遅ればせながら故事漢語の勉強になります。篆刻や書道は基本的に中国より渡来した文化であり、世界広しと言えど、漢字を使い続けているのは香港・台湾を準中華民国とすると、もはや日本しかありません。本家中国すら、数次にわたって漢字の簡体字 といわれる簡略した文字に置き換えてきました。もはや起源以来の漢字の趣を失い、似ても似つかぬ醜い記号となっています。
篆刻印をヤフオクで入手すると、かなりの割合で「刻印」済みとなっています。これを読み解くのが篆刻修行の大事な作業です。最初はチンプンカンプンでありますが、慣れてくると大方見当がつくようになります。「遊印」と言われる名前以外の字を刻する印には、多くの熟語や金言・慣用句・詩句数文字が彫られています。「壽」「祥雲」「思入玄」「無量寿」などが定番で有名どころですね。
最近判明したのが大きな石に刻まれた「千差有路」という言葉、行くところに行き止まりはなく、多くの選択肢や路があるのだ、という意味になりますか。「常楽我浄」と読めた印もありました。こちらは仏が 極楽浄土 にいるような心境・境地で、なにも苦がない清らかな状態となります。長楽無極というものもありました。
こういうのはだいたい、一辺が4,5センチの大きな印になります。何に押すのかはまだ不案内であります。高僧の方とか書道家さんが大筆で数文字の大書をしたものに、自由に押印したのではなかろうか、などと想像しておりますが、含蓄があるありがたいお言葉ですね。いずれにせよ自分で刻んだものではない「他人の石」なので、手元に置いて眺めるくらいのことになりましょう。
まだ読めないのもありますが、ちょっとした手掛かり(読めた文字だけで)でネット検索していると、判読できることも多いのです。
それで、ネットを見ていて、ちょっと面白い図案を見つけました。五岳真形図というものです。
気になったので調べてみました。
どうやら、古えの中国で有難がられた「護符」の絵文字で、道教に由来する様です。魔物や厄災を遠ざけるお札、一時大ブレークした中国映画「キョンシー」の世界に近いかもしれません。太古の中国の神様が、大地を鎮めるために、地上に作った五つの山・大岳の図柄だそうで、 これを書いたお札を懐に忍ばせると霊験あらたかで、病気や禍災 が驚くように霧散するそうであります。
図柄がポップな感じなので、試しに大きな印材に彫ることにしました。今まではせいぜい2,3㎝角の印材でしたが、少し篆刻の技術を広げるために5㎝角に挑戦したのです。また、漢字ばかりでなく絵柄・図案も手掛けたいのです。
で、彫ってみました。印面が広く、余白が大きいため浅く彫ると彫り残しが写りますが、いいでしょう。どうせ実用ではない練習で彫ったものですから、むきになって深く彫ることもありません。
というわけで、他人の石、4文字熟語、山とくれば「他山の石」であります。自民党の実質的な最高権力者といわれる「二階」さん、いつも高いところ(と言っても2階の窓くらいですが)から居丈高に偉そうに物をいうご仁です。あの公選法違反の有罪確定を受けて議員辞職した河合議員のことに触れ「他山の石」と心得るよう自民党議員に訓を垂れたそうです。
この人が選挙の大本営・総大将で広島の国政選挙で河合夫妻に1億5千万円を渡し、その金が数十人の地元有力者の買収費用に回ったのですよ。発覚するまで法務大臣に起用した同僚議員なのです。どこが他山なのでしょうか。こうなると、ご本人がかなりすすんだ「認知症」か、さもなくば「他山の石」という小学生でも知ってる超有名な4文字熟語の意味を取り違えてるまぬけな爺さんというしかありません。
原義は「他の山で産出した粗悪な石は、ちゃんとした山の石を玉にして磨くのに使えばいい」、ですが、これから転じて他人の失敗や過ちを生かして自分を磨くという意味に用います。自分がてっぺんにいるお山の大将、その山に転がっていた極め付きの粗悪なゴロた石を大金使って磨こうとしたのは「アンタ」だよ 、自分が起こした間違いを人にそうならないように諭すのは「反面教師」とか言いますね。
そもそも自民党の重鎮、自民党議員の重しを任じているようですが、この方自身が、せいぜいタクワンの漬物石程度の役にしかたたないような石にしか見えません。
今の官邸の方々も「全身全霊」「責任をもって」「しっかり」「襟を正す」などの言葉を、本来の意味とは全く異なる(真逆)の意味で使うように見受けられます。
流石のワタシも「他山之石」を、たとえ練習でも刻む気になりません。画数が少ない字ばかりは面白みが無く、難易度も低いのです。なにより、字の意味に有難味もご利益もなく、ワタシの彫った五嶽真形図の印の方がまだましだと思います(笑)。
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