孫のM君が4月に生まれた年でした。その娘一家3人が産後、
我が家(4人家族)に2か月ほど同居して賑わっていた後のことでした。
夫は前年、長く勤めたていた会社から系列の別の会社に転職した
ばかりの6月でした。違う環境や仕事でストレスが強かったと思います。
昔のことを思い出して書いているので以下、
正確さを欠いている部分があるかもしれません。
私が結果として、その折感じた、「肺炎」のイメージは、菌がそっと忍び込んできて、
繁殖できるのかと肺の状態を見極めて、免疫力があまりないとすると、
いきなり猛威を奮って肺の中を真っ白にせんと攻撃してきて
肺の機能を衰え弱らせると言う進行状況です。
夫は慣れない会社で役員会の前の資料作り等で忙しい中、
少し熱っぽく体調に違和感を覚えて会社の医務室にいったのです。
そこで、産業医の先生がレントゲン写真を撮って下さり
「肺が白くなり始めているので、紹介状を書きますから、病院にすぐ
直行して入院して下さい」と云われて、驚いてしまったようです。
「何故この忙しい時期に!熱も大したことなく、それ程の自覚症状もない
体調ないのに、大袈裟な!」と腑に落ちない思いで、近くの大学病院に
入院したのです。私も「何故?」という思いで直ぐに退院できると思っていました。
3人位の先生が話し合いながら治療して下さったように覚えています。
そして何度も「ペットや小鳥などを室内で飼っていますか?」等と
と聞かれていました。ペットは飼っていなかったのですが、その頃、
夫は肩にベルトを掛けるガソリンで動く草刈り機で裏の空き地や庭の
草取りをしていましたと報告していました。
入院して4~5日は自覚症状もあまりなく小康状態だったのですが、
その後、容態が急変したのです。1週間目頃急に体調が悪化して
大変辛そうな憔悴した状態になり、先生方も色々手を尽くして下さったのですが、
うつらうつらし始めていました。その晩、完全看護下では家族の夜間の
付き添いは許されないのですが、看護師さんが事情を斟酌して
仮ベッドを用意して下さり主人の横で泊めて頂きました。
やはりその夜、夫は夢遊病者の様に譫言を言い始めて「これから空港に行きます」
とかいって、ふらつき乍ら立ち上がろうとしてベッドから落ちそうになったり、
辺りを水浸しにしたり、一層悪化を招きかねない症状になりました。
無理を言って夜間付き添って難を逃れたと思っています。
その後、的確な治療をして頂き少しずつ回復への道を辿りました。
いつも主人と、思い出しては、「あの産業医の先生は早く肺炎を
発見して入院を促して下さって命の恩人だったね。」と感謝をしています。
その後2週間余りの入院を経て25日目に退院することが出来ました。
普通の肺炎でもこうですから、的確な治療方法が確立されていない
今の「新型コロナ肺炎」については、特に高齢者の私達は
慎重に構えないといけないと思っています。