自民党総裁選は自民党と大手メディアの合作で盛り上がっているように見える。
しかし候補者たちが何を言おうが、安倍・菅政治を乗り越えられないことに国民は気付いてきた。
最終的には岸田対河野の戦いになるのであろうが、どちらがなっても安倍・菅的な呪縛からは逃れられない。
これでは冷めた目で見ざるを得ないだろう。
今日の朝日新聞に興味深い記事があった。
哲学者国分巧一朗さんの「言葉の破壊をやめ 信じる価値語れ」
会見でも十分に応答しない。「説明責任を果たさない」というこの1年の一貫した姿勢が像を結んだ。
背景にあるのは「言葉の破壊」ではないか。最近なら「自宅療養」。これは診断や診療を受けた人が病院を出て自宅で休むという意味のはずだ。
ところが、入院できない人の放置を言い換える言葉になってしまった。
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立憲主義をないがしろにして安保関連法を制定し、森友学園問題で政治の私物化を進め、公文書改ざんで統治機構の基盤を破綻させるー。
安倍晋三前首相は歴代自民党が踏みとどまってきた一線を越えた。易々と行えた背景には、言葉への徹底した軽視があった。
上記の意見にまったく賛同する。
政治家はある意味で哲学者でなければならない。
それは社会と人間に対する深い考察が必要だからだ。
しかし安倍・菅的な政治は「無責任の体系」にどっぷりと浸り国民に対する責任など何も感じていない。
そしてまた表紙は変わるが中身が同じの政治が繰り返されるのか?