ジョゼフ・ルフトとハリー・インガムが提唱した「ジョハリの窓」
自己開示を説明する時、必ずといっていいほどに用いられるこの窓の構造は。
自分自身の心を1つの窓に想定して、1つの窓を4分割する。
<1つめの窓 開放部分>
自分も他者も知っている部分。だから初対面の時なんかはこの部分に触れる話が必然的に多くなる。
<2つめの窓 盲目部分>
自分は気づいてないけれど他者から見ると客観的に見える部分。相手に気づかせてあげたいなんて思うことは多々あるけれど。本人が気づくことが果たしていいことなの?って感じなのかな。
<3つめの窓 隠蔽部分>
自分は知っているけれど相手には内緒にしておきたい秘密な部分。誰にでも心にしまっておきたい気持ちはあるけれど、それを話して隠蔽部分を開示できるは他者への信頼があってのこと。
<4つめの窓 未知部分>
自分も他者も知らない未知なる部分。
各々4分割された窓の大きさは違うので、その相手を良く見て接しましょうということなのだけれども。
わたしの場合、どの窓が一番開いてるのかな~と考えると。開放部分が大きいように見えて、実は隠蔽部分が大半な気がしますね~(笑)
という考察も主観に基づくものなので何とも言えないが…。
少し怖いのは未知部分(笑)
自分も思いもつかない、他人も予想だにしない事を時々やってしまう私は。
自分で自分が分からない時が多々あるのかも…。とも思う(笑)
盲目部分は。
自分が気づかないってとこは気にはなるけれど、元来がマイペースで我が道を行っているから。あんまり気にならないというか、そこまで人間出来ていない(汗)
一度、このフロチャートに当てはめて自分自身を観てみたいな~と思いつつ。
そんな時間もないので、ほったらかしてますが。
自分の事って実は自分自身が一番分かってなかったりするもので(笑)
第3者の客観視する自分というのを観てみたい気がしますね~
自己開示を説明する時、必ずといっていいほどに用いられるこの窓の構造は。
自分自身の心を1つの窓に想定して、1つの窓を4分割する。
<1つめの窓 開放部分>
自分も他者も知っている部分。だから初対面の時なんかはこの部分に触れる話が必然的に多くなる。
<2つめの窓 盲目部分>
自分は気づいてないけれど他者から見ると客観的に見える部分。相手に気づかせてあげたいなんて思うことは多々あるけれど。本人が気づくことが果たしていいことなの?って感じなのかな。
<3つめの窓 隠蔽部分>
自分は知っているけれど相手には内緒にしておきたい秘密な部分。誰にでも心にしまっておきたい気持ちはあるけれど、それを話して隠蔽部分を開示できるは他者への信頼があってのこと。
<4つめの窓 未知部分>
自分も他者も知らない未知なる部分。
各々4分割された窓の大きさは違うので、その相手を良く見て接しましょうということなのだけれども。
わたしの場合、どの窓が一番開いてるのかな~と考えると。開放部分が大きいように見えて、実は隠蔽部分が大半な気がしますね~(笑)
という考察も主観に基づくものなので何とも言えないが…。
少し怖いのは未知部分(笑)
自分も思いもつかない、他人も予想だにしない事を時々やってしまう私は。
自分で自分が分からない時が多々あるのかも…。とも思う(笑)
盲目部分は。
自分が気づかないってとこは気にはなるけれど、元来がマイペースで我が道を行っているから。あんまり気にならないというか、そこまで人間出来ていない(汗)
一度、このフロチャートに当てはめて自分自身を観てみたいな~と思いつつ。
そんな時間もないので、ほったらかしてますが。
自分の事って実は自分自身が一番分かってなかったりするもので(笑)
第3者の客観視する自分というのを観てみたい気がしますね~