(1989年)ベルリンの壁崩壊
実際に壊されるのは翌日からだが、その動きが始まった11月9日からの一連の流れこそがベルリンの壁崩壊を象徴していると思うので、この日を取り上げることにする。
東ドイツ政府が同国市民に対し旅行自由化を誤って発表、規制法が実質的に無意味になったのをきっかけに市民が壁周辺に殺到した。
警備員との間でいざこざが起こるも、群衆の勢いに圧倒され検問所を開放、長く東西ドイツを分断していた壁が事実上崩壊することとなった(早速、翌日から撤去作業が開始された)。
僕はそんなにショックを受けなかったが、学校の教師が授業中に「自分が生きてる間にあの壁がなくなるなんて想像もしなかったなぁ」と感慨深そうに呟いてたのを覚えている。
壁が築かれた当時を知る者と知らない者との世代の違いだろう。
時代の空気に直接触れたか否かの違いは大きい(それにより、同じ事実を目撃しても受けとめ方が変わってくる)。
かつてドイツがふたつに分断していたと言っても、今時の若者には単なる昔話にしか聞こえないだろう。
ソ連という名の国が存在していた(僕が若い)当時、ロシアと聞いても僕には古臭い呼び名にしか感じなかったように。