植物園「 槐松亭 」

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第一回(私設)巨人ドラフト戦略会議 ドラフトの失敗で弱体化した巨人

2021年09月24日 | スポーツ
 来月10日は、プロ野球ドラフト会議が行われます。それぞれの球団にとって、翌年から20年近くにわたって、1軍で活躍する戦力が獲得できるかどうか、一年で最も重要な日と言っても過言では無いのです。

 このブログでも、ドラフトについてはわが巨人軍を中心に私見(恨み節)を何回か上げています。それと重複しても、巨人が辿ったここ10数年の悲惨なドラフト結果抜きではドラフトを語れません。そしてワタシのポン友である巨人軍狂、私設ヘッドコーチ北村氏と、数えきれない嘆き憤懣を交わす10年でもあったのです。

 始まりは、2007年に遡ります。この年から自由指名枠(希望枠)が無くなり、純粋なウエーバー方式に戻りました。それまで、栄養費が渡されたり、密約などの不透明な事前交渉が社会問題になりました。2008年から、高校と大卒社会人に分けていた指名も合体し、ひとまとめとなりました。1位指名が重なればくじ引きという現行制度になり、2位以降はその年の弱かったチームから順番に単独指名できる制度になったのです。

 2007年は、巨人はドラ一と外れ一位共にくじで外し村田投手、高卒も佐藤由規を取れず、代走程度に終わった藤村外野手でした。同じ年にとった中井もパッとせず。いずれも早いうちに退団、トレードとなりました。特に村田は酷かった。翌年8年には、大田泰示をくじで獲得したものの芽が出ず、橋本至も日ハムへトレード、笠原 将生 は野球賭博で首となり、もはや誰も残りませんでした。翌年は、相思相愛で2回取り損なった長野正義を獲得しましたが、FA補償で広島へ。2011年と合わせて、2007-2011までの5年間のドラフトで28人のうち高木京介と今村信貴が残ったのみで、それも2軍落ちのままです。

 2012年には原監督の甥菅野を獲得しましたが他の選手は使えず、その翌年も小林捕手一人が一軍にいるだけで、他の選手は巨人に残っておりません。

 2014年ドラ一高卒岡本和真、2015年ドラ7中川皓太、2016年ドラ6大江竜聖、2017ドラ一吉川尚輝、2018年ドラ6戸郷翔征と数えるほどの選手が一軍に残ってレギュラークラスとなりました。2016年以降吉川と中継ぎ畠、2018高橋優貴を除くドラ1,2位はすべて二軍暮らしか一軍に上がってもベンチ暮らし、または負け試合の中継ぎレベルであります。
 具体名をあげると、2015桜井、重信、2017年鍬原、岸田、2018増田陸、2019堀田、太田龍、2020平内、山崎伊織と続きます。彼らはドラフト1、2位とはとても及びもつかない成績で、ほとんど巨人の戦力になったとは言えず、最近2年の新人4投手は一勝もしておりません。

 その最大の理由が「くじ運の悪さ」でありました。2011年に外れ1位で松本竜平(賭博・素行不良で退団)を獲得して以降11回抽選して全敗しているのです。去年は阪神に行った佐藤、一昨年はヤクルトに取られた奥川、清宮、田中正義とすべて外しました。外れ1位抽選でもヤクルト主砲の村上など4年連続でくじに恵まれなかったのです。

 結論から言うと14年間ドラフト1位2位にふさわしい選手をとれず、パスしてきたに等しいのです。巨人が、他球団からのFAと外国人に頼らざるを得なかった理由、なかなか優勝できなかった原因はこれに尽きるのです。

 さて、それでは、なぜくじ引きになって外し続ける羽目になったか、ドラ一や外れ1位、2位が活躍できなかったかは次回に続きます。

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