Ring-A-Ding 日々ロック,R&B,そしてゴスペル〜💋

おばちゃんがココロに浮かぶ由無し事を、気ままにつぶやく。ロックな時間。

バードに誘われて 2

2019-09-05 04:31:22 | その他
イザベラ バード に関しては、とても面白かったので引き続き「朝鮮紀行」を読む。これも「日本奥地紀行」に負けず劣らず分厚い文庫本なのだが、北海道の旅の間中ホテルやフェリーの中で読んだ。
これには夢中になった。
折しも、対韓輸出規制や徴用工問題、慰安婦問題など、様々な局面で対峙し、悪化する日韓関係が、日々これでもかと報道されている真っ最中である。

この本は、1894年から1897年の間の四度にわたる朝鮮旅行のリポートである。時は日清戦争の戦中戦後というさなかにあり、単なるのどかな旅行紀行文というものの範疇を超え、当時の朝鮮の世相、文化、風俗や日本や清(当時の中国)そしてロシアとの関係をバードが第三者的立場から観察した非常に興味深い内容だった。



私の様な無知で不勉強の者には、日韓関係がどれほど根の深いモノであるのか、この本はを読んで初めて知った。私は歴史には余り興味が無かったのである。
しかし、タイムトラベラー バードに連れられる様に当時の朝鮮(その多くが、今で言う北朝鮮の範囲)の街を歩いていくに連れ、当時の朝鮮の市井の人々の日本人に対する感情、自国の政府の有様、そして、世界情勢など、今はスマホ片手にいちいち画像検索などすると、その事象に関する画像や説明が瞬く間に検索できるので、そんな作業を加えながら1ページ1ページを丹念に読むことが出来る。
…すると、当時の朝鮮の姿があたかも「韓流ドラマ」を見るように浮かび上がってくるのだ。



日本の旅の時も、助手の伊藤は面白かったが、今回の旅のお供のキム爺さんやウォンという男も面白い。キム爺さんには更に雇い人がいて、そのグループでもってまず舟で漢江を遡る。
このキム爺さん、サボる事には天才的でバードは1日10マイル行ければ上出来!とあきれる。ウォンは器用な男で、食料の貧弱さを補うために土手に生えている玉ねぎやニンジンを探し、水で練った小麦粉を竹筒で延ばし、缶詰の蓋で切ってフライパンで焼いたりして食べたそうである。バードは旅の先々で、鶏や卵を入手して、大抵カレーを食べていたようである。

当時の朝鮮の通貨は当時公称3200枚で1ドルに相当する穴あき銭しかなかったらしい。この貨幣は数百枚単位で縄に通してあり、「100円分の穴あき銭を運ぶのには6人の男か朝鮮馬が1頭いる。たった10ポンドなのにである!」と嘆いている。銀の価値はまだ通用せず、一般人はそれを見たこともない。しかし、軽量化のためにバードは「円の銀貨を詰め込んだカバンを持ち、自分の運の良さをあてにすることにした」と。

日本でも朝鮮でも、西洋人というものをいまだかつて見たことのない人々の好奇の目というのがバードを1番悩ませた事で、日本ではいく宿いく宿で、障子の穴が無数に開けられ、そこから沢山の眼が覗いている…というプライベートの無さに耐えなければならなかった。
しかしそれが朝鮮となると愉快で、
「一般庶民は好奇心はすさまじいものの粗野ではなく、ある程度離れて見物していた。しかし庁舎に必ずたむろしている知識層から私たちは育ちの悪い無作法な行為を何度も受けた。私の居室のカーテンを開けて中を覗き、やめていただけないかと慇懃に頼んでいる船頭に威嚇するものまでいた。中略。清風では腰まで水につかって舟を追いかけ、草むしろの屋根の下を覗こうとするほど女性達の物見高さは大変なもので、最後にもう一目見ようと岩に登った1人がバランスを崩して河に落ちてしまった」
とまぁ、韓流ドラマの時代劇のコミカルな場面を再現するかのような面白さである。

今となっては行くこともままならぬ北朝鮮の山岳地帯の風景の美しさ、そこを超えて満州では大洪水にあい、木の葉のように舟は流され、水浸しになりがら、ある時は避難民を救助したり、自分も高熱を出して倒れたりしながら旅を乗り越える。昔からこうして農民は、様々な苦難に合いながらもあるものは営々と農業を継ぎ、またあるものは流離い、それでも人は生きてきたことを知らされる。


この先まだちょっと続けます、


知里幸恵さんの記念館