198万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

【ビブリア古書堂の事件手帖】と成蹊ミステリ・フォーラムに思うことその1

2013-03-18 23:51:37 | 「金魚屋古書店出納帳」芳崎せいむ
【ビブリア古書堂の事件手帖】

#10「江戸川乱歩・少年探偵団」

「少年探偵団」シリーズは、戦前の『少年倶楽部』に連載された講談社版四冊【怪人二十面相】【少年探偵團】【妖怪博士】【大金塊】すべてが高額な稀購本となるので、戦後昭和24年に山川惣治の挿し絵で『少年』に連載再開された【青銅の魔人】から始まる戦後の光文社版を話題にしたのだろう。
戦後、講談社系列の光文社が、戦前の講談社版四冊を単行本として再刊し大いに売れたことが連載再開のきっかけだったと、推理作家の芦辺拓先生も、後述する光文社文庫の【少年探偵王】(2002年)解説の中に書かれている。
私は、少年時代に【怪人二十面相】の完全復刻本だけを手に入れて、「少年探偵団」シリーズの収集を諦めた。
ポプラ社版は珍しくもなく量が多くて嵩張り、光文社版まで集める資金があったら、漫画を集めたかったのだ。
ましてや講談社版のオリジナルなど、手に入れられるはずもなかった。
戦後の「少年探偵団」シリーズは、『少年』だけでなく『少年クラブ』と『少女クラブ』、三誌同時に連載された時期があり、ドラマの中に出てきた【魔法人形】【塔上の奇術師】は共に『少女クラブ』連載作品となるので、女の子が夢中になるのにも説得力がある。


さて、2013年3月16日土曜日、私は成蹊学園創立100周年記念行事「成蹊ミステリ・フォーラム」あなたが目撃者になる、に参加する。
今日の画像はそのチラシと講談社から発行された少年倶楽部文庫から江戸川乱歩の【怪人20面相】【少年探偵団】。

ミステリ資料展示(11:00~16:45 於:情報図書館2階)

●夢野久作書簡(未公開資料)
●成蹊ゆかりのミステリ作家資料展示
●ミステリSFコレクション書庫見学(11:00~12:00限定)

ミステリ研究・講義(13:30~16:30 於:4号館ホール)

●【新資料紹介】夢野久作から森綾子への手紙
報告 成蹊大学大学院生有志〈seminer Q〉
●変格探偵小説と山田風太郎
講義 谷口基氏
●「モルグ街の殺人事件」はどう読まれてきたか
ーアメリカ探偵小説と近代日本
講義 井上 健氏


ミステリ講演(17001800 於:4号館ホール)

島田荘司氏講演
「ミステリー史と、WHATDUNIT」

懇親会(18:00~20:00)

最大の目的はミステリSFコレクション書庫見学なので、珍しく早起きして9時には家を出る。
そして・・・。
その2に続く。(*´∀`)♪

先週から引っ張った【晩年】のエピソード、復刻本がキーとなるのは、残念ながら私には、途中から見え透いてしまっていた。
何故なら、本物のコレクターなら、復刻本を二セット以上持っていることなど日常茶飯事。
昨年、秋田書店から発売された完全復刻本【沙漠の魔王】については、高額本ながらも最近は貧乏に甘んじている私でさえ、実際に二セット購入しているのだから。
古くからのコレクターなら、大切な本は一冊は永久保存用、二冊目は閲覧、貸出し用、三冊目は、交換、転売用として購入するのが基本だ。
古書の場合、経年劣化により其々保存状態が異なるので、状態が悪い物を高額で購入した後、比較的状態の良い物が安価で市場に出回っていたら、再度購入してしまうのがコレクターの本能。
私も、お気に入りの本や雑誌『COM』全巻セットや【カムイ伝】連載中の『ガロ』については、複数所持している。
さて、今回のエピソード

#07「複数の真実」

において、古書漫画の最高峰、足塚不二雄の【UTOPIA 最後の世界大戦】が遂に登場した。
私の得意分野、いや、専門分野となるので、番組の解説を補足したいと思う。

【UTOPIA 最後の世界大戦】

に高額な値付けをしたのは、みなさんご存知の中野のまんだらけ、古川益蔵さんである。
漫画古書専門店としては、神田神保町の中野書店が業界の皮切りとなる。
続いて現代マンガ図書館が1978年秋にオープンした際、年四回の即売展が活況を呈した。
私は、小学生の頃から、横浜鶴見より、神田神保町にある中野書店に通った。
直ぐに早稲田にある現代マンガ図書館がオープンとなり、オープン記念の即売展から駆けつけたのだから、古書漫画コレクターとしては、当時最年少の部類であり、35年以上のキャリアを持つ時代の証言者と充分成り得るだろう。
当時まんだらけは、まだ全国区ではなく、現代マンガ図書館の即売展においては、奥野さんの観覧舎と同じく一参加店に過ぎなかったのが私の印象だ。
駿台予備校の浪人時代、予備校での友達で上杉家の末裔だと言うN君が(私の先祖の本間光丘は、上杉鷹山に大名貸しをしているのも何かの縁だろう。予備校の友達の間では日本史の授業で大ウケとなった)中野に住んでおり、中野に凄い古本屋があると教えられて通い始めたのが1985年。
それまでは、鶴見の西田書店、蒲田の龍生書林、三軒茶屋の喇摩舎、神田神保町の中野書店、早稲田にある現代マンガ図書館の即売展が、主な私の縄張りだったし古書漫画の購入先だった。
まんだらけの快進撃は、【UTOPIA 最後の世界大戦】の値付けに始まる。
次に写真付きの分厚い古書漫画目録を発行したのも、革新的なアイデアだったし、コスプレ店員なども、マスコミの注目を集めた。
年四回の古書漫画即売展で、年間の運営費を稼いでいた現代マンガ図書館は、オープン時に全国から善意で寄贈された本でダブリの分の転売が底を尽き(大切な本を寄贈された方の善意を何と思っていたのだろう)、即売展参加料のマージンの高さと、売上げに対して納入する歩合の高さから、まんだらけ始め主要古書店の参加が次第に少なくなり、現代マンガ図書館での古書漫画即売展の人気が凋落してしまったのは、内記さんの古本屋としての人間性が全ての原因であるため自業自得としか言いようがない。
扱う古書漫画も、貸本上がりで酷く保存状態が悪い物でも、タイトルだけで高値がついていたため、どうせなら、状態が良い物を欲しいと考える新書本コレクターたちが増えるようになると、敬遠されるようになっていったし、私の足も遠のくようになった。
テレビ東京の【開運!なんでも鑑定団】での古川さんのレギュラー出演も、古書漫画収集に人気を呼んだし、古書漫画に驚きの高値が付くことを一般人にも広く知らしめたため、現代マンガ図書館に貴重な蔵書を寄贈する人は激減、せっかく寄贈した本を売るくらいなら返してくれと抗議した人もいたが、その時には既に売却済みだったようだ。

さて、【UTOPIA 最後の世界大戦】が展示中に盗難にあったという事実は、古川さんの著書にも書かれているし、未だ犯人も、盗難された本も出てきてはいない。

そのエピソードを、絡ませているところに、今回の話の面白さがあった。

【UTOPIA 最後の世界大戦】には、完全復刻版がある。

名著刊行会から限定一千部で昭和56年に発行された物と、2011年に小学館クリエイティブから発行された物。

鶴書房から発行された【UTOPIA 最後の世界大戦】のオリジナル本は、市場価格300万前後となっているので、私は名著刊行会から発行された復刻本シリアルNo.0638番で満足している。

名著刊行会から発行された復刻本でさえ、一時期2~3万のプレミアがついていたが、新しい復刻本が出回ったのでもう少し安くなっているだろう。

さて、新しい復刻本が出る前段階で、私が直接関わった驚くべきエピソードをここで初披露しよう。

平成18年1月から逓信総合博物館で

松本零士コレクションでつづる
「漫画誕生から黄金バットの時代」展
において、企画段階から版権処理に深く関わっていた私は、【UTOPIA 最後の世界大戦】と【沙漠の魔王】【正ちゃんの冒険】の展示に執着した。
中でも、当時、藤子不二雄時代の共作は全て絶版となっており、【UTOPIA 最後の世界大戦】の展示は、博物館の関係者誰もが、絶望視していた。
私は、駄目で元々の気楽な立場だったので、先ずは旧知である@先生サイドのマネージャーさんに連絡を取って相談してみる。

「【少年画報大全】で、@先生に【怪物くん】のインタビューをさせてもらって大変御世話になった研究者の本間です。
今度、逓信総合博物館で、企画展があり、そこに松本零士先生が所蔵する【UTOPIA】を展示したいんですけど、
難しいですよね。」

すると、直ぐに二つ返事で

「いいわよ。」

「えっ、大丈夫なんですか。」

「そんなに、変なことに使ったりするんじゃないでしょ。だったらいいわよ。向こうの担当者にも、きちんと許可を取ってね。」

私は、吃驚してしまった。
直ぐにF先生サイドに連絡を取る。

「うちはいいですけど、@先生側が何というか。」

「今、MさんにはOK貰えたんですよ。」

「えっ!本当ですか?だったらうちもOKですから。」

私は、この時、日本中の誰よりも一番早く藤子不二雄先生の共作が、再び復刻される日が来ることを予見したのだった。

藤子不二雄作品の初期単行本や、附録など、撮影でどうするのか興味深々だったが、ビブリアで買い取って売ってしまったとするなど、古書コレクターだけでなく、古書店主の性質も綺麗事だけでなく見事に真実を描いている。
現代マンガ図書館の内記稔夫氏が、寄贈された本を即売展で売っていたことは、あまり語られていない気がするが、紛れもない真実である。
古書店主は、お客さんの足許をみて買取りをした。
コレクターが死後、本の価値を何も知らない遺族が本を処分するとなると、二束三文の値を付けて買い叩いてくる。
町の古本屋が廃れてブックオフが一挙に流行った理由として、単純明快な買取り方法があげられる。
さて、【ビブリア古書堂の事件手帖】に類似する先行作品だった芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】の掲載誌が少年画報社から小学館に変わって【金魚屋古書店】となったことにより、作品のクオリティが落ちてしまったことがある。

【金魚屋古書店】第6巻に収録されている第39話「古本のお医者さん」にて、【UTOPIA 最後の世界大戦】を取り上げているので、【ビブリア古書堂の事件手帖】と読み比べて貰えば作者の力量の違いが皆さんにも実感出来るだろう。
巻末お役立ちコラム金魚屋古書店雑記帳も、私には殆んど役に立ったことはない。
本来、作中に登場する作品の魅力を伝えるはずのコラムが、第1巻第4話の【ビリーパック】を始め、まるで機能していないようにすら感じられる。

コラムを担当する見ず知らずの田舎のオジサンが子供の頃に虐められていたことを知って、いったい何の役に立つのだろうか。

「そしてビリーのハンサムな顔立ちが人気の秘密だった。」

とあるが、作者である河島光広先生は、単行本初版の作者の巻頭の言葉にて
-この本をごらんになるみなさんへ-

ビリー・パックは、アメリカ人のおとうさんと、日本人のおかあさんとのあいだに生まれた、混血児というかわいそうな運命をもった少年です。
しかし、おとうさんのおしえをよくまもり、世の中にはびこる悪い人たちをこらしめるために、どんなにおそろしい敵にも、ゆうかんにむかっていく、りっぱな少年なのです。
どうか、みなさんも、このゆうかんなビリー・パックを、おうえんしてやってください。

とある。
そう、当時の日本の都会では、混血児は差別の対象であり、ハンサムな顔立ちが人気となるのは、ほんの少し後のことなのだ。
当時の微妙な時代背景を、1948年生まれの田舎のオジサン一人の思い込みだけで語られてはたまらない。
【赤胴鈴之助】は、孤児の少年が日本一の少年剣士を目指すことに共感され、【ビリー・パック】は、アメリカ帰りの混血児で孤児の少年探偵が、悪漢相手に正義の戦いをすることに共感されたのが人気の秘密だったのだ。

「突然の病で急死。作品は弟子の矢島利一に引き継がれる」

河島先生は、【ビリー・パック】連載開始当初から、肺結核のため名古屋の自宅二階のベットで寝たり起きたりの状態だった。
長期の闘病生活の後、30歳の若さで急逝される。
突然の病で急死などではない。
矢島利一先生は、街頭紙芝居からのキャリアを持ち、『少年』で【遊星王子】のコミカライズ連載を担当している。
病気がちな河島先生のアシスタントを務めたが、弟子であったという話は聞いたことがないのだが・・・。
因みに、最初のアシスタントは、福元一義先生となり、代筆をしていることが広く知られている。
実際の【ビリー・パック】について詳しく知りたい方は、

【少年画報大全】(少年画報社・2001年、現在三刷)

【少年探偵王】(光文社文庫・2002年)

【『少年画報』誕生60周年記念復刻】「赤胴鈴之助」「ビリーパック」「まぼろし探偵」3冊セット(少年画報社・2007年)

【明治・大正・昭和の大衆文化-伝統の再創造はいかにおこなわれたか-】(彩流社・2008年)

【少年画報】昭和35年正月号完全復刻(少年画報社・2010年)

をご覧いただければ幸いです。
単行本完全復刻に際しては、私が所蔵する初版の本をバラして原本としましたので、先程ご紹介した作者の言葉も確認出来ます。
其々【ビリーパック】に関する解説なども、全て漫画史研究家である私が関わっていますので間違いはありません。
先程の田舎のオジサンや、編集部の担当者が、もし、この中の一つでも私の解説を読んでいたのなら、あそこまで酷いコラムが世に出ることもなかったと思うのですが、誠に遺憾としかいいようがありません。

【金魚屋古書店出納帳】がヤングキングアワーズ増刊12月号『アワーズガール』(平成12年12月2日発行)で初登場した際、私はこの作品に大いなる期待を寄せた。
少年画報社が満を持して創刊した

「こだわり少女のコミック誌オール新作読切14作」

伊藤潤二
今市子
波津彬子
犬上すくね

を別格に

篠原烏童/大沢美月/黒田硫黄/有元美保/芳崎せいむ/川原由美子/逆柱いみり/おがきちか/小石川ふに/佐々木久美子

の中、伊藤潤二先生目当てでこの雑誌を手に入れた私に、未だ名前すら知らなかった芳崎せいむ先生の才能の煌めきを感じさせてくれた。
だが、掲載誌となる『アワーズガール』は廃刊となり、続く『アワーズライト』も廃刊。

小学館の『IKKI』に移ってからは、掲載誌を追うこともなくなり、単行本も古本屋でまとめて購入するレベルになってしまった。

ネット上で漫画史研究会を代表する論客という評判の伊藤剛をして

「芳崎せいむ【金魚屋古書店】に唾を吐け」

と言わしめたのは、漫画古書コレクターと古書店主の本質と真実を、全て美談にすり替えて描いていたことに対する正直な苛立ち、嫌悪感だったのだろう。
伊藤には、【ビブリア古書堂の事件手帖】の登場まで、【金魚屋古書店】の先行作品としての意義を見出だせることは出来なかったし、小学館の編集者も、せっかくの【金魚屋古書店出納帳】の持ってる世界観を【金魚屋古書店】では間違った方向性へと導いてしまったと私は考えている。

本来【金魚屋古書店出納帳】には、【ビブリア古書堂の事件手帖】より先に大ブレイクする可能性、魅力を秘めていた作品だったのだが、担当する編集部と作品の本質を見極めることの出来ない評論家の心ない発言によって、作品のレベルを凋落させてしまった感が否めない。
作品を生かすも殺すも、編集者や読者の存在が必要不可欠だが、上から目線の評論家の発言には、何の意味があったのだろう。
【ビブリア古書堂の事件手帖】大ブレイクの影響だろうか、伊藤剛は昨年、文化庁の委員の一人として【金魚屋古書店】を推薦漫画として評価する。
伊藤剛の鮮やかな変節ぶりは、批評家としての見事な処世術だったのだろうが、ネットが普及した現代において、ネットにおける過去の発言からも全ての真実と本心が見え透いてしまうのだからその特性を早く理解するべきだろう。

以上が【ビブリア古書堂の事件手帖】と、芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】と【金魚屋古書店】の違いに対する何のしがらみもない在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸の現在の評価です。

漫画史研究会を象徴する伊藤剛たち上から目線の発言のみで、何も生み出さない漫画評論家、批評家たちと、昭和時代の名作漫画の発掘による温故知新で、漫画界の復活を心より願う漫画史研究家の違い。
同じ漫画史を研究テーマにしていても、水と油、その人間性の本質は大きく異なっています。

なので、これを機会に4月からは

【ニュー・マンガ・パラダイス~昭和漫画古書収集奇譚】

と題して、漫画古書に関して【ビブリア古書堂の事件手帖】に倣って、私がこれから電子書籍化したい名作に纏わる取って置きのエピソードの数々を、シリーズで語っていきたいと思います。

私の思想には、先祖から代々伝わるサムライとしての武士道の精神と、庄内地方で公益の祖として慕われる一族の先祖、本間光丘の輝かしい業績に対する誇りと本間家に代々伝わる家訓、明治学院大学で学んだ他者への貢献の精神が大きく影響しているようです。
直接師事した先生方、故・松田春翠先生、故・二上洋一先生、石森史郎先生、心の師匠である平山亨先生の中には、現在もその著書が全国書店で発売されている方もおりますので、是非、ご一読を。

facebook上で、私が交流している人たちも、大半はリアルな知人であり、信頼がおける人達となりますので、参考までに。(*´∀`)♪
以下は、先週の感想になります。









「脅されているんです、異常な男から」

良く出来たドラマだ。

古書を愛する人たち、マニア、コレクターの習性を見事に描いているが、実際の人たちのビジュアルを忠実に再現しなかったのが大正解。(笑)
私が知るマニアやコレクターたちも、大概は本に対して異常な執着心を持ち、知人ではあっても絶対に友人にだけはなりたくないと思わせるビジュアルとルックスである。
最近では、ホンジャマカの石塚さんと、伊集院光さんを足して2で割ったような一見善人そうに見える独特のビジュアルだけでなく名前まで隠してブログをやっており、私がブログを始める何年も前に、成蹊大学から共著として発表した漫画史に関して私が書いた論文の何ら根拠のない誹謗中傷を発売後直ぐにわざわざブログに書いていた。
そのコレクションにかける情熱の素晴らしさとは裏腹に、異常な執着心がブログの端々から伝わってくるのを本人も、交流している人たちもまだ誰も気付いてはいないようだ。
【少年画報大全】発売直後、少年画報社の編集部宛に、半分に引き裂かれ、意味の無い赤い線が多数書き込まれた【少年画報大全】が送られてきたことがある。
50代後半、定年退職間近だった添田善雄編集長は、編集者生活初めての体験に非常なショックを受けていたようだが、私は前述したように異常な行動をとるマニア、コレクターたちの生態を見聞、理解していたので、さほど驚くこともなかった。
古書業界では、『冒険活劇文庫』や絵物語、街頭紙芝居収集に対して、常軌を逸した行動をとるコレクターが存在するのが広く知られている。
だが、絵物語や戦後の少年少女雑誌における日本一のコレクターは、彼ではなく、銀座にある若山美術館のオーナー若山さんだろう。
若山さんには、私が【少年画報大全】を監修した際にも、快く資料協力していただけた。
前述の彼とは、当時から面識があり、協力依頼をしてみたのだが、真逆の対応独特の価値観に当時大変驚いた。
【少年画報大全】発売以降、私と彼との交流は一切ないのだが、ネット上では今も知人の如く彼のブログに私の著書の悪口まで書き込まれていたのだからたまらない。
マニア、コレクターの妬み、執着心、逆怨み恐るべし。(* ̄∇ ̄*)

先週の金曜日、読売新聞と朝日新聞の朝刊に記載された鳥越信さん、本郷功次郎さん、高野悦子さんの訃報記事を読み比べてみた。


鳥越信さんの訃報記事は、読売新聞のみで、上記の二人と違い写真の掲載もない。

鳥越信氏 83歳(とりごえ・しん=児童文学評論家)14日、老衰で死去。
葬儀は近親者で行う。
喪主は長男、恭(きょう)氏。
早稲田大学教授として児童文学研究に取り組み、収集した12万点の資料「鳥越コレクション」を1979年、大阪府に寄贈した。
これを基に84年、吹田市に「府立国際児童文学館」が創設され、運営に当たった。
同館は2010年に廃止され、資料は東大阪市の府立中央図書館に移された。
「日本児童文学史年表」で1976年の日本児童文学者協会賞などを受賞した。

とある。
鳥越信さんの名前や著書など、漫画史研究家として、何度も目にしたことがあるし、一度だけ府立国際児童文学館も利用したのだが・・・。

せっかくの寄贈資料を、十分活用出来なかった施設と後進の研究者たち。
施設関係者たちと、漫画評論家たちは、橋本市長に責任を転嫁し、糾弾したが、賢明なる一般世間の共感を得ることは出来なかった。
在野にいる漫画史研究家である私の施設に対する評価は、賢明なる一般世間と同じく廃止やむなしであったし、今も変わらない。
一度も面識のない鳥越信さんに対する私の評価は、研究者としてよりもコレクターとしての方が高い。
1978年に3万冊でオープン、有料で公開した現代マンガ図書館 内記コレクションよりも、1979年に12万点の資料を収集し無料で公開した鳥越コレクション。
府立国際児童文学館の存続を訴えていた漫画評論家たちの多くは、鳥越さんの追悼記事すら書いていないようだ。
故・二上洋一先生の師匠筋にあたる鳥越信さんの訃報に際し、せめて二上先生の弟子筋である私だけは、鳥越信さんのコレクターとしての功績を高く評価しておきたい。

鳥越さんの御冥福を祈ります。
鳥越さんが集められた貴重な鳥越コレクションについては、在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸がいつの日にか必ず後世の研究者の礎として活用させていただきますから御安心下さい。


2013年2月17日

漫画史研究家

本間正幸

さて、15日(金)はのらくろ館のある森下文化センターへ。


辻真先が案内するミステリの世界

講師:辻 真先
(作家・本格ミステリ作家クラブ 会長)

探偵たちの名推理、怪盗たちの鮮やかなトリック、崩されるアリバイ、密室の謎、不可能への挑戦・・・。
数々の魅力があふれるミステリの世界を堪能してみませんか?
講師にミステリ作家、辻真先を迎え、豪華なゲストをお招きして、色々な角度からバラエティに富んだミステリの世界をご案内いたします。

カリキュラム

第1回(10/19) 日本のミステリの歴史~戦前編~

第2回(11/16) 海外のミステリ~山前譲(ミステリ研究家)との対談~

第3回(12/21) 日本のミステリの歴史~戦後編~

第4回(1/18) マンガ・アニメの中のミステリ~唐沢俊一(作家・評論家)との対談~


第5回(2/15) ミステリの現在~東川篤哉(作家)との対談~

金曜日 全5回 19:00~20:30

定員25名

受講料:7500円(全五回分)
教材費:200円(全五回分・資料代など)

全五回共、受講料のわりに大変充実した内容、大満足の講座であった。
脚本家で知られる辻先生の推理作家としての顔も、今回の講座から少しは判るようになった気がする。
定員25名は、まさに参加者の情報収集力と、意識の高さをはかる目安となり得た。
漫画やアニメの評論家として知られる顔は、殆んど見あたらなかったのだから、やっぱりな、と言う印象である。
帰りに一階展示ロビーで行われている

おおやちきの世界展

~伝説の漫画家、『りぼん』『ぴあ』からイラスト、パズルまで~

2/14(木)~3/3(日)

を観てから帰る。
永遠の少女まんが展に比べ、今回は見応えを感じた。
一人の作家の足跡をきちんと掘り下げることが出来ていたからだ。
おおやちき先生について、故・米沢嘉博さんの本が展示されていた。
米沢さん以外、未だにきちんとおおやちき先生の作家性を、誰も把握出来た研究者が育っていない哀しい現実を痛感した。


三連休の中日である昨日、私は前から大変興味のあった三つの展示会を観に行きました。

その一つが、偶然にも今日の日本経済新聞の文化32面にも取り上げられています。

挿絵で描く人間の本性

◇新聞や週刊誌で作家と組み67年、今も現役◇

濱野彰親


挿絵画壇の重鎮

濱野彰親展

モノクロームへの眼差し
ー人間の本性を暴くー

弥生美術館



2013年1月8日(火)~3月31日(日)

濱野先生に会えるチャンス!ギャラリートーク&サイン会

1.2月10日(日)14:00~
2.3月17日(日)14:00~
3.3月24日(日)14:00~

本日の画像は、記事が掲載されている新聞記事をベースに弥生美術館のチラシと、展示会に併せ株式会社ラピュータから発売され、サインを入れて貰った

濱野彰親挿絵原画集
モノクロームへの眼差し

松本品子・編。
定価(本体2800円+税)

私は、午後2時過ぎに弥生美術館に到着。

来館者でフロア一杯の会場の末席で、濱野先生を交えた学芸員のギャラリートークを聴いておりました。

老若男女、とても幅広い参加者。

小松崎茂先生門下の根本圭助先生にも、会場で久々に挨拶出来たし、2006年から『SFマガジン』(早川書房)連載の「SF挿絵画家の系譜」を【SF挿絵画家の時代】(本の雑誌社・2012年)として単行本にまとめて話題の大橋博之さんからは、消費税分をサービスしてもらい、著書を直接購入。
定価(本体1800円+税)。
この本については、私のお薦めの一冊なので、後日改めて紹介したい。

一時間弱のギャラリートークの後、始まったサイン会。

売店で本を購入し、濱野先生から本にサインを入れて貰った後、隣接する竹久夢二美術館で学芸員のギャラリートークに参加。

"見知らぬ世界"を求めて

旅人・竹久夢二

ー旅、恋、異国への憧れー

2013年1月8日(火)~3月31日(日)

◆学芸員によるギャラリートーク◆

1.1/13(日)午後3時より
2.2/10(日)午後3時より
3.3/10(日)午後3時より

弥生美術館と竹久夢二美術館は、二館併せて入館料一般900円、大・高生800円、中・小生400円でご覧頂けます。
*高畠華宵の常設ルームも併せてご覧いただけます。

竹久夢二美術館のギャラリートーク参加者は、いつも女性の方が多いイメージ。

テーマを決めて毎回展示内容を変えているため、何度観に行っても興味深い。
私が初めて竹久夢二美術館に行ったのは2000年以降。
その時から収蔵作品も増えているのだろうが、もうすっかり見慣れてしまった物もある。
企画展毎、年4回、12年だとすると48回弱は訪れた計算になる。
竹久夢二が、庄内酒田に滞在したことは知っているが、今回、私の父の故郷である庄内鶴岡にも滞在していたこと、同じく銚子でのエピソードが有名だが、私の母の故郷の隣町である潮来へも滞在していたことが興味深かった。
晩年、横浜から船に乗って外遊したりと、画家よりも旅人としての先人であった夢二に、私は寅さんにも似た親近感を憶えたのだ。

昨夜のBSフジの番組「名画と歩こう 竹久夢二・長崎十二景を巡る」では、夢二好きで知られる女優の緒川たまきさんと共に、竹久夢二美術館の学芸員の石川さんが解説のため、出ていたようだ。
近年、竹久夢二研究家として、学芸員である石川さんの外部での活躍もめざましい。

ギャラリートークを終えた後、濱野彰親先生夫妻を交えて、隣の喫茶港やで、日本出版美術研究会の会合と情報交換会。
私は、2002年からここのメンバー。
大橋博之さんには、2006年にこの会合で初めて会った。
年は私より八歳上だが、私のメジャーデビューが2001年なので、私の方が随分早くなる計算だ。
著書の中で小松崎茂先生や、濱野彰親先生、根本圭助先生など総勢七一名取り上げているが、小松崎茂先生に直接長時間インタビューするチャンスにだけは、残念ながら恵まれなかったようだ。
私は、【少年画報大全】監修後直ぐの2001年夏に、東京ドームホテルにて、初対面となる中一弥先生、伊勢田邦彦先生、濱野彰親先生、そして根本圭助先生と夕食を御一緒する幸運にも恵まれている。
探し続けている本を手に出来る幸運や、憧れ続けている作家さんに直接逢える幸運、共に一期一会の場合がある。

昭和時代を代表する300人弱の漫画家さん、絵物語作家さん、挿絵画家さんの図版を取り上げ、その中から小松崎茂先生を始め、上田トシコ先生など10人の作家さんのインタビューを収録した【少年画報大全】(2001年・少年画報社)を監修する幸運は、昭和時代の漫画史研究家として、これに勝るものは今も見当たらない。

さて、港やを後にした私は、一人のらくろ館のある森下文化センター

【永遠の少女マンガ展】

へ向かう。

今日が最終日なので、昨日のうちに観ておいたのだが、クオリティーが高くて評判の美術館の展示を立て続けに観た後のためだろうか?期待に反してどうしても見劣り感が否めない。

評判の高い名著を買って読んだ後、アクセス数の多い人気ブログを読んだような気分にさせられた。

プロとアマ、前座と真打ちの実力の違い、順番が逆だったらまだ良かったのかも知れない。

原画の展示と、原画ダッシュの展示素材については一級品なので文句無し。

無料で読める少女マンガも、下手な漫画喫茶より素晴らしい充実ぶり。

だが、今回の展示会のための美術館の図録や書籍にあたるもの、少女マンガに対する愛情や志が足りないような気がするのが残念で仕方ない。

私が学生だったなら、文句なしの内容だが、プロの漫画史研究家の視点からすると、泣いて馬謖を斬る、苦言を呈さざるを得ない展示内容だ。

無料の漫画喫茶に、ドリンク代わりに貴重な原画が展示されている贅沢で素敵な空間、それが私の印象の全てだ。

故・米沢嘉博さんの遺志を継ぐような正統な少女漫画史研究家の長き不在、及び、美術館、博物館の学芸員ではないスタッフのみしか展示に関わっていないことが、心から悔やまれる展示内容だ。
せっかくのチャンスだったのだから、今出来ることはもっと沢山あったはずなのに。(涙)


2013年1月29日、文化庁は国立国会図書館の蔵書データを大日本印刷が電子書籍の形にして、紀伊国屋書店の電子書店を通して無料配信する実験を、2月1日から3月3日まで行うと発表した。

配信対象の13作品※かっこ内は出版年

浪花禿箒子著、石川豊信画「絵本江戸紫」(1765)
住吉内記写「平治物語絵巻 第一軸」(1798)
グリム著、上田万年訳「おほかみ」(1889)
竹久夢二「コドモのスケッチ帖 動物園にて」(1912)
芥川龍之介「羅生門」(1917)
芥川龍之介「河童」(1927)
酒井潔「エロエロ草紙」(1930)
柳田国男「遠野物語」(1910)
夏目漱石「硝子戸の中」(1915)
永井荷風「腕くらべ」(1918)
宮沢賢治「春と修羅」(1924)
宮沢賢治「四又の百合」(1948)
写真絵本「きしゃでんしゃ」(1953)

やはり、今年の出版界を読みとくキーワードは、温故知新と電子書籍のようだ。
著者が故人となった出版物の電子書籍化実現には、様々な困難が伴う。
近年では、今回のリストにも名前がある明治の大文豪・夏目漱石の遺族、親族同士による利権をめぐる確執と争いが、マスコミやネットを騒がし物議を醸したことも記憶に新しい。
作品の素晴らしさと、作家の人格は別であり、更に作家の遺族と出版交渉をすることは、非常な困難を伴うことがあるのが事実である。

その為だろうか?

昨今の出版不況に伴い、昭和時代の漫画史を代表する名作漫画の復刻については、現在、ごく一部の有名作家の作品を除き、大手出版社による商業出版の道は、ほぼ閉ざされた状態が続いている。

在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、現状を憂い続けていました。
国会図書館や、膨大な蔵書量を誇る関西・関東にある有名マンガ図書館に比較すると、一個人の蔵書数二万冊というのは、蟷螂の斧のごとくあまりにも儚い僅かばかりの蔵書量に過ぎないのかも知れません。
けれども、日本の昭和の漫画史を代表する名作アーカイブの確立、復刻事業の礎となるために、粉骨砕身精一杯努力し、頑張っていきたいと常日頃から考え続けていました。
昨年の秋口、私は大日本印刷の電子書籍に対する真摯な姿勢に共感し、微力ながらも株式会社パインウッドカンパニーを通じて、慎重に作品の検討、選択をし、統一定価525円にて、2013年1月28日より一足早く次の作品の復刻、電子書籍化出来たことを正式に発表します。

配信対象の五作品※()内は連載年。

上田トシコ「フイチンさん1」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん2」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん3」(1957~1962年)
上田トシコ「ぼんこちゃん」(1955~1962年)
上田トシコ「お初ちゃん」(1958~1969年)

以下、続々と電子書籍化予定です。


田河水泡・のらくろ館特別展

「永遠の少女マンガ展」


会期:2013年1月19日(土)~2月11日(月・祝)※1月21日(月)2月4日(月)は休館

時間:午前9時~午後9時

会場:森下文化センター一階展示ロビー【入場無料】

東京都江東区森下3ー12ー17

TEL03(5600)8666

主催:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団
江東区森下文化センター

■原画'(ダッシュ)

出展作家

松本かつち゛、上田としこ、わたなべまさこ、今村洋子、高橋真琴、巴里夫、水野英子、牧美也子、あすなひろし、北島洋子、上原きみ子、竹宮惠子、佐藤史生、花郁悠紀子

■三原順原画展示

■編集者・小長井信昌の仕事

小長井さんが、長年、編集者・編集長として関わってきた美内すずえさん、和田慎二さん、成田美名子さんのカラー原画や作品等も展示します。

■田河水泡と弟子たち

「のらくろ」の作者として有名な田河水泡は、戦前、『少女倶楽部』でも作品を発表しています。
本展では、水泡の作品を展示するとともに、弟子である、長谷川町子さん、倉金章介さん、永田竹丸さん、山根赤鬼さん、山根青鬼さんたちの少女マンガ作品を紹介します。

■おことわり

株式会社パインウッドカンパニーでは現在、昭和を代表する少女マンガのアーカイブ化事業に取り組んで来ました。

先ずは上田トシコ先生の代表作【フイチンさん】【お初ちゃん】【ぼんこちゃん】の三作品をコミックパークからオンデマンドで販売。


大好評につき、三作品全てを電子書籍化し、2013年1月28日より定価525円にて販売を開始致しましたので、併せて購入を御検討いただけましたら幸いです。

また、少女まんが史を理解する上において、私は二上洋一先生が残された【少女まんがの系譜】(ぺんぎん書房)の入手をお薦めしたい。
発売後、直ぐに出版社が倒産の憂き目に遇ってしまいましたが、二上洋一先生こと、集英社の名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する深い愛情が伝わってくる一冊です。
「西の新井善久(講談社)、東の山本順也(小学館)」と云われる少女まんがの名編集者の歴史において、第三の男とも言うべき集英社を代表する少女まんがの名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する考え方が理解出来る一級品の資料です。
今日的少女まんが史研究の視点からすると、別人の手による巻末のデータベースの不備、未成熟度は、その時代における少女まんが史研究最前線の遅れを顕著に示しています。
米澤嘉博さん亡き後の、正当な少女まんが史研究家の長き不在。

私共、株式会社パインウッドカンパニーでは、これからも絶版のため、長らく入手困難だった昭和の少女マンガ史を代表する名作群の電子書籍化に取り組んでまいります。

少女マンガ史を代表する名作群を、実際に読みこむことによって、一日も早い実証的な少女まんが史研究家の登場が待ち望まれます。


以下の文章は、今年の二上洋一先生の命日に際しての私の思いを再録しましたので、参考までに。


2009年1月16日、私が大変お世話になった二上洋一先生が亡くなられた。享年71歳。

鮎川哲也監修、芦辺拓編【少年探偵王】(2002年・光文社)の目次をみると、はじめに 芦辺拓、秋山憲司「回想の乱歩・洋一郎・峯太郎」、二上洋一「吸血魔」解説、山前譲 鮎川哲也氏の年少者向け推理小説、本間正幸「ビリーパック」解説、解説 僕らも少年探偵団!

とある。

私と二上先生の名前が一緒に出てくる最初の本だ。

【少年画報大全】(2001年・少年画報社)監修後、当時フリーの編集者だった中野晴行さんの紹介により、芦辺拓先生と御逢いできた私は、芦辺先生の依頼により、光栄にも漫画【ビリーパック】の解説者に大抜擢してもらった。

その後、【少年画報大全】監修の実績により、弥生美術館の日本出版美術研究会へ学芸員以外の研究者では、最年少で私の入会が認められ、会合の時に長老格の二上先生に初めて御逢いすることが出来た。

二上先生は、当時出版関係者の間でのみ高い評価を受けていた【少年画報大全】を発売と同時に購入していただいていた。

そして、親子ほど年の離れた漫画史研究家として、まだメジャーデビューしたての私の才能を、いち早く見極めてくれていた。(実際、二上先生は私の亡き父より一歳年下だったので、酒好きの父が生きていたなら二上先生と同じくらいの年頃になるんだろうな。)

プロの評論家として活動するには、文章が下手だが、新たな分野のパイオニアとなる漫画史の研究者としての才能なら突出していることを見抜いてくれていたのだ。

そして、現在の一億総評論家時代の到来に伴い評論家の肩書きや、大学教授、大学講師の地位待遇が今のように凋落してこそ初めて、在野にいる数少ない漫画史研究家としての私の稀少価値が認められるようになり、活躍する場も増える筈だが、その時が訪れるまではまだまだ時間が掛かることも予見されていた。

私は、二上先生から将来、漫画史研究家のパイオニアとして活動するための覚悟や心構え、人としてのあり方を学ぶようになり、少年小説研究について師事するのだが、師事した矢先に二上先生は急逝されてしまった。

だが、私の手元には、二上先生の残された著書がある。

スタッフとして関わられた【少年小説大系】の膨大な作品群(昨年やっと全巻購入出来た)がある。

私は、二上先生から直接、少年小説大系に懸けた情熱を何度も何度も繰り返し聞くことが出来た。

後は、私自身の才能と努力の問題である。

街頭紙芝居の研究や、無声映画時代の映画やアニメーションについては、マツダ映画社に、我が師匠である故・松田春翠先生が終生情熱を持って集められた膨大なフィルムが残されているので、毎月の無声映画鑑賞会に参加して、私は自分の才能と、独自の視点を持って研究を進めればよい。

漫画史研究家である私が、師事し最も影響を受けた人物は、マツダ映画社を創立し今日まで残る無声映画の発展普及に尽力し続けた故・松田春翠先生と、少年小説大系編纂に関わった故・二上洋一先生の二人である。
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今夜も【ビブリア古書堂の事件手帖】風ネタ? 【サザエさん】単行本の秘密

2013-03-12 23:55:35 | 「金魚屋古書店出納帳」芳崎せいむ
昨日は3月11日。

テレビや新聞、Twitter、facebook、blogなどで、多くの心ある人達が2011年3月11日に亡くなられた方の追悼、被災者の方の暮らしの支援、応援されている様子が紹介されていました。

2011年3月11日以前から、ブログで人々への愛を語っていた慈悲深いはずの匿名の女性が、震災後何もしなかったり、被災地である岩手県山田町出身のネットストーカーが、故郷の復興のために何も協力せず、震災後も私・本間正幸のブログに対する誹謗中傷を繰り返して、アメーバブログを9回も強制退会させられても復活していたり。

被災地に縁や所縁があり、被災地の復興のために頑張っている人達。

被災地に縁や所縁がなくても、被災地の復興のために頑張っている人達。

被災地に縁や所縁があるのに、そのことを隠し、被災地の復興のために何もせず、他人への不平不満で日々を過ごすオジサン、オバサン達の哀れな末路。

被災地に縁も所縁なく、日々変わらず過している多くの人達。

人生いろいろ。

全ては因果応報であり、自業自得な人間模様がある。

さて、今夜はBS-TBS

関口宏の風に吹かれて「世界に飛び出した日本の漫画の風(後編)」が放送された。

藤子ファンお馴染みのラーメン屋、松葉で収録された

「藤子不二雄@とマンガ座談会」。

前半に明治大学米沢嘉博記念漫画図書館が少し紹介されたが、私には後半の藤子不二雄@先生を囲んで漫画の創作現場にいる当事者たち、海外からの留学生、編集者などの座談会が一番興味深く楽しむことが出来た。

そして、日本テレビ開局60年特別番組【ビートたけしの超訳ルーヴル】有名美術館の楽しみ方提案

見応えがあった。

ルーヴル美術館に比べて、日本が世界に誇るはずの漫画の保存、展示の現状のお粗末さはいかがなものか?

さて、昨日は神田の老舗古書店、中野書店 在庫だより【漫楽93号 MANRAKU】が、自宅に届いた。
今回はA4判24頁579点を紹介、大判総天然色目録なので見応えあり。

気になったのは

「35.サザエさん 長谷川町子 姉妹社」の紹介の仕方。

「1巻~14巻(昭和20年代)・15巻~68巻(年代まちまち)
重版 カバーヤケスレ切 ヤケ シミ スレ 評価3・レア度4 ¥84000」

として、一巻の表紙と、18~38巻の背表紙の写真が紹介されているのだ。

私なら単行本の背表紙は、今日の画像のように紹介する。

【サザエさん】姉妹社の単行本には、コレクターにしか判らない秘密が隠されている。
先ず、初期単行本の装丁が違う。
カバー無しの特殊な装丁で、背表紙のデザインが違うのだ。
昭和40年代にカバー付きの普通の装丁にデザインが変わっているため、気付いてない人が一般的のようだ。
どうせ目録に背表紙の写真を載せるなら、此処を載せるべきではないだろうか?
また、【サザエさん】の奥付けから、初版なのか再版なのかを見極めて、初版だけを集めるのも難しい。
私が所蔵する【サザエさん】は、旧装丁で揃え、新装丁に変わって刊行された部分も含め、後半の殆んどは初版であり、初版の特定の仕方も私は知っている。
【サザエさん】の単行本には、初期を除き再版の記述がない。
驚くべきことに、テレビ化されてからの後期単行本は、新刊が出る度に増刷されていたようなのだが・・・。
また単行本の一巻は、初版だけB5横版のため、全然売れなかったのは有名な話だが、実物が殆んど残っておらず、古書漫画を集めてから35年以上の私も未だに持っていない稀少本になる。



さて、今夜の

【ビブリア古書堂の事件手帖】

「真犯人はビブリアにいる」

に出てきた

「たんぽぽ娘」

の話なのだが、子供の頃に読んだ石森章太郎先生の短篇

「昨日はもうこない だが明日もまた・・・・・」(初出『少女クラブ』(講談社)1961年お正月臨時増刊号)

の元ネタのようだ。

私は【竜神沼】(朝日ソノラマ・1967年)に収録されたこの短篇を、10代の思春期の頃に読んでいたので、タイトルから内容まで今も鮮やかに憶えており、部屋の本棚から、読んでいたその本も直ぐに見つかった。
タイムトラベラーの少女のように、30年後の未来へ私もタイムスリップしてきたようだ。
漫画の本は、私にとってのタイムマシン。
初めて本を手に入れ、夢中になって読んだあの頃の幸せだった時代へ誘ってくれる。
今夜は、30年ぶりに【竜神沼】を読んで、幸せな昭和時代へ時間旅行することにしよう。(*´∀`)♪


2月27日(水)の夜は、毎月恒例となる無声映画観賞会。
第655回は生誕120年・没後30年、片岡千恵蔵特集

日暮里サニーホール・コンサートサロン初登場となる坂本頼光さんによる

【男達ばやり】(昭和三年)

と、ご存じ日本を代表する活動弁士であり、我が師匠である故・松田春翠先生門下の姉弟子である澤登 翠さんによる

【放浪三昧】(昭和六年)。

共に千恵プロ作品で、稲垣浩監督作品。

【放浪三昧】脚本の伊丹万作さんは、故・伊丹十三監督のお父さんだ。


翌、2月28日(木)は、午後から新富町にあるパインウッドカンパニーの事務所にて、製作会社のスタッフと、4月1日放送予定の地上波テレビ特番の企画会議。

アイディアは沢山出したけど、どうなることやら。

漫画の出版、テレビ番組の企画など、採用されるのはごく僅かなのです。

さて、打合せが終わってから直ぐに中野駅徒歩10分となるアクターズ・ステーションアカデミーで開催されている


「ゴジラのトランク」出版記念
【ゴジラのトランク展】へ。

主催/本多猪四郎記念財団
共催/株式会社 本多フィルム
後援/鶴岡市
協力/黒澤プロダクション、宝島社、NPO法人 森と水、湯殿山 注連寺

世界に誇る傑作「ゴジラ」を生んだ巨匠・本多猪四郎。
彼の死後開けられることのなかった遺品のトランク。
そこには未発表の脚本や手紙など往事をしのぶものがつまっていた・・・・・・。

今、明かされる日本映画界の秘話の数々。

〈日時〉
2月28日~3月31日(PM1時~5時)

〈場所〉
東京都中野区中野1-55-3 フェリス・アクターズ・ステーションビル1F

〈連絡先〉
電話:03-5989-1565 FAX:03-5989-1566

〈展示内容〉
NHK BS プレミアム ドキュメンタリー番組「イノさんのトランク」や、読売新聞で紹介された黒澤明氏の手紙をはじめ、写真、日記、黒澤作品の演出補佐を務めた晩年のスケッチ。
本人が使用した台本、絵コンテ、ポスター、撮影スナップ等の作品関連資料。
生誕の地、山形県鶴岡市注連寺写真など、その他、インタビューVTRの上映、ゲストによるトークショー(毎週日曜日PM5~6時)限定パンフレットやグッズ等の販売

■「ゴジラのトランク展」は日本各地、世界各国を巡回する予定です■

日本:鶴岡市(平成25年5月・上映会あり)気仙沼・伊勢市・広島市・世田谷区

世界:ネパール・タイ・ベトナム・中国・韓国・アメリカ(シカゴ・ニューヨーク)

http://www.g-trunk.com


2月28日は、本多猪四郎監督20年目の命日。

17:00より19:00までの内覧会終了後、「本多猪四郎を偲ぶ会」が開催された。

私の父の実家は、山形県鶴岡市にあり、庄内地方に数多くある本間家の中でも由緒正しき指折りの旧家。
ごく最近、ネット上でも酒田の本間家は、我が下川の本間家から分かれたとの記述が出てきて、私自身驚いている。
従兄弟の代で10代目となる父の実家からの分家はいくつもがあるが、本間ゴルフの創業家と、父の実家は一切無関係なので、そこんとこよろしく。
光栄にも鶴岡つながりで、私の所にも招待状が届いたのだから嬉しい限り。
戦前までの大地主として知られる本間家、本間光丘、本間宗久一族の末裔は、【おしん】のドラマとは違って、今も昔と変わらず庄内地方では地元出身の人達に慕われる名門の一族、先祖に感謝なのです。(*´∀`)♪

さて、内覧会では、特撮映画関係のライターとして第一線で活躍されている方に、才谷さんのふゅーじょんぷろだくしょんの花見会場で初対面以来、14年振りに挨拶して名刺交換。

facebookでは、新たに友達承認していただきました。

Twitter上では、既にフォロー、フォロワーの関係、特撮映画業界において、永年着実に仕事を続けている方です。

また、旧知のスタジオジブリの方とも挨拶。

同じ花見の会場で知り合ってから、東京国際アニメフェア会場で、良く御逢いします。

今回は、特撮博物館での関係で、挨拶にいらしていたようです。

内覧会に6時頃に到着した私が、御会いして挨拶出来たスタッフ以外の旧知の方は二人だけ。

展示内容は、無料としては十分に魅力的なもの。
関連書籍やグッズの販売も嬉しい。
私のお奨めは、

【ゴジラのトランク】(宝島社・2012年)1300円+税は勿論のこと、

何と言っても会場限定販売の貴重な特大サイズのパンフレット2000円

「ゴジラの父」生誕100年記念に復刊!された【「ゴジラ」とわが映画人生】本多猪四郎(ワニブックス・2010年)800円+税など。

Tシャツは、LとXLの2サイズで3000円くらい。

予算と好みにあわせて是非この機会に大人買いを。

さて、会場を移して行われた偲ぶ会。
本多監督の奥様である96歳の本多きみさん、長男である本多隆司さん親子を囲み、俳優の佐原健二さんの献杯の挨拶、夏木陽介さんの姿など、【ゴジラ】をはじめとする東宝特撮映画、及び【ウルトラQ】ファン、青春学園ドラマファンであり、庄内鶴岡と縁が深い特撮や映画の研究者である私が、この偲ぶ会に招待されたということは、とても感慨深いものがありました。
限定パンフレットには、

「一般財団法人本多猪四郎記念映画文化振興財団では猪四郎の功績をたたえ、彼の悲願である世界平和と科学と人間の共存共栄を祈り、注連寺のさらなる発展を願い、山形県鶴岡市注連寺に記念碑の建立を企画しております。(後略)」

と、あります。

私の父や親族が、先祖代々心から愛し続けた故郷である庄内鶴岡の地に、日本を代表する偉大な映画監督の一人である本多監督の記念碑が出来る過程に立ち会えるなんて・・・。

漫画史研究家としての私の人生は、波瀾万丈、日々ドラマチックに過ぎて行くようです。

ブログやfacebook,Twitterなど、日々の暮らしの様子は、ネット上に正しく記録されていきます。
2001年夏の【少年画報大全】発売以来10年以上に渡り、妬みや嫉みからなのか、私に対する根拠や証拠のない誹謗中傷、悪い噂を流す連中が漫画評論家たちの中には根強くいるようです。
私は、嘘をつくこと、上から目線で根拠や証拠のない発言をする評論家や偽善者が大嫌いなので、思ったことや考えていることなど、証拠を添えてそのまま発言しています。
人と人との出会いは一期一会。
良縁は良縁を呼んでいきますし、悪縁は悪縁を呼んでしまいます。
悪縁は絶ちきり、これからも良縁だけを大切にしていきたいですね。
おおやちきの世界展や、電子書籍など、本日三月三日で終了するおすすめの情報など再録しておきますので参考までに。

漫画史研究家

本間正幸



【ビブリア古書堂の事件手帖】

先週から引っ張った【晩年】のエピソード、復刻本がキーとなるのは、残念ながら私には、途中から見え透いてしまっていた。
何故なら、本物のコレクターなら、復刻本を二セット以上持っていることなど日常茶飯事。
昨年、秋田書店から発売された完全復刻本【沙漠の魔王】については、高額本ながらも最近は貧乏に甘んじている私でさえ、実際に二セット購入しているのだから。
古くからのコレクターなら、大切な本は一冊は永久保存用、二冊目は閲覧、貸出し用、三冊目は、交換、転売用として購入するのが基本だ。
古書の場合、経年劣化により其々保存状態が異なるので、状態が悪い物を高額で購入した後、比較的状態の良い物が安価で市場に出回っていたら、再度購入してしまうのがコレクターの本能。
私も、お気に入りの本や雑誌『COM』全巻セットや【カムイ伝】連載中の『ガロ』については、複数所持している。
さて、今回のエピソード

#07「複数の真実」

において、古書漫画の最高峰、足塚不二雄の【UTOPIA 最後の世界大戦】が遂に登場した。
私の得意分野、いや、専門分野となるので、番組の解説を補足したいと思う。

【UTOPIA 最後の世界大戦】

に高額な値付けをしたのは、みなさんご存知の中野のまんだらけ、古川益蔵さんである。
漫画古書専門店としては、神田神保町の中野書店が業界の皮切りとなる。
続いて現代マンガ図書館が1978年秋にオープンした際、年四回の即売展が活況を呈した。
私は、小学生の頃から、横浜鶴見より、神田神保町にある中野書店に通った。
直ぐに早稲田にある現代マンガ図書館がオープンとなり、オープン記念の即売展から駆けつけたのだから、古書漫画コレクターとしては、当時最年少の部類であり、35年以上のキャリアを持つ時代の証言者と充分成り得るだろう。
当時まんだらけは、まだ全国区ではなく、現代マンガ図書館の即売展においては、奥野さんの観覧舎と同じく一参加店に過ぎなかったのが私の印象だ。
駿台予備校の浪人時代、予備校での友達で上杉家の末裔だと言うN君が(私の先祖の本間光丘は、上杉鷹山に大名貸しをしているのも何かの縁だろう。予備校の友達の間では日本史の授業で大ウケとなった)中野に住んでおり、中野に凄い古本屋があると教えられて通い始めたのが1985年。
それまでは、鶴見の西田書店、蒲田の龍生書林、三軒茶屋の喇摩舎、神田神保町の中野書店、早稲田にある現代マンガ図書館の即売展が、主な私の縄張りだったし古書漫画の購入先だった。
まんだらけの快進撃は、【UTOPIA 最後の世界大戦】の値付けに始まる。
次に写真付きの分厚い古書漫画目録を発行したのも、革新的なアイデアだったし、コスプレ店員なども、マスコミの注目を集めた。
年四回の古書漫画即売展で、年間の運営費を稼いでいた現代マンガ図書館は、オープン時に全国から善意で寄贈された本でダブリの分の転売が底を尽き(大切な本を寄贈された方の善意を何と思っていたのだろう)、即売展参加料のマージンの高さと、売上げに対して納入する歩合の高さから、まんだらけ始め主要古書店の参加が次第に少なくなり、現代マンガ図書館での古書漫画即売展の人気が凋落してしまったのは、内記さんの古本屋としての人間性が全ての原因であるため自業自得としか言いようがない。
扱う古書漫画も、貸本上がりで酷く保存状態が悪い物でも、タイトルだけで高値がついていたため、どうせなら、状態が良い物を欲しいと考える新書本コレクターたちが増えるようになると、敬遠されるようになっていったし、私の足も遠のくようになった。
テレビ東京の【開運!なんでも鑑定団】での古川さんのレギュラー出演も、古書漫画収集に人気を呼んだし、古書漫画に驚きの高値が付くことを一般人にも広く知らしめたため、現代マンガ図書館に貴重な蔵書を寄贈する人は激減、せっかく寄贈した本を売るくらいなら返してくれと抗議した人もいたが、その時には既に売却済みだったようだ。

さて、【UTOPIA 最後の世界大戦】が展示中に盗難にあったという事実は、古川さんの著書にも書かれているし、未だ犯人も、盗難された本も出てきてはいない。

そのエピソードを、絡ませているところに、今回の話の面白さがあった。

【UTOPIA 最後の世界大戦】には、完全復刻版がある。

名著刊行会から限定一千部で昭和56年に発行された物と、2011年に小学館クリエイティブから発行された物。

鶴書房から発行された【UTOPIA 最後の世界大戦】のオリジナル本は、市場価格300万前後となっているので、私は名著刊行会から発行された復刻本シリアルNo.0638番で満足している。

名著刊行会から発行された復刻本でさえ、一時期2~3万のプレミアがついていたが、新しい復刻本が出回ったのでもう少し安くなっているだろう。

さて、新しい復刻本が出る前段階で、私が直接関わった驚くべきエピソードをここで初披露しよう。

平成18年1月から逓信総合博物館で

松本零士コレクションでつづる
「漫画誕生から黄金バットの時代」展
において、企画段階から版権処理に深く関わっていた私は、【UTOPIA 最後の世界大戦】と【沙漠の魔王】【正ちゃんの冒険】の展示に執着した。
中でも、当時、藤子不二雄時代の共作は全て絶版となっており、【UTOPIA 最後の世界大戦】の展示は、博物館の関係者誰もが、絶望視していた。
私は、駄目で元々の気楽な立場だったので、先ずは旧知である@先生サイドのマネージャーさんに連絡を取って相談してみる。

「【少年画報大全】で、@先生に【怪物くん】のインタビューをさせてもらって大変御世話になった研究者の本間です。
今度、逓信総合博物館で、企画展があり、そこに松本零士先生が所蔵する【UTOPIA】を展示したいんですけど、
難しいですよね。」

すると、直ぐに二つ返事で

「いいわよ。」

「えっ、大丈夫なんですか。」

「そんなに、変なことに使ったりするんじゃないでしょ。だったらいいわよ。向こうの担当者にも、きちんと許可を取ってね。」

私は、吃驚してしまった。
直ぐにF先生サイドに連絡を取る。

「うちはいいですけど、@先生側が何というか。」

「今、MさんにはOK貰えたんですよ。」

「えっ!本当ですか?だったらうちもOKですから。」

私は、この時、日本中の誰よりも一番早く藤子不二雄先生の共作が、再び復刻される日が来ることを予見したのだった。

藤子不二雄作品の初期単行本や、附録など、撮影でどうするのか興味深々だったが、ビブリアで買い取って売ってしまったとするなど、古書コレクターだけでなく、古書店主の性質も綺麗事だけでなく見事に真実を描いている。
現代マンガ図書館の内記稔夫氏が、寄贈された本を即売展で売っていたことは、あまり語られていない気がするが、紛れもない真実である。
古書店主は、お客さんの足許をみて買取りをした。
コレクターが死後、本の価値を何も知らない遺族が本を処分するとなると、二束三文の値を付けて買い叩いてくる。
町の古本屋が廃れてブックオフが一挙に流行った理由として、単純明快な買取り方法があげられる。
さて、【ビブリア古書堂の事件手帖】に類似する先行作品だった芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】の掲載誌が少年画報社から小学館に変わって【金魚屋古書店】となったことにより、作品のクオリティが落ちてしまったことがある。

【金魚屋古書店】第6巻に収録されている第39話「古本のお医者さん」にて、【UTOPIA 最後の世界大戦】を取り上げているので、【ビブリア古書堂の事件手帖】と読み比べて貰えば作者の力量の違いが皆さんにも実感出来るだろう。
巻末お役立ちコラム金魚屋古書店雑記帳も、私には殆んど役に立ったことはない。
本来、作中に登場する作品の魅力を伝えるはずのコラムが、第1巻第4話の【ビリーパック】を始め、まるで機能していないようにすら感じられる。

コラムを担当する見ず知らずの田舎のオジサンが子供の頃に虐められていたことを知って、いったい何の役に立つのだろうか。

「そしてビリーのハンサムな顔立ちが人気の秘密だった。」

とあるが、作者である河島光広先生は、単行本初版の作者の巻頭の言葉にて
-この本をごらんになるみなさんへ-

ビリー・パックは、アメリカ人のおとうさんと、日本人のおかあさんとのあいだに生まれた、混血児というかわいそうな運命をもった少年です。
しかし、おとうさんのおしえをよくまもり、世の中にはびこる悪い人たちをこらしめるために、どんなにおそろしい敵にも、ゆうかんにむかっていく、りっぱな少年なのです。
どうか、みなさんも、このゆうかんなビリー・パックを、おうえんしてやってください。

とある。
そう、当時の日本の都会では、混血児は差別の対象であり、ハンサムな顔立ちが人気となるのは、ほんの少し後のことなのだ。
当時の微妙な時代背景を、1948年生まれの田舎のオジサン一人の思い込みだけで語られてはたまらない。
【赤胴鈴之助】は、孤児の少年が日本一の少年剣士を目指すことに共感され、【ビリー・パック】は、アメリカ帰りの混血児で孤児の少年探偵が、悪漢相手に正義の戦いをすることに共感されたのが人気の秘密だったのだ。

「突然の病で急死。作品は弟子の矢島利一に引き継がれる」

河島先生は、【ビリー・パック】連載開始当初から、肺結核のため名古屋の自宅二階のベットで寝たり起きたりの状態だった。
長期の闘病生活の後、30歳の若さで急逝される。
突然の病で急死などではない。
矢島利一先生は、街頭紙芝居からのキャリアを持ち、『少年』で【遊星王子】のコミカライズ連載を担当している。
病気がちな河島先生のアシスタントを務めたが、弟子であったという話は聞いたことがないのだが・・・。
因みに、最初のアシスタントは、福元一義先生となり、代筆をしていることが広く知られている。
実際の【ビリー・パック】について詳しく知りたい方は、

【少年画報大全】(少年画報社・2001年、現在三刷)

【少年探偵王】(光文社文庫・2002年)

【『少年画報』誕生60周年記念復刻】「赤胴鈴之助」「ビリーパック」「まぼろし探偵」3冊セット(少年画報社・2007年)

【明治・大正・昭和の大衆文化-伝統の再創造はいかにおこなわれたか-】(彩流社・2008年)

【少年画報】昭和35年正月号完全復刻(少年画報社・2010年)

をご覧いただければ幸いです。
単行本完全復刻に際しては、私が所蔵する初版の本をバラして原本としましたので、先程ご紹介した作者の言葉も確認出来ます。
其々【ビリーパック】に関する解説なども、全て漫画史研究家である私が関わっていますので間違いはありません。
先程の田舎のオジサンや、編集部の担当者が、もし、この中の一つでも私の解説を読んでいたのなら、あそこまで酷いコラムが世に出ることもなかったと思うのですが、誠に遺憾としかいいようがありません。

【金魚屋古書店出納帳】がヤングキングアワーズ増刊12月号『アワーズガール』(平成12年12月2日発行)で初登場した際、私はこの作品に大いなる期待を寄せた。
少年画報社が満を持して創刊した

「こだわり少女のコミック誌オール新作読切14作」

伊藤潤二
今市子
波津彬子
犬上すくね

を別格に

篠原烏童/大沢美月/黒田硫黄/有元美保/芳崎せいむ/川原由美子/逆柱いみり/おがきちか/小石川ふに/佐々木久美子

の中、伊藤潤二先生目当てでこの雑誌を手に入れた私に、未だ名前すら知らなかった芳崎せいむ先生の才能の煌めきを感じさせてくれた。
だが、掲載誌となる『アワーズガール』は廃刊となり、続く『アワーズライト』も廃刊。

小学館の『IKKI』に移ってからは、掲載誌を追うこともなくなり、単行本も古本屋でまとめて購入するレベルになってしまった。

ネット上で漫画史研究会を代表する論客という評判の伊藤剛をして

「芳崎せいむ【金魚屋古書店】に唾を吐け」

と言わしめたのは、漫画古書コレクターと古書店主の本質と真実を、全て美談にすり替えて描いていたことに対する正直な苛立ち、嫌悪感だったのだろう。
伊藤には、【ビブリア古書堂の事件手帖】の登場まで、【金魚屋古書店】の先行作品としての意義を見出だせることは出来なかったし、小学館の編集者も、せっかくの【金魚屋古書店出納帳】の持ってる世界観を【金魚屋古書店】では間違った方向性へと導いてしまったと私は考えている。

本来【金魚屋古書店出納帳】には、【ビブリア古書堂の事件手帖】より先に大ブレイクする可能性、魅力を秘めていた作品だったのだが、担当する編集部と作品の本質を見極めることの出来ない評論家の心ない発言によって、作品のレベルを凋落させてしまった感が否めない。
作品を生かすも殺すも、編集者や読者の存在が必要不可欠だが、上から目線の評論家の発言には、何の意味があったのだろう。
【ビブリア古書堂の事件手帖】大ブレイクの影響だろうか、伊藤剛は昨年、文化庁の委員の一人として【金魚屋古書店】を推薦漫画として評価する。
伊藤剛の鮮やかな変節ぶりは、批評家としての見事な処世術だったのだろうが、ネットが普及した現代において、ネットにおける過去の発言からも全ての真実と本心が見え透いてしまうのだからその特性を早く理解するべきだろう。

以上が【ビブリア古書堂の事件手帖】と、芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】と【金魚屋古書店】の違いに対する何のしがらみもない在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸の現在の評価です。

漫画史研究会を象徴する伊藤剛たち上から目線の発言のみで、何も生み出さない漫画評論家、批評家たちと、昭和時代の名作漫画の発掘による温故知新で、漫画界の復活を心より願う漫画史研究家の違い。
同じ漫画史を研究テーマにしていても、水と油、その人間性の本質は大きく異なっています。

なので、これを機会に

【漫画古書収集奇譚】

と題して、漫画古書に関して【ビブリア古書堂の事件手帖】に倣って、私がこれから電子書籍化したい名作に纏わる取って置きのエピソードの数々を、シリーズで語っていきたいと思います。

私の思想には、先祖から代々伝わるサムライとしての武士道の精神と、庄内地方で公益の祖として慕われる一族の先祖、本間光丘の輝かしい業績に対する誇りと本間家に代々伝わる家訓、明治学院大学で学んだ他者への貢献の精神が大きく影響しているようです。
直接師事した先生方、故・松田春翠先生、故・二上洋一先生、石森史郎先生、心の師匠である平山亨先生の中には、現在もその著書が全国書店で発売されている方もおりますので、是非、ご一読を。

facebook上で、私が交流している人たちも、大半はリアルな知人であり、信頼がおける人達となりますので、参考までに。(*´∀`)♪
以下は、先週の感想になります。


「脅されているんです、異常な男から」

良く出来たドラマだ。

古書を愛する人たち、マニア、コレクターの習性を見事に描いているが、実際の人たちのビジュアルを忠実に再現しなかったのが大正解。(笑)
私が知るマニアやコレクターたちも、大概は本に対して異常な執着心を持ち、知人ではあっても絶対に友人にだけはなりたくないと思わせるビジュアルとルックスである。
最近では、ホンジャマカの石塚さんと、伊集院光さんを足して2で割ったような一見善人そうに見える独特のビジュアルだけでなく名前まで隠してブログをやっており、私がブログを始める何年も前に、成蹊大学から共著として発表した漫画史に関して私が書いた論文の何ら根拠のない誹謗中傷を発売後直ぐにわざわざブログに書いていた。
そのコレクションにかける情熱の素晴らしさとは裏腹に、異常な執着心がブログの端々から伝わってくるのを本人も、交流している人たちもまだ誰も気付いてはいないようだ。
【少年画報大全】発売直後、少年画報社の編集部宛に、半分に引き裂かれ、意味の無い赤い線が多数書き込まれた【少年画報大全】が送られてきたことがある。
50代後半、定年退職間近だった添田善雄編集長は、編集者生活初めての体験に非常なショックを受けていたようだが、私は前述したように異常な行動をとるマニア、コレクターたちの生態を見聞、理解していたので、さほど驚くこともなかった。
古書業界では、『冒険活劇文庫』や絵物語、街頭紙芝居収集に対して、常軌を逸した行動をとるコレクターが存在するのが広く知られている。
だが、絵物語や戦後の少年少女雑誌における日本一のコレクターは、彼ではなく、銀座にある若山美術館のオーナー若山さんだろう。
若山さんには、私が【少年画報大全】を監修した際にも、快く資料協力していただけた。
前述の彼とは、当時から面識があり、協力依頼をしてみたのだが、真逆の対応独特の価値観に当時大変驚いた。
【少年画報大全】発売以降、私と彼との交流は一切ないのだが、ネット上では今も知人の如く彼のブログに私の著書の悪口まで書き込まれていたのだからたまらない。
マニア、コレクターの妬み、執着心、逆怨み恐るべし。(* ̄∇ ̄
おおやちきの世界展

~伝説の漫画家、『りぼん』『ぴあ』からイラスト、パズルまで~

2/14(木)~3/3(日)

を観てから帰る。
永遠の少女まんが展に比べ、今回は見応えを感じた。
一人の作家の足跡をきちんと掘り下げることが出来ていたからだ。
おおやちき先生について、故・米沢嘉博さんの本が展示されていた。
米沢さん以外、未だにきちんとおおやちき先生の作家性を、誰も把握出来た研究者が育っていない


三連休の中日である昨日、私は前から大変興味のあった三つの展示会を観に行きました。

その一つが、偶然にも今日の日本経済新聞の文化32面にも取り上げられています。

挿絵で描く人間の本性

◇新聞や週刊誌で作家と組み67年、今も現役◇

濱野彰親


挿絵画壇の重鎮

濱野彰親展

モノクロームへの眼差し
ー人間の本性を暴くー

弥生美術館



2013年1月8日(火)~3月31日(日)

濱野先生に会えるチャンス!ギャラリートーク&サイン会

1.2月10日(日)14:00~
2.3月17日(日)14:00~
3.3月24日(日)14:00~

本日の画像は、記事が掲載されている新聞記事をベースに弥生美術館のチラシと、展示会に併せ株式会社ラピュータから発売され、サインを入れて貰った

濱野彰親挿絵原画集
モノクロームへの眼差し

松本品子・編。
定価(本体2800円+税)

私は、午後2時過ぎに弥生美術館に到着。

来館者でフロア一杯の会場の末席で、濱野先生を交えた学芸員のギャラリートークを聴いておりました。

老若男女、とても幅広い参加者。

小松崎茂先生門下の根本圭助先生にも、会場で久々に挨拶出来たし、2006年から『SFマガジン』(早川書房)連載の「SF挿絵画家の系譜」を【SF挿絵画家の時代】(本の雑誌社・2012年)として単行本にまとめて話題の大橋博之さんからは、消費税分をサービスしてもらい、著書を直接購入。
定価(本体1800円+税)。
この本については、私のお薦めの一冊なので、後日改めて紹介したい。

一時間弱のギャラリートークの後、始まったサイン会。

売店で本を購入し、濱野先生から本にサインを入れて貰った後、隣接する竹久夢二美術館で学芸員のギャラリートークに参加。

"見知らぬ世界"を求めて

旅人・竹久夢二

ー旅、恋、異国への憧れー

2013年1月8日(火)~3月31日(日)

◆学芸員によるギャラリートーク◆

1.1/13(日)午後3時より
2.2/10(日)午後3時より
3.3/10(日)午後3時より

弥生美術館と竹久夢二美術館は、二館併せて入館料一般900円、大・高生800円、中・小生400円でご覧頂けます。
*高畠華宵の常設ルームも併せてご覧いただけます。

竹久夢二美術館のギャラリートーク参加者は、いつも女性の方が多いイメージ。

テーマを決めて毎回展示内容を変えているため、何度観に行っても興味深い。
私が初めて竹久夢二美術館に行ったのは2000年以降。
その時から収蔵作品も増えているのだろうが、もうすっかり見慣れてしまった物もある。
企画展毎、年4回、12年だとすると48回弱は訪れた計算になる。
竹久夢二が、庄内酒田に滞在したことは知っているが、今回、私の父の故郷である庄内鶴岡にも滞在していたこと、同じく銚子でのエピソードが有名だが、私の母の故郷の隣町である潮来へも滞在していたことが興味深かった。
晩年、横浜から船に乗って外遊したりと、画家よりも旅人としての先人であった夢二に、私は寅さんにも似た親近感を憶えたのだ。

昨夜のBSフジの番組「名画と歩こう 竹久夢二・長崎十二景を巡る」では、夢二好きで知られる女優の緒川たまきさんと共に、竹久夢二美術館の学芸員の石川さんが解説のため、出ていたようだ。
近年、竹久夢二研究家として、学芸員である石川さんの外部での活躍もめざましい。

ギャラリートークを終えた後、濱野彰親先生夫妻を交えて、隣の喫茶港やで、日本出版美術研究会の会合と情報交換会。
私は、2002年からここのメンバー。
大橋博之さんには、2006年にこの会合で初めて会った。
年は私より八歳上だが、私のメジャーデビューが2001年なので、私の方が随分早くなる計算だ。
著書の中で小松崎茂先生や、濱野彰親先生、根本圭助先生など総勢七一名取り上げているが、小松崎茂先生に直接長時間インタビューするチャンスにだけは、残念ながら恵まれなかったようだ。
私は、【少年画報大全】監修後直ぐの2001年夏に、東京ドームホテルにて、初対面となる中一弥先生、伊勢田邦彦先生、濱野彰親先生、そして根本圭助先生と夕食を御一緒する幸運にも恵まれている。
探し続けている本を手に出来る幸運や、憧れ続けている作家さんに直接逢える幸運、共に一期一会の場合がある。

昭和時代を代表する300人弱の漫画家さん、絵物語作家さん、挿絵画家さんの図版を取り上げ、その中から小松崎茂先生を始め、上田トシコ先生など10人の作家さんのインタビューを収録した【少年画報大全】(2001年・少年画報社)を監修する幸運は、昭和時代の漫画史研究家として、これに勝るものは今も見当たらない。


マクドナルドのおいしいニュース、ハッピーセット

2/15(金)~スポンジ・ボブ、全8種類。
3/8(金)~ドラえもん、全6種類。

さらにもらえる!

3/9(土)10(日)ゆらゆらタイムマシーン

3/16(土)17(日)お風呂シール


私は、ドラえもんファンなので、毎年この時期は、少なくとも6回以上はマクドナルドに通わなければならない。(*´∀`)♪

2013年1月29日、文化庁は国立国会図書館の蔵書データを大日本印刷が電子書籍の形にして、紀伊国屋書店の電子書店を通して無料配信する実験を、2月1日から3月3日まで行うと発表した。

配信対象の13作品※かっこ内は出版年

浪花禿箒子著、石川豊信画「絵本江戸紫」(1765)
住吉内記写「平治物語絵巻 第一軸」(1798)
グリム著、上田万年訳「おほかみ」(1889)
竹久夢二「コドモのスケッチ帖 動物園にて」(1912)
芥川龍之介「羅生門」(1917)
芥川龍之介「河童」(1927)
酒井潔「エロエロ草紙」(1930)
柳田国男「遠野物語」(1910)
夏目漱石「硝子戸の中」(1915)
永井荷風「腕くらべ」(1918)
宮沢賢治「春と修羅」(1924)
宮沢賢治「四又の百合」(1948)
写真絵本「きしゃでんしゃ」(1953)

やはり、今年の出版界を読みとくキーワードは、温故知新と電子書籍のようだ。
著者が故人となった出版物の電子書籍化実現には、様々な困難が伴う。
近年では、今回のリストにも名前がある明治の大文豪・夏目漱石の遺族、親族同士による利権をめぐる確執と争いが、マスコミやネットを騒がし物議を醸したことも記憶に新しい。
作品の素晴らしさと、作家の人格は別であり、更に作家の遺族と出版交渉をすることは、非常な困難を伴うことがあるのが事実である。

その為だろうか?

昨今の出版不況に伴い、昭和時代の漫画史を代表する名作漫画の復刻については、現在、ごく一部の有名作家の作品を除き、大手出版社による商業出版の道は、ほぼ閉ざされた状態が続いている。

在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、現状を憂い続けていました。
国会図書館や、膨大な蔵書量を誇る関西・関東にある有名マンガ図書館に比較すると、一個人の蔵書数二万冊というのは、蟷螂の斧のごとくあまりにも儚い僅かばかりの蔵書量に過ぎないのかも知れません。
けれども、日本の昭和の漫画史を代表する名作アーカイブの確立、復刻事業の礎となるために、粉骨砕身精一杯努力し、頑張っていきたいと常日頃から考え続けていました。
昨年の秋口、私は大日本印刷の電子書籍に対する真摯な姿勢に共感し、微力ながらも株式会社パインウッドカンパニーを通じて、慎重に作品の検討、選択をし、統一定価525円にて、2013年1月28日より一足早く次の作品の復刻、電子書籍化出来たことを正式に発表します。

配信対象の五作品※()内は連載年。

上田トシコ「フイチンさん1」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん2」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん3」(1957~1962年)
上田トシコ「ぼんこちゃん」(1955~1962年)
上田トシコ「お初ちゃん」(1958~1969年)

以下、続々と電子書籍化予定です。


田河水泡・のらくろ館特別展

「永遠の少女マンガ展」


会期:2013年1月19日(土)~2月11日(月・祝)※1月21日(月)2月4日(月)は休館

時間:午前9時~午後9時

会場:森下文化センター一階展示ロビー【入場無料】

東京都江東区森下3ー12ー17

TEL03(5600)8666

主催:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団
江東区森下文化センター


さて、大好評のうちに終了した第六回江東シネマフェスティバル。

12日(土)

13:00~【憧れのハワイ航路】

15:40~【川の底からこんにちは】

13日(日)

10:00~【運が良けりゃ】

13:30~無声映画特集 弁士・楽団(カラード・モノトーン)付フィルム上映

【争闘阿修羅街】弁士・松田貴久子

【雄呂血】弁士・澤登 翠

16:50~【お早よう】

14日(月・祝)

10:00~【ゴジラ】フィルム上映

13:30~【愛妻物語】フィルム上映

16:20~【晩春】フィルム上映


私は、3日間通し券を購入していたので、日曜日の朝【おしん】の再放送を観て、午後の無声映画特集から、3日目は朝から終日会場におりました。
無声映画特集には、脚本家の石森史郎先生夫妻が観にいらっしゃったので、新年の御挨拶。

今回の目玉は、何といっても【ゴジラ】のスクリーン上映とトークイベント。

前売りは完売で、会場も大雪なのに満員状態。

上映後のトークイベントは、「ゴジラ誕生秘話」で、俳優の宝田明さんと、本多猪四郎監督の長男、本多隆司さんが登場で満員の会場は大盛り上がり。
幾つも取材カメラがあるだけでなく、マスコミだけでなく観客も撮影OKのフォトセッションタイムがあり、ビックリ!

更に宝田さんは、会場にいるファンの希望者まで壇上に登壇OKの記念写真タイムを作ってくれたのだからそのお人柄に感心してしまいました。

その後、【ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒沢明の友情】本多きみ 著、取材・構成・文 西田みゆき(宝島社)定価1300円+税に、希望者は、本多隆司さんのサインを入れて貰える販売タイムがあり、私も勿論購入してサインを入れてもらいました。
その際、先日のNHKBSの番組で放映されたラストに、本多監督の生まれ故郷が、私の父の故郷である庄内地方鶴岡市にある地元の有名なお寺であり、少年時代に私は家族と一緒にそのお寺にお参りしたことがあるので、訊ねてみたらドンピシャリ。
せっかくの機会なので私が漫画やアニメ、特撮や映画を研究していること、父の実家が庄内鶴岡にある本間家の中でも指折りの旧家であり、庄内地方に将来漫画やアニメ、映画に関する総合的な観光施設を作ることが出来たらいいなと考えていることなど、簡単に自己紹介することが出来ました。

同行されていた株式会社本多フィルムの副社長からは名刺をいただき、やはり庄内地方に本多監督の記念館が出来たらいいのにと、話題になりました。

本多猪四郎監督と私の間には、不思議な縁があるようなので、これを機会に父の故郷出身の偉大な先人である本多監督の作品とその生涯についても今後はより一層研究を深めていきたいと考えています。
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【ビブリア古書堂の事件手帖】「たんぽぽ娘」は、「昨日はもうこないだが明日もまた」の元ネタ?

2013-03-04 23:28:06 | 「金魚屋古書店出納帳」芳崎せいむ
3月3日は、全国的に【うれしいひなまつり】であり、電子書籍や展示会など、私にとって色々と節目の日だった。

有名な歌の作詞は、私が大好きな少年小説の大家、佐藤紅緑先生の息子であるサトウハチロー先生。

さて、今夜の

【ビブリア古書堂の事件手帖】

「真犯人はビブリアにいる」

に出てきた

「たんぽぽ娘」

の話なのだが、子供の頃に読んだ石森章太郎先生の短篇

「昨日はもうこない だが明日もまた・・・・・」(初出『少女クラブ』(講談社)1961年お正月臨時増刊号)

の元ネタのようだ。

私は【竜神沼】(朝日ソノラマ・1967年)に収録されたこの短篇を、10代の思春期の頃に読んでいたので、タイトルから内容まで今も鮮やかに憶えており、部屋の本棚から、読んでいたその本も直ぐに見つかった。
タイムトラベラーの少女のように、30年後の未来へ私もタイムスリップしてきたようだ。
漫画の本は、私にとってのタイムマシン。
初めて本を手に入れ、夢中になって読んだあの頃の幸せだった時代へ誘ってくれる。
今夜は、30年ぶりに【竜神沼】を読んで、幸せな昭和時代へ時間旅行することにしよう。(*´∀`)♪


2月27日(水)の夜は、毎月恒例となる無声映画観賞会。
第655回は生誕120年・没後30年、片岡千恵蔵特集

日暮里サニーホール・コンサートサロン初登場となる坂本頼光さんによる

【男達ばやり】(昭和三年)

と、ご存じ日本を代表する活動弁士であり、我が師匠である故・松田春翠先生門下の姉弟子である澤登 翠さんによる

【放浪三昧】(昭和六年)。

共に千恵プロ作品で、稲垣浩監督作品。

【放浪三昧】脚本の伊丹万作さんは、故・伊丹十三監督のお父さんだ。


翌、2月28日(木)は、午後から新富町にあるパインウッドカンパニーの事務所にて、製作会社のスタッフと、4月1日放送予定の地上波テレビ特番の企画会議。

アイディアは沢山出したけど、どうなることやら。

漫画の出版、テレビ番組の企画など、採用されるのはごく僅かなのです。

さて、打合せが終わってから直ぐに中野駅徒歩10分となるアクターズ・ステーションアカデミーで開催されている


「ゴジラのトランク」出版記念
【ゴジラのトランク展】へ。

主催/本多猪四郎記念財団
共催/株式会社 本多フィルム
後援/鶴岡市
協力/黒澤プロダクション、宝島社、NPO法人 森と水、湯殿山 注連寺

世界に誇る傑作「ゴジラ」を生んだ巨匠・本多猪四郎。
彼の死後開けられることのなかった遺品のトランク。
そこには未発表の脚本や手紙など往事をしのぶものがつまっていた・・・・・・。

今、明かされる日本映画界の秘話の数々。

〈日時〉
2月28日~3月31日(PM1時~5時)

〈場所〉
東京都中野区中野1-55-3 フェリス・アクターズ・ステーションビル1F

〈連絡先〉
電話:03-5989-1565 FAX:03-5989-1566

〈展示内容〉
NHK BS プレミアム ドキュメンタリー番組「イノさんのトランク」や、読売新聞で紹介された黒澤明氏の手紙をはじめ、写真、日記、黒澤作品の演出補佐を務めた晩年のスケッチ。
本人が使用した台本、絵コンテ、ポスター、撮影スナップ等の作品関連資料。
生誕の地、山形県鶴岡市注連寺写真など、その他、インタビューVTRの上映、ゲストによるトークショー(毎週日曜日PM5~6時)限定パンフレットやグッズ等の販売

■「ゴジラのトランク展」は日本各地、世界各国を巡回する予定です■

日本:鶴岡市(平成25年5月・上映会あり)気仙沼・伊勢市・広島市・世田谷区

世界:ネパール・タイ・ベトナム・中国・韓国・アメリカ(シカゴ・ニューヨーク)

http://www.g-trunk.com


2月28日は、本多猪四郎監督20年目の命日。

17:00より19:00までの内覧会終了後、「本多猪四郎を偲ぶ会」が開催された。

私の父の実家は、山形県鶴岡市にあり、庄内地方に数多くある本間家の中でも由緒正しき指折りの旧家。
ごく最近、ネット上でも酒田の本間家は、我が下川の本間家から分かれたとの記述が出てきて、私自身驚いている。
従兄弟の代で10代目となる父の実家からの分家はいくつもがあるが、本間ゴルフの創業家と、父の実家は一切無関係なので、そこんとこよろしく。
光栄にも鶴岡つながりで、私の所にも招待状が届いたのだから嬉しい限り。
戦前までの大地主として知られる本間家、本間光丘、本間宗久一族の末裔は、【おしん】のドラマとは違って、今も昔と変わらず庄内地方では地元出身の人達に慕われる名門の一族、先祖に感謝なのです。(*´∀`)♪

さて、内覧会では、特撮映画関係のライターとして第一線で活躍されている方に、才谷さんのふゅーじょんぷろだくしょんの花見会場で初対面以来、14年振りに挨拶して名刺交換。

facebookでは、新たに友達承認していただきました。

Twitter上では、既にフォロー、フォロワーの関係、特撮映画業界において、永年着実に仕事を続けている方です。

また、旧知のスタジオジブリの方とも挨拶。

同じ花見の会場で知り合ってから、東京国際アニメフェア会場で、良く御逢いします。

今回は、特撮博物館での関係で、挨拶にいらしていたようです。

内覧会に6時頃に到着した私が、御会いして挨拶出来たスタッフ以外の旧知の方は二人だけ。

展示内容は、無料としては十分に魅力的なもの。
関連書籍やグッズの販売も嬉しい。
私のお奨めは、

【ゴジラのトランク】(宝島社・2012年)1300円+税は勿論のこと、

何と言っても会場限定販売の貴重な特大サイズのパンフレット2000円

「ゴジラの父」生誕100年記念に復刊!された【「ゴジラ」とわが映画人生】本多猪四郎(ワニブックス・2010年)800円+税など。

Tシャツは、LとXLの2サイズで3000円くらい。

予算と好みにあわせて是非この機会に大人買いを。

さて、会場を移して行われた偲ぶ会。
本多監督の奥様である96歳の本多きみさん、長男である本多隆司さん親子を囲み、俳優の佐原健二さんの献杯の挨拶、夏木陽介さんの姿など、【ゴジラ】をはじめとする東宝特撮映画、及び【ウルトラQ】ファン、青春学園ドラマファンであり、庄内鶴岡と縁が深い特撮や映画の研究者である私が、この偲ぶ会に招待されたということは、とても感慨深いものがありました。
限定パンフレットには、

「一般財団法人本多猪四郎記念映画文化振興財団では猪四郎の功績をたたえ、彼の悲願である世界平和と科学と人間の共存共栄を祈り、注連寺のさらなる発展を願い、山形県鶴岡市注連寺に記念碑の建立を企画しております。(後略)」

と、あります。

私の父や親族が、先祖代々心から愛し続けた故郷である庄内鶴岡の地に、日本を代表する偉大な映画監督の一人である本多監督の記念碑が出来る過程に立ち会えるなんて・・・。

漫画史研究家としての私の人生は、波瀾万丈、日々ドラマチックに過ぎて行くようです。

ブログやfacebook,Twitterなど、日々の暮らしの様子は、ネット上に正しく記録されていきます。
2001年夏の【少年画報大全】発売以来10年以上に渡り、妬みや嫉みからなのか、私に対する根拠や証拠のない誹謗中傷、悪い噂を流す連中が漫画評論家たちの中には根強くいるようです。
私は、嘘をつくこと、上から目線で根拠や証拠のない発言をする評論家や偽善者が大嫌いなので、思ったことや考えていることなど、証拠を添えてそのまま発言しています。
人と人との出会いは一期一会。
良縁は良縁を呼んでいきますし、悪縁は悪縁を呼んでしまいます。
悪縁は絶ちきり、これからも良縁だけを大切にしていきたいですね。
おおやちきの世界展や、電子書籍など、本日三月三日で終了するおすすめの情報など再録しておきますので参考までに。

漫画史研究家

本間正幸



【ビブリア古書堂の事件手帖】

先週から引っ張った【晩年】のエピソード、復刻本がキーとなるのは、残念ながら私には、途中から見え透いてしまっていた。
何故なら、本物のコレクターなら、復刻本を二セット以上持っていることなど日常茶飯事。
昨年、秋田書店から発売された完全復刻本【沙漠の魔王】については、高額本ながらも最近は貧乏に甘んじている私でさえ、実際に二セット購入しているのだから。
古くからのコレクターなら、大切な本は一冊は永久保存用、二冊目は閲覧、貸出し用、三冊目は、交換、転売用として購入するのが基本だ。
古書の場合、経年劣化により其々保存状態が異なるので、状態が悪い物を高額で購入した後、比較的状態の良い物が安価で市場に出回っていたら、再度購入してしまうのがコレクターの本能。
私も、お気に入りの本や雑誌『COM』全巻セットや【カムイ伝】連載中の『ガロ』については、複数所持している。
さて、今回のエピソード

#07「複数の真実」

において、古書漫画の最高峰、足塚不二雄の【UTOPIA 最後の世界大戦】が遂に登場した。
私の得意分野、いや、専門分野となるので、番組の解説を補足したいと思う。

【UTOPIA 最後の世界大戦】

に高額な値付けをしたのは、みなさんご存知の中野のまんだらけ、古川益蔵さんである。
漫画古書専門店としては、神田神保町の中野書店が業界の皮切りとなる。
続いて現代マンガ図書館が1978年秋にオープンした際、年四回の即売展が活況を呈した。
私は、小学生の頃から、横浜鶴見より、神田神保町にある中野書店に通った。
直ぐに早稲田にある現代マンガ図書館がオープンとなり、オープン記念の即売展から駆けつけたのだから、古書漫画コレクターとしては、当時最年少の部類であり、35年以上のキャリアを持つ時代の証言者と充分成り得るだろう。
当時まんだらけは、まだ全国区ではなく、現代マンガ図書館の即売展においては、奥野さんの観覧舎と同じく一参加店に過ぎなかったのが私の印象だ。
駿台予備校の浪人時代、予備校での友達で上杉家の末裔だと言うN君が(私の先祖の本間光丘は、上杉鷹山に大名貸しをしているのも何かの縁だろう。予備校の友達の間では日本史の授業で大ウケとなった)中野に住んでおり、中野に凄い古本屋があると教えられて通い始めたのが1985年。
それまでは、鶴見の西田書店、蒲田の龍生書林、三軒茶屋の喇摩舎、神田神保町の中野書店、早稲田にある現代マンガ図書館の即売展が、主な私の縄張りだったし古書漫画の購入先だった。
まんだらけの快進撃は、【UTOPIA 最後の世界大戦】の値付けに始まる。
次に写真付きの分厚い古書漫画目録を発行したのも、革新的なアイデアだったし、コスプレ店員なども、マスコミの注目を集めた。
年四回の古書漫画即売展で、年間の運営費を稼いでいた現代マンガ図書館は、オープン時に全国から善意で寄贈された本でダブリの分の転売が底を尽き(大切な本を寄贈された方の善意を何と思っていたのだろう)、即売展参加料のマージンの高さと、売上げに対して納入する歩合の高さから、まんだらけ始め主要古書店の参加が次第に少なくなり、現代マンガ図書館での古書漫画即売展の人気が凋落してしまったのは、内記さんの古本屋としての人間性が全ての原因であるため自業自得としか言いようがない。
扱う古書漫画も、貸本上がりで酷く保存状態が悪い物でも、タイトルだけで高値がついていたため、どうせなら、状態が良い物を欲しいと考える新書本コレクターたちが増えるようになると、敬遠されるようになっていったし、私の足も遠のくようになった。
テレビ東京の【開運!なんでも鑑定団】での古川さんのレギュラー出演も、古書漫画収集に人気を呼んだし、古書漫画に驚きの高値が付くことを一般人にも広く知らしめたため、現代マンガ図書館に貴重な蔵書を寄贈する人は激減、せっかく寄贈した本を売るくらいなら返してくれと抗議した人もいたが、その時には既に売却済みだったようだ。

さて、【UTOPIA 最後の世界大戦】が展示中に盗難にあったという事実は、古川さんの著書にも書かれているし、未だ犯人も、盗難された本も出てきてはいない。

そのエピソードを、絡ませているところに、今回の話の面白さがあった。

【UTOPIA 最後の世界大戦】には、完全復刻版がある。

名著刊行会から限定一千部で昭和56年に発行された物と、2011年に小学館クリエイティブから発行された物。

鶴書房から発行された【UTOPIA 最後の世界大戦】のオリジナル本は、市場価格300万前後となっているので、私は名著刊行会から発行された復刻本シリアルNo.0638番で満足している。

名著刊行会から発行された復刻本でさえ、一時期2~3万のプレミアがついていたが、新しい復刻本が出回ったのでもう少し安くなっているだろう。

さて、新しい復刻本が出る前段階で、私が直接関わった驚くべきエピソードをここで初披露しよう。

平成18年1月から逓信総合博物館で

松本零士コレクションでつづる
「漫画誕生から黄金バットの時代」展
において、企画段階から版権処理に深く関わっていた私は、【UTOPIA 最後の世界大戦】と【沙漠の魔王】【正ちゃんの冒険】の展示に執着した。
中でも、当時、藤子不二雄時代の共作は全て絶版となっており、【UTOPIA 最後の世界大戦】の展示は、博物館の関係者誰もが、絶望視していた。
私は、駄目で元々の気楽な立場だったので、先ずは旧知である@先生サイドのマネージャーさんに連絡を取って相談してみる。

「【少年画報大全】で、@先生に【怪物くん】のインタビューをさせてもらって大変御世話になった研究者の本間です。
今度、逓信総合博物館で、企画展があり、そこに松本零士先生が所蔵する【UTOPIA】を展示したいんですけど、
難しいですよね。」

すると、直ぐに二つ返事で

「いいわよ。」

「えっ、大丈夫なんですか。」

「そんなに、変なことに使ったりするんじゃないでしょ。だったらいいわよ。向こうの担当者にも、きちんと許可を取ってね。」

私は、吃驚してしまった。
直ぐにF先生サイドに連絡を取る。

「うちはいいですけど、@先生側が何というか。」

「今、MさんにはOK貰えたんですよ。」

「えっ!本当ですか?だったらうちもOKですから。」

私は、この時、日本中の誰よりも一番早く藤子不二雄先生の共作が、再び復刻される日が来ることを予見したのだった。

藤子不二雄作品の初期単行本や、附録など、撮影でどうするのか興味深々だったが、ビブリアで買い取って売ってしまったとするなど、古書コレクターだけでなく、古書店主の性質も綺麗事だけでなく見事に真実を描いている。
現代マンガ図書館の内記稔夫氏が、寄贈された本を即売展で売っていたことは、あまり語られていない気がするが、紛れもない真実である。
古書店主は、お客さんの足許をみて買取りをした。
コレクターが死後、本の価値を何も知らない遺族が本を処分するとなると、二束三文の値を付けて買い叩いてくる。
町の古本屋が廃れてブックオフが一挙に流行った理由として、単純明快な買取り方法があげられる。
さて、【ビブリア古書堂の事件手帖】に類似する先行作品だった芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】の掲載誌が少年画報社から小学館に変わって【金魚屋古書店】となったことにより、作品のクオリティが落ちてしまったことがある。

【金魚屋古書店】第6巻に収録されている第39話「古本のお医者さん」にて、【UTOPIA 最後の世界大戦】を取り上げているので、【ビブリア古書堂の事件手帖】と読み比べて貰えば作者の力量の違いが皆さんにも実感出来るだろう。
巻末お役立ちコラム金魚屋古書店雑記帳も、私には殆んど役に立ったことはない。
本来、作中に登場する作品の魅力を伝えるはずのコラムが、第1巻第4話の【ビリーパック】を始め、まるで機能していないようにすら感じられる。

コラムを担当する見ず知らずの田舎のオジサンが子供の頃に虐められていたことを知って、いったい何の役に立つのだろうか。

「そしてビリーのハンサムな顔立ちが人気の秘密だった。」

とあるが、作者である河島光広先生は、単行本初版の作者の巻頭の言葉にて
-この本をごらんになるみなさんへ-

ビリー・パックは、アメリカ人のおとうさんと、日本人のおかあさんとのあいだに生まれた、混血児というかわいそうな運命をもった少年です。
しかし、おとうさんのおしえをよくまもり、世の中にはびこる悪い人たちをこらしめるために、どんなにおそろしい敵にも、ゆうかんにむかっていく、りっぱな少年なのです。
どうか、みなさんも、このゆうかんなビリー・パックを、おうえんしてやってください。

とある。
そう、当時の日本の都会では、混血児は差別の対象であり、ハンサムな顔立ちが人気となるのは、ほんの少し後のことなのだ。
当時の微妙な時代背景を、1948年生まれの田舎のオジサン一人の思い込みだけで語られてはたまらない。
【赤胴鈴之助】は、孤児の少年が日本一の少年剣士を目指すことに共感され、【ビリー・パック】は、アメリカ帰りの混血児で孤児の少年探偵が、悪漢相手に正義の戦いをすることに共感されたのが人気の秘密だったのだ。

「突然の病で急死。作品は弟子の矢島利一に引き継がれる」

河島先生は、【ビリー・パック】連載開始当初から、肺結核のため名古屋の自宅二階のベットで寝たり起きたりの状態だった。
長期の闘病生活の後、30歳の若さで急逝される。
突然の病で急死などではない。
矢島利一先生は、街頭紙芝居からのキャリアを持ち、『少年』で【遊星王子】のコミカライズ連載を担当している。
病気がちな河島先生のアシスタントを務めたが、弟子であったという話は聞いたことがないのだが・・・。
因みに、最初のアシスタントは、福元一義先生となり、代筆をしていることが広く知られている。
実際の【ビリー・パック】について詳しく知りたい方は、

【少年画報大全】(少年画報社・2001年、現在三刷)

【少年探偵王】(光文社文庫・2002年)

【『少年画報』誕生60周年記念復刻】「赤胴鈴之助」「ビリーパック」「まぼろし探偵」3冊セット(少年画報社・2007年)

【明治・大正・昭和の大衆文化-伝統の再創造はいかにおこなわれたか-】(彩流社・2008年)

【少年画報】昭和35年正月号完全復刻(少年画報社・2010年)

をご覧いただければ幸いです。
単行本完全復刻に際しては、私が所蔵する初版の本をバラして原本としましたので、先程ご紹介した作者の言葉も確認出来ます。
其々【ビリーパック】に関する解説なども、全て漫画史研究家である私が関わっていますので間違いはありません。
先程の田舎のオジサンや、編集部の担当者が、もし、この中の一つでも私の解説を読んでいたのなら、あそこまで酷いコラムが世に出ることもなかったと思うのですが、誠に遺憾としかいいようがありません。

【金魚屋古書店出納帳】がヤングキングアワーズ増刊12月号『アワーズガール』(平成12年12月2日発行)で初登場した際、私はこの作品に大いなる期待を寄せた。
少年画報社が満を持して創刊した

「こだわり少女のコミック誌オール新作読切14作」

伊藤潤二
今市子
波津彬子
犬上すくね

を別格に

篠原烏童/大沢美月/黒田硫黄/有元美保/芳崎せいむ/川原由美子/逆柱いみり/おがきちか/小石川ふに/佐々木久美子

の中、伊藤潤二先生目当てでこの雑誌を手に入れた私に、未だ名前すら知らなかった芳崎せいむ先生の才能の煌めきを感じさせてくれた。
だが、掲載誌となる『アワーズガール』は廃刊となり、続く『アワーズライト』も廃刊。

小学館の『IKKI』に移ってからは、掲載誌を追うこともなくなり、単行本も古本屋でまとめて購入するレベルになってしまった。

ネット上で漫画史研究会を代表する論客という評判の伊藤剛をして

「芳崎せいむ【金魚屋古書店】に唾を吐け」

と言わしめたのは、漫画古書コレクターと古書店主の本質と真実を、全て美談にすり替えて描いていたことに対する正直な苛立ち、嫌悪感だったのだろう。
伊藤には、【ビブリア古書堂の事件手帖】の登場まで、【金魚屋古書店】の先行作品としての意義を見出だせることは出来なかったし、小学館の編集者も、せっかくの【金魚屋古書店出納帳】の持ってる世界観を【金魚屋古書店】では間違った方向性へと導いてしまったと私は考えている。

本来【金魚屋古書店出納帳】には、【ビブリア古書堂の事件手帖】より先に大ブレイクする可能性、魅力を秘めていた作品だったのだが、担当する編集部と作品の本質を見極めることの出来ない評論家の心ない発言によって、作品のレベルを凋落させてしまった感が否めない。
作品を生かすも殺すも、編集者や読者の存在が必要不可欠だが、上から目線の評論家の発言には、何の意味があったのだろう。
【ビブリア古書堂の事件手帖】大ブレイクの影響だろうか、伊藤剛は昨年、文化庁の委員の一人として【金魚屋古書店】を推薦漫画として評価する。
伊藤剛の鮮やかな変節ぶりは、批評家としての見事な処世術だったのだろうが、ネットが普及した現代において、ネットにおける過去の発言からも全ての真実と本心が見え透いてしまうのだからその特性を早く理解するべきだろう。

以上が【ビブリア古書堂の事件手帖】と、芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】と【金魚屋古書店】の違いに対する何のしがらみもない在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸の現在の評価です。

漫画史研究会を象徴する伊藤剛たち上から目線の発言のみで、何も生み出さない漫画評論家、批評家たちと、昭和時代の名作漫画の発掘による温故知新で、漫画界の復活を心より願う漫画史研究家の違い。
同じ漫画史を研究テーマにしていても、水と油、その人間性の本質は大きく異なっています。

なので、これを機会に

【漫画古書収集奇譚】

と題して、漫画古書に関して【ビブリア古書堂の事件手帖】に倣って、私がこれから電子書籍化したい名作に纏わる取って置きのエピソードの数々を、シリーズで語っていきたいと思います。

私の思想には、先祖から代々伝わるサムライとしての武士道の精神と、庄内地方で公益の祖として慕われる一族の先祖、本間光丘の輝かしい業績に対する誇りと本間家に代々伝わる家訓、明治学院大学で学んだ他者への貢献の精神が大きく影響しているようです。
直接師事した先生方、故・松田春翠先生、故・二上洋一先生、石森史郎先生、心の師匠である平山亨先生の中には、現在もその著書が全国書店で発売されている方もおりますので、是非、ご一読を。

facebook上で、私が交流している人たちも、大半はリアルな知人であり、信頼がおける人達となりますので、参考までに。(*´∀`)♪
以下は、先週の感想になります。


「脅されているんです、異常な男から」

良く出来たドラマだ。

古書を愛する人たち、マニア、コレクターの習性を見事に描いているが、実際の人たちのビジュアルを忠実に再現しなかったのが大正解。(笑)
私が知るマニアやコレクターたちも、大概は本に対して異常な執着心を持ち、知人ではあっても絶対に友人にだけはなりたくないと思わせるビジュアルとルックスである。
最近では、ホンジャマカの石塚さんと、伊集院光さんを足して2で割ったような一見善人そうに見える独特のビジュアルだけでなく名前まで隠してブログをやっており、私がブログを始める何年も前に、成蹊大学から共著として発表した漫画史に関して私が書いた論文の何ら根拠のない誹謗中傷を発売後直ぐにわざわざブログに書いていた。
そのコレクションにかける情熱の素晴らしさとは裏腹に、異常な執着心がブログの端々から伝わってくるのを本人も、交流している人たちもまだ誰も気付いてはいないようだ。
【少年画報大全】発売直後、少年画報社の編集部宛に、半分に引き裂かれ、意味の無い赤い線が多数書き込まれた【少年画報大全】が送られてきたことがある。
50代後半、定年退職間近だった添田善雄編集長は、編集者生活初めての体験に非常なショックを受けていたようだが、私は前述したように異常な行動をとるマニア、コレクターたちの生態を見聞、理解していたので、さほど驚くこともなかった。
古書業界では、『冒険活劇文庫』や絵物語、街頭紙芝居収集に対して、常軌を逸した行動をとるコレクターが存在するのが広く知られている。
だが、絵物語や戦後の少年少女雑誌における日本一のコレクターは、彼ではなく、銀座にある若山美術館のオーナー若山さんだろう。
若山さんには、私が【少年画報大全】を監修した際にも、快く資料協力していただけた。
前述の彼とは、当時から面識があり、協力依頼をしてみたのだが、真逆の対応独特の価値観に当時大変驚いた。
【少年画報大全】発売以降、私と彼との交流は一切ないのだが、ネット上では今も知人の如く彼のブログに私の著書の悪口まで書き込まれていたのだからたまらない。
マニア、コレクターの妬み、執着心、逆怨み恐るべし。(* ̄∇ ̄
おおやちきの世界展

~伝説の漫画家、『りぼん』『ぴあ』からイラスト、パズルまで~

2/14(木)~3/3(日)

を観てから帰る。
永遠の少女まんが展に比べ、今回は見応えを感じた。
一人の作家の足跡をきちんと掘り下げることが出来ていたからだ。
おおやちき先生について、故・米沢嘉博さんの本が展示されていた。
米沢さん以外、未だにきちんとおおやちき先生の作家性を、誰も把握出来た研究者が育っていない


三連休の中日である昨日、私は前から大変興味のあった三つの展示会を観に行きました。

その一つが、偶然にも今日の日本経済新聞の文化32面にも取り上げられています。

挿絵で描く人間の本性

◇新聞や週刊誌で作家と組み67年、今も現役◇

濱野彰親


挿絵画壇の重鎮

濱野彰親展

モノクロームへの眼差し
ー人間の本性を暴くー

弥生美術館



2013年1月8日(火)~3月31日(日)

濱野先生に会えるチャンス!ギャラリートーク&サイン会

1.2月10日(日)14:00~
2.3月17日(日)14:00~
3.3月24日(日)14:00~

本日の画像は、記事が掲載されている新聞記事をベースに弥生美術館のチラシと、展示会に併せ株式会社ラピュータから発売され、サインを入れて貰った

濱野彰親挿絵原画集
モノクロームへの眼差し

松本品子・編。
定価(本体2800円+税)

私は、午後2時過ぎに弥生美術館に到着。

来館者でフロア一杯の会場の末席で、濱野先生を交えた学芸員のギャラリートークを聴いておりました。

老若男女、とても幅広い参加者。

小松崎茂先生門下の根本圭助先生にも、会場で久々に挨拶出来たし、2006年から『SFマガジン』(早川書房)連載の「SF挿絵画家の系譜」を【SF挿絵画家の時代】(本の雑誌社・2012年)として単行本にまとめて話題の大橋博之さんからは、消費税分をサービスしてもらい、著書を直接購入。
定価(本体1800円+税)。
この本については、私のお薦めの一冊なので、後日改めて紹介したい。

一時間弱のギャラリートークの後、始まったサイン会。

売店で本を購入し、濱野先生から本にサインを入れて貰った後、隣接する竹久夢二美術館で学芸員のギャラリートークに参加。

"見知らぬ世界"を求めて

旅人・竹久夢二

ー旅、恋、異国への憧れー

2013年1月8日(火)~3月31日(日)

◆学芸員によるギャラリートーク◆

1.1/13(日)午後3時より
2.2/10(日)午後3時より
3.3/10(日)午後3時より

弥生美術館と竹久夢二美術館は、二館併せて入館料一般900円、大・高生800円、中・小生400円でご覧頂けます。
*高畠華宵の常設ルームも併せてご覧いただけます。

竹久夢二美術館のギャラリートーク参加者は、いつも女性の方が多いイメージ。

テーマを決めて毎回展示内容を変えているため、何度観に行っても興味深い。
私が初めて竹久夢二美術館に行ったのは2000年以降。
その時から収蔵作品も増えているのだろうが、もうすっかり見慣れてしまった物もある。
企画展毎、年4回、12年だとすると48回弱は訪れた計算になる。
竹久夢二が、庄内酒田に滞在したことは知っているが、今回、私の父の故郷である庄内鶴岡にも滞在していたこと、同じく銚子でのエピソードが有名だが、私の母の故郷の隣町である潮来へも滞在していたことが興味深かった。
晩年、横浜から船に乗って外遊したりと、画家よりも旅人としての先人であった夢二に、私は寅さんにも似た親近感を憶えたのだ。

昨夜のBSフジの番組「名画と歩こう 竹久夢二・長崎十二景を巡る」では、夢二好きで知られる女優の緒川たまきさんと共に、竹久夢二美術館の学芸員の石川さんが解説のため、出ていたようだ。
近年、竹久夢二研究家として、学芸員である石川さんの外部での活躍もめざましい。

ギャラリートークを終えた後、濱野彰親先生夫妻を交えて、隣の喫茶港やで、日本出版美術研究会の会合と情報交換会。
私は、2002年からここのメンバー。
大橋博之さんには、2006年にこの会合で初めて会った。
年は私より八歳上だが、私のメジャーデビューが2001年なので、私の方が随分早くなる計算だ。
著書の中で小松崎茂先生や、濱野彰親先生、根本圭助先生など総勢七一名取り上げているが、小松崎茂先生に直接長時間インタビューするチャンスにだけは、残念ながら恵まれなかったようだ。
私は、【少年画報大全】監修後直ぐの2001年夏に、東京ドームホテルにて、初対面となる中一弥先生、伊勢田邦彦先生、濱野彰親先生、そして根本圭助先生と夕食を御一緒する幸運にも恵まれている。
探し続けている本を手に出来る幸運や、憧れ続けている作家さんに直接逢える幸運、共に一期一会の場合がある。

昭和時代を代表する300人弱の漫画家さん、絵物語作家さん、挿絵画家さんの図版を取り上げ、その中から小松崎茂先生を始め、上田トシコ先生など10人の作家さんのインタビューを収録した【少年画報大全】(2001年・少年画報社)を監修する幸運は、昭和時代の漫画史研究家として、これに勝るものは今も見当たらない。


マクドナルドのおいしいニュース、ハッピーセット

2/15(金)~スポンジ・ボブ、全8種類。
3/8(金)~ドラえもん、全6種類。

さらにもらえる!

3/9(土)10(日)ゆらゆらタイムマシーン

3/16(土)17(日)お風呂シール


私は、ドラえもんファンなので、毎年この時期は、少なくとも6回以上はマクドナルドに通わなければならない。(*´∀`)♪

2013年1月29日、文化庁は国立国会図書館の蔵書データを大日本印刷が電子書籍の形にして、紀伊国屋書店の電子書店を通して無料配信する実験を、2月1日から3月3日まで行うと発表した。

配信対象の13作品※かっこ内は出版年

浪花禿箒子著、石川豊信画「絵本江戸紫」(1765)
住吉内記写「平治物語絵巻 第一軸」(1798)
グリム著、上田万年訳「おほかみ」(1889)
竹久夢二「コドモのスケッチ帖 動物園にて」(1912)
芥川龍之介「羅生門」(1917)
芥川龍之介「河童」(1927)
酒井潔「エロエロ草紙」(1930)
柳田国男「遠野物語」(1910)
夏目漱石「硝子戸の中」(1915)
永井荷風「腕くらべ」(1918)
宮沢賢治「春と修羅」(1924)
宮沢賢治「四又の百合」(1948)
写真絵本「きしゃでんしゃ」(1953)

やはり、今年の出版界を読みとくキーワードは、温故知新と電子書籍のようだ。
著者が故人となった出版物の電子書籍化実現には、様々な困難が伴う。
近年では、今回のリストにも名前がある明治の大文豪・夏目漱石の遺族、親族同士による利権をめぐる確執と争いが、マスコミやネットを騒がし物議を醸したことも記憶に新しい。
作品の素晴らしさと、作家の人格は別であり、更に作家の遺族と出版交渉をすることは、非常な困難を伴うことがあるのが事実である。

その為だろうか?

昨今の出版不況に伴い、昭和時代の漫画史を代表する名作漫画の復刻については、現在、ごく一部の有名作家の作品を除き、大手出版社による商業出版の道は、ほぼ閉ざされた状態が続いている。

在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、現状を憂い続けていました。
国会図書館や、膨大な蔵書量を誇る関西・関東にある有名マンガ図書館に比較すると、一個人の蔵書数二万冊というのは、蟷螂の斧のごとくあまりにも儚い僅かばかりの蔵書量に過ぎないのかも知れません。
けれども、日本の昭和の漫画史を代表する名作アーカイブの確立、復刻事業の礎となるために、粉骨砕身精一杯努力し、頑張っていきたいと常日頃から考え続けていました。
昨年の秋口、私は大日本印刷の電子書籍に対する真摯な姿勢に共感し、微力ながらも株式会社パインウッドカンパニーを通じて、慎重に作品の検討、選択をし、統一定価525円にて、2013年1月28日より一足早く次の作品の復刻、電子書籍化出来たことを正式に発表します。

配信対象の五作品※()内は連載年。

上田トシコ「フイチンさん1」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん2」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん3」(1957~1962年)
上田トシコ「ぼんこちゃん」(1955~1962年)
上田トシコ「お初ちゃん」(1958~1969年)

以下、続々と電子書籍化予定です。


田河水泡・のらくろ館特別展

「永遠の少女マンガ展」


会期:2013年1月19日(土)~2月11日(月・祝)※1月21日(月)2月4日(月)は休館

時間:午前9時~午後9時

会場:森下文化センター一階展示ロビー【入場無料】

東京都江東区森下3ー12ー17

TEL03(5600)8666

主催:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団
江東区森下文化センター


さて、大好評のうちに終了した第六回江東シネマフェスティバル。

12日(土)

13:00~【憧れのハワイ航路】

15:40~【川の底からこんにちは】

13日(日)

10:00~【運が良けりゃ】

13:30~無声映画特集 弁士・楽団(カラード・モノトーン)付フィルム上映

【争闘阿修羅街】弁士・松田貴久子

【雄呂血】弁士・澤登 翠

16:50~【お早よう】

14日(月・祝)

10:00~【ゴジラ】フィルム上映

13:30~【愛妻物語】フィルム上映

16:20~【晩春】フィルム上映


私は、3日間通し券を購入していたので、日曜日の朝【おしん】の再放送を観て、午後の無声映画特集から、3日目は朝から終日会場におりました。
無声映画特集には、脚本家の石森史郎先生夫妻が観にいらっしゃったので、新年の御挨拶。

今回の目玉は、何といっても【ゴジラ】のスクリーン上映とトークイベント。

前売りは完売で、会場も大雪なのに満員状態。

上映後のトークイベントは、「ゴジラ誕生秘話」で、俳優の宝田明さんと、本多猪四郎監督の長男、本多隆司さんが登場で満員の会場は大盛り上がり。
幾つも取材カメラがあるだけでなく、マスコミだけでなく観客も撮影OKのフォトセッションタイムがあり、ビックリ!

更に宝田さんは、会場にいるファンの希望者まで壇上に登壇OKの記念写真タイムを作ってくれたのだからそのお人柄に感心してしまいました。

その後、【ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒沢明の友情】本多きみ 著、取材・構成・文 西田みゆき(宝島社)定価1300円+税に、希望者は、本多隆司さんのサインを入れて貰える販売タイムがあり、私も勿論購入してサインを入れてもらいました。
その際、先日のNHKBSの番組で放映されたラストに、本多監督の生まれ故郷が、私の父の故郷である庄内地方鶴岡市にある地元の有名なお寺であり、少年時代に私は家族と一緒にそのお寺にお参りしたことがあるので、訊ねてみたらドンピシャリ。
せっかくの機会なので私が漫画やアニメ、特撮や映画を研究していること、父の実家が庄内鶴岡にある本間家の中でも指折りの旧家であり、庄内地方に将来漫画やアニメ、映画に関する総合的な観光施設を作ることが出来たらいいなと考えていることなど、簡単に自己紹介することが出来ました。

同行されていた株式会社本多フィルムの副社長からは名刺をいただき、やはり庄内地方に本多監督の記念館が出来たらいいのにと、話題になりました。

本多猪四郎監督と私の間には、不思議な縁があるようなので、これを機会に父の故郷出身の偉大な先人である本多監督の作品とその生涯についても今後はより一層研究を深めていきたいと考えています。
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【ビブリア古書堂の事件手帖】に待望の【UTOPA 最後の世界大戦】が登場!

2013-02-27 10:20:15 | 「金魚屋古書店出納帳」芳崎せいむ
【ビブリア古書堂の事件手帖】

先週から引っ張った【晩年】のエピソード、復刻本がキーとなるのは、残念ながら私には、途中から見え透いてしまっていた。
何故なら、本物のコレクターなら、復刻本を二セット以上持っていることなど日常茶飯事。
昨年、秋田書店から発売された完全復刻本【沙漠の魔王】については、高額本ながらも最近は貧乏に甘んじている私でさえ、実際に二セット購入しているのだから。
古くからのコレクターなら、大切な本は一冊は永久保存用、二冊目は閲覧、貸出し用、三冊目は、交換、転売用として購入するのが基本だ。
古書の場合、経年劣化により其々保存状態が異なるので、状態が悪い物を高額で購入した後、比較的状態の良い物が安価で市場に出回っていたら、再度購入してしまうのがコレクターの本能。
私も、お気に入りの本や雑誌『COM』全巻セットや【カムイ伝】連載中の『ガロ』については、複数所持している。
さて、今回のエピソード

#07「複数の真実」

において、古書漫画の最高峰、足塚不二雄の【UTOPIA 最後の世界大戦】が遂に登場した。
私の得意分野、いや、専門分野となるので、番組の解説を補足したいと思う。

【UTOPIA 最後の世界大戦】

に高額な値付けをしたのは、みなさんご存知の中野のまんだらけ、古川益蔵さんである。
漫画古書専門店としては、神田神保町の中野書店が業界の皮切りとなる。
続いて現代マンガ図書館が1978年秋にオープンした際、年四回の即売展が活況を呈した。
私は、小学生の頃から、横浜鶴見より、神田神保町にある中野書店に通った。
直ぐに早稲田にある現代マンガ図書館がオープンとなり、オープン記念の即売展から駆けつけたのだから、古書漫画コレクターとしては、当時最年少の部類であり、35年以上のキャリアを持つ時代の証言者と充分成り得るだろう。
当時まんだらけは、まだ全国区ではなく、現代マンガ図書館の即売展においては、奥野さんの観覧舎と同じく一参加店に過ぎなかったのが私の印象だ。
駿台予備校の浪人時代、予備校での友達で上杉家の末裔だと言うN君が(私の先祖の本間光丘は、上杉鷹山に大名貸しをしているのも何かの縁だろう。予備校の友達の間では日本史の授業で大ウケとなった)中野に住んでおり、中野に凄い古本屋があると教えられて通い始めたのが1985年。
それまでは、鶴見の西田書店、蒲田の龍生書林、三軒茶屋の喇摩舎、神田神保町の中野書店、早稲田にある現代マンガ図書館の即売展が、主な私の縄張りだったし古書漫画の購入先だった。
まんだらけの快進撃は、【UTOPIA 最後の世界大戦】の値付けに始まる。
次に写真付きの分厚い古書漫画目録を発行したのも、革新的なアイデアだったし、コスプレ店員なども、マスコミの注目を集めた。
年四回の古書漫画即売展で、年間の運営費を稼いでいた現代マンガ図書館は、オープン時に全国から善意で寄贈された本でダブリの分の転売が底を尽き(大切な本を寄贈された方の善意を何と思っていたのだろう)、即売展参加料のマージンの高さと、売上げに対して納入する歩合の高さから、まんだらけ始め主要古書店の参加が次第に少なくなり、現代マンガ図書館での古書漫画即売展の人気が凋落してしまったのは、内記さんの古本屋としての人間性が全ての原因であるため自業自得としか言いようがない。
扱う古書漫画も、貸本上がりで酷く保存状態が悪い物でも、タイトルだけで高値がついていたため、どうせなら、状態が良い物を欲しいと考える新書本コレクターたちが増えるようになると、敬遠されるようになっていったし、私の足も遠のくようになった。
テレビ東京の【開運!なんでも鑑定団】での古川さんのレギュラー出演も、古書漫画収集に人気を呼んだし、古書漫画に驚きの高値が付くことを一般人にも広く知らしめたため、現代マンガ図書館に貴重な蔵書を寄贈する人は激減、せっかく寄贈した本を売るくらいなら返してくれと抗議した人もいたが、その時には既に売却済みだったようだ。

さて、【UTOPIA 最後の世界大戦】が展示中に盗難にあったという事実は、古川さんの著書にも書かれているし、未だ犯人も、盗難された本も出てきてはいない。

そのエピソードを、絡ませているところに、今回の話の面白さがあった。

【UTOPIA 最後の世界大戦】には、完全復刻版がある。

名著刊行会から限定一千部で昭和56年に発行された物と、2011年に小学館クリエイティブから発行された物。

鶴書房から発行された【UTOPIA 最後の世界大戦】のオリジナル本は、市場価格300万前後となっているので、私は名著刊行会から発行された復刻本シリアルNo.0638番で満足している。

名著刊行会から発行された復刻本でさえ、一時期2~3万のプレミアがついていたが、新しい復刻本が出回ったのでもう少し安くなっているだろう。

さて、新しい復刻本が出る前段階で、私が直接関わった驚くべきエピソードをここで初披露しよう。

平成18年1月から逓信総合博物館で

松本零士コレクションでつづる
「漫画誕生から黄金バットの時代」展
において、企画段階から版権処理に深く関わっていた私は、【UTOPIA 最後の世界大戦】と【沙漠の魔王】【正ちゃんの冒険】の展示に執着した。
中でも、当時、藤子不二雄時代の共作は全て絶版となっており、【UTOPIA 最後の世界大戦】の展示は、博物館の関係者誰もが、絶望視していた。
私は、駄目で元々の気楽な立場だったので、先ずは旧知である@先生サイドのマネージャーさんに連絡を取って相談してみる。

「【少年画報大全】で、@先生に【怪物くん】のインタビューをさせてもらって大変御世話になった研究者の本間です。
今度、逓信総合博物館で、企画展があり、そこに松本零士先生が所蔵する【UTOPIA】を展示したいんですけど、
難しいですよね。」

すると、直ぐに二つ返事で

「いいわよ。」

「えっ、大丈夫なんですか。」

「そんなに、変なことに使ったりするんじゃないでしょ。だったらいいわよ。向こうの担当者にも、きちんと許可を取ってね。」

私は、吃驚してしまった。
直ぐにF先生サイドに連絡を取る。

「うちはいいですけど、@先生側が何というか。」

「今、MさんにはOK貰えたんですよ。」

「えっ!本当ですか?だったらうちもOKですから。」

私は、この時、日本中の誰よりも一番早く藤子不二雄先生の共作が、再び復刻される日が来ることを予見したのだった。

藤子不二雄作品の初期単行本や、附録など、撮影でどうするのか興味深々だったが、ビブリアで買い取って売ってしまったとするなど、古書コレクターだけでなく、古書店主の性質も綺麗事だけでなく見事に真実を描いている。
現代マンガ図書館の内記稔夫氏が、寄贈された本を即売展で売っていたことは、あまり語られていない気がするが、紛れもない真実である。
古書店主は、お客さんの足許をみて買取りをした。
コレクターが死後、本の価値を何も知らない遺族が本を処分するとなると、二束三文の値を付けて買い叩いてくる。
町の古本屋が廃れてブックオフが一挙に流行った理由として、単純明快な買取り方法があげられる。
さて、【ビブリア古書堂の事件手帖】に類似する先行作品だった芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】の掲載誌が少年画報社から小学館に変わって【金魚屋古書店】となったことにより、作品のクオリティが落ちてしまったことがある。

【金魚屋古書店】第6巻に収録されている第39話「古本のお医者さん」にて、【UTOPIA 最後の世界大戦】を取り上げているので、【ビブリア古書堂の事件手帖】と読み比べて貰えば作者の力量の違いが皆さんにも実感出来るだろう。
巻末お役立ちコラム金魚屋古書店雑記帳も、私には殆んど役に立ったことはない。
本来、作中に登場する作品の魅力を伝えるはずのコラムが、第1巻第4話の【ビリーパック】を始め、まるで機能していないようにすら感じられる。

コラムを担当する見ず知らずの田舎のオジサンが子供の頃に虐められていたことを知って、いったい何の役に立つのだろうか。

「そしてビリーのハンサムな顔立ちが人気の秘密だった。」

とあるが、作者である河島光広先生は、単行本初版の作者の巻頭の言葉にて
-この本をごらんになるみなさんへ-

ビリー・パックは、アメリカ人のおとうさんと、日本人のおかあさんとのあいだに生まれた、混血児というかわいそうな運命をもった少年です。
しかし、おとうさんのおしえをよくまもり、世の中にはびこる悪い人たちをこらしめるために、どんなにおそろしい敵にも、ゆうかんにむかっていく、りっぱな少年なのです。
どうか、みなさんも、このゆうかんなビリー・パックを、おうえんしてやってください。

とある。
そう、当時の日本の都会では、混血児は差別の対象であり、ハンサムな顔立ちが人気となるのは、ほんの少し後のことなのだ。
当時の微妙な時代背景を、1948年生まれの田舎のオジサン一人の思い込みだけで語られてはたまらない。
【赤胴鈴之助】は、孤児の少年が日本一の少年剣士を目指すことに共感され、【ビリー・パック】は、アメリカ帰りの混血児で孤児の少年探偵が、悪漢相手に正義の戦いをすることに共感されたのが人気の秘密だったのだ。

「突然の病で急死。作品は弟子の矢島利一に引き継がれる」

河島先生は、【ビリー・パック】連載開始当初から、肺結核のため名古屋の自宅二階のベットで寝たり起きたりの状態だった。
長期の闘病生活の後、30歳の若さで急逝される。
突然の病で急死などではない。
矢島利一先生は、街頭紙芝居からのキャリアを持ち、『少年』で【遊星王子】のコミカライズ連載を担当している。
病気がちな河島先生のアシスタントを務めたが、弟子であったという話は聞いたことがないのだが・・・。
因みに、最初のアシスタントは、福元一義先生となり、代筆をしていることが広く知られている。
実際の【ビリー・パック】について詳しく知りたい方は、

【少年画報大全】(少年画報社・2001年、現在三刷)

【少年探偵王】(光文社文庫・2002年)

【『少年画報』誕生60周年記念復刻】「赤胴鈴之助」「ビリーパック」「まぼろし探偵」3冊セット(少年画報社・2007年)

【明治・大正・昭和の大衆文化-伝統の再創造はいかにおこなわれたか-】(彩流社・2008年)

【少年画報】昭和35年正月号完全復刻(少年画報社・2010年)

をご覧いただければ幸いです。
単行本完全復刻に際しては、私が所蔵する初版の本をバラして原本としましたので、先程ご紹介した作者の言葉も確認出来ます。
其々【ビリーパック】に関する解説なども、全て漫画史研究家である私が関わっていますので間違いはありません。
先程の田舎のオジサンや、編集部の担当者が、もし、この中の一つでも私の解説を読んでいたのなら、あそこまで酷いコラムが世に出ることもなかったと思うのですが、誠に遺憾としかいいようがありません。

【金魚屋古書店出納帳】がヤングキングアワーズ増刊12月号『アワーズガール』(平成12年12月2日発行)で初登場した際、私はこの作品に大いなる期待を寄せた。
少年画報社が満を持して創刊した

「こだわり少女のコミック誌オール新作読切14作」

伊藤潤二
今市子
波津彬子
犬上すくね

を別格に

篠原烏童/大沢美月/黒田硫黄/有元美保/芳崎せいむ/川原由美子/逆柱いみり/おがきちか/小石川ふに/佐々木久美子

の中、伊藤潤二先生目当てでこの雑誌を手に入れた私に、未だ名前すら知らなかった芳崎せいむ先生の才能の煌めきを感じさせてくれた。
だが、掲載誌となる『アワーズガール』は廃刊となり、続く『アワーズライト』も廃刊。

小学館の『IKKI』に移ってからは、掲載誌を追うこともなくなり、単行本も古本屋でまとめて購入するレベルになってしまった。

ネット上で漫画史研究会を代表する論客という評判の伊藤剛をして

「芳崎せいむ【金魚屋古書店】に唾を吐け」

と言わしめたのは、漫画古書コレクターと古書店主の本質と真実を、全て美談にすり替えて描いていたことに対する正直な苛立ち、嫌悪感だったのだろう。
伊藤には、【ビブリア古書堂の事件手帖】の登場まで、【金魚屋古書店】の先行作品としての意義を見出だせることは出来なかったし、小学館の編集者も、せっかくの【金魚屋古書店出納帳】の持ってる世界観を【金魚屋古書店】では間違った方向性へと導いてしまったと私は考えている。

本来【金魚屋古書店出納帳】には、【ビブリア古書堂の事件手帖】より先に大ブレイクする可能性、魅力を秘めていた作品だったのだが、担当する編集部と作品の本質を見極めることの出来ない評論家の心ない発言によって、作品のレベルを凋落させてしまった感が否めない。
作品を生かすも殺すも、編集者や読者の存在が必要不可欠だが、上から目線の評論家の発言には、何の意味があったのだろう。
【ビブリア古書堂の事件手帖】大ブレイクの影響だろうか、伊藤剛は昨年、文化庁の委員の一人として【金魚屋古書店】を推薦漫画として評価する。
伊藤剛の鮮やかな変節ぶりは、批評家としての見事な処世術だったのだろうが、ネットが普及した現代において、ネットにおける過去の発言からも全ての真実と本心が見え透いてしまうのだからその特性を早く理解するべきだろう。

以上が【ビブリア古書堂の事件手帖】と、芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】と【金魚屋古書店】の違いに対する何のしがらみもない在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸の現在の評価です。

漫画史研究会を象徴する伊藤剛たち上から目線の発言のみで、何も生み出さない漫画評論家、批評家たちと、昭和時代の名作漫画の発掘による温故知新で、漫画界の復活を心より願う漫画史研究家の違い。
同じ漫画史を研究テーマにしていても、水と油、その人間性の本質は大きく異なっています。

なので、これを機会に

【漫画古書収集奇譚】

と題して、漫画古書に関して【ビブリア古書堂の事件手帖】に倣って、私がこれから電子書籍化したい名作に纏わる取って置きのエピソードの数々を、シリーズで語っていきたいと思います。

私の思想には、先祖から代々伝わるサムライとしての武士道の精神と、庄内地方で公益の祖として慕われる一族の先祖、本間光丘の輝かしい業績に対する誇りと本間家に代々伝わる家訓、明治学院大学で学んだ他者への貢献の精神が大きく影響しているようです。
直接師事した先生方、故・松田春翠先生、故・二上洋一先生、石森史郎先生、心の師匠である平山亨先生の中には、現在もその著書が全国書店で発売されている方もおりますので、是非、ご一読を。

facebook上で、私が交流している人たちも、大半はリアルな知人であり、信頼がおける人達となりますので、参考までに。(*´∀`)♪
以下は、先週の感想になります。









「脅されているんです、異常な男から」

良く出来たドラマだ。

古書を愛する人たち、マニア、コレクターの習性を見事に描いているが、実際の人たちのビジュアルを忠実に再現しなかったのが大正解。(笑)
私が知るマニアやコレクターたちも、大概は本に対して異常な執着心を持ち、知人ではあっても絶対に友人にだけはなりたくないと思わせるビジュアルとルックスである。
最近では、ホンジャマカの石塚さんと、伊集院光さんを足して2で割ったような一見善人そうに見える独特のビジュアルだけでなく名前まで隠してブログをやっており、私がブログを始める何年も前に、成蹊大学から共著として発表した漫画史に関して私が書いた論文の何ら根拠のない誹謗中傷を発売後直ぐにわざわざブログに書いていた。
そのコレクションにかける情熱の素晴らしさとは裏腹に、異常な執着心がブログの端々から伝わってくるのを本人も、交流している人たちもまだ誰も気付いてはいないようだ。
【少年画報大全】発売直後、少年画報社の編集部宛に、半分に引き裂かれ、意味の無い赤い線が多数書き込まれた【少年画報大全】が送られてきたことがある。
50代後半、定年退職間近だった添田善雄編集長は、編集者生活初めての体験に非常なショックを受けていたようだが、私は前述したように異常な行動をとるマニア、コレクターたちの生態を見聞、理解していたので、さほど驚くこともなかった。
古書業界では、『冒険活劇文庫』や絵物語、街頭紙芝居収集に対して、常軌を逸した行動をとるコレクターが存在するのが広く知られている。
だが、絵物語や戦後の少年少女雑誌における日本一のコレクターは、彼ではなく、銀座にある若山美術館のオーナー若山さんだろう。
若山さんには、私が【少年画報大全】を監修した際にも、快く資料協力していただけた。
前述の彼とは、当時から面識があり、協力依頼をしてみたのだが、真逆の対応独特の価値観に当時大変驚いた。
【少年画報大全】発売以降、私と彼との交流は一切ないのだが、ネット上では今も知人の如く彼のブログに私の著書の悪口まで書き込まれていたのだからたまらない。
マニア、コレクターの妬み、執着心、逆怨み恐るべし。(* ̄∇ ̄*)

先週の金曜日、読売新聞と朝日新聞の朝刊に記載された鳥越信さん、本郷功次郎さん、高野悦子さんの訃報記事を読み比べてみた。

掲載の大きさ順では、高野悦子さん死去が一番大きく、

世界各地の名作映画の紹介に尽力した、岩波ホール総支配人の高野悦子さんが9日、大腸がんのため、都内の病院で亡くなった。
83歳だった。
葬儀は近親者で済ませた。
喪主は、めいで岩波ホール支配人の岩波律子さん。
後日、お別れの会を開く予定

とある。

1997年から2007年まで東京国立近代美術館フィルムセンターの名誉館長を務めた。
2004年に文化功労賞。

本郷功次郎さん死去については、

テレビ朝日系の刑事ドラマ「特捜最前線」橘刑事などで知られる俳優の本郷功次郎さんが、14日、心不全のため亡くなった。
74歳だった。
後日、しのぶ会を開く予定。
喪主は妻で元宝塚歌劇団の古城都(本名・本郷都)さん。

私には「大魔神」や「ガメラ」シリーズの方が印象深い。

鳥越信さんの訃報記事は、読売新聞のみで、上記の二人と違い写真の掲載もない。

鳥越信氏 83歳(とりごえ・しん=児童文学評論家)14日、老衰で死去。
葬儀は近親者で行う。
喪主は長男、恭(きょう)氏。
早稲田大学教授として児童文学研究に取り組み、収集した12万点の資料「鳥越コレクション」を1979年、大阪府に寄贈した。
これを基に84年、吹田市に「府立国際児童文学館」が創設され、運営に当たった。
同館は2010年に廃止され、資料は東大阪市の府立中央図書館に移された。
「日本児童文学史年表」で1976年の日本児童文学者協会賞などを受賞した。

とある。
鳥越信さんの名前や著書など、漫画史研究家として、何度も目にしたことがあるし、一度だけ府立国際児童文学館も利用したのだが・・・。

せっかくの寄贈資料を、十分活用出来なかった施設と後進の研究者たち。
施設関係者たちと、漫画評論家たちは、橋本市長に責任を転嫁し、糾弾したが、賢明なる一般世間の共感を得ることは出来なかった。
在野にいる漫画史研究家である私の施設に対する評価は、賢明なる一般世間と同じく廃止やむなしであったし、今も変わらない。
一度も面識のない鳥越信さんに対する私の評価は、研究者としてよりもコレクターとしての方が高い。
1978年に3万冊でオープン、有料で公開した現代マンガ図書館 内記コレクションよりも、1979年に12万点の資料を収集し無料で公開した鳥越コレクション。
府立国際児童文学館の存続を訴えていた漫画評論家たちの多くは、鳥越さんの追悼記事すら書いていないようだ。
故・二上洋一先生の師匠筋にあたる鳥越信さんの訃報に際し、せめて二上先生の弟子筋である私だけは、鳥越信さんのコレクターとしての功績を高く評価しておきたい。

鳥越さんの御冥福を祈ります。
鳥越さんが集められた貴重な鳥越コレクションについては、在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸がいつの日にか必ず後世の研究者の礎として活用させていただきますから御安心下さい。


2013年2月17日

漫画史研究家

本間正幸

さて、15日(金)は新聞を読んだ後、午後から新富町の事務所へ。
夜には築地駅から清澄白河駅へ移動し、のらくろ館のある森下文化センターへ。


辻真先が案内するミステリの世界

講師:辻 真先
(作家・本格ミステリ作家クラブ 会長)

探偵たちの名推理、怪盗たちの鮮やかなトリック、崩されるアリバイ、密室の謎、不可能への挑戦・・・。
数々の魅力があふれるミステリの世界を堪能してみませんか?
講師にミステリ作家、辻真先を迎え、豪華なゲストをお招きして、色々な角度からバラエティに富んだミステリの世界をご案内いたします。

カリキュラム

第1回(10/19) 日本のミステリの歴史~戦前編~

第2回(11/16) 海外のミステリ~山前譲(ミステリ研究家)との対談~

第3回(12/21) 日本のミステリの歴史~戦後編~

第4回(1/18) マンガ・アニメの中のミステリ~唐沢俊一(作家・評論家)との対談~


第5回(2/15) ミステリの現在~東川篤哉(作家)との対談~

金曜日 全5回 19:00~20:30

定員25名

受講料:7500円(全五回分)
教材費:200円(全五回分・資料代など)

全五回共、受講料のわりに大変充実した内容、大満足の講座であった。
脚本家で知られる辻先生の推理作家としての顔も、今回の講座から少しは判るようになった気がする。
定員25名は、まさに参加者の情報収集力と、意識の高さをはかる目安となり得た。
漫画やアニメの評論家として知られる顔は、殆んど見あたらなかったのだから、やっぱりな、と言う印象である。
帰りに一階展示ロビーで行われている

おおやちきの世界展

~伝説の漫画家、『りぼん』『ぴあ』からイラスト、パズルまで~

2/14(木)~3/3(日)

を観てから帰る。
永遠の少女まんが展に比べ、今回は見応えを感じた。
一人の作家の足跡をきちんと掘り下げることが出来ていたからだ。
おおやちき先生について、故・米沢嘉博さんの本が展示されていた。
米沢さん以外、未だにきちんとおおやちき先生の作家性を、誰も把握出来た研究者が育っていない哀しい現実を痛感した。


三連休の中日である昨日、私は前から大変興味のあった三つの展示会を観に行きました。

その一つが、偶然にも今日の日本経済新聞の文化32面にも取り上げられています。

挿絵で描く人間の本性

◇新聞や週刊誌で作家と組み67年、今も現役◇

濱野彰親


挿絵画壇の重鎮

濱野彰親展

モノクロームへの眼差し
ー人間の本性を暴くー

弥生美術館



2013年1月8日(火)~3月31日(日)

濱野先生に会えるチャンス!ギャラリートーク&サイン会

1.2月10日(日)14:00~
2.3月17日(日)14:00~
3.3月24日(日)14:00~

本日の画像は、記事が掲載されている新聞記事をベースに弥生美術館のチラシと、展示会に併せ株式会社ラピュータから発売され、サインを入れて貰った

濱野彰親挿絵原画集
モノクロームへの眼差し

松本品子・編。
定価(本体2800円+税)

私は、午後2時過ぎに弥生美術館に到着。

来館者でフロア一杯の会場の末席で、濱野先生を交えた学芸員のギャラリートークを聴いておりました。

老若男女、とても幅広い参加者。

小松崎茂先生門下の根本圭助先生にも、会場で久々に挨拶出来たし、2006年から『SFマガジン』(早川書房)連載の「SF挿絵画家の系譜」を【SF挿絵画家の時代】(本の雑誌社・2012年)として単行本にまとめて話題の大橋博之さんからは、消費税分をサービスしてもらい、著書を直接購入。
定価(本体1800円+税)。
この本については、私のお薦めの一冊なので、後日改めて紹介したい。

一時間弱のギャラリートークの後、始まったサイン会。

売店で本を購入し、濱野先生から本にサインを入れて貰った後、隣接する竹久夢二美術館で学芸員のギャラリートークに参加。

"見知らぬ世界"を求めて

旅人・竹久夢二

ー旅、恋、異国への憧れー

2013年1月8日(火)~3月31日(日)

◆学芸員によるギャラリートーク◆

1.1/13(日)午後3時より
2.2/10(日)午後3時より
3.3/10(日)午後3時より

弥生美術館と竹久夢二美術館は、二館併せて入館料一般900円、大・高生800円、中・小生400円でご覧頂けます。
*高畠華宵の常設ルームも併せてご覧いただけます。

竹久夢二美術館のギャラリートーク参加者は、いつも女性の方が多いイメージ。

テーマを決めて毎回展示内容を変えているため、何度観に行っても興味深い。
私が初めて竹久夢二美術館に行ったのは2000年以降。
その時から収蔵作品も増えているのだろうが、もうすっかり見慣れてしまった物もある。
企画展毎、年4回、12年だとすると48回弱は訪れた計算になる。
竹久夢二が、庄内酒田に滞在したことは知っているが、今回、私の父の故郷である庄内鶴岡にも滞在していたこと、同じく銚子でのエピソードが有名だが、私の母の故郷の隣町である潮来へも滞在していたことが興味深かった。
晩年、横浜から船に乗って外遊したりと、画家よりも旅人としての先人であった夢二に、私は寅さんにも似た親近感を憶えたのだ。

昨夜のBSフジの番組「名画と歩こう 竹久夢二・長崎十二景を巡る」では、夢二好きで知られる女優の緒川たまきさんと共に、竹久夢二美術館の学芸員の石川さんが解説のため、出ていたようだ。
近年、竹久夢二研究家として、学芸員である石川さんの外部での活躍もめざましい。

ギャラリートークを終えた後、濱野彰親先生夫妻を交えて、隣の喫茶港やで、日本出版美術研究会の会合と情報交換会。
私は、2002年からここのメンバー。
大橋博之さんには、2006年にこの会合で初めて会った。
年は私より八歳上だが、私のメジャーデビューが2001年なので、私の方が随分早くなる計算だ。
著書の中で小松崎茂先生や、濱野彰親先生、根本圭助先生など総勢七一名取り上げているが、小松崎茂先生に直接長時間インタビューするチャンスにだけは、残念ながら恵まれなかったようだ。
私は、【少年画報大全】監修後直ぐの2001年夏に、東京ドームホテルにて、初対面となる中一弥先生、伊勢田邦彦先生、濱野彰親先生、そして根本圭助先生と夕食を御一緒する幸運にも恵まれている。
探し続けている本を手に出来る幸運や、憧れ続けている作家さんに直接逢える幸運、共に一期一会の場合がある。

昭和時代を代表する300人弱の漫画家さん、絵物語作家さん、挿絵画家さんの図版を取り上げ、その中から小松崎茂先生を始め、上田トシコ先生など10人の作家さんのインタビューを収録した【少年画報大全】(2001年・少年画報社)を監修する幸運は、昭和時代の漫画史研究家として、これに勝るものは今も見当たらない。

さて、港やを後にした私は、一人のらくろ館のある森下文化センター

【永遠の少女マンガ展】

へ向かう。

今日が最終日なので、昨日のうちに観ておいたのだが、クオリティーが高くて評判の美術館の展示を立て続けに観た後のためだろうか?期待に反してどうしても見劣り感が否めない。

評判の高い名著を買って読んだ後、アクセス数の多い人気ブログを読んだような気分にさせられた。

プロとアマ、前座と真打ちの実力の違い、順番が逆だったらまだ良かったのかも知れない。

原画の展示と、原画ダッシュの展示素材については一級品なので文句無し。

無料で読める少女マンガも、下手な漫画喫茶より素晴らしい充実ぶり。

だが、今回の展示会のための美術館の図録や書籍にあたるもの、少女マンガに対する愛情や志が足りないような気がするのが残念で仕方ない。

私が学生だったなら、文句なしの内容だが、プロの漫画史研究家の視点からすると、泣いて馬謖を斬る、苦言を呈さざるを得ない展示内容だ。

無料の漫画喫茶に、ドリンク代わりに貴重な原画が展示されている贅沢で素敵な空間、それが私の印象の全てだ。

故・米沢嘉博さんの遺志を継ぐような正統な少女漫画史研究家の長き不在、及び、美術館、博物館の学芸員ではないスタッフのみしか展示に関わっていないことが、心から悔やまれる展示内容だ。
せっかくのチャンスだったのだから、今出来ることはもっと沢山あったはずなのに。(涙)

さて、この三連休が終わると・・。

マクドナルドのおいしいニュース、ハッピーセット

2/15(金)~スポンジ・ボブ、全8種類。
3/8(金)~ドラえもん、全6種類。

さらにもらえる!

3/9(土)10(日)ゆらゆらタイムマシーン

3/16(土)17(日)お風呂シール


私は、ドラえもんファンなので、毎年この時期は、少なくとも6回以上はマクドナルドに通わなければならない。(*´∀`)♪

2013年1月29日、文化庁は国立国会図書館の蔵書データを大日本印刷が電子書籍の形にして、紀伊国屋書店の電子書店を通して無料配信する実験を、2月1日から3月3日まで行うと発表した。

配信対象の13作品※かっこ内は出版年

浪花禿箒子著、石川豊信画「絵本江戸紫」(1765)
住吉内記写「平治物語絵巻 第一軸」(1798)
グリム著、上田万年訳「おほかみ」(1889)
竹久夢二「コドモのスケッチ帖 動物園にて」(1912)
芥川龍之介「羅生門」(1917)
芥川龍之介「河童」(1927)
酒井潔「エロエロ草紙」(1930)
柳田国男「遠野物語」(1910)
夏目漱石「硝子戸の中」(1915)
永井荷風「腕くらべ」(1918)
宮沢賢治「春と修羅」(1924)
宮沢賢治「四又の百合」(1948)
写真絵本「きしゃでんしゃ」(1953)

やはり、今年の出版界を読みとくキーワードは、温故知新と電子書籍のようだ。
著者が故人となった出版物の電子書籍化実現には、様々な困難が伴う。
近年では、今回のリストにも名前がある明治の大文豪・夏目漱石の遺族、親族同士による利権をめぐる確執と争いが、マスコミやネットを騒がし物議を醸したことも記憶に新しい。
作品の素晴らしさと、作家の人格は別であり、更に作家の遺族と出版交渉をすることは、非常な困難を伴うことがあるのが事実である。

その為だろうか?

昨今の出版不況に伴い、昭和時代の漫画史を代表する名作漫画の復刻については、現在、ごく一部の有名作家の作品を除き、大手出版社による商業出版の道は、ほぼ閉ざされた状態が続いている。

在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、現状を憂い続けていました。
国会図書館や、膨大な蔵書量を誇る関西・関東にある有名マンガ図書館に比較すると、一個人の蔵書数二万冊というのは、蟷螂の斧のごとくあまりにも儚い僅かばかりの蔵書量に過ぎないのかも知れません。
けれども、日本の昭和の漫画史を代表する名作アーカイブの確立、復刻事業の礎となるために、粉骨砕身精一杯努力し、頑張っていきたいと常日頃から考え続けていました。
昨年の秋口、私は大日本印刷の電子書籍に対する真摯な姿勢に共感し、微力ながらも株式会社パインウッドカンパニーを通じて、慎重に作品の検討、選択をし、統一定価525円にて、2013年1月28日より一足早く次の作品の復刻、電子書籍化出来たことを正式に発表します。

配信対象の五作品※()内は連載年。

上田トシコ「フイチンさん1」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん2」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん3」(1957~1962年)
上田トシコ「ぼんこちゃん」(1955~1962年)
上田トシコ「お初ちゃん」(1958~1969年)

以下、続々と電子書籍化予定です。


田河水泡・のらくろ館特別展

「永遠の少女マンガ展」


会期:2013年1月19日(土)~2月11日(月・祝)※1月21日(月)2月4日(月)は休館

時間:午前9時~午後9時

会場:森下文化センター一階展示ロビー【入場無料】

東京都江東区森下3ー12ー17

TEL03(5600)8666

主催:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団
江東区森下文化センター

■原画'(ダッシュ)

出展作家

松本かつち゛、上田としこ、わたなべまさこ、今村洋子、高橋真琴、巴里夫、水野英子、牧美也子、あすなひろし、北島洋子、上原きみ子、竹宮惠子、佐藤史生、花郁悠紀子

■三原順原画展示

■編集者・小長井信昌の仕事

小長井さんが、長年、編集者・編集長として関わってきた美内すずえさん、和田慎二さん、成田美名子さんのカラー原画や作品等も展示します。

■田河水泡と弟子たち

「のらくろ」の作者として有名な田河水泡は、戦前、『少女倶楽部』でも作品を発表しています。
本展では、水泡の作品を展示するとともに、弟子である、長谷川町子さん、倉金章介さん、永田竹丸さん、山根赤鬼さん、山根青鬼さんたちの少女マンガ作品を紹介します。

■おことわり

株式会社パインウッドカンパニーでは現在、昭和を代表する少女マンガのアーカイブ化事業に取り組んで来ました。

先ずは上田トシコ先生の代表作【フイチンさん】【お初ちゃん】【ぼんこちゃん】の三作品をコミックパークからオンデマンドで販売。


大好評につき、三作品全てを電子書籍化し、2013年1月28日より定価525円にて販売を開始致しましたので、併せて購入を御検討いただけましたら幸いです。

また、少女まんが史を理解する上において、私は二上洋一先生が残された【少女まんがの系譜】(ぺんぎん書房)の入手をお薦めしたい。
発売後、直ぐに出版社が倒産の憂き目に遇ってしまいましたが、二上洋一先生こと、集英社の名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する深い愛情が伝わってくる一冊です。
「西の新井善久(講談社)、東の山本順也(小学館)」と云われる少女まんがの名編集者の歴史において、第三の男とも言うべき集英社を代表する少女まんがの名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する考え方が理解出来る一級品の資料です。
今日的少女まんが史研究の視点からすると、別人の手による巻末のデータベースの不備、未成熟度は、その時代における少女まんが史研究最前線の遅れを顕著に示しています。
米澤嘉博さん亡き後の、正当な少女まんが史研究家の長き不在。

私共、株式会社パインウッドカンパニーでは、これからも絶版のため、長らく入手困難だった昭和の少女マンガ史を代表する名作群の電子書籍化に取り組んでまいります。

少女マンガ史を代表する名作群を、実際に読みこむことによって、一日も早い実証的な少女まんが史研究家の登場が待ち望まれます。


以下の文章は、今年の二上洋一先生の命日に際しての私の思いを再録しましたので、参考までに。


2009年1月16日、私が大変お世話になった二上洋一先生が亡くなられた。享年71歳。

鮎川哲也監修、芦辺拓編【少年探偵王】(2002年・光文社)の目次をみると、はじめに 芦辺拓、秋山憲司「回想の乱歩・洋一郎・峯太郎」、二上洋一「吸血魔」解説、山前譲 鮎川哲也氏の年少者向け推理小説、本間正幸「ビリーパック」解説、解説 僕らも少年探偵団!

とある。

私と二上先生の名前が一緒に出てくる最初の本だ。

【少年画報大全】(2001年・少年画報社)監修後、当時フリーの編集者だった中野晴行さんの紹介により、芦辺拓先生と御逢いできた私は、芦辺先生の依頼により、光栄にも漫画【ビリーパック】の解説者に大抜擢してもらった。

その後、【少年画報大全】監修の実績により、弥生美術館の日本出版美術研究会へ学芸員以外の研究者では、最年少で私の入会が認められ、会合の時に長老格の二上先生に初めて御逢いすることが出来た。

二上先生は、当時出版関係者の間でのみ高い評価を受けていた【少年画報大全】を発売と同時に購入していただいていた。

そして、親子ほど年の離れた漫画史研究家として、まだメジャーデビューしたての私の才能を、いち早く見極めてくれていた。(実際、二上先生は私の亡き父より一歳年下だったので、酒好きの父が生きていたなら二上先生と同じくらいの年頃になるんだろうな。)

プロの評論家として活動するには、文章が下手だが、新たな分野のパイオニアとなる漫画史の研究者としての才能なら突出していることを見抜いてくれていたのだ。

そして、現在の一億総評論家時代の到来に伴い評論家の肩書きや、大学教授、大学講師の地位待遇が今のように凋落してこそ初めて、在野にいる数少ない漫画史研究家としての私の稀少価値が認められるようになり、活躍する場も増える筈だが、その時が訪れるまではまだまだ時間が掛かることも予見されていた。

私は、二上先生から将来、漫画史研究家のパイオニアとして活動するための覚悟や心構え、人としてのあり方を学ぶようになり、少年小説研究について師事するのだが、師事した矢先に二上先生は急逝されてしまった。

だが、私の手元には、二上先生の残された著書がある。

スタッフとして関わられた【少年小説大系】の膨大な作品群(昨年やっと全巻購入出来た)がある。

私は、二上先生から直接、少年小説大系に懸けた情熱を何度も何度も繰り返し聞くことが出来た。

後は、私自身の才能と努力の問題である。

街頭紙芝居の研究や、無声映画時代の映画やアニメーションについては、マツダ映画社に、我が師匠である故・松田春翠先生が終生情熱を持って集められた膨大なフィルムが残されているので、毎月の無声映画鑑賞会に参加して、私は自分の才能と、独自の視点を持って研究を進めればよい。

漫画史研究家である私が、師事し最も影響を受けた人物は、マツダ映画社を創立し今日まで残る無声映画の発展普及に尽力し続けた故・松田春翠先生と、少年小説大系編纂に関わった故・二上洋一先生の二人である。
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【ビブリア古書堂の事件手帖】に待望の【UTOPA 最後の世界大戦】が登場!

2013-02-27 04:48:37 | 「金魚屋古書店出納帳」芳崎せいむ
【ビブリア古書堂の事件手帖】

先週から引っ張った【晩年】のエピソード、復刻本がキーとなるのは、残念ながら私には、途中から見え透いてしまっていた。
何故なら、本物のコレクターなら、復刻本を二セット以上持っていることなど日常茶飯事。
昨年、秋田書店から発売された完全復刻本【沙漠の魔王】については、高額本ながらも最近は貧乏に甘んじている私でさえ、実際に二セット購入しているのだから。
古くからのコレクターなら、大切な本は一冊は永久保存用、二冊目は閲覧、貸出し用、三冊目は、交換、転売用として購入するのが基本だ。
古書の場合、経年劣化により其々保存状態が異なるので、状態が悪い物を高額で購入した後、比較的状態の良い物が安価で市場に出回っていたら、再度購入してしまうのがコレクターの本能。
私も、お気に入りの本や雑誌『COM』全巻セットや【カムイ伝】連載中の『ガロ』については、複数所持している。
さて、今回のエピソード

#07「複数の真実」

において、古書漫画の最高峰、足塚不二雄の【UTOPIA 最後の世界大戦】が遂に登場した。
私の得意分野、いや、専門分野となるので、番組の解説を補足したいと思う。

【UTOPIA 最後の世界大戦】

に高額な値付けをしたのは、みなさんご存知の中野のまんだらけ、古川益蔵さんである。
漫画古書専門店としては、神田神保町の中野書店が業界の皮切りとなる。
続いて現代マンガ図書館が1978年秋にオープンした際、年四回の即売展が活況を呈した。
私は、小学生の頃から、横浜鶴見より、神田神保町にある中野書店に通った。
直ぐに早稲田にある現代マンガ図書館がオープンとなり、オープン記念の即売展から駆けつけたのだから、古書漫画コレクターとしては、当時最年少の部類であり、35年以上のキャリアを持つ時代の証言者と充分成り得るだろう。
当時まんだらけは、まだ全国区ではなく、現代マンガ図書館の即売展においては、奥野さんの観覧舎と同じく一参加店に過ぎなかったのが私の印象だ。
駿台予備校の浪人時代、予備校での友達で上杉家の末裔だと言うN君が(私の先祖の本間光丘は、上杉鷹山に大名貸しをしているのも何かの縁だろう。予備校の友達の間では日本史の授業で大ウケとなった)中野に住んでおり、中野に凄い古本屋があると教えられて通い始めたのが1985年。
それまでは、鶴見の西田書店、蒲田の龍生書林、三軒茶屋の喇摩舎、神田神保町の中野書店、早稲田にある現代マンガ図書館の即売展が、主な私の縄張りだったし古書漫画の購入先だった。
まんだらけの快進撃は、【UTOPIA 最後の世界大戦】の値付けに始まる。
次に写真付きの分厚い古書漫画目録を発行したのも、革新的なアイデアだったし、コスプレ店員なども、マスコミの注目を集めた。
年四回の古書漫画即売展で、年間の運営費を稼いでいた現代マンガ図書館は、オープン時に全国から善意で寄贈された本でダブリの分の転売が底を尽き(大切な本を寄贈された方の善意を何と思っていたのだろう)、即売展参加料のマージンの高さと、売上げに対して納入する歩合の高さから、まんだらけ始め主要古書店の参加が次第に少なくなり、現代マンガ図書館での古書漫画即売展の人気が凋落してしまったのは、内記さんの古本屋としての人間性が全ての原因であるため自業自得としか言いようがない。
扱う古書漫画も、貸本上がりで酷く保存状態が悪い物でも、タイトルだけで高値がついていたため、どうせなら、状態が良い物を欲しいと考える新書本コレクターたちが増えるようになると、敬遠されるようになっていったし、私の足も遠のくようになった。
テレビ東京の【開運!なんでも鑑定団】での古川さんのレギュラー出演も、古書漫画収集に人気を呼んだし、古書漫画に驚きの高値が付くことを一般人にも広く知らしめたため、現代マンガ図書館に貴重な蔵書を寄贈する人は激減、せっかく寄贈した本を売るくらいなら返してくれと抗議した人もいたが、その時には既に売却済みだったようだ。

さて、【UTOPIA 最後の世界大戦】が展示中に盗難にあったという事実は、古川さんの著書にも書かれているし、未だ犯人も、盗難された本も出てきてはいない。

そのエピソードを、絡ませているところに、今回の話の面白さがあった。

【UTOPIA 最後の世界大戦】には、完全復刻版がある。

名著刊行会から限定一千部で昭和56年に発行された物と、2011年に小学館クリエイティブから発行された物。

鶴書房から発行された【UTOPIA 最後の世界大戦】のオリジナル本は、市場価格300万前後となっているので、私は名著刊行会から発行された復刻本シリアルNo.0638番で満足している。

名著刊行会から発行された復刻本でさえ、一時期2~3万のプレミアがついていたが、新しい復刻本が出回ったのでもう少し安くなっているだろう。

さて、新しい復刻本が出る前段階で、私が直接関わった驚くべきエピソードをここで初披露しよう。

平成18年1月から逓信総合博物館で

松本零士コレクションでつづる
「漫画誕生から黄金バットの時代」展
において、企画段階から版権処理に深く関わっていた私は、【UTOPIA 最後の世界大戦】と【沙漠の魔王】【正ちゃんの冒険】の展示に執着した。
中でも、当時、藤子不二雄時代の共作は全て絶版となっており、【UTOPIA 最後の世界大戦】の展示は、博物館の関係者誰もが、絶望視していた。
私は、駄目で元々の気楽な立場だったので、先ずは旧知である@先生サイドのマネージャーさんに連絡を取って相談してみる。

「【少年画報大全】で、@先生に【怪物くん】のインタビューをさせてもらって大変御世話になった研究者の本間です。
今度、逓信総合博物館で、企画展があり、そこに松本零士先生が所蔵する【UTOPIA】を展示したいんですけど、
難しいですよね。」

すると、直ぐに二つ返事で

「いいわよ。」

「えっ、大丈夫なんですか。」

「そんなに、変なことに使ったりするんじゃないでしょ。だったらいいわよ。向こうの担当者にも、きちんと許可を取ってね。」

私は、吃驚してしまった。
直ぐにF先生サイドに連絡を取る。

「うちはいいですけど、@先生側が何というか。」

「今、MさんにはOK貰えたんですよ。」

「えっ!本当ですか?だったらうちもOKですから。」

私は、この時、日本中の誰よりも一番早く藤子不二雄先生の共作が、再び復刻される日が来ることを予見したのだった。

藤子不二雄作品の初期単行本や、附録など、撮影でどうするのか興味深々だったが、ビブリアで買い取って売ってしまったとするなど、古書コレクターだけでなく、古書店主の性質も綺麗事だけでなく見事に真実を描いている。
現代マンガ図書館の内記稔夫氏が、寄贈された本を即売展で売っていたことは、あまり語られていない気がするが、紛れもない真実である。
古書店主は、お客さんの足許をみて買取りをした。
コレクターが死後、本の価値を何も知らない遺族が本を処分するとなると、二束三文の値を付けて買い叩いてくる。
町の古本屋が廃れてブックオフが一挙に流行った理由として、単純明快な買取り方法があげられる。
さて、【ビブリア古書堂の事件手帖】に類似する先行作品だった芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】の掲載誌が少年画報社から小学館に変わって【金魚屋古書店】となったことにより、作品のクオリティが落ちてしまったことがある。

【金魚屋古書店】第6巻に収録されている第39話「古本のお医者さん」にて、【UTOPIA 最後の世界大戦】を取り上げているので、【ビブリア古書堂の事件手帖】と読み比べて貰えば作者の力量の違いが皆さんにも実感出来るだろう。
巻末お役立ちコラム金魚屋古書店雑記帳も、私には殆んど役に立ったことはない。
本来、作中に登場する作品の魅力を伝えるはずのコラムが、第1巻第4話の【ビリーパック】を始め、まるで機能していないようにすら感じられる。

コラムを担当する見ず知らずの田舎のオジサンが子供の頃に虐められていたことを知って、いったい何の役に立つのだろうか。

「そしてビリーのハンサムな顔立ちが人気の秘密だった。」

とあるが、作者である河島光広先生は、単行本初版の作者の巻頭の言葉にて
-この本をごらんになるみなさんへ-

ビリー・パックは、アメリカ人のおとうさんと、日本人のおかあさんとのあいだに生まれた、混血児というかわいそうな運命をもった少年です。
しかし、おとうさんのおしえをよくまもり、世の中にはびこる悪い人たちをこらしめるために、どんなにおそろしい敵にも、ゆうかんにむかっていく、りっぱな少年なのです。
どうか、みなさんも、このゆうかんなビリー・パックを、おうえんしてやってください。

とある。
そう、当時の日本の都会では、混血児は差別の対象であり、ハンサムな顔立ちが人気となるのは、ほんの少し後のことなのだ。
当時の微妙な時代背景を、1948年生まれの田舎のオジサン一人の思い込みだけで語られてはたまらない。
【赤胴鈴之助】は、孤児の少年が日本一の少年剣士を目指すことに共感され、【ビリー・パック】は、アメリカ帰りの混血児で孤児の少年探偵が、悪漢相手に正義の戦いをすることに共感されたのが人気の秘密だったのだ。

「突然の病で急死。作品は弟子の矢島利一に引き継がれる」

河島先生は、【ビリー・パック】連載開始当初から、肺結核のため名古屋の自宅二階のベットで寝たり起きたりの状態だった。
長期の闘病生活の後、30歳の若さで急逝される。
突然の病で急死などではない。
矢島利一先生は、街頭紙芝居からのキャリアを持ち、『少年』で【遊星王子】のコミカライズ連載を担当している。
病気がちな河島先生のアシスタントを務めたが、弟子であったという話は聞いたことがないのだが・・・。
因みに、最初のアシスタントは、福元一義先生となり、代筆をしていることが広く知られている。
実際の【ビリー・パック】について詳しく知りたい方は、

【少年画報大全】(少年画報社・2001年、現在三刷)

【少年探偵王】(光文社文庫・2002年)

【『少年画報』誕生60周年記念復刻】「赤胴鈴之助」「ビリーパック」「まぼろし探偵」3冊セット(少年画報社・2007年)

【明治・大正・昭和の大衆文化-伝統の再創造はいかにおこなわれたか-】(彩流社・2008年)

【少年画報】昭和35年正月号完全復刻(少年画報社・2010年)

をご覧いただければ幸いです。
単行本完全復刻に際しては、私が所蔵する初版の本をバラして原本としましたので、先程ご紹介した作者の言葉も確認出来ます。
其々【ビリーパック】に関する解説なども、全て漫画史研究家である私が関わっていますので間違いはありません。
先程の田舎のオジサンや、編集部の担当者が、もし、この中の一つでも私の解説を読んでいたのなら、あそこまで酷いコラムが世に出ることもなかったと思うのですが、誠に遺憾としかいいようがありません。

【金魚屋古書店出納帳】がヤングキングアワーズ増刊12月号『アワーズガール』(平成12年12月2日発行)で初登場した際、私はこの作品に大いなる期待を寄せた。
少年画報社が満を持して創刊した

「こだわり少女のコミック誌オール新作読切14作」

伊藤潤二
今市子
波津彬子
犬上すくね

を別格に

篠原烏童/大沢美月/黒田硫黄/有元美保/芳崎せいむ/川原由美子/逆柱いみり/おがきちか/小石川ふに/佐々木久美子

の中、伊藤潤二先生目当てでこの雑誌を手に入れた私に、未だ名前すら知らなかった芳崎せいむ先生の才能の煌めきを感じさせてくれた。
だが、掲載誌となる『アワーズガール』は廃刊となり、続く『アワーズライト』も廃刊。

小学館の『IKKI』に移ってからは、掲載誌を追うこともなくなり、単行本も古本屋でまとめて購入するレベルになってしまった。

ネット上で漫画史研究会を代表する論客という評判の伊藤剛をして

「芳崎せいむ【金魚屋古書店】に唾を吐け」

と言わしめたのは、漫画古書コレクターと古書店主の本質と真実を、全て美談にすり替えて描いていたことに対する正直な苛立ち、嫌悪感だったのだろう。
伊藤には、【ビブリア古書堂の事件手帖】の登場まで、【金魚屋古書店】の先行作品としての意義を見出だせることは出来なかったし、小学館の編集者も、せっかくの【金魚屋古書店出納帳】の持ってる世界観を【金魚屋古書店】では間違った方向性へと導いてしまったと私は考えている。

本来【金魚屋古書店出納帳】には、【ビブリア古書堂の事件手帖】より先に大ブレイクする可能性、魅力を秘めていた作品だったのだが、担当する編集部と作品の本質を見極めることの出来ない評論家の心ない発言によって、作品のレベルを凋落させてしまった感が否めない。
作品を生かすも殺すも、編集者や読者の存在が必要不可欠だが、上から目線の評論家の発言には、何の意味があったのだろう。
【ビブリア古書堂の事件手帖】大ブレイクの影響だろうか、伊藤剛は昨年、文化庁の委員の一人として【金魚屋古書店】を推薦漫画として評価する。
伊藤剛の鮮やかな変節ぶりは、批評家としての見事な処世術だったのだろうが、ネットが普及した現代において、ネットにおける過去の発言からも全ての真実と本心が見え透いてしまうのだからその特性を早く理解するべきだろう。

以上が【ビブリア古書堂の事件手帖】と、芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】と【金魚屋古書店】の違いに対する何のしがらみもない在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸の現在の評価です。

漫画史研究会を象徴する伊藤剛たち上から目線の発言のみで、何も生み出さない漫画評論家、批評家たちと、昭和時代の名作漫画の発掘による温故知新で、漫画界の復活を心より願う漫画史研究家の違い。
同じ漫画史を研究テーマにしていても、水と油、その人間性の本質は大きく異なっています。

なので、これを機会に

【漫画古書収集奇譚】

と題して、漫画古書に関して【ビブリア古書堂の事件手帖】に倣って、私がこれから電子書籍化したい名作に纏わる取って置きのエピソードの数々を、シリーズで語っていきたいと思います。

私の思想には、先祖から代々伝わるサムライとしての武士道の精神と、庄内地方で公益の祖として慕われる一族の先祖、本間光丘の輝かしい業績に対する誇りと本間家に代々伝わる家訓、明治学院大学で学んだ他者への貢献の精神が大きく影響しているようです。
直接師事した先生方、故・松田春翠先生、故・二上洋一先生、石森史郎先生、心の師匠である平山亨先生の中には、現在もその著書が全国書店で発売されている方もおりますので、是非、ご一読を。

facebook上で、私が交流している人たちも、大半はリアルな知人であり、信頼がおける人達となりますので、参考までに。(*´∀`)♪
以下は、先週の感想になります。









「脅されているんです、異常な男から」

良く出来たドラマだ。

古書を愛する人たち、マニア、コレクターの習性を見事に描いているが、実際の人たちのビジュアルを忠実に再現しなかったのが大正解。(笑)
私が知るマニアやコレクターたちも、大概は本に対して異常な執着心を持ち、知人ではあっても絶対に友人にだけはなりたくないと思わせるビジュアルとルックスである。
最近では、ホンジャマカの石塚さんと、伊集院光さんを足して2で割ったような一見善人そうに見える独特のビジュアルだけでなく名前まで隠してブログをやっており、私がブログを始める何年も前に、成蹊大学から共著として発表した漫画史に関して私が書いた論文の何ら根拠のない誹謗中傷を発売後直ぐにわざわざブログに書いていた。
そのコレクションにかける情熱の素晴らしさとは裏腹に、異常な執着心がブログの端々から伝わってくるのを本人も、交流している人たちもまだ誰も気付いてはいないようだ。
【少年画報大全】発売直後、少年画報社の編集部宛に、半分に引き裂かれ、意味の無い赤い線が多数書き込まれた【少年画報大全】が送られてきたことがある。
50代後半、定年退職間近だった添田善雄編集長は、編集者生活初めての体験に非常なショックを受けていたようだが、私は前述したように異常な行動をとるマニア、コレクターたちの生態を見聞、理解していたので、さほど驚くこともなかった。
古書業界では、『冒険活劇文庫』や絵物語、街頭紙芝居収集に対して、常軌を逸した行動をとるコレクターが存在するのが広く知られている。
だが、絵物語や戦後の少年少女雑誌における日本一のコレクターは、彼ではなく、銀座にある若山美術館のオーナー若山さんだろう。
若山さんには、私が【少年画報大全】を監修した際にも、快く資料協力していただけた。
前述の彼とは、当時から面識があり、協力依頼をしてみたのだが、真逆の対応独特の価値観に当時大変驚いた。
【少年画報大全】発売以降、私と彼との交流は一切ないのだが、ネット上では今も知人の如く彼のブログに私の著書の悪口まで書き込まれていたのだからたまらない。
マニア、コレクターの妬み、執着心、逆怨み恐るべし。(* ̄∇ ̄*)

先週の金曜日、読売新聞と朝日新聞の朝刊に記載された鳥越信さん、本郷功次郎さん、高野悦子さんの訃報記事を読み比べてみた。

掲載の大きさ順では、高野悦子さん死去が一番大きく、

世界各地の名作映画の紹介に尽力した、岩波ホール総支配人の高野悦子さんが9日、大腸がんのため、都内の病院で亡くなった。
83歳だった。
葬儀は近親者で済ませた。
喪主は、めいで岩波ホール支配人の岩波律子さん。
後日、お別れの会を開く予定

とある。

1997年から2007年まで東京国立近代美術館フィルムセンターの名誉館長を務めた。
2004年に文化功労賞。

本郷功次郎さん死去については、

テレビ朝日系の刑事ドラマ「特捜最前線」橘刑事などで知られる俳優の本郷功次郎さんが、14日、心不全のため亡くなった。
74歳だった。
後日、しのぶ会を開く予定。
喪主は妻で元宝塚歌劇団の古城都(本名・本郷都)さん。

私には「大魔神」や「ガメラ」シリーズの方が印象深い。

鳥越信さんの訃報記事は、読売新聞のみで、上記の二人と違い写真の掲載もない。

鳥越信氏 83歳(とりごえ・しん=児童文学評論家)14日、老衰で死去。
葬儀は近親者で行う。
喪主は長男、恭(きょう)氏。
早稲田大学教授として児童文学研究に取り組み、収集した12万点の資料「鳥越コレクション」を1979年、大阪府に寄贈した。
これを基に84年、吹田市に「府立国際児童文学館」が創設され、運営に当たった。
同館は2010年に廃止され、資料は東大阪市の府立中央図書館に移された。
「日本児童文学史年表」で1976年の日本児童文学者協会賞などを受賞した。

とある。
鳥越信さんの名前や著書など、漫画史研究家として、何度も目にしたことがあるし、一度だけ府立国際児童文学館も利用したのだが・・・。

せっかくの寄贈資料を、十分活用出来なかった施設と後進の研究者たち。
施設関係者たちと、漫画評論家たちは、橋本市長に責任を転嫁し、糾弾したが、賢明なる一般世間の共感を得ることは出来なかった。
在野にいる漫画史研究家である私の施設に対する評価は、賢明なる一般世間と同じく廃止やむなしであったし、今も変わらない。
一度も面識のない鳥越信さんに対する私の評価は、研究者としてよりもコレクターとしての方が高い。
1978年に3万冊でオープン、有料で公開した現代マンガ図書館 内記コレクションよりも、1979年に12万点の資料を収集し無料で公開した鳥越コレクション。
府立国際児童文学館の存続を訴えていた漫画評論家たちの多くは、鳥越さんの追悼記事すら書いていないようだ。
故・二上洋一先生の師匠筋にあたる鳥越信さんの訃報に際し、せめて二上先生の弟子筋である私だけは、鳥越信さんのコレクターとしての功績を高く評価しておきたい。

鳥越さんの御冥福を祈ります。
鳥越さんが集められた貴重な鳥越コレクションについては、在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸がいつの日にか必ず後世の研究者の礎として活用させていただきますから御安心下さい。


2013年2月17日

漫画史研究家

本間正幸

さて、15日(金)は新聞を読んだ後、午後から新富町の事務所へ。
夜には築地駅から清澄白河駅へ移動し、のらくろ館のある森下文化センターへ。


辻真先が案内するミステリの世界

講師:辻 真先
(作家・本格ミステリ作家クラブ 会長)

探偵たちの名推理、怪盗たちの鮮やかなトリック、崩されるアリバイ、密室の謎、不可能への挑戦・・・。
数々の魅力があふれるミステリの世界を堪能してみませんか?
講師にミステリ作家、辻真先を迎え、豪華なゲストをお招きして、色々な角度からバラエティに富んだミステリの世界をご案内いたします。

カリキュラム

第1回(10/19) 日本のミステリの歴史~戦前編~

第2回(11/16) 海外のミステリ~山前譲(ミステリ研究家)との対談~

第3回(12/21) 日本のミステリの歴史~戦後編~

第4回(1/18) マンガ・アニメの中のミステリ~唐沢俊一(作家・評論家)との対談~


第5回(2/15) ミステリの現在~東川篤哉(作家)との対談~

金曜日 全5回 19:00~20:30

定員25名

受講料:7500円(全五回分)
教材費:200円(全五回分・資料代など)

全五回共、受講料のわりに大変充実した内容、大満足の講座であった。
脚本家で知られる辻先生の推理作家としての顔も、今回の講座から少しは判るようになった気がする。
定員25名は、まさに参加者の情報収集力と、意識の高さをはかる目安となり得た。
漫画やアニメの評論家として知られる顔は、殆んど見あたらなかったのだから、やっぱりな、と言う印象である。
帰りに一階展示ロビーで行われている

おおやちきの世界展

~伝説の漫画家、『りぼん』『ぴあ』からイラスト、パズルまで~

2/14(木)~3/3(日)

を観てから帰る。
永遠の少女まんが展に比べ、今回は見応えを感じた。
一人の作家の足跡をきちんと掘り下げることが出来ていたからだ。
おおやちき先生について、故・米沢嘉博さんの本が展示されていた。
米沢さん以外、未だにきちんとおおやちき先生の作家性を、誰も把握出来た研究者が育っていない哀しい現実を痛感した。


三連休の中日である昨日、私は前から大変興味のあった三つの展示会を観に行きました。

その一つが、偶然にも今日の日本経済新聞の文化32面にも取り上げられています。

挿絵で描く人間の本性

◇新聞や週刊誌で作家と組み67年、今も現役◇

濱野彰親


挿絵画壇の重鎮

濱野彰親展

モノクロームへの眼差し
ー人間の本性を暴くー

弥生美術館



2013年1月8日(火)~3月31日(日)

濱野先生に会えるチャンス!ギャラリートーク&サイン会

1.2月10日(日)14:00~
2.3月17日(日)14:00~
3.3月24日(日)14:00~

本日の画像は、記事が掲載されている新聞記事をベースに弥生美術館のチラシと、展示会に併せ株式会社ラピュータから発売され、サインを入れて貰った

濱野彰親挿絵原画集
モノクロームへの眼差し

松本品子・編。
定価(本体2800円+税)

私は、午後2時過ぎに弥生美術館に到着。

来館者でフロア一杯の会場の末席で、濱野先生を交えた学芸員のギャラリートークを聴いておりました。

老若男女、とても幅広い参加者。

小松崎茂先生門下の根本圭助先生にも、会場で久々に挨拶出来たし、2006年から『SFマガジン』(早川書房)連載の「SF挿絵画家の系譜」を【SF挿絵画家の時代】(本の雑誌社・2012年)として単行本にまとめて話題の大橋博之さんからは、消費税分をサービスしてもらい、著書を直接購入。
定価(本体1800円+税)。
この本については、私のお薦めの一冊なので、後日改めて紹介したい。

一時間弱のギャラリートークの後、始まったサイン会。

売店で本を購入し、濱野先生から本にサインを入れて貰った後、隣接する竹久夢二美術館で学芸員のギャラリートークに参加。

"見知らぬ世界"を求めて

旅人・竹久夢二

ー旅、恋、異国への憧れー

2013年1月8日(火)~3月31日(日)

◆学芸員によるギャラリートーク◆

1.1/13(日)午後3時より
2.2/10(日)午後3時より
3.3/10(日)午後3時より

弥生美術館と竹久夢二美術館は、二館併せて入館料一般900円、大・高生800円、中・小生400円でご覧頂けます。
*高畠華宵の常設ルームも併せてご覧いただけます。

竹久夢二美術館のギャラリートーク参加者は、いつも女性の方が多いイメージ。

テーマを決めて毎回展示内容を変えているため、何度観に行っても興味深い。
私が初めて竹久夢二美術館に行ったのは2000年以降。
その時から収蔵作品も増えているのだろうが、もうすっかり見慣れてしまった物もある。
企画展毎、年4回、12年だとすると48回弱は訪れた計算になる。
竹久夢二が、庄内酒田に滞在したことは知っているが、今回、私の父の故郷である庄内鶴岡にも滞在していたこと、同じく銚子でのエピソードが有名だが、私の母の故郷の隣町である潮来へも滞在していたことが興味深かった。
晩年、横浜から船に乗って外遊したりと、画家よりも旅人としての先人であった夢二に、私は寅さんにも似た親近感を憶えたのだ。

昨夜のBSフジの番組「名画と歩こう 竹久夢二・長崎十二景を巡る」では、夢二好きで知られる女優の緒川たまきさんと共に、竹久夢二美術館の学芸員の石川さんが解説のため、出ていたようだ。
近年、竹久夢二研究家として、学芸員である石川さんの外部での活躍もめざましい。

ギャラリートークを終えた後、濱野彰親先生夫妻を交えて、隣の喫茶港やで、日本出版美術研究会の会合と情報交換会。
私は、2002年からここのメンバー。
大橋博之さんには、2006年にこの会合で初めて会った。
年は私より八歳上だが、私のメジャーデビューが2001年なので、私の方が随分早くなる計算だ。
著書の中で小松崎茂先生や、濱野彰親先生、根本圭助先生など総勢七一名取り上げているが、小松崎茂先生に直接長時間インタビューするチャンスにだけは、残念ながら恵まれなかったようだ。
私は、【少年画報大全】監修後直ぐの2001年夏に、東京ドームホテルにて、初対面となる中一弥先生、伊勢田邦彦先生、濱野彰親先生、そして根本圭助先生と夕食を御一緒する幸運にも恵まれている。
探し続けている本を手に出来る幸運や、憧れ続けている作家さんに直接逢える幸運、共に一期一会の場合がある。

昭和時代を代表する300人弱の漫画家さん、絵物語作家さん、挿絵画家さんの図版を取り上げ、その中から小松崎茂先生を始め、上田トシコ先生など10人の作家さんのインタビューを収録した【少年画報大全】(2001年・少年画報社)を監修する幸運は、昭和時代の漫画史研究家として、これに勝るものは今も見当たらない。

さて、港やを後にした私は、一人のらくろ館のある森下文化センター

【永遠の少女マンガ展】

へ向かう。

今日が最終日なので、昨日のうちに観ておいたのだが、クオリティーが高くて評判の美術館の展示を立て続けに観た後のためだろうか?期待に反してどうしても見劣り感が否めない。

評判の高い名著を買って読んだ後、アクセス数の多い人気ブログを読んだような気分にさせられた。

プロとアマ、前座と真打ちの実力の違い、順番が逆だったらまだ良かったのかも知れない。

原画の展示と、原画ダッシュの展示素材については一級品なので文句無し。

無料で読める少女マンガも、下手な漫画喫茶より素晴らしい充実ぶり。

だが、今回の展示会のための美術館の図録や書籍にあたるもの、少女マンガに対する愛情や志が足りないような気がするのが残念で仕方ない。

私が学生だったなら、文句なしの内容だが、プロの漫画史研究家の視点からすると、泣いて馬謖を斬る、苦言を呈さざるを得ない展示内容だ。

無料の漫画喫茶に、ドリンク代わりに貴重な原画が展示されている贅沢で素敵な空間、それが私の印象の全てだ。

故・米沢嘉博さんの遺志を継ぐような正統な少女漫画史研究家の長き不在、及び、美術館、博物館の学芸員ではないスタッフのみしか展示に関わっていないことが、心から悔やまれる展示内容だ。
せっかくのチャンスだったのだから、今出来ることはもっと沢山あったはずなのに。(涙)

さて、この三連休が終わると・・。

マクドナルドのおいしいニュース、ハッピーセット

2/15(金)~スポンジ・ボブ、全8種類。
3/8(金)~ドラえもん、全6種類。

さらにもらえる!

3/9(土)10(日)ゆらゆらタイムマシーン

3/16(土)17(日)お風呂シール


私は、ドラえもんファンなので、毎年この時期は、少なくとも6回以上はマクドナルドに通わなければならない。(*´∀`)♪

2013年1月29日、文化庁は国立国会図書館の蔵書データを大日本印刷が電子書籍の形にして、紀伊国屋書店の電子書店を通して無料配信する実験を、2月1日から3月3日まで行うと発表した。

配信対象の13作品※かっこ内は出版年

浪花禿箒子著、石川豊信画「絵本江戸紫」(1765)
住吉内記写「平治物語絵巻 第一軸」(1798)
グリム著、上田万年訳「おほかみ」(1889)
竹久夢二「コドモのスケッチ帖 動物園にて」(1912)
芥川龍之介「羅生門」(1917)
芥川龍之介「河童」(1927)
酒井潔「エロエロ草紙」(1930)
柳田国男「遠野物語」(1910)
夏目漱石「硝子戸の中」(1915)
永井荷風「腕くらべ」(1918)
宮沢賢治「春と修羅」(1924)
宮沢賢治「四又の百合」(1948)
写真絵本「きしゃでんしゃ」(1953)

やはり、今年の出版界を読みとくキーワードは、温故知新と電子書籍のようだ。
著者が故人となった出版物の電子書籍化実現には、様々な困難が伴う。
近年では、今回のリストにも名前がある明治の大文豪・夏目漱石の遺族、親族同士による利権をめぐる確執と争いが、マスコミやネットを騒がし物議を醸したことも記憶に新しい。
作品の素晴らしさと、作家の人格は別であり、更に作家の遺族と出版交渉をすることは、非常な困難を伴うことがあるのが事実である。

その為だろうか?

昨今の出版不況に伴い、昭和時代の漫画史を代表する名作漫画の復刻については、現在、ごく一部の有名作家の作品を除き、大手出版社による商業出版の道は、ほぼ閉ざされた状態が続いている。

在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、現状を憂い続けていました。
国会図書館や、膨大な蔵書量を誇る関西・関東にある有名マンガ図書館に比較すると、一個人の蔵書数二万冊というのは、蟷螂の斧のごとくあまりにも儚い僅かばかりの蔵書量に過ぎないのかも知れません。
けれども、日本の昭和の漫画史を代表する名作アーカイブの確立、復刻事業の礎となるために、粉骨砕身精一杯努力し、頑張っていきたいと常日頃から考え続けていました。
昨年の秋口、私は大日本印刷の電子書籍に対する真摯な姿勢に共感し、微力ながらも株式会社パインウッドカンパニーを通じて、慎重に作品の検討、選択をし、統一定価525円にて、2013年1月28日より一足早く次の作品の復刻、電子書籍化出来たことを正式に発表します。

配信対象の五作品※()内は連載年。

上田トシコ「フイチンさん1」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん2」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん3」(1957~1962年)
上田トシコ「ぼんこちゃん」(1955~1962年)
上田トシコ「お初ちゃん」(1958~1969年)

以下、続々と電子書籍化予定です。


田河水泡・のらくろ館特別展

「永遠の少女マンガ展」


会期:2013年1月19日(土)~2月11日(月・祝)※1月21日(月)2月4日(月)は休館

時間:午前9時~午後9時

会場:森下文化センター一階展示ロビー【入場無料】

東京都江東区森下3ー12ー17

TEL03(5600)8666

主催:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団
江東区森下文化センター

■原画'(ダッシュ)

出展作家

松本かつち゛、上田としこ、わたなべまさこ、今村洋子、高橋真琴、巴里夫、水野英子、牧美也子、あすなひろし、北島洋子、上原きみ子、竹宮惠子、佐藤史生、花郁悠紀子

■三原順原画展示

■編集者・小長井信昌の仕事

小長井さんが、長年、編集者・編集長として関わってきた美内すずえさん、和田慎二さん、成田美名子さんのカラー原画や作品等も展示します。

■田河水泡と弟子たち

「のらくろ」の作者として有名な田河水泡は、戦前、『少女倶楽部』でも作品を発表しています。
本展では、水泡の作品を展示するとともに、弟子である、長谷川町子さん、倉金章介さん、永田竹丸さん、山根赤鬼さん、山根青鬼さんたちの少女マンガ作品を紹介します。

■おことわり

株式会社パインウッドカンパニーでは現在、昭和を代表する少女マンガのアーカイブ化事業に取り組んで来ました。

先ずは上田トシコ先生の代表作【フイチンさん】【お初ちゃん】【ぼんこちゃん】の三作品をコミックパークからオンデマンドで販売。


大好評につき、三作品全てを電子書籍化し、2013年1月28日より定価525円にて販売を開始致しましたので、併せて購入を御検討いただけましたら幸いです。

また、少女まんが史を理解する上において、私は二上洋一先生が残された【少女まんがの系譜】(ぺんぎん書房)の入手をお薦めしたい。
発売後、直ぐに出版社が倒産の憂き目に遇ってしまいましたが、二上洋一先生こと、集英社の名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する深い愛情が伝わってくる一冊です。
「西の新井善久(講談社)、東の山本順也(小学館)」と云われる少女まんがの名編集者の歴史において、第三の男とも言うべき集英社を代表する少女まんがの名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する考え方が理解出来る一級品の資料です。
今日的少女まんが史研究の視点からすると、別人の手による巻末のデータベースの不備、未成熟度は、その時代における少女まんが史研究最前線の遅れを顕著に示しています。
米澤嘉博さん亡き後の、正当な少女まんが史研究家の長き不在。

私共、株式会社パインウッドカンパニーでは、これからも絶版のため、長らく入手困難だった昭和の少女マンガ史を代表する名作群の電子書籍化に取り組んでまいります。

少女マンガ史を代表する名作群を、実際に読みこむことによって、一日も早い実証的な少女まんが史研究家の登場が待ち望まれます。


以下の文章は、今年の二上洋一先生の命日に際しての私の思いを再録しましたので、参考までに。


2009年1月16日、私が大変お世話になった二上洋一先生が亡くなられた。享年71歳。

鮎川哲也監修、芦辺拓編【少年探偵王】(2002年・光文社)の目次をみると、はじめに 芦辺拓、秋山憲司「回想の乱歩・洋一郎・峯太郎」、二上洋一「吸血魔」解説、山前譲 鮎川哲也氏の年少者向け推理小説、本間正幸「ビリーパック」解説、解説 僕らも少年探偵団!

とある。

私と二上先生の名前が一緒に出てくる最初の本だ。

【少年画報大全】(2001年・少年画報社)監修後、当時フリーの編集者だった中野晴行さんの紹介により、芦辺拓先生と御逢いできた私は、芦辺先生の依頼により、光栄にも漫画【ビリーパック】の解説者に大抜擢してもらった。

その後、【少年画報大全】監修の実績により、弥生美術館の日本出版美術研究会へ学芸員以外の研究者では、最年少で私の入会が認められ、会合の時に長老格の二上先生に初めて御逢いすることが出来た。

二上先生は、当時出版関係者の間でのみ高い評価を受けていた【少年画報大全】を発売と同時に購入していただいていた。

そして、親子ほど年の離れた漫画史研究家として、まだメジャーデビューしたての私の才能を、いち早く見極めてくれていた。(実際、二上先生は私の亡き父より一歳年下だったので、酒好きの父が生きていたなら二上先生と同じくらいの年頃になるんだろうな。)

プロの評論家として活動するには、文章が下手だが、新たな分野のパイオニアとなる漫画史の研究者としての才能なら突出していることを見抜いてくれていたのだ。

そして、現在の一億総評論家時代の到来に伴い評論家の肩書きや、大学教授、大学講師の地位待遇が今のように凋落してこそ初めて、在野にいる数少ない漫画史研究家としての私の稀少価値が認められるようになり、活躍する場も増える筈だが、その時が訪れるまではまだまだ時間が掛かることも予見されていた。

私は、二上先生から将来、漫画史研究家のパイオニアとして活動するための覚悟や心構え、人としてのあり方を学ぶようになり、少年小説研究について師事するのだが、師事した矢先に二上先生は急逝されてしまった。

だが、私の手元には、二上先生の残された著書がある。

スタッフとして関わられた【少年小説大系】の膨大な作品群(昨年やっと全巻購入出来た)がある。

私は、二上先生から直接、少年小説大系に懸けた情熱を何度も何度も繰り返し聞くことが出来た。

後は、私自身の才能と努力の問題である。

街頭紙芝居の研究や、無声映画時代の映画やアニメーションについては、マツダ映画社に、我が師匠である故・松田春翠先生が終生情熱を持って集められた膨大なフィルムが残されているので、毎月の無声映画鑑賞会に参加して、私は自分の才能と、独自の視点を持って研究を進めればよい。

漫画史研究家である私が、師事し最も影響を受けた人物は、マツダ映画社を創立し今日まで残る無声映画の発展普及に尽力し続けた故・松田春翠先生と、少年小説大系編纂に関わった故・二上洋一先生の二人である。


さて、昨晩は、江東区森下文化センターで、辻真先先生と唐沢俊一さんの対談を聴くことが出来た。

詳細は、又、後程。


大雪の日の出来事。

東京、横浜在住の新成人の皆さんは、成人式に参加されたでしょうか?

私が新成人の頃の横浜では、成人式に参加するのは、あまりお洒落ではないという考えが一部に根強くあり、私は参加しませんでした。

そのことが、今になって考えると高校時代の悪縁を全て断ち切ることに繋がり、その後の幸せな人生へのステップアップに繋がった気がします。

さて、大好評のうちに終了した第六回江東シネマフェスティバル。

12日(土)

13:00~【憧れのハワイ航路】

15:40~【川の底からこんにちは】

13日(日)

10:00~【運が良けりゃ】

13:30~無声映画特集 弁士・楽団(カラード・モノトーン)付フィルム上映

【争闘阿修羅街】弁士・松田貴久子

【雄呂血】弁士・澤登 翠

16:50~【お早よう】

14日(月・祝)

10:00~【ゴジラ】フィルム上映

13:30~【愛妻物語】フィルム上映

16:20~【晩春】フィルム上映


私は、3日間通し券を購入していたので、日曜日の朝【おしん】の再放送を観て、午後の無声映画特集から、3日目は朝から終日会場におりました。
無声映画特集には、脚本家の石森史郎先生夫妻が観にいらっしゃったので、新年の御挨拶。

今回の目玉は、何といっても【ゴジラ】のスクリーン上映とトークイベント。

前売りは完売で、会場も大雪なのに満員状態。

上映後のトークイベントは、「ゴジラ誕生秘話」で、俳優の宝田明さんと、本多猪四郎監督の長男、本多隆司さんが登場で満員の会場は大盛り上がり。
幾つも取材カメラがあるだけでなく、マスコミだけでなく観客も撮影OKのフォトセッションタイムがあり、ビックリ!

更に宝田さんは、会場にいるファンの希望者まで壇上に登壇OKの記念写真タイムを作ってくれたのだからそのお人柄に感心してしまいました。

その後、【ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒沢明の友情】本多きみ 著、取材・構成・文 西田みゆき(宝島社)定価1300円+税に、希望者は、本多隆司さんのサインを入れて貰える販売タイムがあり、私も勿論購入してサインを入れてもらいました。
その際、先日のNHKBSの番組で放映されたラストに、本多監督の生まれ故郷が、私の父の故郷である庄内地方鶴岡市にある地元の有名なお寺であり、少年時代に私は家族と一緒にそのお寺にお参りしたことがあるので、訊ねてみたらドンピシャリ。
せっかくの機会なので私が漫画やアニメ、特撮や映画を研究していること、父の実家が庄内鶴岡にある本間家の中でも指折りの旧家であり、庄内地方に将来漫画やアニメ、映画に関する総合的な観光施設を作ることが出来たらいいなと考えていることなど、簡単に自己紹介することが出来ました。

同行されていた株式会社本多フィルムの副社長からは名刺をいただき、やはり庄内地方に本多監督の記念館が出来たらいいのにと、話題になりました。

本多猪四郎監督と私の間には、不思議な縁があるようなので、これを機会に父の故郷出身の偉大な先人である本多監督の作品とその生涯についても今後はより一層研究を深めていきたいと考えています。

また、この三連休には漫画やアニメ、特撮や映画に関する様々なイベントが開催されていたようです。

各々のイベントにおいて、各々のイベントに関係する人達や、興味がある人達が集まる訳ですが、正に類は友を呼び朱に交われば赤くなるといいますが、まさにその通りだったのではないでしょうか?

マンガ評論家でなく漫画史研究家として活動を続ける私の場合、大正・昭和時代の漫画を中心とした映画やテレビ、アニメ、特撮、街頭紙芝居、絵物語、少年小説、挿絵など研究対象となる範囲が広く、交流する人々も多くなります。

漫画や映画などジャンルが異なるイベントが同じ日に重なることが日常茶飯事となるため、より良い縁である所に顔を出すように心掛けています。
不思議と良い縁のイベントに集まる人達は、良い人達が多いため居心地が良く段々と栄えてくるようになります。
ところが、栄枯盛衰とは大変不思議なもので、悪い人達が集まる縁やイベントには、内容はどうあれ、段々と人が集まらなくなってくるのですから驚くばかりです。
私のブログは、私と縁のある良い人達やイベントを中心に紹介しています。
かつて、私と縁があった人達や団体で、現在、私のブログで話題となったり、登場してこないものの殆んどは、私にとって悪縁と思われるから、敢えて話題から避けてます。
その人物が亡くなり、その人物と関係する著作権上、大問題がある書籍を数年前に出版した出版社が、その問題ある書籍を出版した後、大手からの資本提携を解除された上、再度別の問題を起こし、出版した本の回収騒ぎの後、昨年末にあえなく倒産。

三連休中に行われた追悼イベントは、大雪のため人が集まらなかったようなのに、世間的には肩書きのある著名人の関係者二人が「たくさんの人に集まっていただき」とTwitterし、人柄の良い善良な関係者の一人が、「最悪、スタッフだけのイベントになるかと思われたが、こじんまりとした集まりぐらいの人が来てくれたので良かった」と、同じくTwitter上で呟く別の関係者の矛盾に、故人と関わりの強い関係者三人の人間性まであからさまに露呈してしまったようです。
内容に自信さえあれば、イベントに人が集まっていなくても、たくさんの人が来たような嘘をつく必要はないと私は思うのですが・・・。
亡くなってからも、肩書きだけ立派な故人の悪い人間性が、(私は、漫画史研究家として、この人物の生き方や人柄を反面教師として肝に刻んでいる)謀らずも関係者によって鮮やかに受け継がれている負の遺産を垣間見た瞬間でした。
全ては因果応報であり、自業自得。
改心しない限りこれからも悪縁や、負の遺産は、故人の関係者の手により受け継がれていくことでしょう。
虚しくはないのかな?(笑)


さて、私は今、アニメと映画、漫画史を皆で語れるオフ会の設立を考えています。
題して【アニメと映画、マンガ史研究会】(笑)。
参加資格は、アニメor映画orマンガが好きな人。
私がブログなどで紹介するアニメ、映画、マンガが好きだというのなら、誰でも参加OK。
イベントの前後、会場などで御会いしましょう。
入会希望者は、会場で一声かけて下さいね。
会員証は【少年画報大全】ということでよろしく。

漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」

『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!

故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!

【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口

株式会社 パインウッドカンパニー

郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404

Tel:03-5939-6991

『漫画の匠』
http://www.manganotakumi.com

漫画史研究家 本間正幸


今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!

先ずは、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を紹介させて貰いましたが、鈴木伸一館長とは、毎年、東京国際アニメフェアの功労賞でのパーティ会場や、手塚治虫文化賞で御一緒させていただいております。

次の年賀状は、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのもの。

2013年は【リボンの騎士】連載60周年。

【鉄腕アトム】放送50周年。

【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。

【リボンの騎士】は、虫プロのテレビアニメの再放送から、音楽、漫画と全て私好み。

【鉄腕アトム】は、漫画からリバイバルのカラー放送を見て。

【ブラック・ジャック】は、『週刊少年チャンピオン』の連載時からリアルタイムで、初出のカラー扉も楽しむことが出来ました。
「沈む女」の二色ページは美しく、ストーリーはあまりにも物悲し過ぎて・・・。

手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きで、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。

漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。

今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元東映の名プロデューサー平山亨さんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く

と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。

漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。
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ビブリア古書堂の事件手帖と鳥越信さんの訃報記事

2013-02-18 23:37:41 | 「金魚屋古書店出納帳」芳崎せいむ
【ビブリア古書堂の事件手帖】

「脅されているんです、異常な男から」

良く出来たドラマだ。

古書を愛する人たち、マニア、コレクターの習性を見事に描いているが、実際の人たちのビジュアルを忠実に再現しなかったのが大正解。(笑)
私が知るマニアやコレクターたちも、大概は本に対して異常な執着心を持ち、知人ではあっても絶対に友人にだけはなりたくないと思わせるビジュアルとルックスである。
最近では、独特のビジュアルだけでなく名前まで隠してブログをやっている奴もおり、私がブログを始める何年も前に、私の書いた本の悪口を発売後直ぐにわざわざブログに書いていてくれていたようだ。
そのコレクションにかける情熱の素晴らしさとは裏腹に、異常な執着心がブログの端々から伝わってくるのを本人も、交流している人たちもまだ誰も気付いてはいないようだ。
【少年画報大全】発売直後、少年画報社の編集部宛に、半分に引き裂かれ、意味の無い赤い線が多数書き込まれた【少年画報大全】が送られてきたことがある。
50代後半、定年退職間近だった添田善雄編集長は、編集者生活初めての体験に非常なショックを受けていたようだが、私は前述したように異常な行動をとるマニア、コレクターたちの生態を見聞、理解していたので、さほど驚くこともなかった。
古書業界では、『冒険活劇文庫』や絵物語、街頭紙芝居収集に対して、常軌を逸した行動をとるコレクターが存在するのが広く知られている。
だが、絵物語や戦後の少年少女雑誌における日本一のコレクターは、彼ではなく、銀座にある若山美術館のオーナー若山さんだろう。
若山さんには、私が【少年画報大全】を監修した際にも、快く資料協力していただけた。
前述の彼とは、当時から面識があり、協力依頼をしてみたのだが、真逆の対応独特の価値観に当時大変驚いた。
【少年画報大全】発売以降、私と彼との交流は一切ないのだが、ネット上では今も知人の如く彼のブログに私の著書の悪口まで書き込まれていたのだからたまらない。
マニア、コレクターの妬み、執着心、逆怨み恐るべし。(* ̄∇ ̄*)

先週の金曜日、読売新聞と朝日新聞の朝刊に記載された鳥越信さん、本郷功次郎さん、高野悦子さんの訃報記事を読み比べてみた。

掲載の大きさ順では、高野悦子さん死去が一番大きく、

世界各地の名作映画の紹介に尽力した、岩波ホール総支配人の高野悦子さんが9日、大腸がんのため、都内の病院で亡くなった。
83歳だった。
葬儀は近親者で済ませた。
喪主は、めいで岩波ホール支配人の岩波律子さん。
後日、お別れの会を開く予定

とある。

1997年から2007年まで東京国立近代美術館フィルムセンターの名誉館長を務めた。
2004年に文化功労賞。

本郷功次郎さん死去については、

テレビ朝日系の刑事ドラマ「特捜最前線」橘刑事などで知られる俳優の本郷功次郎さんが、14日、心不全のため亡くなった。
74歳だった。
後日、しのぶ会を開く予定。
喪主は妻で元宝塚歌劇団の古城都(本名・本郷都)さん。

私には「大魔神」や「ガメラ」シリーズの方が印象深い。

鳥越信さんの訃報記事は、読売新聞のみで、上記の二人と違い写真の掲載もない。

鳥越信氏 83歳(とりごえ・しん=児童文学評論家)14日、老衰で死去。
葬儀は近親者で行う。
喪主は長男、恭(きょう)氏。
早稲田大学教授として児童文学研究に取り組み、収集した12万点の資料「鳥越コレクション」を1979年、大阪府に寄贈した。
これを基に84年、吹田市に「府立国際児童文学館」が創設され、運営に当たった。
同館は2010年に廃止され、資料は東大阪市の府立中央図書館に移された。
「日本児童文学史年表」で1976年の日本児童文学者協会賞などを受賞した。

とある。
鳥越信さんの名前や著書など、漫画史研究家として、何度も目にしたことがあるし、一度だけ府立国際児童文学館も利用したのだが・・・。

せっかくの寄贈資料を、十分活用出来なかった施設と後進の研究者たち。
施設関係者たちと、漫画評論家たちは、大阪府知事時代の現・橋下市長に責任を転嫁し、糾弾したが、賢明なる一般世間の共感を得ることは出来なかった。
在野にいる漫画史研究家である私の施設に対する評価は、賢明なる一般世間と同じく廃止やむなしであったし、今も変わらない。
一度も面識のない鳥越信さんに対する私の評価は、研究者としてよりもコレクターとしての方が高い。
1978年に3万冊でオープン、有料で公開した現代マンガ図書館 内記コレクションよりも、1979年に12万点の資料を収集し無料で公開した鳥越コレクション。
府立国際児童文学館の存続を訴えていた漫画評論家たちの多くは、鳥越さんの追悼記事すら書いていないようだ。
故・二上洋一先生の師匠筋にあたる鳥越信さんの訃報に際し、せめて二上先生の弟子筋である私だけは、鳥越信さんのコレクターとしての功績を高く評価しておきたい。

鳥越さんの御冥福を祈ります。
鳥越さんが集められた貴重な鳥越コレクションについては、在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸がいつの日にか必ず後世の研究者の礎として活用させていただきますから御安心下さい。


2013年2月17日

漫画史研究家

本間正幸

さて、15日(金)は新聞を読んだ後、午後から新富町の事務所へ。
夜には築地駅から清澄白河駅へ移動し、のらくろ館のある森下文化センターへ。


辻真先が案内するミステリの世界

講師:辻 真先
(作家・本格ミステリ作家クラブ 会長)

探偵たちの名推理、怪盗たちの鮮やかなトリック、崩されるアリバイ、密室の謎、不可能への挑戦・・・。
数々の魅力があふれるミステリの世界を堪能してみませんか?
講師にミステリ作家、辻真先を迎え、豪華なゲストをお招きして、色々な角度からバラエティに富んだミステリの世界をご案内いたします。

カリキュラム

第1回(10/19) 日本のミステリの歴史~戦前編~

第2回(11/16) 海外のミステリ~山前譲(ミステリ研究家)との対談~

第3回(12/21) 日本のミステリの歴史~戦後編~

第4回(1/18) マンガ・アニメの中のミステリ~唐沢俊一(作家・評論家)との対談~


第5回(2/15) ミステリの現在~東川篤哉(作家)との対談~

金曜日 全5回 19:00~20:30

定員25名

受講料:7500円(全五回分)
教材費:200円(全五回分・資料代など)

全五回共、受講料のわりに大変充実した内容、大満足の講座であった。
脚本家で知られる辻先生の推理作家としての顔も、今回の講座から少しは判るようになった気がする。
定員25名は、まさに参加者の情報収集力と、意識の高さをはかる目安となり得た。
漫画やアニメの評論家として知られる顔は、殆んど見あたらなかったのだから、やっぱりな、と言う印象である。
帰りに一階展示ロビーで行われている

おおやちきの世界展

~伝説の漫画家、『りぼん』『ぴあ』からイラスト、パズルまで~

2/14(木)~3/3(日)

を観てから帰る。
永遠の少女まんが展に比べ、今回は見応えを感じた。
一人の作家の足跡をきちんと掘り下げることが出来ていたからだ。
おおやちき先生について、故・米沢嘉博さんの本が展示されていた。
米沢さん以外、未だにきちんとおおやちき先生の作家性を、誰も把握出来た研究者が育っていない哀しい現実を痛感した。


三連休の中日である昨日、私は前から大変興味のあった三つの展示会を観に行きました。

その一つが、偶然にも今日の日本経済新聞の文化32面にも取り上げられています。

挿絵で描く人間の本性

◇新聞や週刊誌で作家と組み67年、今も現役◇

濱野彰親


挿絵画壇の重鎮

濱野彰親展

モノクロームへの眼差し
ー人間の本性を暴くー

弥生美術館

2013年1月8日(火)~3月31日(日)

濱野先生に会えるチャンス!ギャラリートーク&サイン会

1.2月10日(日)14:00~
2.3月17日(日)14:00~
3.3月24日(日)14:00~

本日の画像は、記事が掲載されている新聞記事をベースに弥生美術館のチラシと、展示会に併せ株式会社ラピュータから発売され、サインを入れて貰った

濱野彰親挿絵原画集
モノクロームへの眼差し

松本品子・編。
定価(本体2800円+税)

私は、午後2時過ぎに弥生美術館に到着。

来館者でフロア一杯の会場の末席で、濱野先生を交えた学芸員のギャラリートークを聴いておりました。

老若男女、とても幅広い参加者。

小松崎茂先生門下の根本圭助先生にも、会場で久々に挨拶出来たし、2006年から『SFマガジン』(早川書房)連載の「SF挿絵画家の系譜」を【SF挿絵画家の時代】(本の雑誌社・2012年)として単行本にまとめて話題の大橋博之さんからは、消費税分をサービスしてもらい、著書を直接購入。
定価(本体1800円+税)。
この本については、私のお薦めの一冊なので、後日改めて紹介したい。

一時間弱のギャラリートークの後、始まったサイン会。

売店で本を購入し、濱野先生から本にサインを入れて貰った後、隣接する竹久夢二美術館で学芸員のギャラリートークに参加。

"見知らぬ世界"を求めて

旅人・竹久夢二

ー旅、恋、異国への憧れー

2013年1月8日(火)~3月31日(日)

◆学芸員によるギャラリートーク◆

1.1/13(日)午後3時より
2.2/10(日)午後3時より
3.3/10(日)午後3時より

弥生美術館と竹久夢二美術館は、二館併せて入館料一般900円、大・高生800円、中・小生400円でご覧頂けます。
*高畠華宵の常設ルームも併せてご覧いただけます。

竹久夢二美術館のギャラリートーク参加者は、いつも女性の方が多いイメージ。

テーマを決めて毎回展示内容を変えているため、何度観に行っても興味深い。
私が初めて竹久夢二美術館に行ったのは2000年以降。
その時から収蔵作品も増えているのだろうが、もうすっかり見慣れてしまった物もある。
企画展毎、年4回、12年だとすると48回弱は訪れた計算になる。
竹久夢二が、庄内酒田に滞在したことは知っているが、今回、私の父の故郷である庄内鶴岡にも滞在していたこと、同じく銚子でのエピソードが有名だが、私の母の故郷の隣町である潮来へも滞在していたことが興味深かった。
晩年、横浜から船に乗って外遊したりと、画家よりも旅人としての先人であった夢二に、私は寅さんにも似た親近感を憶えたのだ。

昨夜のBSフジの番組「名画と歩こう 竹久夢二・長崎十二景を巡る」では、夢二好きで知られる女優の緒川たまきさんと共に、竹久夢二美術館の学芸員の石川さんが解説のため、出ていたようだ。
近年、竹久夢二研究家として、学芸員である石川さんの外部での活躍もめざましい。

ギャラリートークを終えた後、濱野彰親先生夫妻を交えて、隣の喫茶港やで、日本出版美術研究会の会合と情報交換会。
私は、2002年からここのメンバー。
大橋博之さんには、2006年にこの会合で初めて会った。
年は私より八歳上だが、私のメジャーデビューが2001年なので、私の方が随分早くなる計算だ。
著書の中で小松崎茂先生や、濱野彰親先生、根本圭助先生など総勢七一名取り上げているが、小松崎茂先生に直接長時間インタビューするチャンスにだけは、残念ながら恵まれなかったようだ。
私は、【少年画報大全】監修後直ぐの2001年夏に、東京ドームホテルにて、初対面となる中一弥先生、伊勢田邦彦先生、濱野彰親先生、そして根本圭助先生と夕食を御一緒する幸運にも恵まれている。
探し続けている本を手に出来る幸運や、憧れ続けている作家さんに直接逢える幸運、共に一期一会の場合がある。

昭和時代を代表する300人弱の漫画家さん、絵物語作家さん、挿絵画家さんの図版を取り上げ、その中から小松崎茂先生を始め、上田トシコ先生など10人の作家さんのインタビューを収録した【少年画報大全】(2001年・少年画報社)を監修する幸運は、昭和時代の漫画史研究家として、これに勝るものは今も見当たらない。

さて、港やを後にした私は、一人のらくろ館のある森下文化センター

【永遠の少女マンガ展】

へ向かう。

今日が最終日なので、昨日のうちに観ておいたのだが、クオリティーが高くて評判の美術館の展示を立て続けに観た後のためだろうか?期待に反してどうしても見劣り感が否めない。

評判の高い名著を買って読んだ後、アクセス数の多い人気ブログを読んだような気分にさせられた。

プロとアマ、前座と真打ちの実力の違い、順番が逆だったらまだ良かったのかも知れない。

原画の展示と、原画ダッシュの展示素材については一級品なので文句無し。

無料で読める少女マンガも、下手な漫画喫茶より素晴らしい充実ぶり。

だが、今回の展示会のための美術館の図録や書籍にあたるもの、少女マンガに対する愛情や志が足りないような気がするのが残念で仕方ない。

私が学生だったなら、文句なしの内容だが、プロの漫画史研究家の視点からすると、泣いて馬謖を斬る、苦言を呈さざるを得ない展示内容だ。

無料の漫画喫茶に、ドリンク代わりに貴重な原画が展示されている贅沢で素敵な空間、それが私の印象の全てだ。

故・米沢嘉博さんの遺志を継ぐような正統な少女漫画史研究家の長き不在、及び、美術館、博物館の学芸員ではないスタッフのみしか展示に関わっていないことが、心から悔やまれる展示内容だ。
せっかくのチャンスだったのだから、今出来ることはもっと沢山あったはずなのに。(涙)

さて、この三連休が終わると・・。

マクドナルドのおいしいニュース、ハッピーセット

2/15(金)~スポンジ・ボブ、全8種類。
3/8(金)~ドラえもん、全6種類。

さらにもらえる!

3/9(土)10(日)ゆらゆらタイムマシーン

3/16(土)17(日)お風呂シール


私は、ドラえもんファンなので、毎年この時期は、少なくとも6回以上はマクドナルドに通わなければならない。(*´∀`)♪

2013年1月29日、文化庁は国立国会図書館の蔵書データを大日本印刷が電子書籍の形にして、紀伊国屋書店の電子書店を通して無料配信する実験を、2月1日から3月3日まで行うと発表した。

配信対象の13作品※かっこ内は出版年

浪花禿箒子著、石川豊信画「絵本江戸紫」(1765)
住吉内記写「平治物語絵巻 第一軸」(1798)
グリム著、上田万年訳「おほかみ」(1889)
竹久夢二「コドモのスケッチ帖 動物園にて」(1912)
芥川龍之介「羅生門」(1917)
芥川龍之介「河童」(1927)
酒井潔「エロエロ草紙」(1930)
柳田国男「遠野物語」(1910)
夏目漱石「硝子戸の中」(1915)
永井荷風「腕くらべ」(1918)
宮沢賢治「春と修羅」(1924)
宮沢賢治「四又の百合」(1948)
写真絵本「きしゃでんしゃ」(1953)

やはり、今年の出版界を読みとくキーワードは、温故知新と電子書籍のようだ。
著者が故人となった出版物の電子書籍化実現には、様々な困難が伴う。
近年では、今回のリストにも名前がある明治の大文豪・夏目漱石の遺族、親族同士による利権をめぐる確執と争いが、マスコミやネットを騒がし物議を醸したことも記憶に新しい。
作品の素晴らしさと、作家の人格は別であり、更に作家の遺族と出版交渉をすることは、非常な困難を伴うことがあるのが事実である。

その為だろうか?

昨今の出版不況に伴い、昭和時代の漫画史を代表する名作漫画の復刻については、現在、ごく一部の有名作家の作品を除き、大手出版社による商業出版の道は、ほぼ閉ざされた状態が続いている。

在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、現状を憂い続けていました。
国会図書館や、膨大な蔵書量を誇る関西・関東にある有名マンガ図書館に比較すると、一個人の蔵書数二万冊というのは、蟷螂の斧のごとくあまりにも儚い僅かばかりの蔵書量に過ぎないのかも知れません。
けれども、日本の昭和の漫画史を代表する名作アーカイブの確立、復刻事業の礎となるために、粉骨砕身精一杯努力し、頑張っていきたいと常日頃から考え続けていました。
昨年の秋口、私は大日本印刷の電子書籍に対する真摯な姿勢に共感し、微力ながらも株式会社パインウッドカンパニーを通じて、慎重に作品の検討、選択をし、統一定価525円にて、2013年1月28日より一足早く次の作品の復刻、電子書籍化出来たことを正式に発表します。

配信対象の五作品※()内は連載年。

上田トシコ「フイチンさん1」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん2」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん3」(1957~1962年)
上田トシコ「ぼんこちゃん」(1955~1962年)
上田トシコ「お初ちゃん」(1958~1969年)

以下、続々と電子書籍化予定です。


田河水泡・のらくろ館特別展

「永遠の少女マンガ展」


会期:2013年1月19日(土)~2月11日(月・祝)※1月21日(月)2月4日(月)は休館

時間:午前9時~午後9時

会場:森下文化センター一階展示ロビー【入場無料】

東京都江東区森下3ー12ー17

TEL03(5600)8666

主催:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団
江東区森下文化センター

■原画'(ダッシュ)

出展作家

松本かつち゛、上田としこ、わたなべまさこ、今村洋子、高橋真琴、巴里夫、水野英子、牧美也子、あすなひろし、北島洋子、上原きみ子、竹宮惠子、佐藤史生、花郁悠紀子

■三原順原画展示

■編集者・小長井信昌の仕事

小長井さんが、長年、編集者・編集長として関わってきた美内すずえさん、和田慎二さん、成田美名子さんのカラー原画や作品等も展示します。

■田河水泡と弟子たち

「のらくろ」の作者として有名な田河水泡は、戦前、『少女倶楽部』でも作品を発表しています。
本展では、水泡の作品を展示するとともに、弟子である、長谷川町子さん、倉金章介さん、永田竹丸さん、山根赤鬼さん、山根青鬼さんたちの少女マンガ作品を紹介します。

■おことわり

株式会社パインウッドカンパニーでは現在、昭和を代表する少女マンガのアーカイブ化事業に取り組んで来ました。

先ずは上田トシコ先生の代表作【フイチンさん】【お初ちゃん】【ぼんこちゃん】の三作品をコミックパークからオンデマンドで販売。


大好評につき、三作品全てを電子書籍化し、2013年1月28日より定価525円にて販売を開始致しましたので、併せて購入を御検討いただけましたら幸いです。

また、少女まんが史を理解する上において、私は二上洋一先生が残された【少女まんがの系譜】(ぺんぎん書房)の入手をお薦めしたい。
発売後、直ぐに出版社が倒産の憂き目に遇ってしまいましたが、二上洋一先生こと、集英社の名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する深い愛情が伝わってくる一冊です。
「西の新井善久(講談社)、東の山本順也(小学館)」と云われる少女まんがの名編集者の歴史において、第三の男とも言うべき集英社を代表する少女まんがの名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する考え方が理解出来る一級品の資料です。
今日的少女まんが史研究の視点からすると、別人の手による巻末のデータベースの不備、未成熟度は、その時代における少女まんが史研究最前線の遅れを顕著に示しています。
米澤嘉博さん亡き後の、正当な少女まんが史研究家の長き不在。

私共、株式会社パインウッドカンパニーでは、これからも絶版のため、長らく入手困難だった昭和の少女マンガ史を代表する名作群の電子書籍化に取り組んでまいります。

少女マンガ史を代表する名作群を、実際に読みこむことによって、一日も早い実証的な少女まんが史研究家の登場が待ち望まれます。


以下の文章は、今年の二上洋一先生の命日に際しての私の思いを再録しましたので、参考までに。


2009年1月16日、私が大変お世話になった二上洋一先生が亡くなられた。享年71歳。

鮎川哲也監修、芦辺拓編【少年探偵王】(2002年・光文社)の目次をみると、はじめに 芦辺拓、秋山憲司「回想の乱歩・洋一郎・峯太郎」、二上洋一「吸血魔」解説、山前譲 鮎川哲也氏の年少者向け推理小説、本間正幸「ビリーパック」解説、解説 僕らも少年探偵団!

とある。

私と二上先生の名前が一緒に出てくる最初の本だ。

【少年画報大全】(2001年・少年画報社)監修後、当時フリーの編集者だった中野晴行さんの紹介により、芦辺拓先生と御逢いできた私は、芦辺先生の依頼により、光栄にも漫画【ビリーパック】の解説者に大抜擢してもらった。

その後、【少年画報大全】監修の実績により、弥生美術館の日本出版美術研究会へ学芸員以外の研究者では、最年少で私の入会が認められ、会合の時に長老格の二上先生に初めて御逢いすることが出来た。

二上先生は、当時出版関係者の間でのみ高い評価を受けていた【少年画報大全】を発売と同時に購入していただいていた。

そして、親子ほど年の離れた漫画史研究家として、まだメジャーデビューしたての私の才能を、いち早く見極めてくれていた。(実際、二上先生は私の亡き父より一歳年下だったので、酒好きの父が生きていたなら二上先生と同じくらいの年頃になるんだろうな。)

プロの評論家として活動するには、文章が下手だが、新たな分野のパイオニアとなる漫画史の研究者としての才能なら突出していることを見抜いてくれていたのだ。

そして、現在の一億総評論家時代の到来に伴い評論家の肩書きや、大学教授、大学講師の地位待遇が今のように凋落してこそ初めて、在野にいる数少ない漫画史研究家としての私の稀少価値が認められるようになり、活躍する場も増える筈だが、その時が訪れるまではまだまだ時間が掛かることも予見されていた。

私は、二上先生から将来、漫画史研究家のパイオニアとして活動するための覚悟や心構え、人としてのあり方を学ぶようになり、少年小説研究について師事するのだが、師事した矢先に二上先生は急逝されてしまった。

だが、私の手元には、二上先生の残された著書がある。

スタッフとして関わられた【少年小説大系】の膨大な作品群(昨年やっと全巻購入出来た)がある。

私は、二上先生から直接、少年小説大系に懸けた情熱を何度も何度も繰り返し聞くことが出来た。

後は、私自身の才能と努力の問題である。

街頭紙芝居の研究や、無声映画時代の映画やアニメーションについては、マツダ映画社に、我が師匠である故・松田春翠先生が終生情熱を持って集められた膨大なフィルムが残されているので、毎月の無声映画鑑賞会に参加して、私は自分の才能と、独自の視点を持って研究を進めればよい。

漫画史研究家である私が、師事し最も影響を受けた人物は、マツダ映画社を創立し今日まで残る無声映画の発展普及に尽力し続けた故・松田春翠先生と、少年小説大系編纂に関わった故・二上洋一先生の二人である。


さて、昨晩は、江東区森下文化センターで、辻真先先生と唐沢俊一さんの対談を聴くことが出来た。

詳細は、又、後程。


大雪の日の出来事。

東京、横浜在住の新成人の皆さんは、成人式に参加されたでしょうか?

私が新成人の頃の横浜では、成人式に参加するのは、あまりお洒落ではないという考えが一部に根強くあり、私は参加しませんでした。

そのことが、今になって考えると高校時代の悪縁を全て断ち切ることに繋がり、その後の幸せな人生へのステップアップに繋がった気がします。

さて、大好評のうちに終了した第六回江東シネマフェスティバル。

12日(土)

13:00~【憧れのハワイ航路】

15:40~【川の底からこんにちは】

13日(日)

10:00~【運が良けりゃ】

13:30~無声映画特集 弁士・楽団(カラード・モノトーン)付フィルム上映

【争闘阿修羅街】弁士・松田貴久子

【雄呂血】弁士・澤登 翠

16:50~【お早よう】

14日(月・祝)

10:00~【ゴジラ】フィルム上映

13:30~【愛妻物語】フィルム上映

16:20~【晩春】フィルム上映


私は、3日間通し券を購入していたので、日曜日の朝【おしん】の再放送を観て、午後の無声映画特集から、3日目は朝から終日会場におりました。
無声映画特集には、脚本家の石森史郎先生夫妻が観にいらっしゃったので、新年の御挨拶。

今回の目玉は、何といっても【ゴジラ】のスクリーン上映とトークイベント。

前売りは完売で、会場も大雪なのに満員状態。

上映後のトークイベントは、「ゴジラ誕生秘話」で、俳優の宝田明さんと、本多猪四郎監督の長男、本多隆司さんが登場で満員の会場は大盛り上がり。
幾つも取材カメラがあるだけでなく、マスコミだけでなく観客も撮影OKのフォトセッションタイムがあり、ビックリ!

更に宝田さんは、会場にいるファンの希望者まで壇上に登壇OKの記念写真タイムを作ってくれたのだからそのお人柄に感心してしまいました。

その後、【ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒沢明の友情】本多きみ 著、取材・構成・文 西田みゆき(宝島社)定価1300円+税に、希望者は、本多隆司さんのサインを入れて貰える販売タイムがあり、私も勿論購入してサインを入れてもらいました。
その際、先日のNHKBSの番組で放映されたラストに、本多監督の生まれ故郷が、私の父の故郷である庄内地方鶴岡市にある地元の有名なお寺であり、少年時代に私は家族と一緒にそのお寺にお参りしたことがあるので、訊ねてみたらドンピシャリ。
せっかくの機会なので私が漫画やアニメ、特撮や映画を研究していること、父の実家が庄内鶴岡にある本間家の中でも指折りの旧家であり、庄内地方に将来漫画やアニメ、映画に関する総合的な観光施設を作ることが出来たらいいなと考えていることなど、簡単に自己紹介することが出来ました。

同行されていた株式会社本多フィルムの副社長からは名刺をいただき、やはり庄内地方に本多監督の記念館が出来たらいいのにと、話題になりました。

本多猪四郎監督と私の間には、不思議な縁があるようなので、これを機会に父の故郷出身の偉大な先人である本多監督の作品とその生涯についても今後はより一層研究を深めていきたいと考えています。

また、この三連休には漫画やアニメ、特撮や映画に関する様々なイベントが開催されていたようです。

各々のイベントにおいて、各々のイベントに関係する人達や、興味がある人達が集まる訳ですが、正に類は友を呼び朱に交われば赤くなるといいますが、まさにその通りだったのではないでしょうか?

マンガ評論家でなく漫画史研究家として活動を続ける私の場合、大正・昭和時代の漫画を中心とした映画やテレビ、アニメ、特撮、街頭紙芝居、絵物語、少年小説、挿絵など研究対象となる範囲が広く、交流する人々も多くなります。

漫画や映画などジャンルが異なるイベントが同じ日に重なることが日常茶飯事となるため、より良い縁である所に顔を出すように心掛けています。
不思議と良い縁のイベントに集まる人達は、良い人達が多いため居心地が良く段々と栄えてくるようになります。
ところが、栄枯盛衰とは大変不思議なもので、悪い人達が集まる縁やイベントには、内容はどうあれ、段々と人が集まらなくなってくるのですから驚くばかりです。
私のブログは、私と縁のある良い人達やイベントを中心に紹介しています。
かつて、私と縁があった人達や団体で、現在、私のブログで話題となったり、登場してこないものの殆んどは、私にとって悪縁と思われるから、敢えて話題から避けてます。
その人物が亡くなり、その人物と関係する著作権上、大問題がある書籍を数年前に出版した出版社が、その問題ある書籍を出版した後、大手からの資本提携を解除された上、再度別の問題を起こし、出版した本の回収騒ぎの後、昨年末にあえなく倒産。

三連休中に行われた追悼イベントは、大雪のため人が集まらなかったようなのに、世間的には肩書きのある著名人の関係者二人が「たくさんの人に集まっていただき」とTwitterし、人柄の良い善良な関係者の一人が、「最悪、スタッフだけのイベントになるかと思われたが、こじんまりとした集まりぐらいの人が来てくれたので良かった」と、同じくTwitter上で呟く別の関係者の矛盾に、故人と関わりの強い関係者三人の人間性まであからさまに露呈してしまったようです。
内容に自信さえあれば、イベントに人が集まっていなくても、たくさんの人が来たような嘘をつく必要はないと私は思うのですが・・・。
亡くなってからも、肩書きだけ立派な故人の悪い人間性が、(私は、漫画史研究家として、この人物の生き方や人柄を反面教師として肝に刻んでいる)謀らずも関係者によって鮮やかに受け継がれている負の遺産を垣間見た瞬間でした。
全ては因果応報であり、自業自得。
改心しない限りこれからも悪縁や、負の遺産は、故人の関係者の手により受け継がれていくことでしょう。
虚しくはないのかな?(笑)


さて、私は今、アニメと映画、漫画史を皆で語れるオフ会の設立を考えています。
題して【アニメと映画、マンガ史研究会】(笑)。
参加資格は、アニメor映画orマンガが好きな人。
私がブログなどで紹介するアニメ、映画、マンガが好きだというのなら、誰でも参加OK。
イベントの前後、会場などで御会いしましょう。
入会希望者は、会場で一声かけて下さいね。
会員証は【少年画報大全】ということでよろしく。

漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」

『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!

故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!

【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口

株式会社 パインウッドカンパニー

郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404

Tel:03-5939-6991

『漫画の匠』
http://www.manganotakumi.com

漫画史研究家 本間正幸


今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!

先ずは、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を紹介させて貰いましたが、鈴木伸一館長とは、毎年、東京国際アニメフェアの功労賞でのパーティ会場や、手塚治虫文化賞で御一緒させていただいております。

次の年賀状は、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのもの。

2013年は【リボンの騎士】連載60周年。

【鉄腕アトム】放送50周年。

【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。

【リボンの騎士】は、虫プロのテレビアニメの再放送から、音楽、漫画と全て私好み。

【鉄腕アトム】は、漫画からリバイバルのカラー放送を見て。

【ブラック・ジャック】は、『週刊少年チャンピオン』の連載時からリアルタイムで、初出のカラー扉も楽しむことが出来ました。
「沈む女」の二色ページは美しく、ストーリーはあまりにも物悲し過ぎて・・・。

手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きで、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。

漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。

今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元東映の名プロデューサー平山亨さんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く

と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。

漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。
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「芳崎せいむ『金魚屋古書店』に唾を吐け! 」発言の評論家・伊藤剛の品性とは?

2013-02-02 09:25:15 | 「金魚屋古書店出納帳」芳崎せいむ
AKB48峯岸みなみ(20)「お泊まり報道で丸刈り 涙の謝罪3分49秒」が物議を醸しているようだ。

責任の取り方、ケジメのつけかたには人それぞれある訳だが、その潔さとは裏腹に悲壮感と後味の悪さだけが感じられる。

一方、女子柔道 園田監督は「続投」から一転「辞意」へ

柔道 女子日本代表 園田隆二監督(39)の暴力や暴言に対する責任の取り方には、武道家として無様な醜態を晒してしまった感が否めない。

金メダリスト準強姦裁判
内柴正人被告(34)に懲役5年実刑

因果応報、自業自得の判決だが、往生際の悪さに不快感が漂ってしまう。


アイドルオタクでも、柔道関係者でもない私は、この三つの騒動の顛末について、第三者として傍観するだけしか出来ない。

私は、ブログを始めたばかりの2009年に「漫画史研究者のみにくいアヒルの子」という漫画研究業界内最大のタブーとされる事柄を告発した。

今日の画像は、「内記稔夫 日本初のマンガ図書館をつくった男」明治大学米沢嘉博記念図書館2012年10月5日(金)~2013年1月27日(日)のチラシ。

漫画評論家でなく、漫画史研究家を名乗って活動している私のせめてもの良心である。

では、漫画評論家、漫画批評家、漫画コラムニスト、漫画愛読家の良心とは?

批評家の矜持として、ネット上に公開を続けている「芳崎せいむ『金魚屋古書店』に唾を吐け!-伊藤剛のトカトントニズム」(2005年11月5日)の鮮やかな変節ぶりには、どうしても堪えきれずに噴飯してしまった。

昨年、文化庁の推薦マンガとして、芳崎せいむさんの【金魚屋古書店】が選ばれた。

その選考委員の一人に伊藤剛の名前がある。

かつて伊藤は、芳崎せいむさんの金魚屋古書店について



「いずれにせよ、『金魚屋古書店』に対するぼくの評価は「唾棄すべき作品」です。
このマンガから見える感情は、「マンガへの愛」を口にしながら、その実マンガの首を絞め続けているものだ。
寄生虫とでもいうべきものだろう。

(中略)
批評家としての矜持である。
譲れない一線はある。
それでも批判的言辞をとらざるを得ないときがある。
今回がそれだ。
ふざけんな、と思う。
マンガをなめんな、と思う。(以下略)」(2005年11月5日)

と批評し、2010年8月26日の記事を最後に何の説明もなく更新が途絶えTwitterに移行。
そのため、今回、推薦図書に変節した釈明は、残念ながら見付けられなかった。

まさに天に唾吐く者が、吐いた唾が身に降りかかり飲まされたあげく、何の釈明もないままなのは、余りにも無責任極まりないのではないだろうか。
批評家としての矜持はどこにある!(笑)

現在はブログの更新を中止し、Twitterで、

伊藤剛(反省中)

としているので、これが漫画評論家である伊藤剛としての変節に対する身の施しかた、処世術なのだろう。

創作者である漫画家の芳崎さんに対し、漫画評論家である伊藤が、作品に対して信念と責任を持って発言をしていた段階までは、人それぞれ好みにより作品に対して好き嫌いがあるので、それはそれで構わないと私は考えていた。

だが、今回の伊藤の行動や主旨は一貫しておらず、明らかな変節がみてとれる。

ネットで伊藤剛を検索すると、他にも
「伊藤剛は漫画史研究会を牛耳ったか」

なるキーワードが出てくる。

漫画史研究会を代表し象徴する新進気鋭の漫画評論家として、鳴り物入りで売り出した伊藤剛は、私と同学年でありながら、残念なことに早くも絶頂期は過ぎ、今回の騒動で年老いたかませ犬の老醜を晒してしまった感がある。
私が漫画史研究家を名乗り、漫画評論家という人種を毛嫌いする理由の本質は、何も生み出さない、上から目線の実証的でない無責任な発言に対する嫌悪感と、独善的な偽善行為にある。
2000年頃、まだお互い無名だった時に伊藤剛と私は漫画史研究会で何度か会ったことがあり、当時は面識があったものの、現在は何の接点もなく、交流は一切ない。
何の怨みもないが義理もなく、同世代の客観的な立場で自由に伊藤剛に発言する権利を有する私は、伊藤剛が漫画家さんを批評する漫画評論家である以上、今回、人としての品性を私なりに検証してみたい。
当時、川崎市民ミュージアムの学芸員だった細萱さんから声をかけられたのがきっかけとなり、一時期漫画史研究会に参加したことがある私の印象は、漫画評論家予備校とでもいうべき烏合の衆の集まりであり、一応有名大学卒の肩書きが有るものが多くいたが、これといった著作があるものは殆んどおらず、参加者全体の研究レベルも素人に毛の生えた程度の集まりだった。
漫画界に関する情報も、研究者の発表、研究成果においても、私にとっては横浜から交通費と移動時間をかけてまで参加する魅力はなかったので、参加メンバーの誰よりもいち早く【少年画報大全】でメジャーデビューを飾ってからは、参加する意義が見いだせなくなり訣別する。
後に、参加メンバーの中から漫画評論家として漫画研究に関する著作を出せた者も数名いるようだが、著書を出してプロとしてメジャーデビュー出来た時期の差が、その頃からの実力差だと考えてもらえば分かりやすいのではないだろうか?
あくまでも私だけのイメージかもしれないが、人として信頼に値するような指導者や指導教官のいない、漫画評論家予備校や、自動車学校のような所だったので、(笑)メジャーデビューした者はやがて参加しなくなるし、志半ばで諦める者が多数続出し、未だメジャーデビュー出来るあてもなく、何浪もし続けている往生際の悪い者たちが今も多数蠢いているのかも知れない。
伊藤剛は、そんな漫画史研究会の参加者たち死屍累々の屍の中から蜘蛛の糸を登ってきた希望の星だったのだろう。

私はブログを始めて間もない頃、漫画史研究会の内容に対して

「漫画研究者のみにくいアヒルの子」

と題した告発記事を書いている。
私は在野にいる漫画史研究家であることを誇りに感じ、変節した漫画評論家である伊藤剛とは志の本質が違うので、以前発言した事柄に関して現在も何ら変節をしていないことをここに記した次第である。

芳崎せいむさんの【金魚屋古書店】については、初期の【金魚屋古書店出納帳】や、【ビリーパック】に関するエピソードについては、一定のクオリティーに達していると感じており、漫画史研究家である私の評価は、漫画評論家である伊藤剛の評価とは真逆の判断だ。
芳崎せいむさんについては、伊藤剛と同じくかつて面識はあったが、現在は一切の交流がないし、今後も交流する縁はない可能性が高い。
作品のクオリティーと、作者の人格とは別なので、年賀状のやりとりなど、人として交流していきたいと思われる魅力ある人はどうしても限られてしまう。

現代マンガ図書館については、設立時の構想に深く関わった石子順造氏の理念や思想部分の功績が大であり、実際に運営に携わってきた館長の内記稔夫氏については、第二の功労者ではあるが、人としての魅力はあまり感じられず、当時小学生として、末席に駆けつけた私を含め開館時にあれほど多く集まっていた人の殆んどが2000年頃には内記氏の元を離れていた。
現代マンガ図書館のあまりの凋落ぶりに業を煮やした私は、漫画史研究会に渋る内記氏を説得し連れ出すことに成功する。
その後の内記氏と、漫画史研究会参加メンバーたちとの蜜月ぶりについては、私が説明するまでもないだろう。
2001年の【少年画報大全】発売以降に私は内記氏と訣別し、私が漫画史研究家として活動していく上において、現代マンガ図書館を利用する必要制は、現在に至るまで一度も感じられなかった。

内記氏との訣別により、全て自前で資料を用意する習慣がついた私は、昭和の日本の漫画史を代表する重要作品の収集、保存を心掛けるようになる。

そのことが、私を漫画評論家でなく、在野にいる数少ない実証的な漫画史研究家としての礎を築かせたのである。


2013年1月29日、文化庁は国立国会図書館の蔵書データを大日本印刷が電子書籍の形にして、紀伊国屋書店の電子書店を通して無料配信する実験を、2月1日から3月3日まで行うと発表した。

配信対象の13作品※かっこ内は出版年

浪花禿箒子著、石川豊信画「絵本江戸紫」(1765)
住吉内記写「平治物語絵巻 第一軸」(1798)
グリム著、上田万年訳「おほかみ」(1889)
竹久夢二「コドモのスケッチ帖 動物園にて」(1912)
芥川龍之介「羅生門」(1917)
芥川龍之介「河童」(1927)
酒井潔「エロエロ草紙」(1930)
柳田国男「遠野物語」(1910)
夏目漱石「硝子戸の中」(1915)
永井荷風「腕くらべ」(1918)
宮沢賢治「春と修羅」(1924)
宮沢賢治「四又の百合」(1948)
写真絵本「きしゃでんしゃ」(1953)

やはり、今年の出版界を読みとくキーワードは、温故知新と電子書籍のようだ。
著者が故人となった出版物の電子書籍化実現には、様々な困難が伴う。
近年では、今回のリストにも名前がある明治の大文豪・夏目漱石の遺族、親族同士による利権をめぐる確執と争いが、マスコミやネットを騒がし物議を醸したことも記憶に新しい。
作品の素晴らしさと、作家の人格は別であり、更に作家の遺族と出版交渉をすることは、非常な困難を伴うことがあるのが事実である。

その為だろうか?

昨今の出版不況に伴い、昭和時代の漫画史を代表する名作漫画の復刻については、現在、ごく一部の有名作家の作品を除き、大手出版社による商業出版の道は、ほぼ閉ざされた状態が続いている。

在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、現状を憂い続けていました。
国会図書館や、膨大な蔵書量を誇る関西・関東にある有名マンガ図書館に比較すると、一個人の蔵書数二万冊というのは、蟷螂の斧のごとくあまりにも儚い僅かばかりの蔵書量に過ぎないのかも知れません。
けれども、日本の昭和の漫画史を代表する名作アーカイブの確立、復刻事業の礎となるために、粉骨砕身精一杯努力し、頑張っていきたいと常日頃から考え続けていました。
昨年の秋口、私は大日本印刷の電子書籍に対する真摯な姿勢に共感し、微力ながらも株式会社パインウッドカンパニーを通じて、慎重に作品の検討、選択をし、統一定価525円にて、2013年1月28日より一足早く次の作品の復刻、電子書籍化出来たことを正式に発表します。

配信対象の五作品※()内は連載年。

上田トシコ「フイチンさん1」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん2」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん3」(1957~1962年)
上田トシコ「ぼんこちゃん」(1955~1962年)
上田トシコ「お初ちゃん」(1958~1969年)

以下、続々と電子書籍化予定です。


田河水泡・のらくろ館特別展

「永遠の少女マンガ展」


会期:2013年1月19日(土)~2月11日(月・祝)※1月21日(月)2月4日(月)は休館

時間:午前9時~午後9時

会場:森下文化センター一階展示ロビー【入場無料】

東京都江東区森下3ー12ー17

TEL03(5600)8666

主催:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団
江東区森下文化センター

■原画'(ダッシュ)

出展作家

松本かつち゛、上田としこ、わたなべまさこ、今村洋子、高橋真琴、巴里夫、水野英子、牧美也子、あすなひろし、北島洋子、上原きみ子、竹宮惠子、佐藤史生、花郁悠紀子

■三原順原画展示

■編集者・小長井信昌の仕事

小長井さんが、長年、編集者・編集長として関わってきた美内すずえさん、和田慎二さん、成田美名子さんのカラー原画や作品等も展示します。

■田河水泡と弟子たち

「のらくろ」の作者として有名な田河水泡は、戦前、『少女倶楽部』でも作品を発表しています。
本展では、水泡の作品を展示するとともに、弟子である、長谷川町子さん、倉金章介さん、永田竹丸さん、山根赤鬼さん、山根青鬼さんたちの少女マンガ作品を紹介します。

■おことわり

株式会社パインウッドカンパニーでは現在、昭和を代表する少女マンガのアーカイブ化事業に取り組んで来ました。

先ずは上田トシコ先生の代表作【フイチンさん】【お初ちゃん】【ぼんこちゃん】の三作品をコミックパークからオンデマンドで販売。


大好評につき、三作品全てを電子書籍化し、2013年1月28日より定価525円にて販売を開始致しましたので、併せて購入を御検討いただけましたら幸いです。

また、少女まんが史を理解する上において、私は二上洋一先生が残された【少女まんがの系譜】(ぺんぎん書房)の入手をお薦めしたい。
発売後、直ぐに出版社が倒産の憂き目に遇ってしまいましたが、二上洋一先生こと、集英社の名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する深い愛情が伝わってくる一冊です。
「西の新井善久(講談社)、東の山本順也(小学館)」と云われる少女まんがの名編集者の歴史において、第三の男とも言うべき集英社を代表する少女まんがの名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する考え方が理解出来る一級品の資料です。
今日的少女まんが史研究の視点からすると、別人の手による巻末のデータベースの不備、未成熟度は、その時代における少女まんが史研究最前線の遅れを顕著に示しています。
米澤嘉博さん亡き後の、正当な少女まんが史研究家の長き不在。

私共、株式会社パインウッドカンパニーでは、これからも絶版のため、長らく入手困難だった昭和の少女マンガ史を代表する名作群の電子書籍化に取り組んでまいります。

少女マンガ史を代表する名作群を、実際に読みこむことによって、一日も早い実証的な少女まんが史研究家の登場が待ち望まれます。


以下の文章は、今年の二上洋一先生の命日に際しての私の思いを再録しましたので、参考までに。


2009年1月16日、私が大変お世話になった二上洋一先生が亡くなられた。享年71歳。

鮎川哲也監修、芦辺拓編【少年探偵王】(2002年・光文社)の目次をみると、はじめに 芦辺拓、秋山憲司「回想の乱歩・洋一郎・峯太郎」、二上洋一「吸血魔」解説、山前譲 鮎川哲也氏の年少者向け推理小説、本間正幸「ビリーパック」解説、解説 僕らも少年探偵団!

とある。

私と二上先生の名前が一緒に出てくる最初の本だ。

【少年画報大全】(2001年・少年画報社)監修後、当時フリーの編集者だった中野晴行さんの紹介により、芦辺拓先生と御逢いできた私は、芦辺先生の依頼により、光栄にも漫画【ビリーパック】の解説者に大抜擢してもらった。

その後、【少年画報大全】監修の実績により、弥生美術館の日本出版美術研究会へ学芸員以外の研究者では、最年少で私の入会が認められ、会合の時に長老格の二上先生に初めて御逢いすることが出来た。

二上先生は、当時出版関係者の間でのみ高い評価を受けていた【少年画報大全】を発売と同時に購入していただいていた。

そして、親子ほど年の離れた漫画史研究家として、まだメジャーデビューしたての私の才能を、いち早く見極めてくれていた。(実際、二上先生は私の亡き父より一歳年下だったので、酒好きの父が生きていたなら二上先生と同じくらいの年頃になるんだろうな。)

プロの評論家として活動するには、文章が下手だが、新たな分野のパイオニアとなる漫画史の研究者としての才能なら突出していることを見抜いてくれていたのだ。

そして、現在の一億総評論家時代の到来に伴い評論家の肩書きや、大学教授、大学講師の地位待遇が今のように凋落してこそ初めて、在野にいる数少ない漫画史研究家としての私の稀少価値が認められるようになり、活躍する場も増える筈だが、その時が訪れるまではまだまだ時間が掛かることも予見されていた。

私は、二上先生から将来、漫画史研究家のパイオニアとして活動するための覚悟や心構え、人としてのあり方を学ぶようになり、少年小説研究について師事するのだが、師事した矢先に二上先生は急逝されてしまった。

だが、私の手元には、二上先生の残された著書がある。

スタッフとして関わられた【少年小説大系】の膨大な作品群(昨年やっと全巻購入出来た)がある。

私は、二上先生から直接、少年小説大系に懸けた情熱を何度も何度も繰り返し聞くことが出来た。

後は、私自身の才能と努力の問題である。

街頭紙芝居の研究や、無声映画時代の映画やアニメーションについては、マツダ映画社に、我が師匠である故・松田春翠先生が終生情熱を持って集められた膨大なフィルムが残されているので、毎月の無声映画鑑賞会に参加して、私は自分の才能と、独自の視点を持って研究を進めればよい。

漫画史研究家である私が、師事し最も影響を受けた人物は、マツダ映画社を創立し今日まで残る無声映画の発展普及に尽力し続けた故・松田春翠先生と、少年小説大系編纂に関わった故・二上洋一先生の二人である。


さて、昨晩は、江東区森下文化センターで、辻真先先生と唐沢俊一さんの対談を聴くことが出来た。

詳細は、又、後程。


大雪の日の出来事。

東京、横浜在住の新成人の皆さんは、成人式に参加されたでしょうか?

私が新成人の頃の横浜では、成人式に参加するのは、あまりお洒落ではないという考えが一部に根強くあり、私は参加しませんでした。

そのことが、今になって考えると高校時代の悪縁を全て断ち切ることに繋がり、その後の幸せな人生へのステップアップに繋がった気がします。

さて、大好評のうちに終了した第六回江東シネマフェスティバル。

12日(土)

13:00~【憧れのハワイ航路】

15:40~【川の底からこんにちは】

13日(日)

10:00~【運が良けりゃ】

13:30~無声映画特集 弁士・楽団(カラード・モノトーン)付フィルム上映

【争闘阿修羅街】弁士・松田貴久子

【雄呂血】弁士・澤登 翠

16:50~【お早よう】

14日(月・祝)

10:00~【ゴジラ】フィルム上映

13:30~【愛妻物語】フィルム上映

16:20~【晩春】フィルム上映


私は、3日間通し券を購入していたので、日曜日の朝【おしん】の再放送を観て、午後の無声映画特集から、3日目は朝から終日会場におりました。
無声映画特集には、脚本家の石森史郎先生夫妻が観にいらっしゃったので、新年の御挨拶。

今回の目玉は、何といっても【ゴジラ】のスクリーン上映とトークイベント。

前売りは完売で、会場も大雪なのに満員状態。

上映後のトークイベントは、「ゴジラ誕生秘話」で、俳優の宝田明さんと、本多猪四郎監督の長男、本多隆司さんが登場で満員の会場は大盛り上がり。
幾つも取材カメラがあるだけでなく、マスコミだけでなく観客も撮影OKのフォトセッションタイムがあり、ビックリ!

更に宝田さんは、会場にいるファンの希望者まで壇上に登壇OKの記念写真タイムを作ってくれたのだからそのお人柄に感心してしまいました。

その後、【ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒沢明の友情】本多きみ 著、取材・構成・文 西田みゆき(宝島社)定価1300円+税に、希望者は、本多隆司さんのサインを入れて貰える販売タイムがあり、私も勿論購入してサインを入れてもらいました。
その際、先日のNHKBSの番組で放映されたラストに、本多監督の生まれ故郷が、私の父の故郷である庄内地方鶴岡市にある地元の有名なお寺であり、少年時代に私は家族と一緒にそのお寺にお参りしたことがあるので、訊ねてみたらドンピシャリ。
せっかくの機会なので私が漫画やアニメ、特撮や映画を研究していること、父の実家が庄内鶴岡にある本間家の中でも指折りの旧家であり、庄内地方に将来漫画やアニメ、映画に関する総合的な観光施設を作ることが出来たらいいなと考えていることなど、簡単に自己紹介することが出来ました。

同行されていた株式会社本多フィルムの副社長からは名刺をいただき、やはり庄内地方に本多監督の記念館が出来たらいいのにと、話題になりました。

本多猪四郎監督と私の間には、不思議な縁があるようなので、これを機会に父の故郷出身の偉大な先人である本多監督の作品とその生涯についても今後はより一層研究を深めていきたいと考えています。

また、この三連休には漫画やアニメ、特撮や映画に関する様々なイベントが開催されていたようです。

各々のイベントにおいて、各々のイベントに関係する人達や、興味がある人達が集まる訳ですが、正に類は友を呼び朱に交われば赤くなるといいますが、まさにその通りだったのではないでしょうか?

マンガ評論家でなく漫画史研究家として活動を続ける私の場合、大正・昭和時代の漫画を中心とした映画やテレビ、アニメ、特撮、街頭紙芝居、絵物語、少年小説、挿絵など研究対象となる範囲が広く、交流する人々も多くなります。

漫画や映画などジャンルが異なるイベントが同じ日に重なることが日常茶飯事となるため、より良い縁である所に顔を出すように心掛けています。
不思議と良い縁のイベントに集まる人達は、良い人達が多いため居心地が良く段々と栄えてくるようになります。
ところが、栄枯盛衰とは大変不思議なもので、悪い人達が集まる縁やイベントには、内容はどうあれ、段々と人が集まらなくなってくるのですから驚くばかりです。
私のブログは、私と縁のある良い人達やイベントを中心に紹介しています。
かつて、私と縁があった人達や団体で、現在、私のブログで話題となったり、登場してこないものの殆んどは、私にとって悪縁と思われるから、敢えて話題から避けてます。
その人物が亡くなり、その人物と関係する著作権上、大問題がある書籍を数年前に出版した出版社が、その問題ある書籍を出版した後、大手からの資本提携を解除された上、再度別の問題を起こし、出版した本の回収騒ぎの後、昨年末にあえなく倒産。

三連休中に行われた追悼イベントは、大雪のため人が集まらなかったようなのに、世間的には肩書きのある著名人の関係者二人が「たくさんの人に集まっていただき」とTwitterし、人柄の良い善良な関係者の一人が、「最悪、スタッフだけのイベントになるかと思われたが、こじんまりとした集まりぐらいの人が来てくれたので良かった」と、同じくTwitter上で呟く別の関係者の矛盾に、故人と関わりの強い関係者三人の人間性まであからさまに露呈してしまったようです。
内容に自信さえあれば、イベントに人が集まっていなくても、たくさんの人が来たような嘘をつく必要はないと私は思うのですが・・・。
亡くなってからも、肩書きだけ立派な故人の悪い人間性が、(私は、漫画史研究家として、この人物の生き方や人柄を反面教師として肝に刻んでいる)謀らずも関係者によって鮮やかに受け継がれている負の遺産を垣間見た瞬間でした。
全ては因果応報であり、自業自得。
改心しない限りこれからも悪縁や、負の遺産は、故人の関係者の手により受け継がれていくことでしょう。
虚しくはないのかな?(笑)


さて、私は今、アニメと映画、漫画史を皆で語れるオフ会の設立を考えています。
題して【アニメと映画、マンガ史研究会】(笑)。
参加資格は、アニメor映画orマンガが好きな人。
私がブログなどで紹介するアニメ、映画、マンガが好きだというのなら、誰でも参加OK。
イベントの前後、会場などで御会いしましょう。
入会希望者は、会場で一声かけて下さいね。
会員証は【少年画報大全】ということでよろしく。

漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」

『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!

故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!

【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口

株式会社 パインウッドカンパニー

郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404

Tel:03-5939-6991

『漫画の匠』
http://www.manganotakumi.com

漫画史研究家 本間正幸


今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!

先ずは、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を紹介させて貰いましたが、鈴木伸一館長とは、毎年、東京国際アニメフェアの功労賞でのパーティ会場や、手塚治虫文化賞で御一緒させていただいております。

次の年賀状は、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのもの。

2013年は【リボンの騎士】連載60周年。

【鉄腕アトム】放送50周年。

【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。

【リボンの騎士】は、虫プロのテレビアニメの再放送から、音楽、漫画と全て私好み。

【鉄腕アトム】は、漫画からリバイバルのカラー放送を見て。

【ブラック・ジャック】は、『週刊少年チャンピオン』の連載時からリアルタイムで、初出のカラー扉も楽しむことが出来ました。
「沈む女」の二色ページは美しく、ストーリーはあまりにも物悲し過ぎて・・・。

手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きで、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。

漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。

今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元東映の名プロデューサー平山亨さんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く

と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。

漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。
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藤子不二雄『最後の世界大戦』300万円と鶴書房の漫画文庫( 昭和27年)の知られざる関係

2011-12-02 04:18:39 | 「金魚屋古書店出納帳」芳崎せいむ
私が店長をしているショッピングサイトがあります。

【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com

よろしくです。


現在、私のブログはgooを初め、アメブロ、ヤプログ、そして私のブログをリニューアルしたYahoo!ブログと四ヶ所で更新しております。
さて、今日は本業?である漫画史研究家の本間正幸として漫画史に関する貴重なデータの情報発信をしてみますね!

今日は、インターネット上でも何故かあまり紹介されていない鶴書房の漫画文庫を紹介しますね!(笑)

今日の画像は、鶴書房の漫画文庫21、島田啓三【冒険ダン吉】になります。


この本の見返しに既刊のリストがあります。

漫画史研究家の日々の活動としては、原本を入手もしくは国会図書館など公共の施設で実物を確認し、独自の作品リストや単行本リストを作成。

研究対象となる作家の場合は、独自に年譜を作成することも重要な作業のひとつになります。
既に作家自身の手による自伝本や研究本、熱心なファンクラブの手により公表されているリストがあれば、それを参考に検証し、抜けている作品があれば訂正をしてみるのも面白いかも知れませんね!(笑)


1.横山隆一『フクチャン大とくいの巻』

2.岩谷 修『カメラのカンちゃん』

3.大城のぼる『インディアン狩り』

4.長崎まさる『わんぱく三遊士』

5.山根一二三『はね助ぴょん助』

6.島田啓三『ネコ七先生』

7.横山隆一『フクチャンはりきりの巻』

8.大城のぼる『アラビア探険』

9.島田啓三『小供極楽島』

10.横山隆一『フクチャンにこにこの巻』

11.手塚治虫『バンビー』

12.島田啓三『ネコ七先生スポーツ時代』

13.入江しげる『宝塚ファンのチョ子ちゃん』

14.石田英助『大久保チョコ左衛門』

15.カゴ直利『ジャングル・ブラザー』

16.カゴ直利『プリン地球へ行く』

17.島田啓三『ゴロニイ先生』

18.東浦美津夫『小天狗若丸』

19.島田啓三『向う三軒両隣り』

20.岩谷 修『テキサスボーイ』

21.島田啓三『冒険ダン吉』

22.石田英助『チョン助無茶修業』

23.横山隆一『フクチャンおいたちの巻』

24.島田啓三『おたこさん』

25.長崎まさる『キャラコさん』

26.中島菊夫『日之丸旗之助』

27.横山隆一『フクチャン大かつやくの巻』

28.内野純緒『南部の唄』

29.松下井知夫『ねこのシロちゃん』

30.大城のぼる『愉快なロボット』

31.戸田世宇三『ミスター漫太郎』

32.松下井知夫『テンテンのてっちゃん』

33.島田啓三『だんご仙人(こっけいの巻)』

34.大城のぼる『天下珍豪傑』

35.入江しげる『チョ子ちゃん(学芸会の巻)』

36.西 塔子郎『リボンさん』

37.山口あきら『くろ助ヤオヤ』


38.小林一夫『月世界の謎』

39.井上一夫『愉快小僧』

島田啓三『ネコ七先生(ジャングル探険の巻)』

横山隆一『フクチャン(傑作の巻)』

島田啓三『だんご仙人(失敗の巻)』

入江しげる『姿消太郎』

桂たろう『鉄扇太郎』

巻末にある「漫画文庫近刊予告」には


中村ひろし『天晴れちえ若丸』

東浦美津夫『怪傑鉄仮面』

内野純緒『宝島』

カゴ直利『拳銃大平原』

大城のぼる『ピークとピグミー』


ちなみに『冒険ダン吉』の奥付けには、


昭和27年3月25日初版


昭和27年12月10日5版


定価40円


とあり、戦前の『少年倶楽部』の人気作が、戦後の少年たちにも人気があったことが判ります。
けれども、この鶴書房の漫画文庫、現存数が非常に少ないのか、滅多に古書市場(古本屋さんの店頭や目録)で見掛けることがありません。

横山隆一、島田啓三、大城のぼる、松下井知夫、手塚治虫と当時の人気作家の作品を多数集めているのに、定価が40円と格安なのは、当時としても特殊な小型のサイズであり、並製カバー無しの簡易な製本のためでしょう。
正に漫画文庫の先駆け(現在のように広く文庫判サイズの漫画本が名作を中心に出版され普及するのは、1975年前後のことです。)とも言えるシリーズだと私は思ってます。


ちなみにWikipediaで、カゴ直利先生の単行本として一番最初に紹介されているのが『少年ジャングル王』であり、翌1953年に『拳銃大平原』の記載があります。
この本では『拳銃大平原』は近刊予告にあり、明らかにその前に出版された15.『ジャンルグル・ブラザー』16.『プリン地球へ行く』の二作品がWikipediaのリストから抜けていることが判ります。
カゴ直利先生は、名古屋で活動を始められてから上京して東京の出版社を周ります。
その際に、後に『少年画報』(少年画報社)で【赤胴鈴之助】(武内つなよし)と並ぶ看板作品【ビリー・パック】を連載する河島光広先生から原稿を預かって上京したのです。
河島光広先生とカゴ直利先生の出会いのエピソードは、非常にドラマチックであり、劇的であるにも関わらず今まで誰も語ってきませんでしたが、私は、千葉にお住まいのカゴ直利先生を訪ねて行き、直接そのエピソードを聞くことが出来ました。
2001年、【少年画報大全】監修に際し、当時名古屋在住の河島光広先生を担当し、会ったことがある唯一の編集者、山部徹郎さん(故人)にお会いした際、河島光広先生のデビューのきっかけは、漫画家のカゴ直利先生からの紹介だったとの話の裏付けをとった執念のインタービューでもあります。

手塚治虫先生の『バンビ』については、【手塚治虫全史 その素顔と業績】(秋田書店・平成10年8月10日 初版発行・定価5714円+税)巻末にある「手塚治虫単行本リスト」に

1951年11/10 バンビ/鶴書房[B6判]描き下ろし

1952年6/15 バンビ/鶴書房 漫画文庫[文庫判]*B6で同出版社から出ていたものを文庫化したもの

との記述があります。
1951年の『バンビ』の定価がB6判・80頁で90円なのに対し、1952年の『バンビ』は文庫判で定価が40円。(この文庫判の定価の記述は今回の私の調査結果によるもので同書に記述はありません。)
そのお買得感が伝わってきますね!
ちなみに、実際の『バンビ』文庫判の実物には、私は残念ながら一度もお目にかかったことがありません。
【手塚治虫全史 その素顔と業績】には、編集・構成・文として森 晴路(手塚プロダクション)さん、片山雅博さん
資料協力として野口文雄さんの名前があります。
片山雅博さんは、先年亡くなられてしまいましたが、この方達を筆頭に手塚先生の漫画作品やアニメ作品のマニア・コレクターは、日本全国たくさんいるのです。
かくいう私も、【メトロポリス漫画総合研究所】を名乗るくらいの手塚漫画のファンであり、映画ファンでもあります。
手塚プロや虫プロの版権スタッフの間でも、私の名前と主宰するメトロポリス漫画総合研究所の名は、少しは知られております。
そう私・本間正幸は、日本有数のマニアであり、コレクターのひとりなのです。(笑)
手塚漫画やアニメのオタクレベルとなればきっと日本を始め世界中に何千人もいることでしょう。
少しは名のあるマニアやコレクターだけでも数十人くらいいます。

さて、今回何故リストの作成が重要なのかワザワザ記事にしたかといいますと、先日、私の主宰するメトロポリス漫画総合研究所に送られてきた戦後直ぐの少年雑誌の漫画付録や漫画本200冊の中に、この貴重な鶴書房の漫画文庫が三冊あったからなのです。
残念ながら三冊共、表・裏表紙が欠損している酷い状態でした。(涙)
東浦美津夫【怪傑鉄仮面】一頁から九十頁まで。
岩谷 修【?】昭和27年3月25日初版。10月10日4版三頁から九十六頁まで。
山口あきら【くろ助ヤオヤ】か?九頁から八十頁まで。
この三冊の本の正体と価値付け評価をする際に参考にした資料が、この単行本リストなのです。
Wikipediaにおけるカゴ直利先生の記述のように、インターネットにおける漫画史に関する情報については残念ながら今だに不完全のままのため、私にはほとんど役に立ちません。
自分自身で実際に作成してきたリストだけが一番信用出来るのです。(笑)
東浦先生のご自宅へおうかがいした際、リスト18にある【小天狗若丸】を今も大事に手元に持っていらっしゃいました。
今度、東浦先生のご自宅へおうかがいする際には、今回入手した【怪傑鉄仮面】を持参して、当時の鶴書房の話など御聞きするつもりです。
また、鶴書房と言えば、藤子不二雄先生の初単行本【最後の世界大戦】の出版元としてあまりにも有名ですが、

1995年にまんだらけ出版部から発売された【あなたのマンガ高く買います】(古川益三とまんだらけ鑑定団)には、次のような記述があります。


古書マンガの人気作家は?
「藤子不二雄のデビュー作『最後の世界大戦』は300万近くするって本当ですか?」

『最後の世界大戦』は現存する数が非常に少なく、10冊も残っていないと言われています。

もし、この本が出てくれば、まんだらけでは現在200万で買い取ります。


この本が発売されてから15年以上が経ちますが、藤子不二雄先生の人気は衰えるどころか高まるばかり。
その後も『最後の世界大戦』が、まんだらけに持ち込まれることは少なく、市場価値は何ら変わっておりません。
このように、戦前・戦後に発売された漫画本の現存数は極端に少なく、人気作家の本はその稀少性故にとても価値があり、きちんとしたデータを確認することすら難しいというのが現状なのです。
また、『最後の世界大戦』の表紙イラストを手掛けたのは、藤子不二雄先生本人ではなく、大城のぼる先生でした。
何故、藤子不二雄先生本人ではなく、大城のぼる先生なのか?
私も、昔はとても不思議に思っていたのですが、このリストをみれば判るように、戦前から活躍されていた大御所の大城のぼる先生と鶴書房の関係は古く、当時としては大御所であり、人気作家だったのです。
まだ無名の新人・藤子不二雄(この本では、足塚不二雄名義)の絵を使うより、大城のぼる先生が表紙のイラストを描いた方が売れると版元である出版社に判断されたのでしょう。
当時の描き下ろし出版社では、無名の新人の場合、作者本人でなく、専属の大御所の描いたイラストが表紙を飾るということが良くあったようです。
鶴書房の場合、大城のぼる先生がその役割を担い、表紙のイラストを描いていたようです。
劇画誕生の地、大阪の八興では、辰巳ヨシヒロ先生や佐藤まさあき先生の初期作品など、久呂田まさみ先生が描いていました。
表紙も任されるようになったのは、みんな人気作家になってからだったのです。
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先日の金魚屋古書店エピソード訂正

2009-07-01 14:37:57 | 「金魚屋古書店出納帳」芳崎せいむ
今日の画像は、(金魚屋古書店出納帳)で斯波さんが初登場となる第4話と、第3話の2本立てが掲載された(OURs girl)No.3('01.5 少年画報社)。


先日の芳崎せいむ先生の(金魚屋古書店出納帳)について、私の思い違いがありました。
私が少年画報社のパーティーで御逢いしたのは、別の漫画家さん達でした。
芳崎せいむ先生には、私から担当編集の方に無理なお願いをして、御逢いしました。
その時、神奈川県立歴史博物館で、(正チャンの冒険)のオリジナル本の中身をお見せし、(ビリーパック)の単行本をお貸ししたのが事実です。
まんがばかのTシャツについてのエピソードや、斯波さんがコミカルになって良かったと話題にしたことは、(金魚屋古書店出納帳)についての感想を話したことへの思い違いとなってしまったようです。
芳崎せいむ先生には、お忙しい中、私のgooのブログにまでコメントいただき大変ご迷惑をおかけしましたことを心より御詫び申しあげます。
7年前の自分自身が関わったことなので、自分の記憶力を過信し、ろくに確認もせず、そのままここ何年も思い違いをしていたようなので恥ずかしい限りです。
ごめんなさい。
反省をしています。
これからは、ブログに書くことでも、普段出版物に書いているように全て事実関係を何度も良く確認をしてから書いていくように心掛けてまいります。
今まで私がブログに書いてきた他の事柄については、全て事実関係との思い違いなどはないはずですが、いや、違うぞ、という方がいらっしゃったら遠慮なくコメント下さいね。
私のブログは、匿名の誹謗中傷記事などではなく、全て事実関係を確認した上で、漫画史研究家本間正幸としての署名記事だと思って書いております。
商業誌に発表する際の下書きだと考えて書いておりますので、後日ブログに書いた内容に手を入れたものを発表することも視野にいれております。
美術館や博物館、個展のイベント情報など案内をいただいたもので、私がおすすめのものも、引き続き紹介していきたいと考えております。
これからも、よろしくお願いしますね。


(金魚屋古書店出納帳)については、連載当初から大好きな作品だったので、少年画報社の掲載誌は、全て揃えておりましたが、(OURs girl) No.5以降がどこにしまったのかまだ見つかりません。
掲載誌(OURs girl)が休刊し、(OURs LITE)に引っ越しをし、更に(OURs LITE)までもが休刊した時は、本当に残念でしたが、連載を小学館の(IKKI)に移し、(金魚屋古書店)として再出発したことが、現在の(金魚屋古書店)のブレイクに繋がっていったのではないかと私は、考えています。大好きな作品のひとつです。
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ビリーパックと金魚屋古書店出納帳!!

2009-06-29 03:16:35 | 「金魚屋古書店出納帳」芳崎せいむ
今日の画像は、(ビリーパック)河島光広先生と(金魚屋古書店出納帳)芳崎せいむ先生。


僕がまだ、小学生の頃の話だ。
藤子不二雄@先生の(まんが道)の巻末広告に紹介されていた探偵漫画の(ビリーパック)。
黒っぽい背表紙で表紙も斬新。
近くの本屋では、大人向けの棚に置いてあった。
買って読んで見ると非常に面白い。
随分昔の作品らしいが、古さをあまり感じなかったし当時探偵物は珍しかった。いっぺんで虜になってしまった僕は、次の日、おこづかいをはたいて残り3冊をいっきに買う。
当時のおこづかいが月500円の時に一冊380円もしたから、おやつの駄菓子は我慢しなければならない。
それからの僕は、(ビリーパック)の作品世界に夢中になってしまい、思わず出版元である少年画報社に連絡を入れて、担当編集者を訪ねていったほどだった。
その時に対応してくれたのが桑村誠二郎氏。
(週刊少年キング)で(サイボーグ009)を担当し、(ヤングコミック)編集長として青年誌で日本一の売り上げを記録した伝説の編集者である。
当時は、(週刊少年キング)の編集長を更迭され、吉田竜夫先生の(忍者部隊月光)を増刊号にまとめるなど、かつての名作を復刊する仕事を担当していた。
僕は、(ビリーパック)のオリジナル単行本を見せてもらい、そのコピーを部下である戸田利吉郎さんにとって貰う。
そう、後に(少年画報大全)の担当役員であり、現在少年画報社の社長となったあの戸田さんにだ。
22年後、再び訪れた少年画報社で戸田さんと再会し、本来米澤嘉博氏に依頼され、そのまま手付かずだった企画に新人の僕が代役として大抜擢されることになる訳だから宿命的なものを感じざるをえない。
桑村さんとは、(少年画報大全)発売後に再会を果たす。
当時編集プロダクションとして(ヤングキング)の編集や、望月三起也先生の版権管理の窓口をしていたサードハウスで私は、編集の実務や版権管理について半年間学んでいく。
ただ、当時少年画報社の編集局長だった筧悟さんからは、


桑村さんと本間くんとでは、お互い我が強すぎて絶対長くは続かない


と予言されていた。
その予言は的中する。
どうやら、私は、漫画家さんの裏方に徹する編集者というよりも、漫画コレクターであり、出版プロデューサーであり、漫画史研究者である今のライフスタイルの方が向いているようだ。
神奈川県立歴史博物館で行われたFIFA ワールドカップでのサッカー漫画の展示監修を請け負う際、桑村さんと意見が対立し再びフリーとなる。
この展示は、(金魚屋古書店)で知られる漫画家の芳崎せいむ先生と一緒に見にいった思い出がある。
(少年画報大全)が発売された後の少年画報社のパーティーの席上で、戸田さんから


お前さんに逢いたがっている漫画家さんがいる


と紹介されたのだ。
芳崎先生と二人で神奈川県立歴史博物館を見学した際、私の行きつけの古本屋を案内したり、背取りの話やTVチャンピオン少年マンガ王選手権出場の裏話などと共に、(ビリーパック)の話に興味を持たれたようだ。
私が、添乗員をしていた学生時代にトレンチコートを買ったのは、(ビリーパック)に憧れてである。
その頃は、冬だけでなく一年中着ようとしたのだが、季節が変わり夏が近付いて汗をかきながら着ていたら旅行会社の皆に笑われた話をした。
その時、2002年のアジアマンガサミットのTシャツを上着のシャツの下に着ていたのだが、


そんなTシャツ一枚で歩いていたら、(まんがばか)と書いて歩いているようなものだから流石に普段は着ては歩けない


などと話しをしたものだ。
当時、金魚屋の斯波さんは、京極夏彦さんをモデルにしていると芳崎さんから聞いた。
芳崎さんは、ボーイズラブ系の作品も描いていたため、漫画オタクですら格好よく描いていた。


斯波さんをもっとコミカルな感じにした方が良いのではないか


など個人的な感想を話した。
そして、芳崎さんに(ビリーパック)の復刻版4冊を貸すことになる。
(金魚屋古書店出納帳)が少年画報社から二冊の単行本にまとまった時、サイン入りで本を送ってきてくれた。
第10話のマンガキングスペシャルコンテストの話の中で突如壁に


この奥右つきあたり(ビリーパック)問題。お手上げだ誰か頼む


やった解いたぜ!河島光広は永遠だ!!
賛成!! その通りです。


の落書きが作品の中に登場するのは、その日の私の(ビリーパック)に対する発言のせいなのかもしれないな。
コメント (7)
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