快傑ズバット 地獄のズバット
仮面ライダーOP集その2 昭和ライダー二期・三期編
ここ五日間、東京国際アニメフェアの事ばかり書いていたので、特撮についても触れてみたい。
仮面ライダーシリーズや、戦隊物シリーズの生みの親として知られる元東映プロデューサー平山亨氏。
1929年3月19日生まれなので、3日前に80歳になられました。
東京都出身。東京大学卒業後、東映㈱入社。主に松田定次監督の助監督として130本以上の劇場用映画に携わる。
その後、3本の監督作を経て、プロデューサーに就任。
以降(悪魔くん)(柔道一直線)(仮面ライダー)等々数多くの大ヒット作をプロデュースする。
八手三郎、大堂勲、秋月一彦はペンネーム。
水木しげる先生の悪魔くん、河童の三平を筆頭に、横山光輝先生の仮面の忍者赤影やジャイアント・ロボ、梶原一騎先生原作の柔道一直線や太陽の恋人、石森章太郎先生の仮面ライダーシリーズなどヒット作を次々プロデュースし、70年代から80年代にかけて漫画原作ドラマの一時代を築いた平山亨さん。
親交を深めた作家たちとのエピソードや、当時の番組制作での苦労など、いつも熱く語っていただいております。
漫画原作ドラマの礎を築いた名プロデューサー平山亨、 漫画バカ人生を語ると題して、私が監修プロデュースしたチクマ秀版社のもん・りいぶるシリーズの付録用小冊子の創刊號にはインタビューにご協力いただいております。
今回は、そのプロデュース作品 タイトルを紹介します。
1966年、悪魔くん、1967年、仮面の忍者 赤影、キャプテンウルトラ、ジャイアント・ロボ、1968年、河童の三平 妖怪大作戦、怪盗ラレロ、1969年、妖術武芸帳、花のお江戸の凄い奴、柔道一直線、花と狼、彦左と一心太助、1971年、仮面ライダー、仮面ライダーV3、仮面ライダーX、仮面ライダーアマゾン、仮面ライダーストロンガー、仮面ライダー(スカイライダー)、仮面ライダースーパー1、仮面ライダーZX(ゼクロス)、1971年、太陽の恋人、刑事くん、 好き!すき!!魔女先生、1972年、超人バロム・1、変身忍者嵐、人造人間キカイダー、1973年、キカイダー01、どっこい大作、ロボット刑事、イナズマン、 1974年イナズマンF、がんばれロボコン、1975年、コンドールマン、 秘密戦隊ゴレンジャー、アクマイザー3、1976年、超人ビビューン、宇宙鉄人キョーダイン、ザ・カゲスター、忍者キャプター、ぐるぐるメダマン、5年3組魔法組、1977年、快傑ズバット、大鉄人17、ジャッカー電撃隊、ロボット110番、氷河戦士ガイスラッガー(アニメ)、冒険ファミリーここは惑星0番地、激走!ルーベンカイザー( アニメ)、1978年、がんばれ!レッドビッキーズ、透明ドリちゃん、スパイダーマン、宇宙からのメッセージ(劇場用映画)、銀河大戦、 ピンクレディー物語栄光の天使たち(アニメ実写混合)、1979年、燃えろアタック、 バトルフィーバーJ、1981年、ロボット8ちゃん、1982年、 バッテンロボ丸、 1983年、ペットントン、1984年、夏の怪談シリーズ、どきんちょ!ネムリン、1985年、てれびオバケてれもんじゃ、勝手に!カミタマン、1986年、もりもりぽっくん、 月曜ドラマランド悪魔くん、1987年、おもいっきり探偵団覇悪怒組、 1988年、じゃあまん探偵団魔隣組以上66作品が東映時代の物。
その後、仮面天使ロゼッタ、ボイスラッガー
VシネとしてVモンスター、侵略美少女ミリ、異世界戦士リリン&エリンなどがある。
(参考文献 もん・りいぶる小冊子創刊號、2006年7月発行より)
私個人として思い入れの深い作品群は、昭和49年頃までと、それ以降は、快傑ズバットくらいだろうか。
八手三郎作詞によるエンディング曲、男はひとり道をゆく、が好きだった。
私は、11・12歳の頃、平山さんを訪ねて東映の撮影所へ何度も通った思い出がある。
撮影現場やセットも見させてもらった。
誰でも自由に参加でき、平山さんと直接話ができる会を作ろうとの目的で漫画喫茶メトロポリスにて1999年より始めた平山さんと語る会は、今は平山会の名に変わり、大泉学園に会場を移して続けられている。
平山亨さんは、プロデューサーとしての私の師匠である。
仮面ライダーシリーズや、戦隊物シリーズの生みの親として知られる元東映プロデューサー平山亨氏。
1929年3月19日生まれなので、3日前に80歳になられました。
東京都出身。東京大学卒業後、東映㈱入社。主に松田定次監督の助監督として130本以上の劇場用映画に携わる。
その後、3本の監督作を経て、プロデューサーに就任。
以降(悪魔くん)(柔道一直線)(仮面ライダー)等々数多くの大ヒット作をプロデュースする。
八手三郎、大堂勲、秋月一彦はペンネーム。
水木しげる先生の悪魔くん、河童の三平を筆頭に、横山光輝先生の仮面の忍者赤影やジャイアント・ロボ、梶原一騎先生原作の柔道一直線や太陽の恋人、石森章太郎先生の仮面ライダーシリーズなどヒット作を次々プロデュースし、70年代から80年代にかけて漫画原作ドラマの一時代を築いた平山亨さん。
親交を深めた作家たちとのエピソードや、当時の番組制作での苦労など、いつも熱く語っていただいております。
漫画原作ドラマの礎を築いた名プロデューサー平山亨、 漫画バカ人生を語ると題して、私が監修プロデュースしたチクマ秀版社のもん・りいぶるシリーズの付録用小冊子の創刊號にはインタビューにご協力いただいております。
今回は、そのプロデュース作品 タイトルを紹介します。
1966年、悪魔くん、1967年、仮面の忍者 赤影、キャプテンウルトラ、ジャイアント・ロボ、1968年、河童の三平 妖怪大作戦、怪盗ラレロ、1969年、妖術武芸帳、花のお江戸の凄い奴、柔道一直線、花と狼、彦左と一心太助、1971年、仮面ライダー、仮面ライダーV3、仮面ライダーX、仮面ライダーアマゾン、仮面ライダーストロンガー、仮面ライダー(スカイライダー)、仮面ライダースーパー1、仮面ライダーZX(ゼクロス)、1971年、太陽の恋人、刑事くん、 好き!すき!!魔女先生、1972年、超人バロム・1、変身忍者嵐、人造人間キカイダー、1973年、キカイダー01、どっこい大作、ロボット刑事、イナズマン、 1974年イナズマンF、がんばれロボコン、1975年、コンドールマン、 秘密戦隊ゴレンジャー、アクマイザー3、1976年、超人ビビューン、宇宙鉄人キョーダイン、ザ・カゲスター、忍者キャプター、ぐるぐるメダマン、5年3組魔法組、1977年、快傑ズバット、大鉄人17、ジャッカー電撃隊、ロボット110番、氷河戦士ガイスラッガー(アニメ)、冒険ファミリーここは惑星0番地、激走!ルーベンカイザー( アニメ)、1978年、がんばれ!レッドビッキーズ、透明ドリちゃん、スパイダーマン、宇宙からのメッセージ(劇場用映画)、銀河大戦、 ピンクレディー物語栄光の天使たち(アニメ実写混合)、1979年、燃えろアタック、 バトルフィーバーJ、1981年、ロボット8ちゃん、1982年、 バッテンロボ丸、 1983年、ペットントン、1984年、夏の怪談シリーズ、どきんちょ!ネムリン、1985年、てれびオバケてれもんじゃ、勝手に!カミタマン、1986年、もりもりぽっくん、 月曜ドラマランド悪魔くん、1987年、おもいっきり探偵団覇悪怒組、 1988年、じゃあまん探偵団魔隣組以上66作品が東映時代の物。
その後、仮面天使ロゼッタ、ボイスラッガー
VシネとしてVモンスター、侵略美少女ミリ、異世界戦士リリン&エリンなどがある。
(参考文献 もん・りいぶる小冊子創刊號、2006年7月発行より)
私個人として思い入れの深い作品群は、昭和49年頃までと、それ以降は、快傑ズバットくらいだろうか。
八手三郎作詞によるエンディング曲、男はひとり道をゆく、が好きだった。
私は、11・12歳の頃、平山さんを訪ねて東映の撮影所へ何度も通った思い出がある。
撮影現場やセットも見させてもらった。
誰でも自由に参加でき、平山さんと直接話ができる会を作ろうとの目的で漫画喫茶メトロポリスにて1999年より始めた平山さんと語る会は、今は平山会の名に変わり、大泉学園に会場を移して続けられている。
平山亨さんは、プロデューサーとしての私の師匠である。
仮面ライダーOP集その1 昭和ライダー第一期編