暫くブログ投稿を休ませて頂きます。
私は長崎市で生まれ、4歳頃広島市に移り、昭和20年春、富山に疎開し、終戦を迎え
再び長崎に戻り成長期を過ごしました。生まれたのは港の見える丘で明るく楽しい思い出
ですが、戦後住んだのは被爆地近くの郊外、(多くの人が犠牲になった跡地の地相のせいか)
そこでの生活は人生で一番不幸な時期だったと思い返します。
この時期になると家族や孫達、親戚にも私の世代の体験を知ってもらいたく
毎年彼の地のことを自分史の一部として書き残したくなります。
79年前の今日、小倉市に投下予定だった原爆が長崎市に投下されたのですが、
その破壊威力は広島が約16キロトンで、長崎のが21キロトンで長崎のモノの方が
強力だったことを最近知りました。それなのに長崎の被害は広島より少ない結果に
なっているのです。
犠牲になった死亡者数は
広島 約14万人 (当時の人口は約35万人)
長崎 約7.4万人 (当時の人口は約24万人)
一般に言われているのは
広島は平坦な地形であったので爆風や熱線の影響が広範囲に及んでしまった。
長崎は小高い山々に囲まれている為、この山で被害を軽減した。
付け加えて想像しますと当のアメリカの爆撃機は第1予定の小倉市が視界不良だったので
急遽長崎市に旋回して、市の中心部ではなく慌てたのか少し外れた地点、浦上方面に投下しています。
長崎市の中心部の人々、中心街は勿論大きな被害、影響を受けています。
只多くの歴史的建造物や家屋建物は破壊されずに残ったのです。
残った建物は修復されて観光地、長崎に寄与していると思います。
79回目の式典にG7の権威ある国々の大使が欠席されたそうですが、それは自由ですが
その理由付けは如何なものでしょうか?
この件、戦争をしているパレスチナもイスラエルも両方招待しなければ良かったのでしょうか。
無念の思いでこの日に突然命を絶たれた多くの原爆犠牲者を慰霊し平和を願う式典を
主催する長崎市の権威を傷つけないよう、遺族、市民に更なる苦しい追い打ちをかける
ことににならないよう,尾を引かないことを祈ります。
長崎市は主催者でありその判断を尊重して欲しいと思います。
祖母は戦争が激しくなるまでは文京区弥生町に住んでいて小杉町の家は小作人の方頼んでいたそうです。
この家には大勢の叔父、叔母、従弟達が入れ替わり立ち替わり住んでいて賑やかな大家族でした。
当時母は9人兄妹でいとこは20人以上いました。、ここで生活している間に私は多くの親族の
出入りを見ていて自然に全体のファミリーツリーが耳学問で頭に刻まれたように思います。
そこに我が家族6人は1年以上も居候をしていたのですから、仕方がないとはいえ厚かましい
限りでした。祖母の大らかな人柄には全家族が尊敬と感謝の気持ちを抱いていたと思います。
空襲の翌日だったと思います。公園で松ヤニ遊んでいました。
街道を見ると富山市方面から全員白装束の服装の人達が列をなして次から次ぎへとリヤカーに
白い服の人を寝かせて黙々と高岡方面に行列を組んで通り始めたのです。
高岡市は戦災を免れていたので怪我や病気の人達を高岡に移動していたのだと思います。
長く続く余りに異様な光景だったので不気味で不安な思いで最後まで見送りました。
それから数日後の8月6日に、ついこの間まで住んでいた広島市街に
人類史上初めての核爆弾が投下され14万人の命を奪ったのでした。
その恐ろしい惨事については後から後から伝わってきたのでした。
偶々弟達の出生ということで富山に疎開し免れたた私共一家ですが、広島・長崎の
被災についてはずっと他人事ではない思いを抱いて今日に至っています。
現在もその恐ろしさ悲惨さを知りながら戦術核で威嚇しながら戦況を進めている国が
あるのは言語道断で容認出来ないことです。世界が一致して反対することが出来ないことが
不条理でもどかしい限りです。。
6月に毎年自治体から来る高齢者検診の一部を受診していました。
いつも大体問題なしで通過しているので、結果を聞きに行ったのが7月半ば過ぎになっていました。
いつもの血圧の薬(アダラート)を処方して戴きに行ったのですが、いつもと違う先生から
いきなり「肺のレントゲンが要精密検査になっているので、紹介状を書きますから総合病院に
行って下さい。」といわれて予期せぬことで戸惑ってしまいました。右肺の下方に小さな
塊のようなモノがあるそうでした。
「手術なんかになったらどうしよう」などと急に目の前に黒い雲が降りてきたような気持ちになり
呼吸器内科の予約をとって、CT検査を受けました。結果、担当医は直ぐに「悪いモノではありません。
過去に咳ぜんそくなどが長引いた時の痕跡のようなものです。心配入りません。」と診断して
下さりホッと一安心しました。最近益々作業が鈍くなりやり残していることが山積しています。
79年前の8月2日未明の富山市街大空襲のことを思い出しています。
↓大宅壮一さんのご親戚の方が記録された当時の空襲実体験の記録本です。
私は隣町の小杉町で5歳の時にこの恐ろしい空襲の様子を体験しました。
20年の4月ごろまでは広島の今の爆心地近くに住んでいたのですが、
母が7月に出産を控えていて頼る人もいないし、富山市と高岡市の中間にある、小杉町の
母の実家に先ず母子3人で疎開しました。父は7月初め頃に高岡に転勤してきたように思います。
7月10日に弟達がそこで生まれました。1人かと思ったら2人!双子で伯母達が駆けずり回っていました。
月満ちて生まれたようでしたが物資のない折、2人分の衣類等用意していなかったと思います。
夏でしたからなんとかなったのでしょう。
(お米もミルクも配給制で飢餓の時代に生まれても2人とも来年は傘寿を迎えられそうです。)
その22日後、8月2日の夜半、私はもの凄い飛行機の爆音と閃光で目を覚ましました。
2時間、閃光と爆音と地響きが続きましたが、あの空襲が一般市民も標的にした
どれだけ惨いものであったを知ったのはずっと後のことでした。
2時間の空襲で焼夷弾50万発が投下され、富山市内の99%が消失したということでした。
死者3000人と記されていますが、亡くなられた方はもっと多く上まわると思います。
ウクライナやガザの子供達も未だにこの様な怖い体験をしているのでしょう。
80代半ばにになりますが、何かにつけて今の生活のベースにあるのは子供の頃の生活体験です。
今日も朝から焼け付くような暑さです。山形県では河川の氾濫があり、この先も危険な
状況です。雨の一極集中、何とか科学の力でストップして下さいと願ってしまいます。
土用の暑さ辛さは昔から暦に位置づけられて印されているように大変な時期だったのですね。
今は8月7日の立秋を心待ちにして無理せず大人しく過ごしていきたいと思っています。
3年ほど前からAmazonのプライム会員になって、便利に買い物をしていましたが、
1年ほど前から楽天も最近画面表示が以前より整理されて良くなったことに気づいて
Amazonと較べながら使っています。余り買い物はしないのですが
私的にはこのところ下記のように感じているのですが、、、
1.Amazonでプライム会員の年会費¥5900を納めると送料無料になるけど
楽天は年会費なしで 殆んど無料になっています。
2.楽天の方が請求書(メールで来る)に何(品物)を何時買ったのか分かりやすく書いてある
ので分かりやすい。
Amazonからの請求では(当方のクレカには)日時は分かるが品物が明記されていないので不便。
3.楽天ではポイントがどんどん貯まりやすい感じ。
4.巨大ITを相手に日本人として苦戦しながら頑張っている三木谷さんを応援したい。
只、Amazonプライムでは私の許可があれば孫達も自分のカードで買い物が出来るので
今回も更新してしまいました。間違っている点があるかも知れませんがこんな比較を
してしまいました。
数週間前に新聞のチラシに「さだまさし」さんがモデルになられたRSウィルスに
ついて喚起する広告が入っていました。又新しい感染症かな?と思って取り置き
しておいたのをこの度読んでみました。ご覧になられた方もいらっしゃると思います。
グラクソ・スミスクラインという会社の出しているこちらの↓ワクチンのチラシです。
これを読んでいるうちにこの間、、義妹のFさんが喉や上気道の苦しさを訴えていたのは
もしかしてRSウィルスだったのかな?と勝手に憶測したりしています。医師からはコロナではなくて、
入院生活の疲れが出たようだと言われて点滴や肺炎や肺炎予防の処置をして頂いたようです。
チラシに書いてあることを要約すると一口に言って肺炎になりやすい重い風邪ということでしょうか?
感染は春から初夏に継続して夏にピークがみられるそうで、RSウィルスは乳幼児が生後1才までに
約半数が、2才までにほぼ100%が初感染するとのことで驚きました。そして感染は繰りかえすとのこと。
RSウィルス乳幼児だけでなく成人、特に高齢者にも影響を及ぼしやすいとのことで、高齢者、
免疫機能が低下してい方方、基礎疾患がある方は重症化(肺炎など)しやすいとのことでした。
この間、介護施設で、3男のT君が一寸話していたのを思い出しました。
「長男のM君が毎週6ヶ月のRちゃんを連れて来て長いこと部屋で接触するので気になっている」とか。
Rちゃんはトルコ人のお母さんが働いているので日中は保育園に通っていて発達が早く元気で
もう1才児位の反応を示しますが、一寸空咳もしていましたので「もしや」と思ってしまったのです。
いまのところ特効薬のようなものはないようですが、ワクチンはありますよということなのでした。
RSウィルスの検査は肺炎で入院した人にのみ行われているようですので真相は藪の中です。
コロナの時もそうでしたが、可愛い赤ちゃんや孫たちですが、高齢者は抱き上げたり
頬ずりしたりするときは、こういうことも気に留めておかなければいけないなと私は学習したのでした。
新幹線に乗るのは数年ぶりのことでした。今回の目的はお見舞いなので、昼の1時過ぎに
佐久平の駅に着きました。小綺麗な新しい駅でしたが生憎、小雨模様でした。佐久平駅は
1980年代に北陸新幹線の新駅として小海線との交差地点に決まったように覚えています。
軽井沢に近く、文字通り一面の平野で雪深くもなく夏の湿気もさほどひどくないとかで
平成9年の開業から地域は発展を続けています。駅前には広い駐車場のあるスーパーの
イオンがありました。(写真はいずれもネットより拝借しました。)
駅に迎えに来てくれた3男のT君が「済みません、朝から38℃~39℃の熱が出ていたのですが、
今は大分下がりましたので。コロナではないのでが」とのことで余り体調が良くない状態の
ようでしたが、遠くから来た親族ということで面会はOKとのことでした。T君は1男3女の父です。
施設には東京から長男夫婦と6ヶ月になるRちゃんも来ていました。少し咳をしていました。
義妹のFさんは音大を出てピアノ教師をしていました。我が家の娘達も子さんの
教え子達です。発表会の最後には彼女が素敵なドレスで素晴らしい演奏を披露していました。
その彼女は熱は下がったものの、大変苦しんでいて会話もままならない状態でした。
喉と首の痛み、鼻詰まり、息苦しさなどを訴えていました。風邪を酷くした症状でした。
夫も「僕より9才も若いのだからしっかりして!」と手を握って励ましていました。
その彼女の枕元には見慣れたお人形の1体が座っていました。下の写真のお人形達の仲間です。
3体ともFさんに頂いた元気の出るお人形です。我が家ではリビングに置いています。
華やかな頃の面影はあるものの変わり果てた現状に涙が出ました。
いろいろ手を尽くしたようでしたが、視力を殆ど失っていることが気の毒で残念です。
同時に義弟の介護の方も並大抵のことではなかったのではないかと夫と労いました。
数日後、回復した彼女から連絡があって、先日の症状から脱却して体調は普通になって
最近はデイサービスにも車椅子で出かけられるようになったことを訊いてホッとしています。
定年後、東京の建設会社から鳥取の大学に職を得て土地柄にとても馴染んで住んでいた
義妹夫婦が昨年秋に急遽、長野の三男坊家族達の住んでいる近くの有料老人ホームに入居したと
聞いて思いがけないことだったので驚きました。調布に自宅があるのですが、
広くて段差が多いので空家になっています。
義妹の視力が20年位前から衰えてきて一人歩きや家事も出来なくなり、老々介護になって、
義弟の方も介護などで行き詰まって倒れてしまい、担当の医師から3人の息子たちに
「このままでは危ない」と連絡が入ってのことでした。
3人がそれぞれの立場で相談した結果、3男家から近くの佐久平駅(北陸新幹線の軽井沢の次の駅です。)
周辺の住宅型有料老人ホームに入居したということなのです。
当日は雨降りでしたが、とてもいい環境のゆったりした施設でした。
そこで4月に調子の良くなかった義妹が腸閉塞になって手術になり予後が良くない状態
でしたので、私達夫婦と横浜に住む義弟と娘達も一緒に見舞いに行ったのでした。
施設内が広々としているのに驚きました。廊下も4m位幅がありました。
義弟の奥さんのMさんもアルツハイマーになって施設に入っていますが、義弟は駅近で
便利なところに住んでいるせいか、意外に元気に過ごしている様子が分かりました。
年齢を並べるとうちの夫が90才で私84才、義弟(次男)87才、その妻82才
義妹81才、その夫82才なのです。私達夫婦より一番若い方の人からが寝たきりに近くなって
しまっているので、明日は我が身かと一寸暗くなってしまいました。
見舞ったその日は生憎義妹が朝から38~39℃の熱を出していたのでした。
もう何年も前から、星野富弘さんの草花の絵と詩のカレンダーを愛用して日々癒やされています。
ご存じの方も多いと思いますが、星野さんは中学教諭の頃、クラブ活動指導中の事故で首から下の
身体機能を失われ、お見舞いの手紙に返事を書きたくて、口で筆をくわえて字を練習。次第に
詩や絵画を創作するようになられたそうです。
毎朝、階段を降りてきて日付けを確認して、草花の絵に癒やされています。
絵を描く才能ゼロの私ですが、好きな絵を鑑賞するのが大好きな私です。
毎年、年末になると星野さんのエコカレンダーを楽しみに求めていました。
来年からどうなるのか心配で、群馬県の星野美術館に問い合わせをしました。
そして来年については例年どおり発行されると伺い少し安心しました。
その先は未定と伺いましたので、「未公開のものや沢山の既存の絵を繰り返して
でも是非続けて下さい。」とお願い申し上げました。
私もですが、フアンの方々の多くは、毎年の絵をストックしている方が多いようです。
捨てられない素敵な絵ですもの、10年以上しっかりとストックしておいて良かったと
少し安堵しています。
最近は私自身、体力が衰えてきているうえ、夫も昨年から介護1の認定を受けて、庭仕事はじめ
殆どの家事参加が頼りにならなくなってきています。そんな折、ぎりぎりのタイミングで
生活クラブの組合員同士の家事応援サービスを申し込んでよかった思っています。
そうして我が家を担当して下さるUさんはお掃除名人のようなのです。
最初の日に、3年前に¥37、000ぐらいで購入したダイソンの掃除機
(下の写真の向かっ右の吸い込みヘッド付き)
を使ってキッチンの掃除を始めてくれたUさんから
「もう一つのタイプの床用のベロアの吸い込み口ヘッドはありませんか?」と問われて
「メインのヘッドはこれ1本しかないのですよ。」と答えると、
Uさんが「別に写真左のベロアタイプのヘッドというのがあって、それはフローリングや
畳掃除向きなのですよ。」とのこと。
以前は10万円位のセットには両方のヘッドが付いてきたそうなのです。
向かって右側の私の今まで使っていたヘッドは絨毯の掃除に威力があって欧米で
よく普及しているタイプのようです。
早速、ダイソンのお客様窓口に相談して「ベロアの吸い込み口ヘッドのスティクのみ」を
購入申し込みしました。するとそちらだけだと2万円半ば位するそうで、
「今キャンペーン中のベロアヘッドのV10フルセットが¥37、400なのでこちらの方が
お得ですよ。」と説明されました。
それで「渡りに船」という感じで2台目を購入しました。
(掃除機にはいろいろな小物ヘッドがセットで付いています。)
それというのも最近、1階と2階で1台の重い掃除機を移動して持ち運ぶのは危険だと
感じて2台目をと考えていたからです。(妹が以前、掃除機を階下に運ぶ途中、転んで
アキレス腱を切ったことがあるのです。)
若いUさんが掃除をした後は、日頃同じ掃除機で私がした結果と、見た目が違うので
さすがにプロだと感心しています。小物の使い方やコツがあるのでしょう。頼りにしています。
「年を取ったせいか最近疲れやすくなり、身体の不調の立ち直りも遅く
家事代行サービスにに感心を寄せていました。
働いている女性、子育て中の女性、高齢者などにニーズが高まってきているのです。
生活クラブでもワーカーズコレクテブブ・ラヴォリで組合員同志が家事代行サービスを
立ち上げていることを知りました。チラシを見て4月にキャンペーンを申し込みました。
地域別の人材派遣ということで、Uさんが紹介されて拙宅に来て下さいました。
上品で整った容姿の美人だったので、予想外で「こんなに可愛くて華奢な方に力仕事を
頼んで大丈夫かしら?」と内心戸惑いました。でも実は彼女はお掃除の達人だったのです。
依頼する家事内容は主にお掃除なのですが、(1F・2F・地下)時間が限られていますので
優先順位を付けてメモを作るようにしています。
(油ハネの酷いレンジ前には娘の案で使用済みカレンダー裏を貼り合わせて養生テープで止めています)
Uさんが働いている時は私もテンションが上がり夫の世話や事務の傍ら、
他の家事(トイレ、洗面、風呂掃除など)をしたりしています。
お試しを経験した後で、彼女に月2回来てもらうことにしています。彼女は案の定
人気が高いようで先々まで予約が埋まっているようです。
彼女はいろいろアドバイスもしてくれるのです。
ゴールデンウイーク後、久し振りにブログを書きかけていましたら、バックアップが不用意で
全部消えてしまいガックリしてしまいました。その後、親族や身の回りの優先事項が多発して
処理能力の遅い私はブログに手が付けられない状態が長く続きましたが、今やっと一息ついて
書く気力を取り戻しました。
(母の日に娘達から送られたミニに洋蘭です。)
3月~4月に欠けて、又かなりの物を断捨離出来てして少しすっきりしてきました。
家具から衣類その他を全部とり出して空にした状態にしたので、連休中に家具の大移動を計画しました。
日頃修理などを頼んでいる地元の建築屋のSさんに家具移動、その他の小細工の見積もりを依頼したのです。
するとSさんからは「1人では無理なので2人工になり6万円位になる」と言われ、私がそれでは
「予算オーバーになる」というと、「うちのカミさんに手伝わせたら3万で済むけど」とのこと。
「奥さんで大丈夫かしら?」と聞くと「彼女は僕より大柄だし体力ありますから」ということ
だったのでその方向でお願いしました。
当日は明るいスポーツ系の大柄美人の奥さんの助けを得て2時間足らずでスムーズに
移動なとが出来ました。とても仲のいい夫婦でした。
(今年も立葵がこぼれ種で庭に大きく花を咲かせています。)
この際、娘2人とも話し合い彼女たちの部屋も巻き込みかなりの移動、断捨離と
室内の大編成が出来て皆大満足したと思います。娘達は室内整理にかなり無頓着で
この辺のことがいつも私のストレスの一つになっています。
(これでも大きな本箱がなくなって少しすっきりした6畳間です。)
話が逸れますが、整理癖などは生まれつき、つまり遺伝的性格によるものだと思っています。
私の父は几帳面で整理整頓好きで母は普通でした。私は気力体力があれば整理整頓します。
中学生の頃、毎夏京都の伯母(母の姉)の家に長逗留して大変お世話になったのですが、
その伯母は字の綺麗な人でしたが、全く整理整頓しない人だったことを私は強烈に覚えているのです。
夫は医学者でしたが山のように書類が積み上げられていました。
小説家や頭のいい方のお部屋の写真では凄く物や書籍が積み上げられているのを拝見します。
ベートーベンのお部屋もその類いだったそうで、生涯50回位引っ越しをしたそうですね。
兎に角、家具の断捨離と移動が済んで終活仕事の峠を越したような気がしています。
連休初日、90歳の夫が無事に「六甲男声合唱団の定期公演」の舞台で合唱することが
出来ました。
これが最後だと思います。これまでの2年間、毎週火曜日に暑い日も寒い日も片道
2時間近くかけて都内の教会を借りての練習が続いていました。その集大成の日が
無事に満席で盛会に終わって本人も家族もホッとしているところです。(過去の画像です)
六甲男声合唱団は間口が広く、神戸大など旧3商大はじめ他大学のシニアの方々に
よって構成されています。定期演奏会を目標に、企画その他全ての準備を団員で
行うのですから若手シニアの団員さんは大変です。
皆さん学生時代に戻って、頑張られています.(超高齢者は免責です。)
今回は神戸女学院大学OGのKCめぐみ女性合唱団の応援もあり深紅の素敵なドレス姿で
最後のステージを絢爛豪華に飾って頂きました。(スマホ禁止で撮影出来なくて残念でした。)
年齢を重ね、夫はかなり方向感覚が弱っているので毎週、娘が会社の帰りに落ち合って
練習場の教会まで送り届けていました。大学グリークラブの仲間たちと合唱することが
父親の最大の生き甲斐だからです。今回の本番も朝早くから重い荷物を持って付き添って
くれましたので、助かりました。時間ギリギリに着いたら「奥様ですか?」と言われて
少々ショックだったようです。家では嫁にも行かず困った娘です。私以上に父親に気を
遣う娘なのです。夫はいつも「どうして彼氏ができないのかなー」とこぼしています。
私はといえば、長年の尊敬する友人2人と久しぶりに会えて話に花、
応援して下さることに感謝して楽しいひとときを満喫しました。
左Iさん(社宅友達79歳、いまも依頼されて公立高校の英語講師を勤める私の尊敬する女性シニア)
右Gさん(当年90歳の秋田美人、夫同士が戦前、大連下藤小学校の同級生、毎日5000~10000歩かれ
ダンスも歌も得意、今もシニアのおじさん達の手作りパン教室の先生です。)