日本人に生まれて

前期高齢者の仲間入りをしました。昭和、平成、令和を振り返りながら、日常の出来事を綴ります。

秋元氏

2019-12-26 08:36:00 | 政治
     今日の言葉
馬で金もけしたやつぁないよ
 わかっちゃいるけどやめられねえ
     青島幸男『ス-ダラ節』

総合型リゾート(IR)とは

カジノのほか、国際会議場やホテルなどを一体的に備えた施設。2016年に「カジノ解禁法」、18年に「カジノ実施法」が成立し、21年に自治体が国へ計画を申請する予定。全国に最大3ヵ所つくられる。横浜市や大阪府・大阪市などが誘致を目指しており、海外企業などが活発な営業活動をしている。

25日TBSの昼おび視ていたら、田崎史郎の発言に?マ-クが点滅しました。「秋元議員なんて小者ですよ。政権に影響ありません」と堂々と得意気におしゃってました。どんな大物でも、法の前では平等に裁かれなければなりません。安倍首相の応援団のトップの傲慢な物言いに驚きました。

事件のあらまし

秋元議員逮捕へ IR巡り現金収受疑い
中国企業側から200~300万円

秋元氏は2017年8月から内閣府副大臣を努め、昨年10月まではIR担当だった特捜部はこれまでにIRをめざしていた中国企業の日本法人と、秋元氏の議員会館の事務所や元秘書役宅を捜査。押収した資料を分析するなどした結果、秋元氏が中国企業側に便宜を図る見返りに現金を受け取った疑いが浮上し、24日に逮捕状を請求した。

秋元氏は朝日新聞の取材に対し、中国企業側からの現金の利益供与については「100%ありません」と否定。「中国企業やその他のIR事業者に便宜を図ったことはない」と説明している。

中国企業は17年7月に日本法人を設立。
8月にはIR事業をPRするシンポジウムを沖縄県で開催し、秋元氏が同社の最高経営責任者(CEO)とともに講演していた。

関係者によると秋元氏は同年12月、「深センのIT企業を視察しよう」などとほかの国会議員らを誘い、広東省深センにある同社を訪問。同社CEOは、面会した秋元氏らに日本のIR事業に興味があることを説明し、「日本でカジノができるようになればビジネスチャンスになる」と話したという。同社側は18年1月、留寿都村を訪れ、同村でのIR誘致計画に意欲を示していた。

特捜部は今月、同社の執行役員を名乗る日本人男性が不正に現金を日本に持ち込んだ外国為替及び外国貿易法違反事件の関係先として、秋元氏の元秘書2人の自宅や地元事務所を捜査していた。IR事業を所管する国土交通省や北海道庁、留寿都村から関連資料の提供も受けていた。

  朝日新聞朝刊2019.12.25より

利権の温床新事業

『「先生、一肌ぬいでいただけませんか」札束でほほをたたかれ、極楽世界に誘惑され、骨抜きにされ、証拠を握られ、脅かされ、いいなりになる。』この情景は幻想ですが。IR事業を推進しても下級国民の自分には何のメリットもありません。閣議決定し、案件通過の繰り返しで、大多数の国民は蚊帳の外におかれ
物事は進んでいきます。IRの初期段階で金銭の収受が発覚して展開がストップ、
野党も結集、廃案に追い込むぐらいの意気込みで追及してください、応援します。令和元年もあと6日、問題は解決されないまま一つまた一つと積み重なっていきます。年明けはどんな展開になるのでしょうか?

結びの言葉

  「飛んで火に入る夏の虫」
ギャンブル好きで金持ちの人たちは世界中から来日して楽しむのでしょうが、所詮、下級国民には、縁のないところ、
国にとっても何のメリットがあるのかわかりません。ただ議員の利権のために新事業を立ち上げるようで、そこには国民のことは視界から消えています。夏の虫にならないようきをつけます。
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50代の居場所⑤

2019-12-25 06:50:21 | 仕事
           今日の言葉

読書によって積み重なった言葉は、他人が生きていく上で力になる。人を引きつけたり、自分を表現できる。   角野栄子(国際アンデルセン賞)

自分の居場所は本の中には無限にある

「あらすじで読む日本と世界の名作40選」アマゾンkindleで見つけました。値段が手ごろなのでさつそくダウンロードして読み始めています。若かった頃、読んだ名作が鮮やかによみがえります。過去と現在の感想はまるで違います。一例を挙げれば、田山花袋「布団」の最後の場面、妻に逃げられ布団の中にあった肌着を抱きしめる未練がましい男の姿、身につまされます。若い時はそんなこと想像もつきませんでしたが、今の年を迎えると大いに理解できます。40選すべて読み返す予定です。

電子書籍の長所と短所

検索し、読みたい本をすぐにダウンロードできること、全集のようなかさばる本も電子書籍の中に納まること、通勤時、憩いの時等TPOに応じて電子書籍1台で小説、実用書、コミック等読み分けることができること、価格が安いこと、ただ、調べものするとき、探すのが面倒なので、その時は、紙本を使います。そして、古本として売れないのでお金になりません。どちらもよさがあるので使い分けていくつもりです。

50代の居場所の最終回になります。

モチベーション↑成長のカギ

会社員の多くが、50代になると管理職から外される「役職定年」を迎える。どんな気持ちで、その時を迎えるのだろうか。

法政大大学院教授の石山恒貴さん(55)とパーソル総合研究所は2017年、40~60代ミドルシニア世代の社員約4700人にアンケートを行った。

役職定年を経験した会社員には、こんな回答が並んだ。「夜も眠れない日が続いた」「このままでは廃人になると感じた」「会社っていったい何だったのか」
調査をした同研究所の主任研究員、小林裕児さん(36)は「強い失望感を示す言葉が多く、衝撃を受けた」と振り返る。

企業にとって役職定年は、人件費の抑制や若手の起用の狙いがある。一方で、懸命に会社で働いてきたビジネスパーソンにとっては、この制度は大きな挫折感を生みかねない。それは、会社での「居場所」を失う感覚にもつながっていく。

もともと日本型雇用は、中高年で挫折を感じやすい構造になっている。新卒一括採用で大量に入社した「同期」は、若いうちは平等に昇進の機会を与えられる。

しかし40歳を過ぎるとポストは限られ出世競争の行方ははっきりとしてくる。
「敗れた」と感じる社員がモチベーションを維持して働き続けるのは簡単でない

バブル期に入社した世代が50代にさしかかった今、中高年を対象にした希望退職の募集が相次ぐ。ただ、小林さんは「何度も希望退職を募集してしまうと、次世代の若者も採用しにくくなる」と指摘する。

その半面で、調査では、役職定年後の会社人生を前向きにとらえる人たちもいた

現場に戻って、業績を上げることに専念し、社長交代の後に役員に起用された人会議などか減って仕事に没頭する時間が増えたという人、給料は減っても、実績は今まで以上に残そうと奮起した人。

石山さんは「私は部長だったから若い世代から敬われて当然、という態度の人は疎まれるでしょう、しかし、役職定年を人生の転記と位置づけ、気持ちを切り替えてうまく乗り越える人もいます。」と話す。

パ-ソナル総合研究所が中央大と共同で行った試算によれば、2030年、日本では644万人の働き手が不足する。

石山さんらが企業の現場を調べたところ、50代の社に裁量や責任を与え、挑戦しがいのある仕事を任せると、活躍する行動につながる傾向が見られたという
「競争力の後にある企業の問題意識は、希望退職でベテラン社員を減らすことではなく、どうすれば活躍してもらえかにシフトしている」

50代のやる気をどうやって引き出すか
その成否が、企業の今後の成長を占うカギになりそうだ。

                朝日新聞 けいざい (古屋聡一)
結び文

自助努力という言葉が、人生100年時代になくてはならない言葉になりました。上級国民の堕落、下級国民の貧困化、令和元年、より明らかになりました。そのような周りのことに目を奪われず、今を生きなければなりません。善悪を判断する物差しをなくした世の中、必要なのは日本人としてアイデンティティです。それには、先人たち残された知恵の宝庫、本から学ぶのが一番です。


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50代の居場所④

2019-12-24 07:29:07 | 仕事

     今日の言葉

人生の成功の秘訣は、チャンスがきたときに、それに対する用意ができていることである。
   ベンジャミン・ディズレ-リ

今日の私のスケジュールを並べてみました。朝の一連の行動はさぼることなく続けています。ただし、雨天の場合は、散歩は中止にします。

・6時起床
 gooブログの清書、投稿
 折々の言葉書き写し
 天声人語の切り抜き
 メールのチェック
・8時朝食
 天空仙人でマッサージ
・8時30分 散歩 
・9時30分 帰宅 コーヒ-タイム
 寝転びながら読書
・12時 昼食
 いこいのひととき
・13時 出勤 勤務は22時まで
・22時30分帰宅 
  缶ビール350cc、日本酒1合晩酌
  ユーチューブで「front桜TV」視聴しながら
・24時 入浴後、就寝

コーヒ-タイム

ハワイにいきましたので、「ハワイコナ」の豆と粉、合わせて5袋お土産で購入しました。さっそく、ミルで豆を挽き、ペーパードリップで淹れました。部屋じゅうハワイと同じ香りが漂い、ワイキキビーチにいる気分で、コーヒ-味わうことができました。普段は、ネスカフェ「ドルチェ」のカプセルを使用し、バラエティに富んだ味を楽しんでいますが、「ハワイコナ」の格別な味に感動しました。TPOに分けて使い分けていくつもりです。学生時代、サイフォンセットを揃え、コーヒ-豆専門店で、ブルーマウンテン、キリマンジャロ、ブラジル等の豆を挽いてもらい、通ぶって淹れていましたが、半年であきて、セットはお蔵入りになり、それきりになりました。なつかしい思いでです。あのころは、興味あるものに対して、なんにでも首をつっこんでいました。青春の特権ですね。

還暦過ぎてからの暮らしの中で、日々の行動を習慣づけようと試みましたがいまのところ思い通りになっています。また、「50代の居場所」の記事を読んで、勇気をもらいました。紹介します。





 
居心地いい椅子 座り続けない

外資系資産運用会社の社長だった岡村進さん(58)は、50代前半で自分の将来に恐怖心を抱いた。「このまま居心地の良い椅子に座り続ければ、自分のやりたあことを見失ってしまうのではないか」

もともと、自分に自信を持てないタイプだった。楽な状況に置かれると、すぐにサボろうと考えてしまう性格なのは、若いころから気づいていた。だからこそ「安住している」と感じるたびに、自ら大きく環境を変え、自分を追い込んできた。

44歳の時に20年働いた第一生命を辞め、友人の誘いで外資系資産運用会社に転職した。海外での経験を踏まえ、グローバル企業で働いてみたかった。しかしそこで、人生最大の苦しみを味わう。

商品開発部の部長として部下たちに「人を育てよう」と訴えた。

ところが、この発言をきっかけに岡村さんは部下たちから無視されるようになった。どうやら「自分たちのポストを、育てた人材に渡しなさい」と解釈したようだった。企業文化の違いから生じた誤解だった。

本当は気が弱いくせに、挑戦なんかするからこんなことになるんだ・・・。生来の自信のなさが頭をもたげ、悩んだ。

あまりにも苦しいので、ビジネス人生の「棚卸し」をしてみた。予期せぬ出来事が起きても柔軟に対応してきたこと、粘り強く打たれ強いこと。自分の「強み」を総ざらいし、自信を持つようにした。

その上で部下たちと話しをして、誤解を解き、業績を上げるための方向性を示した。部下たちは心を開くようになった。

もし、自分の強みや考えをきちんと主張できなければ「使えない部長」としてクビになっていたと思う。

その後、順調に出世し、社長になった。会社の業績は好調だったが、岡村さんには、新しい夢が芽生えていた。

日本企業の常識が海外の常識とは限らない。日本はあまりにも狭い世界に生きている。世界に通用するビジネス人材を育てたい、という夢だ。

トップの椅子を捨て、52歳で人材教育のベンチャー企業「人材アジア」を創業した。若手から中堅を対象にグローバル人材を育てる「ビジネス予備校」を開く
中高年を対象にした研修は「変わらなければ生き残れない」と危機感を抱く企業からの依頼が相次ぐ。

中高年の多くが自分の弱味を最大にとらえ、強みを過小評価していると感じる。
しかし、長年懸命に働いてきた人たちには、そこで培われた力が必ずある。それは、会社や社会で必要とされる力だ。

岡村さんは語る。「悩んでいる人の強みを見つけて、幸せの道筋を探す応援がしたい。あなたと会えて良かった、と言ってもらえる仕事をしたいんです」

 朝日新聞 けいざい (古屋聡一)

結びの文

世の中には、自分よりすごい人たちがたくさんいることを実感しています。しかし、「自分の頭のハエをおえる」範囲内で生活、一歩ずつ向上していけたらよいかな、マイペースで生きていきます。



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50代の居場所③

2019-12-23 07:53:23 | 仕事
    今日の言葉

どんな幸運な人間でも、一度は死にたい悲しくて辛いことがある。
   井上靖 『月光』より

決断

還暦を境に店を続けるか給料と年金で暮らしていくか決断のときを迎えました。きっかけは、ビル建て替えの話があった時でした。完成したら新契約で営業することができました。しかし、後継者がいないこと、3Kの労働環境等、検討した結果、新しい道を歩むことに決めました。人生100年時代、快適な「60代からの居場所」探しの旅が始まりました。記事を紹介します。

「ビジネスマン人生は終わったな」
東レの取締役だった佐々木常夫さん(75)は、58歳の時に思った。東レ経営研究所社長に就く辞令を受けた。同期で最も早く取締役になったが、たった2年で本社の中軸から社員30人の子会社へ。事実上の左遷人事だった。
当時の東レは業績が悪化し、経営の立て直しが急務だった。佐々木さんは「会社のためには言わなければならない」と強い思いから、上層部に率直な意見や考えを述べてきた。「直言が疎まれたのだろうか・・・・」。様々な思いが頭をよぎった。
取引先ね繊維商社の再建、釣り糸事業の新会社設立、海外工場の建設・・・
顧客や同僚との信頼を大切にしながら困難な仕事に取り組んできた。
家庭にも全力で向き合ってきた。
妻は肝臓病とうつ病で40回以上の入退院を繰り返した。妻の入院中、佐々木さんは、毎朝5時半に起きて3人の子の弁当をつくり、8時に出社。仕事を短時間で済ます工夫を重ね、7時には帰宅して夕食の支度にかかった。
自閉症の長男が学校でいじめられた時は、同級生を自宅に呼び、理解を求めた。「障害のある人を励まし、助けることが自分や社会を幸せにしていくんだよ」と。仕事も家庭もあきらめない
そんな思いでがんばってきた。しかし、58歳の時に本社で居場所を失った
しばらくは無念の思いを抱いて日々を過ごしたが、そのうちに吹っ切れた。
東レ経営研究所では社長だ。自分の思いどおりにスケジュールを管理できた
多忙を極めた取締役時代と比べ、余裕が生まれた。妻と過ごす時間も増えた
妻の病状はしだいによくなっていった
あるとき、出版社の社長から「手記を書きませんか」と声がかかった。実名での出版にためらう気持ちもあったが
「重荷を背負って生きる方々に勇気と希望を」と口説かれ、妻や子供たちと相談して本を出すことに決めた。
仕事と家庭に向き合った体験をつづった初めての著書「ビックツリー」はベストセラ-となり、出版や講演の依頼が相次ぐようになった。「何でこんなに読まれるんだろう」とびっくりしつつ、社会の役に立てる喜びを覚えた。佐々木さんの居場所は、東レグループの外へと広がっていった。
ワ-ク・ライフ・バランスの象徴の存在として、20冊以上のビジネス書を出版した。佐々木マネ-ジメント・リサーチの代表として、今も現役で働く。
取締役で本社に残っていたら、ありえなかった展開。人生は思い描いたように転がらない。「振り返った時に後悔がないように、置かれた場所で愚直に全力を尽くすことが大切ではないでしょうか」
   朝日新聞けいざい(古屋聡一)

結びの文

生きていく上で大切なことは、希望を失わず、歩んでいくことだと再認識しました。

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50代の居場所②

2019-12-22 09:43:00 | 仕事
  今日の言葉

  意志あるところに
    道は通ず      

序文

日常生活を過ごしていると、今のままでいいのか、そうでないとか迷います。「よその芝生はよく見える」、ないものねだりの子守歌、他人をみるとまぶしく、自身はみじめに感じることがあります。どのような状況に置かれてもこの気持ちは不変です。「ジェラシー」といいます。この嫉妬心を断ち切らなければいけません。そのためには、身の程を知ることから始まります。自分は自分、他人他人と割りきり、自分の身の丈をあげることにより、嫉妬言葉が無用になります。

終身雇用もレガシーになり、中間管理職の人たちも、それぞれ自己責任において進路を決めなければならない時代がやってきました。自分の意志を貫いて活躍されている女性の記事を紹介します。


女性のキャリア「答え」は外に

20人ほどの参加者で女性は一人だった
富士通グループ会社の部長だった西村美奈子さん(60)は、55歳の時に役職定年の対象者を集めた人事研修に参加した。部下がいなくなる役職定年後の待遇や生活設計などのアドバイスなどがあった。
男性社員のほとんどが「できるだけ会社にとどまりたい」と答えた。でも西村さんの思いは違った。
〈いつか会社を去る。その後をどう生きるかを今から考えるべきではないか〉
83年に総合職として富士通に入社。仕事は山あり、谷ありだが、楽しかった
富士通でエンジニアとして働いていた夫と家事を分担し、子育ても全力で取り組んだ。
40代後半から先行きに不安を覚えるようになった。人生で大きな比重を占めてきた仕事。いつか必ず、辞めるときかまくる。「これまで打ち込んできたものがゼロになってしまう」。そんな恐怖心があった。
会社では様々な仕事に挑戦してきたが、自分は人事のプロでもない。社外で通用する専門的なスキルがあると思えなかった。職場で相談できる相手はいなかった。10年悩んだ。
「答え」は会社の外にある気がした。
仕事で知り合った昭和女子大の坂東真理子理事長に、思い切って悩みや思いを打ち明けた。すると「うちで研究したらどうですか」と誘われた。56歳の時に会社の許可を得て、昭和女子大現代ビジネス研究所の研究員を兼務することとなった。
そこで知り合った自動車メーカー出身の研究員とともに女性のセカンドキャリアを研究した。サイトを作り、退職後も働く女性たちのインタビューなどを掲載した。
50歳で食品会社辞め、家族ルーツを調べる会社を立ち上げた人、電機メーカーで働いた後、「産休後コンサルタント」として独立した人。56歳の役職定年で退職し、パソコン教室を開いた人それぞれが自分らしい生き方を切り開いていた。
西村さんは57歳で富士通のグループ会社を早期退職した。昨年末、女性のセカンドキャリア研修かどを行う会社を立ち上げた。1986年に「男女雇用機会均等法」が施行されてから30年が過ぎた。総務省の調べによると、45~64歳の正規雇用で働く女性は423万人。後半生の生き方に悩む女性は少なくないはずだ。
研修の参加者はおもに50代の女性。「悩みを分かち合える仲間と知り合う機会になった」といった前向きな評価がほとんどで、西村さんは手応えを感じている。
ライフワークを探り当て、心の中の「モヤモヤ」は「ワクワク」に変わった。
西村さんは「みんな貴重な経験や高い能力がある。会社に残るにしても、辞めるにしても、社会に貢献し続けてもらうための応援をしたい」と話す。
    朝日新聞(古屋聡一)けいざい

結論

人間関係の構築の重要性を再認識しました。居場所①の男性は、会社の先輩、同僚、後輩の賛同を得て起業し、成功を収めました。今回の女性は、会社外の人脈のアドバイスで事業を立ち上げました。自分の能力を高めることと意識してよい人間関係をつくる必要性を感じました。




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