昨日、仕事の合間に何気なくテレビをつけたらWOWWOWで「ごん狐」の劇場版映画「ごん / GON, THE LITTLE FOX」をやっていました。安直なCGに頼らず、ストップモーションアニメーション という一つ一つの画面を写真でとって連続させるという大変手間のかかる制作方法であります。
ハリウッド映画では、多くの映画がPC上でCG制作されています。サメなどが出て来るモンスターパニック映画のようなB級Ⅽ級のチープな映画は、観ていて気分が悪くなり最後まで見る気になりません。最近の中国映画なども、ちょっとしたアクション映画やSFものは、稚拙なCGでつくられていて安っぽくリアリティもありません。さすがパクリ文化の国であります。これに比べると、この映画は、素朴ながら作り手のこだわりや風物の持つ優しさ実存感が伝わり、心に優しく訴えて来るのでした。
調べてみると劇場公開日1985年3月とあります。よく考えたらこの映画は一、二度は観ているのです。残念ながら、いささか記憶力が怪しくなったワタシにとっては、こうしたものはおぼろげにしか思い出せません。そもそも「ごんきつね」は新美南吉(にいみ なんきち)さんが今から90年ほど前18歳の時に書いた童話だそうです。 その本も、読書好きで毎日学校図書館の本を数冊読んでいたワタシは、必ず読んでいるはずですし、教科書にもたぶん乗っていたでしょう。
何度か見たはずのこの短編映画をたまたまじっくり見ることが出来たのは、ワタシにとって幸運でありました。先祖さんか誰かが、珍しく墓掃除や隣の親戚にお線香を挙げに行ったり、写経をし、お坊さんに印を彫ってあげたりして、珍しく信心深い行いをしているワタシに、「これをみなさい」と導いてくれたかな?
話は、だれでもご存じ「いたずら好きの狐 ごん」が病気の母にウナギを食べさせようと川に行った猟師兵十の仕掛けに入った魚を逃がしたことから始まります。鰻をたべることなく亡くなった母親の葬式をみて、ごんは自分のしでかしたいたずらを悔い、ひとりぼっちになった兵十の留守を見計らって、栗やあけび・まつたけなどを届けるようになったのです。
しかし、兵十はそれを誰が持ち込むかを確かめようともせず、偶たま家に入って来るゴンをみつけて、火縄銃で打ってしまうという結末です。
この話は、老いた猟師から南吉少年が口伝で聞いたものを童話に書き起こし脚色したと伝えられています。口伝では、兵十の母親の葬式で悪さをしなくなったまでであったのを、南吉が、その後の悲しい結末を付け加えた創作「権狐」であると考えられています。これを、日本全国の子供向けに言葉遣いやディテール部分を修正して児童文学の始祖といわれる鈴木三重吉 さんが編集したのが「ごん狐」であります。
さて、こうした映画や本は、だいたいが作者の意図が明確なものなのですが、「ごん狐」について言えば、人によって解釈が異なり、見聞きした子供たちの反応も多様であるそうです。
その理由は、一つには古来からの日本人の持つ、認容力の大きさや極端を嫌うあいまいさに起因すると考えています。欧米人のような勧善懲悪・敵味方・善と悪という単純な構図ではなく、多面性や曖昧さを残し断定的硬直的な理屈や意見を避けようとするのです。
もう一つの理由は、口伝した猟師、南吉、鈴木さんそれぞれが、異なる意図をもっていたとも考えられます。単純化し、善行がすべて誰かをシアワセにし、ハッピーエンドになるという、ありきたりの展開にならなかったのは、もっと複雑で残酷な現実の社会を投影させたのかもしれません。
自分のいたずらという行為を愚かだったと反省し、罪滅ぼしに供物を届けるという善行が、自らの死を招くという皮肉で残酷な結果を招きました。兵十の悪気はなくとも生活の為に命を奪う行為、自分の家の土間に届く栗を誰が届けるのかを推察したり検証しようとしない人間の持つ愚昧さ、そうしたことを読む側・観る側が感じるのを作者が計算したかは分かりませんが、世の中の不条理をテーマに据えたことには相違ありません。「権」は南吉にとっては一人ぼっちの狐で、自分の分身として捉えていたのだろう、と考えてよかろうと思います。
新美 南吉は、畳屋の次男として生まれ、非常に学業は優れていた一方、幼くして母親は病死し、家は貧乏、父親は教育には不熱心で吝嗇、継母にいじめられたようです。自分も病弱で、昭和の初めから太平洋戦争にいたる時代背景や世相が、南吉の創作にもいろいろと影響を与え、屈折し挫折も多かったのでしょう。
そして恋人にも自分の病弱を理由に結婚することなく別れ、29歳結核で夭逝しています。「私は池に向かって小石を投げた。水の波紋が大きく広がったのを見てから死にたかった」と、自分の死期を悟り、その後に思い描いていた文筆活動が終焉を迎えるのを悔しがったまま数日後に息を引き取ったそうです。
それは、銃声が轟き兵十の火縄から硝煙が立ちのぼる中、「ごん、おまえ(おまい)だったのか。いつも、栗をくれたのは 」と聞かれて僅かにうなずく、その姿を想起するものでもありました。
その後、ワタシにはその音ばかりが胸に残り切ないのであります。
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