「グノーシスの薔薇」を読んでまあ、こってり系!
と思っていたけれど、これはこれでとても面白かった。
多重夢。もしくは入れ子というのはわたしがとっても惹き寄せられて
しかも拘泥してしまうもの。
ウロボロスのように、メビュウスのようにぐるぐると円環し
そして初原にもどっていく。しかしそれは円軌道の幅のように
時間軸に沿って永遠の螺旋をみせるのかもしれない。
さて。名前もわからない主人公が汽車に乗っている。
そしてフロイト。かのフロイトではなく精神分析学者のフロイトなんていう
これ自体が多重夢。
全体は荒唐無稽であるけれど、この感じは夢。
ぽるのちっくな描写は今回は少なかったと思うけれど、
大司教さまの奥方の乳房にサインをするところはとってもイメージしてしまった。
くるりと乳首を回るようにサインの尻尾を書く。
そんななかで、一番怖いのは、そう、「考え」だ。
いずれは、この幸せは崩れ去る。
この考えはわたしももっている。
掌から崩れて消え去った残骸を慈しむくらいならはじめから無いほうが良い。
むしろ、悪いことのほうがそれが消え去ったあとに安堵感や幸福感がある。
馴染むけれど。
でもそれでもわたしはその先にあるなにかが見たいと思っている。
それは良くも悪くもサプライズであり、さぷらいずはわたしの糧なのだろう。
夢の中で夢を見る。という技はわたしにもできる。
ネルヴァルが言うように、夢はひとつの第二の人生なんだろうと感じている。
だからこそ、この作品には共感する部分がある。
マドセンらしい言葉を捏ね繰りまわしひねくりまわしているけれど、
わたしという実態はそこのあるのか?
という基本的問いを発しているからなんだろう。
冒頭に出てくるフロイトと主人公の会話。
もしもフロイトが見ている夢がこの記者の中だったら主人公は存在しない。
もすも主人公が見ている夢がこの記者の中だったらフロイトは存在しない。
その時にフロイトは恐怖する。
自己の立ち位置を失うからだ。
でも夢の中とてその人物たちやその世界はあるのではないかなと
ちょっと思っている。それは演算されたバーチャルな世界かもしれないけれど。
したがってわたしが先に見た夢とこの小説は符合してくるのだろうか?
と思っていたけれど、これはこれでとても面白かった。
多重夢。もしくは入れ子というのはわたしがとっても惹き寄せられて
しかも拘泥してしまうもの。
ウロボロスのように、メビュウスのようにぐるぐると円環し
そして初原にもどっていく。しかしそれは円軌道の幅のように
時間軸に沿って永遠の螺旋をみせるのかもしれない。
さて。名前もわからない主人公が汽車に乗っている。
そしてフロイト。かのフロイトではなく精神分析学者のフロイトなんていう
これ自体が多重夢。
全体は荒唐無稽であるけれど、この感じは夢。
ぽるのちっくな描写は今回は少なかったと思うけれど、
大司教さまの奥方の乳房にサインをするところはとってもイメージしてしまった。
くるりと乳首を回るようにサインの尻尾を書く。
そんななかで、一番怖いのは、そう、「考え」だ。
いずれは、この幸せは崩れ去る。
この考えはわたしももっている。
掌から崩れて消え去った残骸を慈しむくらいならはじめから無いほうが良い。
むしろ、悪いことのほうがそれが消え去ったあとに安堵感や幸福感がある。
馴染むけれど。
でもそれでもわたしはその先にあるなにかが見たいと思っている。
それは良くも悪くもサプライズであり、さぷらいずはわたしの糧なのだろう。
夢の中で夢を見る。という技はわたしにもできる。
ネルヴァルが言うように、夢はひとつの第二の人生なんだろうと感じている。
だからこそ、この作品には共感する部分がある。
マドセンらしい言葉を捏ね繰りまわしひねくりまわしているけれど、
わたしという実態はそこのあるのか?
という基本的問いを発しているからなんだろう。
冒頭に出てくるフロイトと主人公の会話。
もしもフロイトが見ている夢がこの記者の中だったら主人公は存在しない。
もすも主人公が見ている夢がこの記者の中だったらフロイトは存在しない。
その時にフロイトは恐怖する。
自己の立ち位置を失うからだ。
でも夢の中とてその人物たちやその世界はあるのではないかなと
ちょっと思っている。それは演算されたバーチャルな世界かもしれないけれど。
したがってわたしが先に見た夢とこの小説は符合してくるのだろうか?