない。