日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

神の聖所を汚してはならない

2011-07-29 | Weblog
 レビ記第21章 

 12節「聖所を離れて、神の聖所を汚してはならない。彼は神の聖別の油を頭に注がれている者だからである。わたしは主である」(新共同訳)

 1~9節 一般の祭司
 1節「主はモーセに言われた。アロンの子である祭司たちに告げてこう言いなさい。親族の遺体に触れて身を汚してはならない」。小見出しの通り本章は「祭司の汚れ」についてである。遺体に触れることでは、父母、息子、娘、兄弟、同居している未婚の姉妹の場合は許される(2~3節)。頭髪の一部をそり上げたり、ひげの両端をそり落としたり、身を傷つけたりしてはならない(19章27節にある異教の風習)。祭司は、火祭として主にささげる神の食物を携えること、遊女、離縁された女を娶らぬことで、神に属する聖なる者であることを示す(6~7節)。8節では「聖なる者」であることを三度も繰り返して示している。祭司の娘が遊女となって、身を汚すならば、父を汚す者だから焼き殺さねばならないという(9節)。
 10~15節 大祭司
 10節「同僚の祭司たちの上位に立ち、聖別の油を頭に注がれ、祭司の職に任ぜられ、そのための祭服を着る身となった者は、髪をほどいたり、衣服を裂いたりしてはならない」。大祭司は一層厳しく戒められる。先ず自分の父母でも、遺体に近づいて身を汚してはならない(11節)。聖所を離れない(12節)。処女を娶り、やもめ、離縁された女、遊女となっていた女などを娶ってはならない(13~14節)。汚れた子孫を残すことになるからである(15節)。
 16~24節 祭司の肉体的完全性
 17節「アロンに告げなさい。あなたの子孫のうちで、障害のある者は、代々にわたって、神に食物をささげる務めをしてはならない」。祭司の家系で身体的欠陥のある者を除外する。新共同訳は八、新改訳は九、口語訳は十二の障害が挙げられている。ヘブライ語の翻訳が難しいようだ。
 目や足、鼻の欠陥、手足の不釣り合い、手足の折れた者は祭司になれない(18~19節)。20節は「僂病(くるびょう)」(ビタミンD不足が原因)の他に「目が弱く欠陥のある者」(新共同訳)が新改訳「肺病でやせた者(ダク)、目に星のある者」、口語訳「背のごく低い者(こびと)、目にきずのある者」となっている。症状が異なって訳される。「肺病」でやせた者と背のごく低い者とは違う。聖書の時代に「肺病」の病名は無かった。弱視・近視と片目の状態も違う。新改訳のこれらはすべて障害者差別である。但し、彼らも神の食物としてささげられた物をたべることができる(22節)
  祭司の血統にこのような身体的障害があってはならないというのは完璧主義である。これらの症状は必ずしも生来的でない場合に誰が身体検査をし、判定するかはここには記されていない。
  8節、15節、23節にある通り、聖性の保持の為だが、別な見方をすれば祭司の祭儀的奉仕には、人間の視聴覚の誤り、身体的な誤りがあってはならないということだろう。
  主イエスが描き出された神の国の祝宴はこれと全く対照的である(ルカ福音書14章21~24節)。ここに新しいキリストの共同体が描かれている。


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