本日、久々に京都で会うことができた尊敬する先輩が。
先日、チベット僧ローサン・ガンワン・リンポチェから個人講義を受けたとのこと。
会話はチベット語と英語で行われたとのことでしたが、彼女がリンポチェの言葉を日本語で意訳したものを聞かせていただきました。
この世の本質は苦である。この世に原因なく存在するものはない。
この諸処の苦しみを越えて到るべき覚りの境地は必ずある。
人は誰もが涅槃寂静の境地に到るべき種子を持っている。
それは心の中に流れる仏の血筋の如きものである。
輪廻は無限であり苦の中にある。
その流れの中で如何なる生物もが
この私の父であり母でないものはなかった。
今生の父母が私を愛してくれたように
生きとし生ける一切の者がかつて私を愛してくれた。
この恩に報いたいと願い一切衆生がこの私と同じく
苦を求めず楽を望むということを理解すること。
更にこの私は一切衆生の独り子であるが故に
これら衆生の為に働かねばならないと気づくこと。
こうした思いから釈尊に帰依し仏道を求め
いつの日か無力な自分でも一切衆生を救済したいと心から願う時
仏性の芽としての菩提心が発芽しその者は菩薩となる。
先日、チベット僧ローサン・ガンワン・リンポチェから個人講義を受けたとのこと。
会話はチベット語と英語で行われたとのことでしたが、彼女がリンポチェの言葉を日本語で意訳したものを聞かせていただきました。
この世の本質は苦である。この世に原因なく存在するものはない。
この諸処の苦しみを越えて到るべき覚りの境地は必ずある。
人は誰もが涅槃寂静の境地に到るべき種子を持っている。
それは心の中に流れる仏の血筋の如きものである。
輪廻は無限であり苦の中にある。
その流れの中で如何なる生物もが
この私の父であり母でないものはなかった。
今生の父母が私を愛してくれたように
生きとし生ける一切の者がかつて私を愛してくれた。
この恩に報いたいと願い一切衆生がこの私と同じく
苦を求めず楽を望むということを理解すること。
更にこの私は一切衆生の独り子であるが故に
これら衆生の為に働かねばならないと気づくこと。
こうした思いから釈尊に帰依し仏道を求め
いつの日か無力な自分でも一切衆生を救済したいと心から願う時
仏性の芽としての菩提心が発芽しその者は菩薩となる。