エレミヤ41章
14節「イシュマエルがミツパから捕虜として連行した人々は、一斉に身を翻してカレアの子ヨハナンのもとに帰って行った」(新共同訳)
1節「ところが七月に、王族の一人で、王の高官でもあった、エリシャマの孫でネタンヤの子であるイシュマエルが、十人の部下を率いてミツパに赴き、アヒカムの子ゲダルヤを訪ね、ミツパで食事を共にした」。40章に続く。そのとき、彼らが突然襲いかかって、ゲダルヤを剣にかけて殺害した。暗殺計画を見抜けなかったゲダルヤは王家の末裔イシュマエルに殺される。更にミツパにいた側近と占領軍のバビロン兵士たちも殺された(2~3節)。
4節「ゲダルヤ暗殺の翌日、まだだれにも知られないうちに」。シケム、シロ、サマリアから来た八十人の一行が、ひげをそり、衣服を裂き、身を傷つけた姿で通りかかった。彼らは、主の神殿にささげる供え物と香を携えていた。エルサレム陥落を嘆いて神殿に向かう巡礼者80人であったが、ミズパに通りかかった。イシュマエルは哀願する10人を生かし、70人を殺した(5~9節)。そして彼はミズパにいた民の残留者を捕虜にしてアンモンに逃れようとした(10節)。
11節「カレアの子ヨハナンをはじめとする軍の長は皆、ネタンヤの子イシュマエルが行った悪事を聞き」。総督を支持していた反イシュマエル派の彼は直ちに、すべての兵を率いてイシュマエルと戦うために出発し、ギブオンの大池のほとりで彼に追いついた。イシュマエルに捕らえられていた人々は皆、ヨハナンと軍の長たちの姿を見て歓喜した。そして一斉に身を翻してヨハナンのもとに帰って行った(12~14節)。イシュマエルは8人の家来とともに逃れてアンモン人のもとに向かった(15節)。その時の情景が浮かんでくる。
16節「アヒカムの子ゲダルヤの暗殺の後、カレアの子ヨハナンと、彼と共にいたすべての軍の長たちは、ネタンヤの子イシュマエルのもとから救い出した民の残りの者をすべて、すなわち、ギブオンから連れ戻した指揮者、兵士、女、子供、宦官らをミツパから連れて」。一行はバビロン軍の報復を恐れて、ベツレヘムに近いキムハムの宿場にとどまり、エジプトへ逃れようとした。総督のゲダルヤ亡き後に彼らはなすべきすべを失っていたのである(17~18節)。捕囚後のユダの民も指導者も、無秩序状態に陥っていたことが伺える。これは羊飼いのない羊の群れが彷徨している有様であった。
「羊飼いを撃つと羊の群れは散らされる」(ゼカリヤ13章7節)とある。主イエスは飼い主のいない羊を深く憐れまれた(マルコ福音書6章34節see)。主イエスを通して示される神の憐れみは迷える羊を真の牧者によって救い出し、豊か養われる者とされた。詩23篇には、そのことが高らかに賛美されている。
第一ペトロ2章25節「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです」が示される。
14節「イシュマエルがミツパから捕虜として連行した人々は、一斉に身を翻してカレアの子ヨハナンのもとに帰って行った」(新共同訳)
1節「ところが七月に、王族の一人で、王の高官でもあった、エリシャマの孫でネタンヤの子であるイシュマエルが、十人の部下を率いてミツパに赴き、アヒカムの子ゲダルヤを訪ね、ミツパで食事を共にした」。40章に続く。そのとき、彼らが突然襲いかかって、ゲダルヤを剣にかけて殺害した。暗殺計画を見抜けなかったゲダルヤは王家の末裔イシュマエルに殺される。更にミツパにいた側近と占領軍のバビロン兵士たちも殺された(2~3節)。
4節「ゲダルヤ暗殺の翌日、まだだれにも知られないうちに」。シケム、シロ、サマリアから来た八十人の一行が、ひげをそり、衣服を裂き、身を傷つけた姿で通りかかった。彼らは、主の神殿にささげる供え物と香を携えていた。エルサレム陥落を嘆いて神殿に向かう巡礼者80人であったが、ミズパに通りかかった。イシュマエルは哀願する10人を生かし、70人を殺した(5~9節)。そして彼はミズパにいた民の残留者を捕虜にしてアンモンに逃れようとした(10節)。
11節「カレアの子ヨハナンをはじめとする軍の長は皆、ネタンヤの子イシュマエルが行った悪事を聞き」。総督を支持していた反イシュマエル派の彼は直ちに、すべての兵を率いてイシュマエルと戦うために出発し、ギブオンの大池のほとりで彼に追いついた。イシュマエルに捕らえられていた人々は皆、ヨハナンと軍の長たちの姿を見て歓喜した。そして一斉に身を翻してヨハナンのもとに帰って行った(12~14節)。イシュマエルは8人の家来とともに逃れてアンモン人のもとに向かった(15節)。その時の情景が浮かんでくる。
16節「アヒカムの子ゲダルヤの暗殺の後、カレアの子ヨハナンと、彼と共にいたすべての軍の長たちは、ネタンヤの子イシュマエルのもとから救い出した民の残りの者をすべて、すなわち、ギブオンから連れ戻した指揮者、兵士、女、子供、宦官らをミツパから連れて」。一行はバビロン軍の報復を恐れて、ベツレヘムに近いキムハムの宿場にとどまり、エジプトへ逃れようとした。総督のゲダルヤ亡き後に彼らはなすべきすべを失っていたのである(17~18節)。捕囚後のユダの民も指導者も、無秩序状態に陥っていたことが伺える。これは羊飼いのない羊の群れが彷徨している有様であった。
「羊飼いを撃つと羊の群れは散らされる」(ゼカリヤ13章7節)とある。主イエスは飼い主のいない羊を深く憐れまれた(マルコ福音書6章34節see)。主イエスを通して示される神の憐れみは迷える羊を真の牧者によって救い出し、豊か養われる者とされた。詩23篇には、そのことが高らかに賛美されている。
第一ペトロ2章25節「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです」が示される。