198万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

【まんが道】【愛・・・しりそめし頃に・・・】完結と【フイチン再見!】

2013-04-12 13:37:07 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
本日の画像は、今日発売されたばかりの【ビッグコミックオリジナル】5月増刊号と、4月5日に発売された『ビッグコミックオリジナル』8号、そして藤子不二雄先生の【海の王子】の新連載が開始された記念すべき『週刊少年サンデー』(小学館)創刊号(1959年・昭和34年)と、『週刊少年マガジン』(講談社)創刊号復刻版。


現在、在野にいる数少ない漫画史研究家として活動する漫画コレクターの私に大きな影響を与え、その後の人生を大きく左右させた運命的な漫画がある。

藤子不二雄A先生の【まんが道】だ。

私が最初に読んだのは、1977年に『コロコロコミック』に連載された吉田忠先生の【藤子不二雄物語 ハムサラダくん】。
直ぐに『週刊少年キング』(少年画報社)で藤子先生本人による【まんが道】が連載されていることに気づき、三巻目まで発売されていた単行本を購入し、それ以降、単行本が発売される度に買い揃えてきた思い出深い作品で、出逢ってから37年になる。

作中に紹介されていた手塚治虫先生の【新宝島】や初期SF三部作の【ロストワールド】【来るべき世界】【メトロポリス】や、足塚不二雄名義で描き下ろされ鶴書房から発行された【UTOPIA 最後の世界大戦】の作品が読みたくて単行本を探したけれども、実物は中々見つからなかった。
当時は、漫画を専門に扱う古本屋も殆んどなく、神保町の中野書店だけが別格だった。
1978年11月に現代マンガ図書館がオープンした際、開館記念の漫画大即売展が行われたが、小学生の小遣い(当時で月に600円)では横浜からの往復の交通費だけでもばかにならず、購入出来た本は、貸本上がりでボロボロに痛んだ本数冊くらい。
いつの日にか、一度でいいから【まんが道】に紹介されている手塚先生の初期作品や、【UTOPIA 最後の世界大戦】を読んでみたい。
そう夜空の星に願ったものだ。


【ビッグオリジナル】8号本誌では、ビッグコミックオリジナル増刊号連載 藤子不二雄@氏『愛・・・しりそめし頃に・・・』完結直前記念メッセージ企画!!

として、各界著名人84名のメッセージが寄せられている。

先ずは中綴じのカラーページに色紙で

一ページ目。
高橋留美子、水島新司、やまさき十三+北見けんいち、弘兼憲史の4枚。

二ページ目。
ちばてつや、あだち充、浦沢直樹、赤塚りえ子(フジオ・プロダクション社長)、加藤山羊、村上たかし、やまあき道屯、7枚までが紹介されている。
*敬称略、順不同。なお漫画家及び原作者の方々の肩書きは省略させていただいております。

三ページ目から白黒で活字のみ。
黒鉄ヒロシ、北原雅紀、魚戸おさむ、あおきてつお、安倍夜郎、吉田戦車、長崎尚志、テリー山本、森栗丸、村松誠、野村知紗、西岸良平、高橋遠州、永松潔、14枚。
*藤子不二雄A氏の本名は、安孫子素雄。

4ページ目。
村上もとか、尾瀬あきら、業田良家、イシデ電、大橋巨泉(タレント)、ロドリゲス井之介、かざま鋭二、坂田信弘、内田かずひろ、小田扉、花輪和一、山川直人、寺沢大介、12枚。

5ページ目。
いとう耐、杉作、相場英雄、くじらいいく子、宮崎克、石塚真一、田中むねよし、古谷三敏、井浦秀夫、中山昌亮、つのだじろう、武論尊、さいとう・たかを、青木朋、14枚。

6ページ目。
鴻上尚史(作家・演出家)、大平透(声優)、石坂浩二(俳優)、王貞治(福岡ソフトバンクホークス取締役会長)、関口宏(司会者)、西原理恵子、秋本治、林家木久扇(落語家)、星野之宣、大野智(「嵐」)、バッファロー吾郎A(お笑い芸人)、青木功(プロゴルファー)、伊集院光(タレント)、13枚。

7ページ目。
とがしやすたか、かわぐちかいじ、藤田和日郎、荒木飛呂彦、江口寿史、萩尾望都、ハロルド作石、あらゐけいいち、山本おさむ、竹熊健太郎(漫画評論家)、長友啓典(グラフィックデザイナー)、11枚。

8ページ目。
浜田ブリトニー、中村真理子、戸田利吉郎(少年画報社社長・元「少年キング」編集長)、有間しのぶ、鈴木伸一(杉並アニメーションミュージアム館長)、京極夏彦(小説家・妖怪研究家)、島本和彦、そして一丸のみ文字主体でイラスト付き、8枚。

それぞれの思いに、昭和から平成にかけての43年に及ぶ【まんが道】の歴史が感じられる。


はじめに

手塚治虫に憧れる少年・満賀道雄は、同級生の才野茂と共に漫画家になるため富山から上京した。
手塚の紹介で入居した「トキワ荘」には寺田ヒロオがおり、その後、石森章太郎、赤塚不二夫も入居する。
この物語は、漫画を愛し全てを賭けた、彼らの『まんが道』の記録である。
前作『まんが道』から43年。
満賀道雄と才野茂が駆け抜けてきた「漫画一色の青春」が今、終わりを告げる・・・・・・
"まんが道"を歩む、巨匠達の青春群像!!
漫画を心から愛し
そして、愛された男たちがいた・・・万感胸に迫る最終話・・・!!
夢の99 あたらしい出発!

登場人物

満賀道雄。
手塚治虫に憧れ上京、才野とコンビを組んでいる。

才野茂。
満賀と共に富山から上京。
コンビを組んで漫画家として活動。

赤塚不二夫。
石森のアシスタント的存在だったが、一躍売れっ子作家に。

石森章太郎。
トキワ荘の若き天才漫画家。

つのだじろう。
満賀たちと共に新しい漫画を作ろうとする仲間。

手塚治虫。
満賀たちが憧れ、目標とする大漫画家。満賀をトキワ荘に導いた恩人。

白黒20ページと、ラストがカラーで4ページ。

扉でなく、ラストをカラーページで飾るのは、『月刊少年画報』(少年画報社)の看板作品だった【怪物くん】のラストと同じで素晴らしい。


現在、第11集が大人気発売中!!

漫画に全てを賭けた男たちの、熱き青春群像劇!!
時は昭和30年代。
東京・椎名町にあった「トキワ荘」では漫画界の未来の巨匠たちが、熱き青春時代を送っていたー。
名作『まんが道』の続編ともいうべき本作。
最新11集では、実写映画化もされた『怪物くん』誕生秘話や、長嶋茂雄選手の伝記漫画執筆など、知られざるエピソードが満載!
巻末特別付録として、藤子不二雄Aの作品としては珍しいスポーツ・ノンフィクションもの『負けてたまるか 松平康隆』を、ファン待望の単行本初収録!!
特報!!最新第12集、6月下旬発売予定!!


さて、漫画好きな少年だった私が【まんが道】に出会ったことで、読者として37年間もの長きに渡り幸せな人生を歩んで来れたことを藤子不二雄A先生に感謝したい。

そして、これからの人生を生きる上で楽しみとする漫画は、『ビッグコミックオリジナル』7号から、村上もとか先生が新連載を始めたばかりの【フイチン再見!】に期待していきたいと思う。



2008年3月7日、上田としこ先生が亡くなられた。
享年90歳。

2008年夏、私は、杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長の要請により、【フイチンさん】上田としこ先生の追悼展に【フイチンさん】のアニメを製作したあにまる屋(現・エクラアニマル)さんと共に協力。

2009年3月、元『少女クラブ』(講談社)編集長・丸山昭さんからの協力要請により、上田としこ先生を偲ぶ会の発起人の末席に名を連ねる。

偲ぶ会の報告をするため、gooでブログを開始。
ブログ開始当初より、現在も一日100人前後の変わらぬ訪問者があります。
そして、コミックパークからオンデマンド出版の書籍として、上田としこ先生の代表作【フイチンさん】全三巻【ぼんこちゃん】【お初ちゃん】を編集し、B6版並製1050円にて販売開始。

今年は電子書籍として、大日本印刷のhontoから、525円で販売開始。

上田としこ先生が亡くなられて早5年、3月5日に発売された『ビッグコミックオリジナル』(小学館)の次号予告に、

「龍-RON-」終了より約7年、「JIN-仁-」終了より約2年

村上もとかが描く、漫画の青き春!!!
巻頭カラー!!巨弾新連載

彼女の前に道はなかった。
彼女のあとに道はできた。
漫画家・上田としこ。
2008年没、享年90歳。
彼女を主人公に、
漫画の・・・・・・
いや、日本そのものの
青春を描く!

【フイチン再見!(ツァイチェン)】村上もとか


が発表されると、たちまちネット上で話題沸騰となっている。

私が上田としこ先生の【フイチンさん】に出会ったのは、今から35年以上昔の小学生の頃。

2001年夏、【少年画報大全】(少年画報社)で、私が漫画史研究家としてメジャーデビューを飾る際には、念願叶って初対面となる上田としこ先生の貴重なインタビューと、お借りした数々の写真が彩りを添えて出版界で評判を呼びます。

弥生美術館での展示会、2004年、関係者向けに行われたエクラアニマルの【フイチンさん】アニメ完成試写会には、未だ無名に近い、駆け出しの漫画史研究家だった私を、招待客の一人に加えてくださった上田先生の優しさに僕は・・・。



「フイチンさん」

日本の少女マンガの黎明期からパイオニアの一人として活躍を続け、名実ともに常に第一人者であり続けた上田トシコさん。

今回、その代表作である「フイチンさん」「ぼんこちゃん」「お初ちゃん」の三作品を初の電子書籍化しました。
「フイチンさん」は、『月刊少女クラブ』(講談社)に昭和32年1月号~昭和37年3月号まで連載された作品。

満州(現在の中国東北部)を舞台にハルピン一の大金持ちリュウ家の門番の娘である少女フイチンさんを主人公に満州で暮らす人々の生活を暖かい目線で描いています。                          昭和35年上田トシコさんは「フイチンさん」「ぼんこちゃん」ほかで第5回小学館漫画賞を受賞しています。

2004年には、あにまる屋(現在のエクラアニマル)制作のアニメとして下北沢トリウッドでロードショー上映されました。

新たなファン層を拡大し続けている少女漫画世界不朽の名作であり、上田トシコさんの代表作として四度の単行本化。

2009年のオンデマンド化を経て、今回満を持して初の電子書籍化が実現したのです。                         
上田トシコさんの人生は、波乱万丈でありNHK朝ドラの主人公のようなものでした。
ドラマ化もされた医療漫画『JIN-仁-』の村上もとかさんの新作は、上田トシコさんをモデルにするという話ですから、少女漫画ファンだけでなく自他共に漫画好きを自認する皆さんには必読の書となること間違いなしですね!
「正ちゃんの冒険」から始まる日本の少年少女マンガ史90年の歴史の中で最重要作品とも云える「フイチンさん」「ぼんこちゃん」を皆さんも是非この機会に御一読いただけたら幸いです。
漫画史研究家 本間正幸
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この後、深夜1 時から映画【同棲時代】と【ワイルド7】をチャンネルNECO で

2013-04-11 00:51:28 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
上村一夫先生の劇画が原作となる大ヒット映画【同棲時代】【新・同棲時代】と、【私は泣かない】
テレビ版【ワイルド7】を観るために、久し振りにスカパーのチャンネルNECOに申し込み。
観たかった映画3本と、テレビ8本で月額525円とは財布にも優しくて嬉しいですね!(*´∀`)♪

さて、観たかった映画は3本とも、我が心の師匠である石森史郎先生が脚本を担当。
昨年、映画化され話題となった【ワイルド7】は、横浜在住の漫画界の巨匠・望月三起也先生が『週刊少年キング』の看板作品として、長期連載された名作としても広く知られています。

映画化、テレビ化されたことは知ってても、全て今回が初見となるため、感想は後日改めまして。

以下、前に石森史郎先生について書いたブログ記事の再録です。



一昨日の天候は大雪。

東京、横浜在住の新成人の皆さんは、成人式に参加されたでしょうか?

私が新成人の頃の横浜では、成人式に参加するのは、あまりお洒落ではないという考えが一部に根強くあり、私は参加しませんでした。

そのことが、今になって考えると高校時代の悪縁を全て断ち切ることに繋がり、その後の幸せな人生へのステップアップに繋がった気がします。

一昨日で、大好評のうちに第六回江東シネマフェスティバルが終了しました。

12日(土)

13:00~【憧れのハワイ航路】

15:40~【川の底からこんにちは】

13日(日)

10:00~【運が良けりゃ】

13:30~無声映画特集 弁士・楽団(カラード・モノトーン)付フィルム上映

【争闘阿修羅街】弁士・松田貴久子
【雄呂血】弁士・澤登 翠

16:50~【お早よう】

14日(月・祝)

10:00~【ゴジラ】フィルム上映

13:30~【愛妻物語】フィルム上映

16:20~【晩春】フィルム上映


私は、3日間通し券を購入していたので、日曜日の朝【おしん】の再放送を観て、午後の無声映画特集から、3日目は朝から終日会場におりました。
無声映画特集には、脚本家の石森史郎先生夫妻が観にいらっしゃったので、新年の御挨拶。

一昨日のメインは、何といっても【ゴジラ】のスクリーン上映とトークイベント。

前売りは完売で、会場も大雪なのに満員状態。

上映後のトークイベントは、「ゴジラ誕生秘話」で、俳優の宝田明さんと、本多猪四郎監督の長男、本多隆司さんが登場で満員の会場は大盛り上がり。
幾つも取材カメラがあるだけでなく、マスコミだけでなく観客も撮影OKのフォトセッションタイムがあり、ビックリ!

更に宝田さんは、会場にいるファンの希望者まで壇上に登壇OKの記念写真タイムを作ってくれたのだからそのお人柄に感心してしまいました。

その後、【ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒沢明の友情】本多きみ 著、取材・構成・文 西田みゆき(宝島社)定価1300円+税に、希望者は、本多隆司さんのサインを入れて貰える販売タイムがあり、私も勿論購入してサインを入れてもらいました。
その際、先日のNHKBSの番組で放映されたラストに、本多監督の生まれ故郷が、私の父の故郷である庄内地方鶴岡市にある地元の有名なお寺であり、少年時代に私は家族と一緒にそのお寺にお参りしたことがあるので、訊ねてみたらドンピシャリ。
せっかくの機会なので私が漫画やアニメ、特撮や映画を研究していること、父の実家が庄内鶴岡にある本間家の中でも指折りの旧家であり、庄内地方に将来漫画やアニメ、映画に関する総合的な観光施設を作ることが出来たらいいなと考えていることなど、簡単に自己紹介することが出来ました。

同行されていた株式会社本多フィルムの副社長からは名刺をいただき、やはり庄内地方に本多監督の記念館が出来たらいいのにと、話題になりました。

本多猪四郎監督と私の間には、不思議な縁があるようなので、これを機会に父の故郷出身の偉大な先人である本多監督の作品とその生涯についても今後はより一層研究を深めていきたいと考えています。

また、この三連休には漫画やアニメ、特撮や映画に関する様々なイベントが開催されていたようです。

各々のイベントにおいて、各々のイベントに関係する人達や、興味がある人達が集まる訳ですが、正に類は友を呼び朱に交われば赤くなるといいますが、まさにその通りだったのではないでしょうか?

マンガ評論家でなく漫画史研究家として活動を続ける私の場合、大正・昭和時代の漫画を中心とした映画やテレビ、アニメ、特撮、街頭紙芝居、絵物語、少年小説、挿絵など研究対象となる範囲が広く、交流する人々も多くなります。

漫画や映画などジャンルが異なるイベントが同じ日に重なることが日常茶飯事となるため、より良い縁である所に顔を出すように心掛けています。
不思議と良い縁のイベントに集まる人達は、良い人達が多いため居心地が良く段々と栄えてくるようになります。
ところが、栄枯盛衰とは大変不思議なもので、悪い人達が集まる縁やイベントには、内容はどうあれ、段々と人が集まらなくなってくるのですから驚くばかりです。
私のブログは、私と縁のある良い人達やイベントを中心に紹介しています。
かつて、私と縁があった人達や団体で、現在、私のブログで話題となったり、登場してこないものの殆んどは、私にとって悪縁と思われるから、敢えて話題から避けてます。
その人物が亡くなり、その人物と関係する著作権上、大問題がある書籍を数年前に出版した出版社が、その問題ある書籍を出版した後、大手からの資本提携を解除された上、再度別の問題を起こし、出版した本の回収騒ぎの後、昨年末にあえなく倒産。

三連休中に行われた追悼イベントは、大雪のため人が集まらなかったようなのに、世間的には肩書きのある著名人の関係者二人が「たくさんの人に集まっていただき」とTwitterし、人柄の良い善良な関係者の一人が、「最悪、スタッフだけのイベントになるかと思われたが、こじんまりとした集まりぐらいの人が来てくれたので良かった」と、同じくTwitter上で呟く別の関係者の矛盾に、故人と関わりの強い関係者三人の人間性まであからさまに露呈してしまったようです。
内容に自信さえあれば、イベントに人が集まっていなくても、たくさんの人が来たような嘘をつく必要はないと私は思うのですが・・・。
亡くなってからも、肩書きだけ立派な故人の悪い人間性が、謀らずも関係者によって鮮やかに受け継がれている負の遺産を垣間見た瞬間でした。
全ては因果応報であり、自業自得。
改心しない限りこれからも悪縁や、負の遺産は、故人の関係者の手により受け継がれていくことでしょう。
虚しくはないのかな?(笑)


さて、私は今、アニメと映画、漫画史を皆で語れるオフ会の設立を考えています。
題して【アニメと映画、マンガ史研究会】(笑)。
参加資格は、アニメor映画orマンガが好きな人。
私がブログなどで紹介するアニメ、映画、マンガが好きだというのなら、誰でも参加OK。
イベントの前後、会場などで御会いしましょう。
入会希望者は、会場で一声かけて下さいね。
会員証は【少年画報大全】ということでよろしく。

漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」

『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!

故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!

【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口

株式会社 パインウッドカンパニー

郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404

Tel:03-5939-6991

『漫画の匠』
http://www.manganotakumi.com

漫画史研究家 本間正幸


今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!

先ずは、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を紹介させて貰いましたが、鈴木伸一館長とは、毎年、東京国際アニメフェアの功労賞でのパーティ会場や、手塚治虫文化賞で御一緒させていただいております。

次の年賀状は、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのもの。

2013年は【リボンの騎士】連載60周年。

【鉄腕アトム】放送50周年。

【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。

【リボンの騎士】は、虫プロのテレビアニメの再放送から、音楽、漫画と全て私好み。

【鉄腕アトム】は、漫画からリバイバルのカラー放送を見て。

【ブラック・ジャック】は、『週刊少年チャンピオン』の連載時からリアルタイムで、初出のカラー扉も楽しむことが出来ました。
「沈む女」の二色ページは美しく、ストーリーはあまりにも物悲し過ぎて・・・。

手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きで、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。

漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。

今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元・名プロデューサーHさんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く

と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。

漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。
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【思い出の少年倶楽部時代】と【占領下の文壇作家と児童文学】

2013-04-07 00:30:40 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
前回迄の記事で、江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズを紹介するために、幾つかの関連書籍を書庫から探し出しているうちに、是非、皆さんにも紹介しておきたい二冊の本が出てきた。
尾崎秀樹さんの【思い出の少年倶楽部時代-なつかしの名作博覧会-】(講談社・1997年・4200円)と、根本正義先生の【占領下の文壇作家と児童文学】(高文堂出版社・2005年・6000円)だ。
漫画史研究家として活動する私が、少年時代から尊敬し目標として目指しているのは、鶴見俊輔、尾崎秀樹、佐藤忠男先生クラスの実績と信用、影響力のある研究者。
【思い出の少年倶楽部時代】では、戦前の【怪人二十面相】と【少年探偵団】について詳しく紹介されているし、【占領下の文壇作家と児童文学】では、光文社とポプラ社、偕成社、東光出版社、宝文館、講談社、河出書房の七社を詳しく、それ以外の80社についても触れているが嬉しい。
それに幻のお嬢様雑誌としてもはや伝説的な明々社の『少女ロマンス』や、『冒険活劇文庫』文京出版の『少年少女譚海』や『冒険ブック』、新生閣『少年少女漫画と読物』、冒険クラブ社『冒険クラブ』、日本正学館『冒険少年』、富国出版社『少女世界』、世界少年社『世界少年』、東光出版社『東光少年』、同盟出版社『少年時代』、こども社『まんがブック』の10社12雑誌についても貴重で詳細な実証的データが紹介されているのだ。
『少女ロマンス』は、【フイチンさん】で有名な上田トシコ先生が、漫画家として戦後再デビューを飾った重要な雑誌であり、手塚治虫先生作品の掲載など、非常に名高い雑誌である反面、何故か少女漫画評論家の間では、殆んど語られることがなく、私が監修した【少年画報大全】以外で、一番詳しく紹介されているのが唯一この本だけなのだ。
発行元である明々社とは、後の少年画報社。
『少女ロマンス』は、現存数が極端に少なく、公共の図書館でも保存しているのは数ヵ所のみ。

昭和時代の名作を手に入れて読んでみて気に入ったら、次にその本の原書が発売された時代背景や、作品が発表された掲載誌にまで遡って昭和時代の雰囲気を掴んで欲しい。
漫画コレクターとして35年以上のキャリアを持つ私は、名作漫画の半数近くを収集した20年目頃に漫画喫茶をオープン。
お店の看板とするために雑誌『ガロ』(青林堂)『COM』(虫プロ商事)『マンガ少年』(朝日ソノラマ)を店内に揃えることに成功する。
漫画喫茶閉店後は、収納スペース確保のため蔵書数を削減。
平成以降の漫画家さんの作品収集をやめ、昭和時代の名作の数々を集めることに専念するようになる。
だが、昭和時代を追い続けるうちに街頭紙芝居や絵物語、音楽、アニメや特撮、映画、少年小説、挿し絵の魅力に魅せられてしまい皮肉にも収集のジャンルや専門領域が広がってしまう。

さて、オリジナルの原書に当たれない大多数の人達には、オススメの二冊ですが、発売当時の定価が高額な上、書かれている内容を理解するのに専門的な知識が必要とされるためだろうか、あまりネットなどの書評には取り上げられる機会が少ないまま残念ながら現在は絶版になってしまったようだ。

各々、内容の詳細については、これから時間をかけてテーマ毎に少しずつ紹介していきたい。

以下の文章は、

『漫画少年』お正月オール漫画特大号と「漫画少年」史

として発表した記事の再録です。



【少年のための次郎物語】

作者のことば

次郎という少年は、私にはわすれようとしてもわすれられない少年です。
この少年はいろんなわけがあって小さいころにはたいへんひねくれていましたが、ひじょうな苦しみをなめ、努力をつんでついに自分のわるい性質にうちかちすばらしい少年に育つことができたのです。
むろん私は次郎のよいところだけでなく、わるいところもすこしもかくさないでありのままかくつもりです。
それでこそ次郎の苦しみや努力がみなさんにわかっていただけるだろうと思うのです。

第一巻・第二巻 定価各230円

発行所 学童社

まえに本誌の連載で大評判になり、いま又毎週木曜日の夜九時にjOQRから放送され、日本中の人々にふかい感動をあたえている下村湖人先生の名作少年小説(『漫画少年』昭和29年1月号表紙裏の広告より)


少年少女のために、大人が心からの愛情と良識を持って雑誌が作られていた昭和時代が、今も私は好きだ。

「漫画は子供の心を明るくする
漫画は子供の心を楽しくする
だから子供は何より漫画が好きだ
『漫画少年』は、
子供の心を明るく楽しくする本である『漫画少年』には、子供の心を清く正しくそだてる小説と読物がある
どれもこれも傑作ばかり
日本の子供たちよ
『漫画少年』を読んで清く明るく正しく伸びよ!!

創刊のことば

加藤謙一
(昭和23年1月号)」


今日の画像は、あの伝説の【漫画少年】昭和29年(1954年)お正月オール漫画特大号と「漫画少年」史。

【漫画少年】発行元の出版社である学童社は、今はもう存在してないので、この幻の雑誌を私が手に入れて実物を眼にするまでには、小学生の頃から25年近くの歳月がかかってしまったので、おじさんになってしまっていた。(涙)

なので、少年時代の思い入れとの再会は、「今月のよびもの 井上一雄先生の友情漫画 バット君とハヤちゃん」が、一番強い。

松田哲夫さんが編集を担当した筑摩書房の【少年漫画劇場】の中に収録されていた【バット君】は、私の少年時代のお気に入り作品の一つだった。

オリジナルの単行本も、当時連載中であった掲載誌【漫画少年】も、希少本なのに購入希望者が多いため、古書価格が異常に高騰し、高額のため貧乏な漫画史研究家の身分では、実物を中々手に入れることは出来なかった。

私が所蔵している本は、表紙周りが痛み、裏表紙が欠損していたため、格安の数万円(涙)で入手することが出来たのだが、以前なら10万円前後はしていたはず。

内容は勿論、大満足過ぎる充実ぶり。

巻頭カラーページ特集「年賀状まんが読者のみなさんへ」では、漫画家の先生方(一頁に二人ずつ田河水泡、島田啓三、芳賀まさお、沢井一三郎、手塚治虫、福井英一、うしおそうじ、馬場のぼる、古沢日出夫、茨木啓一、田中正雄、木下としお、瀬越憲、最終ページのみ四人、寺田ヒロオ、坂本三郎、山根青鬼、山根赤鬼)から読者の子供たちへの年賀状が紹介されています。
イラストだけでなく特別にメッセージを書き添えている先生方の文章を紹介すると次の通り。

「あけましておめでとう
今年も元気で頑張りましょう

年始にあたり私の祈り

私の描く漫画が日本中の少年少女の皆さんのよい友達となれる事を祈っています

田中正雄

あけましておめでとう
ほんとにあけてどの頁もおもしろい漫画少年・・・・・この本とともにますます元気でそだっていくみなさん どうぞことしもがんばってネ

木下としお

あけましておめでとう
若駒のように清新な新年を迎えて元気一ぱい張りきりましょう・・・・・・

古沢日出夫


現在【漫画少年】(学童社)は、蔵書として私の手元に七冊ある。

評論家や、マンガ図書館ならともかく、漫画史研究家として多いのか?少ないのか?

トキワ荘のテラさんとして手塚治虫先生始め、後輩となる漫画家の藤子不二雄@先生、F先生、赤塚不二夫先生、石森章太郎先生、鈴木伸一先生たちから慕われた漫画家の寺田ヒロオ先生は、編著した「漫画少年」史(湘南出版社・1981年)のあとがきにて

「この本は『漫画少年』の資料です。
復刻本ではありません。

休刊後二十五年たった『漫画少年』が、散逸消滅するのを防ぎたい一心で、緊急に企画刊行いたしましたので、不備な点も多く、読者のご不満も強いことでしょう。
しかしこの本が出ることで、この「戦後最高の児童文化財」が再認識され、その保存保護が、真剣に考慮されると思います。
またこの本が呼び水となり、もっと豊富でもっと正確な『漫画少年』関連図書が続刊され、復刻のみか、復刊の動きさえ起こるかもしれません。

だが、私の真の期待は、若者の「温故知新」です。
「昔は良い本があった」
「今はどうだ」
「私達の手で“漫少”を越えるものをつくろう」
そういう声が強く高く上り、近い将来、開花結実することを、心から祈ります。」

とありました

『「漫画つうしんぼ」前後』

と書かれた文章の中には、次のような記述があり、少年時代の私を評論家ではなくコレクターへと導きます。

「ところが、天の啓示か魔がさしたか、日本の雑誌ならすべて揃っていると信じていた国会図書館に、至宝『漫画少年』が三冊きり、と聞かされて飛び上り、
「マンガショウネン」
「マンガショウネン」
と、わめきだした。
「漫画少年が消えてしまう」
「漫画少年を無くしちゃいけない」


寺田ヒロオ先生の思いに、遅れてきた漫画少年である少年時代の私は共感したのです。

そして、「漫画少年」史を手本に【少年画報大全】のコンセプトを作り監修、発売します。

映画や漫画、アニメに特撮、絵物語に少年小説、街頭紙芝居に音楽といった、大正・昭和時代の大衆文化に対する考え方は、在野にいる数少ない漫画史研究家である私と、評論家や、現在あるマンガ関連施設の殆んどと、考え方の根本部分が異なるようで、私の元へ展示資料に関する協力要請が来ることはありません。
逓信総合博物館や、山本有三記念館、弥生美術館など、マンガ専門でない広い視野を持った施設の総合的な学芸員の資格を有する人達からしか協力依頼が来ません。

facebookや、Twitterをみると、交流する人達の違いからその世界観の違いも判ってきますが、年賀状に関しても同じことがいえるようです。
評論家でない私の所には、ファンであり私の好きな名作を書かれている漫画家の先生方へ出した年賀状の返事がたくさん届きます。
何とも不思議な現象ですね。(*´∀`)♪

今年は、私が所蔵する少しレアな戦後の少年雑誌たちを紹介していきますが、せっかくの機会なのでもう少しだけ年賀状紹介シリーズを続けていきますね。



前回の画像は、私の大好きな【ルパン三世】原作者である漫画家のモンキー・パンチ先生からの寒中お見舞いを紹介しましたが、今年は漫画史研究家である私のマネジメントをしてもらっている株式会社パインウッドカンパニー宛で、私に沢山の年賀状の返事が届いているとの連絡をもらってたので、大雪の日の帰り道、新富町駅近くの事務所に立ち寄り一部だけ撮影、全てをピックアップして自宅に持ち帰って来ました。

其々の先生方の作品に纏わるエピソードについては、後日改めまして。

全て思い入れがある漫画界におけるビッグネームの先生方からの物ばかりなので、ネット上などで既に見覚えがある方も多いかも知れません。

私が子供の頃など、少年雑誌の企画で、漫画家の先生方からの年賀状が紹介されておりました。

私は、高田馬場のセブンビル2Fにあった手塚先生のプロダクション宛に年賀状を出して、印刷された葉書の返事が貰えてとても嬉しかったことを憶えています。

なので、私のブログのお正月特別企画として、先生方からの年賀状をほんの一部だけ紹介しているのです。



漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は


臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で

「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」

『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!

故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!

【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口

株式会社 パインウッドカンパニー

郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404

Tel:03-5939-6991

『漫画の匠』
http://www.manganotakumi.com

漫画史研究家 本間正幸


今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!

先ずは、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を、次に、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのものを紹介。

2013年は【リボンの騎士】連載60周年。

【鉄腕アトム】放送50周年。

【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。

手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、少年時代に愛読していた藤子不二雄@先生の名作【まんが道】の影響から多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きになり、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。

漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。

今年の藤子不二雄@先生からの年賀状に書いてある

「毒蛇は急がない」

は、藤子不二雄@先生の名作【まんが道】の中に出てくるエピソード。

蛇の顔が【笑うせえるすまん】の喪黒福造で、ゴルフボールを抱えてます。
富山から上京したてで@先生の両国の親戚の家に最初に下宿した藤子不二雄先生二人のコンビは、二畳一間の下宿の主人から、作家としての心構えを説かれたのが「毒蛇は急がない」のエピソード。

後にあの伝説のトキワ荘の四畳半へ移り住む前の印象深い話である。

私が、漫画史研究家として【少年画報大全】でメジャーデビューした際、当時担当編集者であった編集長の添田さんと、当時の編集部長であり、現在は少年画報社の社長である戸田さんから云われたことがある。

「これからは、お金のためだといって変な仕事はするな。ちゃんと仕事は選べよ。」

武士は食わねど高楊枝。

私は、今まで旅行会社の添乗員としても、漫画史研究家・本間正幸としての署名入りの仕事も、お金のために人として恥ずべき生き方をしたことが一切ありません。
在野にいる数少ない漫画史研究家として、【正ちゃんの冒険】から始まる大正・昭和時代を代表する名作漫画の収集、保存、復刻に自らの信念と誇りを持って私独自の対応をしてきました。
今年、赤塚不二夫先生のお嬢さんである赤塚りえ子さんが代表を務めるフジオ・プロダクションからの年賀状には、二匹のへび達が登場。

「くだらん!!」

「どうしたの?青大将のジョナサン?」

「おれはただのヘビじゃないぞ!!」

「ぼくにはただのヘビにしかみえないけど・・・」

「よしっ東京へいこう!!そしてりっぱなヘビになって故郷へニシキヘビをかざるんだ!!」

今年は、NHKBSで毎週日曜日の朝、少女時代に山形の庄内地方で苦労に苦労を重ねた【おしん】が再放送され、TBSの日曜劇場では【とんび】が放送されます。

「私も、名実ともに日本一のリッパな漫画史研究家となって、父の故郷である庄内地方へ父の代わりとなってニシキヘビをかざるんだ!!」

今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元東映の名プロデューサー平山亨さんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く

と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。

漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。
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日本赤十字社・明治学院大学共同宣言- ボランティア・パートナーシップ・ビヨンド 150-

2013-04-05 12:28:07 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
今日の画像は、今朝の読売新聞6面の広告ページ全面に掲載された我が母校である明治学院大学の記事と、明治学院大学校友会から昨日届いた創立150周年のリーフレット。
新聞記事には、1980年代の後半に、私が社会学部社会学科で学んでいた頃と何ら変わらない次のような決意が宣言されていた。
私も参加しているfacebook明治学院大学OB&OG会のメンバーの間でも話題となっており、読売新聞だけでなく日本経済新聞にも広告が載っていたとのことなので、朝日新聞や毎日新聞など、他の新聞にも載っているかも知れない。

社会学部の卒業生として、自戒の意味と、私のブログの読者である皆さんにも、我が母校である明学の校風を理解してもらうためにも再録したい。


歴史を活かし、未来をつくる。明治学院は、創立150周年を迎えました。

日本赤十字社・明治学院大学 共同宣言
-ボランティア・パートナーシップ・ビヨンド 150-

150年目の決意
ボランティアの力が、人を育て、人を救う。

敵味方の区別なく目の前の命を救うことに全力を尽くす、赤十字の思想。
自らの意志で動く奉仕の精神を受け継ぐ、明治学院大学の教育理念"Do forOthers"(他者への貢献)。
奇しくも同時期に創始者のボランティア活動から始まった2つの機関は
この150年、ボランティア精神を社会に広め、実践してきました。
東日本大震災からの復興。高齢化社会への対応。大規模災害への備え。世界の貧困や病への対処。
いまこそボランティアの力を発揮するときです。
人道機関が知る社会貢献や成長の機会を得たいと願う青少年たちを結びつけ、
ともに支え合って生きていく社会の実現に貢献します。
若者にボランティアへの参加を呼びかけ、ボランティア精神を広げ、
次代を担う人を育み、人と人をつないでゆきます。

それが、150周年を迎えた私たちの決意です。


そして、日本赤十字社 社長と、明治学院大学 学長のコメントが載っている。

私が明治学院大学を選んだのは、当初は次の理由だった。

一、大学で学んでみたかった社会学部社会学科がある。

二、自宅からの通学時間が短くて楽。

三、キャンパス内に占める女の子の割合が非常に高い。

けれども、現役では不合格。
一浪し、駿台予備校で学んだ際、早稲田模試などで、合格率70パーセント以上を出すも、またもや不合格。
受験科目である国語と日本史は、偏差値的に東大法学部でも十分合格圏であり、駿台の成績優秀者にいつも名前が載るまで後一歩の所まで学力が伸びていたのだが、英語が全然出来ないのだ。
私とほぼ同じ席順で私より少し成績の悪かった、(当時の駿台は、クラスや座席まで全てが成績順)予備校に入ってからの友人は、明治大学へ合格するのだが・・・。
私は、滑り止めも受けずにいたため、試験の遅い明学の夜間に最後の望みをかけ、合格する。

夜間では

一、学費がほぼ半額と格安。

二、戸塚キャンパスより、白金キャンパスの方が自宅から通いやすい。

三、四年で卒業出来るのは、せいぜい四割程度と留年や中退のリスクが非常に高いが、授業のレベルは昼間も夜も変わらない。

予備校での成績から、英語以外の授業なら、ほぼトップクラスの成績がとれるだろうと、根拠のない自信で勘違いしたまま四年間を過ごす。
余裕の無いコマ数のため、空き時間が殆んどなく、真面目に授業を受けなければ直ぐに留年するため、授業は静かに皆真剣に先生の話を聞いており、授業に集中出来た。
校内暴力で一番荒れていた時代に、横浜市内でも最悪と言われていた鶴見区の公立中学校を卒業し、推薦以外、現役で有名大学への進学など不可能な神奈川県立の底辺校ですら暴走族に所属する非行少年たちとの喧嘩で度重なる停学のため退学寸前だった私にとって、明治学院大学は、正に天国のような場所だった。
不良少年時代のように私に敵対し、根拠のない悪い噂を流す者や、学校帰りに駅や街角で待ち伏せする奴らはもういなかったのだ。
中学、高校時代と違い、駿台予備校で真面目に授業を受け、勉強する習慣がすっかり身に付いていたため、何と成績は四年間優秀なまま最初から最後まで奨学金をもらい続けることが出来た。
社会に出てから、周りの人々との間に社会貢献についての考え方など、弱冠の違和感を感じることが多かったのだが、それは明学で受けていた教育内容との差でもあったのだろう。
私の父の実家のある山形県庄内地方では、我が一族の先達であり先祖となる本間光丘が、東北地方における公益の祖として広く尊敬されており、一族の末裔となる私にも、子供の頃から先祖の偉業を父に厳しく教え込まれていたので、何の違和感もなく明学での教えを当然のこととして受け入れてきた。
だが、世の中には偽善が蔓延り、人のためにお金にもならないのに、一所懸命頑張るのはおかしい、絶対に裏で何か悪いことでも企んでいるはずだ。
と、疑う人の方が増え、根拠もなく悪い噂を流す奴らの云うことを信じるようになる。
2009年3月からそれまでアナログ人間だった私がブログを始め、現在ではfacebookやTwitterまでやっているので、その間、私が何を考え行動をしてきたのか、確認してもらえば少しは真実が見えてくるのではないかと思う。
私は、社会学部社会福祉学科のある明治学院大学で社会学を学んだことを今でも誇りに思っている明学卒業生の一人だ。

昭和時代のアニメと漫画史研究家、明治学院大学卒の社会学士

本間正幸
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成蹊ミステリ・フォーラムその2 、伝説の雑誌『幻影城』と、江戸川乱歩の軌跡【怪人二十面相】

2013-04-04 00:27:00 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
先週で【ビブリア古書堂の事件手帖】が終わってしまい、月曜の夜9時が寂しくなってしまったが、改めて本に纏わるブログ記事更新の必要性を私に諭してくれた。
本好きのコレクター初心者向けの入門編としては、良いドラマだった。
キャスティングや、視聴率の低迷ばかりが話題となっていたが、高視聴率を獲得したTBSの【とんび】と共に、私は高く評価したいと思う。

#10「江戸川乱歩・少年探偵団」

「少年探偵団」シリーズは、戦前の『少年倶楽部』に連載された講談社版四冊【怪人二十面相】【少年探偵團】【妖怪博士】【大金塊】すべてが高額な稀購本となるので、昭和24年に山川惣治の挿し絵で『少年』に待望のシリーズ連載が再開された【青銅の魔人】から始まる戦後の光文社版を先々週のドラマの中では話題にしたのだろう。
戦後、講談社系列の光文社が、戦前の講談社版四冊全てを単行本として再刊し大いに売れたことが連載再開のきっかけだったと、推理作家の芦辺拓先生も、後述する光文社文庫の【少年探偵王】(2002年)解説の中に書かれていた。
私は、少年時代に【怪人二十面相】の完全復刻本だけを手に入れて、「少年探偵団」シリーズの収集を早々と諦めていた。
ポプラ社版は、小学校の図書館の蔵書や学級文庫にあり、さほど珍しくもなく量が多くて嵩張り、光文社版まで遡って集める資金力があったら、当時は何処にも保存されていなかった戦後の少年少女漫画の単行本や、『COM』(虫プロ商事)、『ガロ』(青林堂)の雑誌類や『少年画報』に連載された探偵漫画史上不朽の名作である河島光広先生の【ビリーパック】を始め、月刊少年少女雑誌の別冊付録の数々を集めてみたかったのだ。
ましてや講談社版のオリジナル本など、高価過ぎて当時から手に入れられるはずもなかった。
戦後の「少年探偵団」シリーズは、『少年』だけでなく『少年クラブ』と『少女クラブ』、三誌同時に連載された時期があり、ドラマの中に出てきた【魔法人形】【塔上の奇術師】は共に『少女クラブ』連載作品となるので、女の子が夢中になるのにも説得力がある。
少年探偵手帳は、『少年』の付録に付いてたものと、バッチを集めて交換出来る市販されたものがあったはず。
現存数は共に少なくとても貴重。

私が、江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズに再び興味を持つようになったのは、2002年に光文社文庫の【少年探偵王】に編集協力してからだから、未だ日は浅い。

さて、2013年3月16日土曜日、私は成蹊学園創立100周年記念行事「成蹊ミステリ・フォーラム」あなたが目撃者になる、に参加する。
今日の画像は、戦前に講談社から発行された江戸川乱歩の【怪人二十面相】の復刻版と、【乱歩の軌跡】など関連書籍。

ミステリ資料展示(11:00~16:45 於:情報図書館2階)

●夢野久作書簡(未公開資料)
●成蹊ゆかりのミステリ作家資料展示
●ミステリSFコレクション書庫見学(11:00~12:00限定)

ミステリ研究・講義(13:30~16:30 於:4号館ホール)

●【新資料紹介】夢野久作から森綾子への手紙
報告 成蹊大学大学院生有志〈seminer Q〉
●変格探偵小説と山田風太郎
講義 谷口基氏
●「モルグ街の殺人事件」はどう読まれてきたか
ーアメリカ探偵小説と近代日本
講義 井上 健氏


ミステリ講演(17:00~18:00 於:4号館ホール)

島田荘司氏講演
「ミステリー史と、WHATDUNIT」

懇親会(18:00~20:00)

最大の目的はミステリSFコレクション書庫見学なので、珍しく早起きして9時には家を出る。
そして、東横線菊名駅から新しい駅ホームが出来たばかりの渋谷地下駅を利用して、井の頭線に乗換え吉祥寺に。
駅からバスで成蹊学園前で降りる。
成蹊大学へは、今回が4度目の訪問。
最近、成成明学(成蹊、成城、明治学院)なる受験用語があるようだが、確かに私の母校である明治学院大学と、成蹊大学には似たような雰囲気が少しある。
はてなキーワードでは、明治学院大学、成蹊大学、共に最近の関連キーワードに私、本間正幸の名前が出てくるようになった。
かつて成蹊大学文学部学会編纂による本に、漫画史に関する論文を発表した縁からだろう。
明治学院大学在学中から、常に異端児だった私からすると、不思議な気分だ。
私が受験生だった時代には、成城、成蹊、学習院、武蔵の四校が、旧制高校繋がりで校風が似ているとされていた。
私の出身校である、神奈川県横浜市にある県立の公立高校の今年の偏差値は45であり、私の在学中でも偏差値は50弱。
更に、その底辺校ですら、暴走族などに所属する非行少年たちとの度重なる喧嘩のため何度も停学をくらい、高二の春には退学寸前の始末。
地元である横浜鶴見のアウトローの間では、少しは名の知れた硬派な不良少年になっていた。
国語や日本史など、文系科目のテストの点は、停学のため授業に出れなくても、常に学年トップクラスの成績だったけれど、大学進学など夢また夢で興味がなく、まるで眼中になかった。
かたや、明治学院高校の今年の偏差値は71。
明治学院東村山高校で67。
高二の夏に父が病気のため長期入院し、病室で癌との壮絶な闘病生活を送る父の姿を見て流石の私も秋には心から改心をする。
病室に横たわる父を安心させようと、

「お父ちゃん、これから俺は真面目に高校も卒業して、良い大学へも進学してみせるからね。約束するよ。」

高三の春に父は47歳の若さで亡くなる。
父との約束を果たすため、希望する明治学院大学社会学部社会学科合格を目指して、駿台予備校で一浪。
けれども、奨学金を貰い全日空系の旅行会社の添乗員として働きながら、明学の夜間で学ぶことしか、私には出来なかった。
社会学科での成績は常にトップクラス。
無事に四年間奨学金を貰い続け、当時の社会学科の生徒にとって、憧れの人気企業だった日本旅行へ大卒総合職として入社。
当時の受験者は2万数千人で合格者は三百人。
明学からは6人合格し、社会学科の生徒からは、昼、夜合わせて私だけの合格で、夜間出身の合格者は、私と神戸大学夜間の出身者くらいしか見当たらないので夜学出身者にとっては狭き門だったはず。
因みに、入社前から当時の運輸大臣認可の海外旅行の添乗員の資格を持っていたのは私だけだったようだ。
そして全国三百ある支店の一つ、横浜教育旅行支店勤務から、二年弱で本社海外旅行セクションであるマッハ事業部販売促進部勤務となり、エジプト旅行のプロモーションを担当し、当時エジプト旅行が日本でもブームとなる。
当時の日本旅行は、旅行業界最古の老舗で業界三位の規模。
社員は約5000人。
本社勤務は数百人で、本社の下に地方毎に区分けされた八つの営業本部、営業本部の下に全国三百の支店が統轄されていた。

さて、自宅から約100分、噂の情報図書館2階で受付を済ませ、書庫見学へ。
チラシを見て、勝手に期待していた1時間の滞在は出来ず、11時15分からの回で15分だけの滞在時間は、非常に短く名残惜しかった。
受付で荷物を預けさせられた上、本に触れないのは未だしも、もっと自由に書庫内を眺めてみたかったのだが・・・。
何故なら、あまり知られてないことだが、この書庫の蔵書の中には私が勝手に父のように慕っていた我が師匠である二上洋一先生の蔵書も寄贈されているのだ。
二上先生の蔵書が、どのように保存・活用されているのか見届けることが、弟子筋のコレクターである私の役目でもある。
係員の説明の中に二上先生の名前を聞いて、私は・・・。

私が初めて成蹊大学を訪れたのは、昭和文学学会総会での、二上先生の講演を聞くためだった。
そして、二上先生が講師として講義をされるようになり、その縁で成蹊大学に蔵書を寄贈され、新しい図書館が新築されたことも随分前から知ってはいたが、図書館を訪れたのはこれが初めてだった。
【ドグラ・マグラ】の作者夢野久作書簡の未公開資料展示や、有馬頼義の自筆原稿及び著書の展示、卒業生で現役作家である小池真理子さん、桐野夏生さん、石田衣良さんの著書展示など見学には充分な時間設けられ、院生による説明15分を聞いて、独り淋しくすき家で牛丼の昼飯を食べる。
そして、他にやることも、話相手も誰もいないので、午後からの講義の受付開始時間である12時30分過ぎにいち早く会場へ行くと、驚くべき特典に遭遇する。
伝説の雑誌として知られる『幻影城』や『ミステリマガジン』など、図書館に寄贈された雑誌のダブりが、一人15冊までフォーラム参加者に進呈されると受付横の本棚に書いてある。
しかも、私が受付に来た最初の数人のうちの一人なのだから、棚はまだ誰にも荒らされていない。
私は、創刊号からの『幻影城』NO.1.2.3.4.6.9.10.11.12.22.44.51と、『推理界』昭和42年創刊号、『ミステリマガジン』創刊400号記念特大号、『EQ』20周年記念特大号翻訳ミステリーの20年の15冊を選び抜くことになるのだが・・・。
途中、

「袋か何かないですか?」

という私の質問に、受付スタッフは想定外だったようで、用意はないと言う。
ならば、帰りにコンビニで袋を買って持ち帰る覚悟で選び続けていると、途中スタッフが袋を、急遽用意してくれたから有り難かった。
私が選んだこの蔵書の中には、きっと二上先生の蔵書だった雑誌が含まれている。
『推理界』のみ、戸川安宣さんの蔵書印が押されていたけれど。(*´∀`)♪

これは、二上先生の蔵書が私を呼んだのだ。
コレクターを35年以上もやっていると、時たま欲しかった本が、格安で手に入ることなど不思議な巡り合わせがあるのだが、奇妙な因縁も付きまとう。
そのことは、後で自宅に帰ってから本の中身を見て確信する点があった。
後の講義や講演については、ミステリ研究者の研究レベルの現状や、成蹊大学学院生の雰囲気が伝わってきた。
普段、私は漫画やアニメ、映画の研究者としか接する機会がないので、他分野の研究フォーラムには参加する機会が非常に少ない。
良い経験だったが、知人がチラシを私にくれた成蹊大学の浜田雄介教授だけだったのは、淋しい限り。
司会や生徒の世話など、忙しそうにしている浜田先生に、あまり迷惑をかける訳にはいかないので、大人しくしていた。

さて、そんなわけで懇親会には申し込まずに頼まれている原稿の執筆のために直ぐに帰宅したのだが、帰宅して『幻影城』1979年5月号No.51の中に、懐かしい二上洋一先生の文章を見つけることが出来たので一部分だけ紹介しよう。(*´∀`)♪

「日本児童文学学会奨励賞」受賞の記

(前略)
受賞式は、夕方の総会の前に行われることになっており、それまでは、研究発表の時間が持たれていた。
京都女子大中川教授の司会で、次々と若手の研究家が登壇し、自分の研究成果を発表していた。
大教室の堅い椅子へ座るのは、二上洋一にとって、十数年振りのことであった。
まして真面目な研究発表を、授業のように聞かされるのは、もう忘れ去った遠い昔の出来事が、不意によみがえってきたような惑いを感じた。
彼は、代返をしてくれる人を探すように、周囲を見廻した。
しかし、知った顔は、全く見つからなかった。
何度目かに、早稲田大学の鳥越信教授の顔を見出した時、彼は、少しホッとした。
鳥越教授は、彼がこの道に足を踏み入れるキッカケを作った恩師だった。
といっても、無論、その他多勢の中の一人であった二上洋一のことを、鳥越教授が覚えているわけはなかった。
全く意識しないところで、二上が勝手に啓示を受け、勝手に、その道に踏みこんでいったに過ぎない。(後略)

雑誌『幻影城』は、私が勝手に亡き父のように慕っていた我が師匠である故・二上洋一先生から、不肖の弟子である私への天国からのプレゼントだったのかも知れない。(*´∀`)♪






先週から引っ張った【晩年】のエピソード、復刻本がキーとなるのは、残念ながら私には、途中から見え透いてしまっていた。
何故なら、本物のコレクターなら、復刻本を二セット以上持っていることなど日常茶飯事。
昨年、秋田書店から発売された完全復刻本【沙漠の魔王】については、高額本ながらも最近は貧乏に甘んじている私でさえ、実際に二セット購入しているのだから。
古くからのコレクターなら、大切な本は一冊は永久保存用、二冊目は閲覧、貸出し用、三冊目は、交換、転売用として購入するのが基本だ。
古書の場合、経年劣化により其々保存状態が異なるので、状態が悪い物を高額で購入した後、比較的状態の良い物が安価で市場に出回っていたら、再度購入してしまうのがコレクターの本能。
私も、お気に入りの本や雑誌『COM』全巻セットや【カムイ伝】連載中の『ガロ』については、複数所持している。
さて、今回のエピソード

#07「複数の真実」

において、古書漫画の最高峰、足塚不二雄の【UTOPIA 最後の世界大戦】が遂に登場した。
私の得意分野、いや、専門分野となるので、番組の解説を補足したいと思う。

【UTOPIA 最後の世界大戦】

に高額な値付けをしたのは、みなさんご存知の中野のまんだらけ、古川益蔵さんである。
漫画古書専門店としては、神田神保町の中野書店が業界の皮切りとなる。
続いて現代マンガ図書館が1978年秋にオープンした際、年四回の即売展が活況を呈した。
私は、小学生の頃から、横浜鶴見より、神田神保町にある中野書店に通った。
直ぐに早稲田にある現代マンガ図書館がオープンとなり、オープン記念の即売展から駆けつけたのだから、古書漫画コレクターとしては、当時最年少の部類であり、35年以上のキャリアを持つ時代の証言者と充分成り得るだろう。
当時まんだらけは、まだ全国区ではなく、現代マンガ図書館の即売展においては、奥野さんの観覧舎と同じく一参加店に過ぎなかったのが私の印象だ。
駿台予備校の浪人時代、予備校での友達で上杉家の末裔だと言うN君が(私の先祖の本間光丘は、上杉鷹山に大名貸しをしているのも何かの縁だろう。予備校の友達の間では日本史の授業で大ウケとなった)中野に住んでおり、中野に凄い古本屋があると教えられて通い始めたのが1985年。
それまでは、鶴見の西田書店、蒲田の龍生書林、三軒茶屋の喇摩舎、神田神保町の中野書店、早稲田にある現代マンガ図書館の即売展が、主な私の縄張りだったし古書漫画の購入先だった。
まんだらけの快進撃は、【UTOPIA 最後の世界大戦】の値付けに始まる。
次に写真付きの分厚い古書漫画目録を発行したのも、革新的なアイデアだったし、コスプレ店員なども、マスコミの注目を集めた。
年四回の古書漫画即売展で、年間の運営費を稼いでいた現代マンガ図書館は、オープン時に全国から善意で寄贈された本でダブリの分の転売が底を尽き(大切な本を寄贈された方の善意を何と思っていたのだろう)、即売展参加料のマージンの高さと、売上げに対して納入する歩合の高さから、まんだらけ始め主要古書店の参加が次第に少なくなり、現代マンガ図書館での古書漫画即売展の人気が凋落してしまったのは、内記さんの古本屋としての人間性が全ての原因であるため自業自得としか言いようがない。
扱う古書漫画も、貸本上がりで酷く保存状態が悪い物でも、タイトルだけで高値がついていたため、どうせなら、状態が良い物を欲しいと考える新書本コレクターたちが増えるようになると、敬遠されるようになっていったし、私の足も遠のくようになった。
テレビ東京の【開運!なんでも鑑定団】での古川さんのレギュラー出演も、古書漫画収集に人気を呼んだし、古書漫画に驚きの高値が付くことを一般人にも広く知らしめたため、現代マンガ図書館に貴重な蔵書を寄贈する人は激減、せっかく寄贈した本を売るくらいなら返してくれと抗議した人もいたが、その時には既に売却済みだったようだ。

さて、【UTOPIA 最後の世界大戦】が展示中に盗難にあったという事実は、古川さんの著書にも書かれているし、未だ犯人も、盗難された本も出てきてはいない。

そのエピソードを、絡ませているところに、今回の話の面白さがあった。

【UTOPIA 最後の世界大戦】には、完全復刻版がある。

名著刊行会から限定一千部で昭和56年に発行された物と、2011年に小学館クリエイティブから発行された物。

鶴書房から発行された【UTOPIA 最後の世界大戦】のオリジナル本は、市場価格300万前後となっているので、私は名著刊行会から発行された復刻本シリアルNo.0638番で満足している。

名著刊行会から発行された復刻本でさえ、一時期2~3万のプレミアがついていたが、新しい復刻本が出回ったのでもう少し安くなっているだろう。

さて、新しい復刻本が出る前段階で、私が直接関わった驚くべきエピソードをここで初披露しよう。

平成18年1月から逓信総合博物館で

松本零士コレクションでつづる
「漫画誕生から黄金バットの時代」展
において、企画段階から版権処理に深く関わっていた私は、【UTOPIA 最後の世界大戦】と【沙漠の魔王】【正ちゃんの冒険】の展示に執着した。
中でも、当時、藤子不二雄時代の共作は全て絶版となっており、【UTOPIA 最後の世界大戦】の展示は、博物館の関係者誰もが、絶望視していた。
私は、駄目で元々の気楽な立場だったので、先ずは旧知である@先生サイドのマネージャーさんに連絡を取って相談してみる。

「【少年画報大全】で、@先生に【怪物くん】のインタビューをさせてもらって大変御世話になった研究者の本間です。
今度、逓信総合博物館で、企画展があり、そこに松本零士先生が所蔵する【UTOPIA】を展示したいんですけど、
難しいですよね。」

すると、直ぐに二つ返事で

「いいわよ。」

「えっ、大丈夫なんですか。」

「そんなに、変なことに使ったりするんじゃないでしょ。だったらいいわよ。向こうの担当者にも、きちんと許可を取ってね。」

私は、吃驚してしまった。
直ぐにF先生サイドに連絡を取る。

「うちはいいですけど、@先生側が何というか。」

「今、MさんにはOK貰えたんですよ。」

「えっ!本当ですか?だったらうちもOKですから。」

私は、この時、日本中の誰よりも一番早く藤子不二雄先生の共作が、再び復刻される日が来ることを予見したのだった。

藤子不二雄作品の初期単行本や、附録など、撮影でどうするのか興味深々だったが、ビブリアで買い取って売ってしまったとするなど、古書コレクターだけでなく、古書店主の性質も綺麗事だけでなく見事に真実を描いている。
現代マンガ図書館の内記稔夫氏が、寄贈された本を即売展で売っていたことは、あまり語られていない気がするが、紛れもない真実である。
古書店主は、お客さんの足許をみて買取りをした。
コレクターが死後、本の価値を何も知らない遺族が本を処分するとなると、二束三文の値を付けて買い叩いてくる。
町の古本屋が廃れてブックオフが一挙に流行った理由として、単純明快な買取り方法があげられる。
さて、【ビブリア古書堂の事件手帖】に類似する先行作品だった芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】の掲載誌が少年画報社から小学館に変わって【金魚屋古書店】となったことにより、作品のクオリティが落ちてしまったことがある。

【金魚屋古書店】第6巻に収録されている第39話「古本のお医者さん」にて、【UTOPIA 最後の世界大戦】を取り上げているので、【ビブリア古書堂の事件手帖】と読み比べて貰えば作者の力量の違いが皆さんにも実感出来るだろう。
巻末お役立ちコラム金魚屋古書店雑記帳も、私には殆んど役に立ったことはない。
本来、作中に登場する作品の魅力を伝えるはずのコラムが、第1巻第4話の【ビリーパック】を始め、まるで機能していないようにすら感じられる。

コラムを担当する見ず知らずの田舎のオジサンが子供の頃に虐められていたことを知って、いったい何の役に立つのだろうか。

「そしてビリーのハンサムな顔立ちが人気の秘密だった。」

とあるが、作者である河島光広先生は、単行本初版の作者の巻頭の言葉にて
-この本をごらんになるみなさんへ-

ビリー・パックは、アメリカ人のおとうさんと、日本人のおかあさんとのあいだに生まれた、混血児というかわいそうな運命をもった少年です。
しかし、おとうさんのおしえをよくまもり、世の中にはびこる悪い人たちをこらしめるために、どんなにおそろしい敵にも、ゆうかんにむかっていく、りっぱな少年なのです。
どうか、みなさんも、このゆうかんなビリー・パックを、おうえんしてやってください。

とある。
そう、当時の日本の都会では、混血児は差別の対象であり、ハンサムな顔立ちが人気となるのは、ほんの少し後のことなのだ。
当時の微妙な時代背景を、1948年生まれの田舎のオジサン一人の思い込みだけで語られてはたまらない。
【赤胴鈴之助】は、孤児の少年が日本一の少年剣士を目指すことに共感され、【ビリー・パック】は、アメリカ帰りの混血児で孤児の少年探偵が、悪漢相手に正義の戦いをすることに共感されたのが人気の秘密だったのだ。

「突然の病で急死。作品は弟子の矢島利一に引き継がれる」

河島先生は、【ビリー・パック】連載開始当初から、肺結核のため名古屋の自宅二階のベットで寝たり起きたりの状態だった。
長期の闘病生活の後、30歳の若さで急逝される。
突然の病で急死などではない。
矢島利一先生は、街頭紙芝居からのキャリアを持ち、『少年』で【遊星王子】のコミカライズ連載を担当している。
病気がちな河島先生のアシスタントを務めたが、弟子であったという話は聞いたことがないのだが・・・。
因みに、最初のアシスタントは、福元一義先生となり、代筆をしていることが広く知られている。
実際の【ビリー・パック】について詳しく知りたい方は、

【少年画報大全】(少年画報社・2001年、現在三刷)

【少年探偵王】(光文社文庫・2002年)

【『少年画報』誕生60周年記念復刻】「赤胴鈴之助」「ビリーパック」「まぼろし探偵」3冊セット(少年画報社・2007年)

【明治・大正・昭和の大衆文化-伝統の再創造はいかにおこなわれたか-】(彩流社・2008年)

【少年画報】昭和35年正月号完全復刻(少年画報社・2010年)

をご覧いただければ幸いです。
単行本完全復刻に際しては、私が所蔵する初版の本をバラして原本としましたので、先程ご紹介した作者の言葉も確認出来ます。
其々【ビリーパック】に関する解説なども、全て漫画史研究家である私が関わっていますので間違いはありません。
先程の田舎のオジサンや、編集部の担当者が、もし、この中の一つでも私の解説を読んでいたのなら、あそこまで酷いコラムが世に出ることもなかったと思うのですが、誠に遺憾としかいいようがありません。

【金魚屋古書店出納帳】がヤングキングアワーズ増刊12月号『アワーズガール』(平成12年12月2日発行)で初登場した際、私はこの作品に大いなる期待を寄せた。
少年画報社が満を持して創刊した

「こだわり少女のコミック誌オール新作読切14作」

伊藤潤二
今市子
波津彬子
犬上すくね

を別格に

篠原烏童/大沢美月/黒田硫黄/有元美保/芳崎せいむ/川原由美子/逆柱いみり/おがきちか/小石川ふに/佐々木久美子

の中、伊藤潤二先生目当てでこの雑誌を手に入れた私に、未だ名前すら知らなかった芳崎せいむ先生の才能の煌めきを感じさせてくれた。
だが、掲載誌となる『アワーズガール』は廃刊となり、続く『アワーズライト』も廃刊。

小学館の『IKKI』に移ってからは、掲載誌を追うこともなくなり、単行本も古本屋でまとめて購入するレベルになってしまった。

ネット上で漫画史研究会を代表する論客という評判の伊藤剛をして

「芳崎せいむ【金魚屋古書店】に唾を吐け」

と言わしめたのは、漫画古書コレクターと古書店主の本質と真実を、全て美談にすり替えて描いていたことに対する正直な苛立ち、嫌悪感だったのだろう。
伊藤には、【ビブリア古書堂の事件手帖】の登場まで、【金魚屋古書店】の先行作品としての意義を見出だせることは出来なかったし、小学館の編集者も、せっかくの【金魚屋古書店出納帳】の持ってる世界観を【金魚屋古書店】では間違った方向性へと導いてしまったと私は考えている。

本来【金魚屋古書店出納帳】には、【ビブリア古書堂の事件手帖】より先に大ブレイクする可能性、魅力を秘めていた作品だったのだが、担当する編集部と作品の本質を見極めることの出来ない評論家の心ない発言によって、作品のレベルを凋落させてしまった感が否めない。
作品を生かすも殺すも、編集者や読者の存在が必要不可欠だが、上から目線の評論家の発言には、何の意味があったのだろう。
【ビブリア古書堂の事件手帖】大ブレイクの影響だろうか、伊藤剛は昨年、文化庁の委員の一人として【金魚屋古書店】を推薦漫画として評価する。
伊藤剛の鮮やかな変節ぶりは、批評家としての見事な処世術だったのだろうが、ネットが普及した現代において、ネットにおける過去の発言からも全ての真実と本心が見え透いてしまうのだからその特性を早く理解するべきだろう。

以上が【ビブリア古書堂の事件手帖】と、芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】と【金魚屋古書店】の違いに対する何のしがらみもない在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸の現在の評価です。

漫画史研究会を象徴する伊藤剛たち上から目線の発言のみで、何も生み出さない漫画評論家、批評家たちと、昭和時代の名作漫画の発掘による温故知新で、漫画界の復活を心より願う漫画史研究家の違い。
同じ漫画史を研究テーマにしていても、水と油、その人間性の本質は大きく異なっています。

なので、これを機会に4月からは

【ニュー・マンガ・パラダイス~昭和漫画古書収集奇譚】

と題して、漫画古書に関して【ビブリア古書堂の事件手帖】に倣って、私がこれから電子書籍化したい名作に纏わる取って置きのエピソードの数々を、シリーズで語っていきたいと思います。

私の思想には、先祖から代々伝わるサムライとしての武士道の精神と、庄内地方で公益の祖として慕われる一族の先祖、本間光丘の輝かしい業績に対する誇りと本間家に代々伝わる家訓、明治学院大学で学んだ他者への貢献の精神が大きく影響しているようです。
直接師事した先生方、故・松田春翠先生、故・二上洋一先生、石森史郎先生、心の師匠である平山亨先生の中には、現在もその著書が全国書店で発売されている方もおりますので、是非、ご一読を。

facebook上で、私が交流している人たちも、大半はリアルな知人であり、信頼がおける人達となりますので、参考までに。(*´∀`)♪
以下は、先週の感想になります。









「脅されているんです、異常な男から」

良く出来たドラマだ。

古書を愛する人たち、マニア、コレクターの習性を見事に描いているが、実際の人たちのビジュアルを忠実に再現しなかったのが大正解。(笑)
私が知るマニアやコレクターたちも、大概は本に対して異常な執着心を持ち、知人ではあっても絶対に友人にだけはなりたくないと思わせるビジュアルとルックスである。
最近では、ホンジャマカの石塚さんと、伊集院光さんを足して2で割ったような一見善人そうに見える独特のビジュアルだけでなく名前まで隠してブログをやっており、私がブログを始める何年も前に、成蹊大学から共著として発表した漫画史に関して私が書いた論文の何ら根拠のない誹謗中傷を発売後直ぐにわざわざブログに書いていた。
そのコレクションにかける情熱の素晴らしさとは裏腹に、異常な執着心がブログの端々から伝わってくるのを本人も、交流している人たちもまだ誰も気付いてはいないようだ。
【少年画報大全】発売直後、少年画報社の編集部宛に、半分に引き裂かれ、意味の無い赤い線が多数書き込まれた【少年画報大全】が送られてきたことがある。
50代後半、定年退職間近だった添田善雄編集長は、編集者生活初めての体験に非常なショックを受けていたようだが、私は前述したように異常な行動をとるマニア、コレクターたちの生態を見聞、理解していたので、さほど驚くこともなかった。
古書業界では、『冒険活劇文庫』や絵物語、街頭紙芝居収集に対して、常軌を逸した行動をとるコレクターが存在するのが広く知られている。
だが、絵物語や戦後の少年少女雑誌における日本一のコレクターは、彼ではなく、銀座にある若山美術館のオーナー若山さんだろう。
若山さんには、私が【少年画報大全】を監修した際にも、快く資料協力していただけた。
前述の彼とは、当時から面識があり、協力依頼をしてみたのだが、真逆の対応独特の価値観に当時大変驚いた。
【少年画報大全】発売以降、私と彼との交流は一切ないのだが、ネット上では今も知人の如く彼のブログに私の著書の悪口まで書き込まれていたのだからたまらない。
マニア、コレクターの妬み、執着心、逆怨み恐るべし。(* ̄∇ ̄*)

先週の金曜日、読売新聞と朝日新聞の朝刊に記載された鳥越信さん、本郷功次郎さん、高野悦子さんの訃報記事を読み比べてみた。


鳥越信さんの訃報記事は、読売新聞のみで、上記の二人と違い写真の掲載もない。

鳥越信氏 83歳(とりごえ・しん=児童文学評論家)14日、老衰で死去。
葬儀は近親者で行う。
喪主は長男、恭(きょう)氏。
早稲田大学教授として児童文学研究に取り組み、収集した12万点の資料「鳥越コレクション」を1979年、大阪府に寄贈した。
これを基に84年、吹田市に「府立国際児童文学館」が創設され、運営に当たった。
同館は2010年に廃止され、資料は東大阪市の府立中央図書館に移された。
「日本児童文学史年表」で1976年の日本児童文学者協会賞などを受賞した。

とある。
鳥越信さんの名前や著書など、漫画史研究家として、何度も目にしたことがあるし、一度だけ府立国際児童文学館も利用したのだが・・・。

せっかくの寄贈資料を、十分活用出来なかった施設と後進の研究者たち。
施設関係者たちと、漫画評論家たちは、橋本市長に責任を転嫁し、糾弾したが、賢明なる一般世間の共感を得ることは出来なかった。
在野にいる漫画史研究家である私の施設に対する評価は、賢明なる一般世間と同じく廃止やむなしであったし、今も変わらない。
一度も面識のない鳥越信さんに対する私の評価は、研究者としてよりもコレクターとしての方が高い。
1978年に3万冊でオープン、有料で公開した現代マンガ図書館 内記コレクションよりも、1979年に12万点の資料を収集し無料で公開した鳥越コレクション。
府立国際児童文学館の存続を訴えていた漫画評論家たちの多くは、鳥越さんの追悼記事すら書いていないようだ。
故・二上洋一先生の師匠筋にあたる鳥越信さんの訃報に際し、せめて二上先生の弟子筋である私だけは、鳥越信さんのコレクターとしての功績を高く評価しておきたい。

鳥越さんの御冥福を祈ります。
鳥越さんが集められた貴重な鳥越コレクションについては、在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸がいつの日にか必ず後世の研究者の礎として活用させていただきますから御安心下さい。


2013年2月17日

漫画史研究家

本間正幸

さて、15日(金)はのらくろ館のある森下文化センターへ。


辻真先が案内するミステリの世界

講師:辻 真先
(作家・本格ミステリ作家クラブ 会長)

探偵たちの名推理、怪盗たちの鮮やかなトリック、崩されるアリバイ、密室の謎、不可能への挑戦・・・。
数々の魅力があふれるミステリの世界を堪能してみませんか?
講師にミステリ作家、辻真先を迎え、豪華なゲストをお招きして、色々な角度からバラエティに富んだミステリの世界をご案内いたします。

カリキュラム

第1回(10/19) 日本のミステリの歴史~戦前編~

第2回(11/16) 海外のミステリ~山前譲(ミステリ研究家)との対談~

第3回(12/21) 日本のミステリの歴史~戦後編~

第4回(1/18) マンガ・アニメの中のミステリ~唐沢俊一(作家・評論家)との対談~


第5回(2/15) ミステリの現在~東川篤哉(作家)との対談~

金曜日 全5回 19:00~20:30

定員25名

受講料:7500円(全五回分)
教材費:200円(全五回分・資料代など)

全五回共、受講料のわりに大変充実した内容、大満足の講座であった。
脚本家で知られる辻先生の推理作家としての顔も、今回の講座から少しは判るようになった気がする。
定員25名は、まさに参加者の情報収集力と、意識の高さをはかる目安となり得た。
漫画やアニメの評論家として知られる顔は、殆んど見あたらなかったのだから、やっぱりな、と言う印象である。
帰りに一階展示ロビーで行われている

おおやちきの世界展

~伝説の漫画家、『りぼん』『ぴあ』からイラスト、パズルまで~

2/14(木)~3/3(日)

を観てから帰る。
永遠の少女まんが展に比べ、今回は見応えを感じた。
一人の作家の足跡をきちんと掘り下げることが出来ていたからだ。
おおやちき先生について、故・米沢嘉博さんの本が展示されていた。
米沢さん以外、未だにきちんとおおやちき先生の作家性を、誰も把握出来た研究者が育っていない哀しい現実を痛感した。


三連休の中日である昨日、私は前から大変興味のあった三つの展示会を観に行きました。

その一つが、偶然にも今日の日本経済新聞の文化32面にも取り上げられています。

挿絵で描く人間の本性

◇新聞や週刊誌で作家と組み67年、今も現役◇

濱野彰親


挿絵画壇の重鎮

濱野彰親展

モノクロームへの眼差し
ー人間の本性を暴くー

弥生美術館



2013年1月8日(火)~3月31日(日)

濱野先生に会えるチャンス!ギャラリートーク&サイン会

1.2月10日(日)14:00~
2.3月17日(日)14:00~
3.3月24日(日)14:00~

本日の画像は、記事が掲載されている新聞記事をベースに弥生美術館のチラシと、展示会に併せ株式会社ラピュータから発売され、サインを入れて貰った

濱野彰親挿絵原画集
モノクロームへの眼差し

松本品子・編。
定価(本体2800円+税)

私は、午後2時過ぎに弥生美術館に到着。

来館者でフロア一杯の会場の末席で、濱野先生を交えた学芸員のギャラリートークを聴いておりました。

老若男女、とても幅広い参加者。

小松崎茂先生門下の根本圭助先生にも、会場で久々に挨拶出来たし、2006年から『SFマガジン』(早川書房)連載の「SF挿絵画家の系譜」を【SF挿絵画家の時代】(本の雑誌社・2012年)として単行本にまとめて話題の大橋博之さんからは、消費税分をサービスしてもらい、著書を直接購入。
定価(本体1800円+税)。
この本については、私のお薦めの一冊なので、後日改めて紹介したい。

一時間弱のギャラリートークの後、始まったサイン会。

売店で本を購入し、濱野先生から本にサインを入れて貰った後、隣接する竹久夢二美術館で学芸員のギャラリートークに参加。

"見知らぬ世界"を求めて

旅人・竹久夢二

ー旅、恋、異国への憧れー

2013年1月8日(火)~3月31日(日)

◆学芸員によるギャラリートーク◆

1.1/13(日)午後3時より
2.2/10(日)午後3時より
3.3/10(日)午後3時より

弥生美術館と竹久夢二美術館は、二館併せて入館料一般900円、大・高生800円、中・小生400円でご覧頂けます。
*高畠華宵の常設ルームも併せてご覧いただけます。

竹久夢二美術館のギャラリートーク参加者は、いつも女性の方が多いイメージ。

テーマを決めて毎回展示内容を変えているため、何度観に行っても興味深い。
私が初めて竹久夢二美術館に行ったのは2000年以降。
その時から収蔵作品も増えているのだろうが、もうすっかり見慣れてしまった物もある。
企画展毎、年4回、12年だとすると48回弱は訪れた計算になる。
竹久夢二が、庄内酒田に滞在したことは知っているが、今回、私の父の故郷である庄内鶴岡にも滞在していたこと、同じく銚子でのエピソードが有名だが、私の母の故郷の隣町である潮来へも滞在していたことが興味深かった。
晩年、横浜から船に乗って外遊したりと、画家よりも旅人としての先人であった夢二に、私は寅さんにも似た親近感を憶えたのだ。

昨夜のBSフジの番組「名画と歩こう 竹久夢二・長崎十二景を巡る」では、夢二好きで知られる女優の緒川たまきさんと共に、竹久夢二美術館の学芸員の石川さんが解説のため、出ていたようだ。
近年、竹久夢二研究家として、学芸員である石川さんの外部での活躍もめざましい。

ギャラリートークを終えた後、濱野彰親先生夫妻を交えて、隣の喫茶港やで、日本出版美術研究会の会合と情報交換会。
私は、2002年からここのメンバー。
大橋博之さんには、2006年にこの会合で初めて会った。
年は私より八歳上だが、私のメジャーデビューが2001年なので、私の方が随分早くなる計算だ。
著書の中で小松崎茂先生や、濱野彰親先生、根本圭助先生など総勢七一名取り上げているが、小松崎茂先生に直接長時間インタビューするチャンスにだけは、残念ながら恵まれなかったようだ。
私は、【少年画報大全】監修後直ぐの2001年夏に、東京ドームホテルにて、初対面となる中一弥先生、伊勢田邦彦先生、濱野彰親先生、そして根本圭助先生と夕食を御一緒する幸運にも恵まれている。
探し続けている本を手に出来る幸運や、憧れ続けている作家さんに直接逢える幸運、共に一期一会の場合がある。

昭和時代を代表する300人弱の漫画家さん、絵物語作家さん、挿絵画家さんの図版を取り上げ、その中から小松崎茂先生を始め、上田トシコ先生など10人の作家さんのインタビューを収録した【少年画報大全】(2001年・少年画報社)を監修する幸運は、昭和時代の漫画史研究家として、これに勝るものは今も見当たらない。

さて、港やを後にした私は、一人のらくろ館のある森下文化センター

【永遠の少女マンガ展】

へ向かう。

今日が最終日なので、昨日のうちに観ておいたのだが、クオリティーが高くて評判の美術館の展示を立て続けに観た後のためだろうか?期待に反してどうしても見劣り感が否めない。

評判の高い名著を買って読んだ後、アクセス数の多い人気ブログを読んだような気分にさせられた。

プロとアマ、前座と真打ちの実力の違い、順番が逆だったらまだ良かったのかも知れない。

原画の展示と、原画ダッシュの展示素材については一級品なので文句無し。

無料で読める少女マンガも、下手な漫画喫茶より素晴らしい充実ぶり。

だが、今回の展示会のための美術館の図録や書籍にあたるもの、少女マンガに対する愛情や志が足りないような気がするのが残念で仕方ない。

私が学生だったなら、文句なしの内容だが、プロの漫画史研究家の視点からすると、泣いて馬謖を斬る、苦言を呈さざるを得ない展示内容だ。

無料の漫画喫茶に、ドリンク代わりに貴重な原画が展示されている贅沢で素敵な空間、それが私の印象の全てだ。

故・米沢嘉博さんの遺志を継ぐような正統な少女漫画史研究家の長き不在、及び、美術館、博物館の学芸員ではないスタッフのみしか展示に関わっていないことが、心から悔やまれる展示内容だ。
せっかくのチャンスだったのだから、今出来ることはもっと沢山あったはずなのに。(涙)


2013年1月29日、文化庁は国立国会図書館の蔵書データを大日本印刷が電子書籍の形にして、紀伊国屋書店の電子書店を通して無料配信する実験を、2月1日から3月3日まで行うと発表した。

配信対象の13作品※かっこ内は出版年

浪花禿箒子著、石川豊信画「絵本江戸紫」(1765)
住吉内記写「平治物語絵巻 第一軸」(1798)
グリム著、上田万年訳「おほかみ」(1889)
竹久夢二「コドモのスケッチ帖 動物園にて」(1912)
芥川龍之介「羅生門」(1917)
芥川龍之介「河童」(1927)
酒井潔「エロエロ草紙」(1930)
柳田国男「遠野物語」(1910)
夏目漱石「硝子戸の中」(1915)
永井荷風「腕くらべ」(1918)
宮沢賢治「春と修羅」(1924)
宮沢賢治「四又の百合」(1948)
写真絵本「きしゃでんしゃ」(1953)

やはり、今年の出版界を読みとくキーワードは、温故知新と電子書籍のようだ。
著者が故人となった出版物の電子書籍化実現には、様々な困難が伴う。
近年では、今回のリストにも名前がある明治の大文豪・夏目漱石の遺族、親族同士による利権をめぐる確執と争いが、マスコミやネットを騒がし物議を醸したことも記憶に新しい。
作品の素晴らしさと、作家の人格は別であり、更に作家の遺族と出版交渉をすることは、非常な困難を伴うことがあるのが事実である。

その為だろうか?

昨今の出版不況に伴い、昭和時代の漫画史を代表する名作漫画の復刻については、現在、ごく一部の有名作家の作品を除き、大手出版社による商業出版の道は、ほぼ閉ざされた状態が続いている。

在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、現状を憂い続けていました。
国会図書館や、膨大な蔵書量を誇る関西・関東にある有名マンガ図書館に比較すると、一個人の蔵書数二万冊というのは、蟷螂の斧のごとくあまりにも儚い僅かばかりの蔵書量に過ぎないのかも知れません。
けれども、日本の昭和の漫画史を代表する名作アーカイブの確立、復刻事業の礎となるために、粉骨砕身精一杯努力し、頑張っていきたいと常日頃から考え続けていました。
昨年の秋口、私は大日本印刷の電子書籍に対する真摯な姿勢に共感し、微力ながらも株式会社パインウッドカンパニーを通じて、慎重に作品の検討、選択をし、統一定価525円にて、2013年1月28日より一足早く次の作品の復刻、電子書籍化出来たことを正式に発表します。

配信対象の五作品※()内は連載年。

上田トシコ「フイチンさん1」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん2」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん3」(1957~1962年)
上田トシコ「ぼんこちゃん」(1955~1962年)
上田トシコ「お初ちゃん」(1958~1969年)

以下、続々と電子書籍化予定です。


田河水泡・のらくろ館特別展

「永遠の少女マンガ展」


会期:2013年1月19日(土)~2月11日(月・祝)※1月21日(月)2月4日(月)は休館

時間:午前9時~午後9時

会場:森下文化センター一階展示ロビー【入場無料】

東京都江東区森下3ー12ー17

TEL03(5600)8666

主催:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団
江東区森下文化センター

■原画'(ダッシュ)

出展作家

松本かつち゛、上田としこ、わたなべまさこ、今村洋子、高橋真琴、巴里夫、水野英子、牧美也子、あすなひろし、北島洋子、上原きみ子、竹宮惠子、佐藤史生、花郁悠紀子

■三原順原画展示

■編集者・小長井信昌の仕事

小長井さんが、長年、編集者・編集長として関わってきた美内すずえさん、和田慎二さん、成田美名子さんのカラー原画や作品等も展示します。

■田河水泡と弟子たち

「のらくろ」の作者として有名な田河水泡は、戦前、『少女倶楽部』でも作品を発表しています。
本展では、水泡の作品を展示するとともに、弟子である、長谷川町子さん、倉金章介さん、永田竹丸さん、山根赤鬼さん、山根青鬼さんたちの少女マンガ作品を紹介します。

■おことわり

株式会社パインウッドカンパニーでは現在、昭和を代表する少女マンガのアーカイブ化事業に取り組んで来ました。

先ずは上田トシコ先生の代表作【フイチンさん】【お初ちゃん】【ぼんこちゃん】の三作品をコミックパークからオンデマンドで販売。


大好評につき、三作品全てを電子書籍化し、2013年1月28日より定価525円にて販売を開始致しましたので、併せて購入を御検討いただけましたら幸いです。

また、少女まんが史を理解する上において、私は二上洋一先生が残された【少女まんがの系譜】(ぺんぎん書房)の入手をお薦めしたい。
発売後、直ぐに出版社が倒産の憂き目に遇ってしまいましたが、二上洋一先生こと、集英社の名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する深い愛情が伝わってくる一冊です。
「西の新井善久(講談社)、東の山本順也(小学館)」と云われる少女まんがの名編集者の歴史において、第三の男とも言うべき集英社を代表する少女まんがの名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する考え方が理解出来る一級品の資料です。
今日的少女まんが史研究の視点からすると、別人の手による巻末のデータベースの不備、未成熟度は、その時代における少女まんが史研究最前線の遅れを顕著に示しています。
米澤嘉博さん亡き後の、正当な少女まんが史研究家の長き不在。

私共、株式会社パインウッドカンパニーでは、これからも絶版のため、長らく入手困難だった昭和の少女マンガ史を代表する名作群の電子書籍化に取り組んでまいります。

少女マンガ史を代表する名作群を、実際に読みこむことによって、一日も早い実証的な少女まんが史研究家の登場が待ち望まれます。


以下の文章は、今年の二上洋一先生の命日に際しての私の思いを再録しましたので、参考までに。


2009年1月16日、私が大変お世話になった二上洋一先生が亡くなられた。享年71歳。

鮎川哲也監修、芦辺拓編【少年探偵王】(2002年・光文社)の目次をみると、はじめに 芦辺拓、秋山憲司「回想の乱歩・洋一郎・峯太郎」、二上洋一「吸血魔」解説、山前譲 鮎川哲也氏の年少者向け推理小説、本間正幸「ビリーパック」解説、解説 僕らも少年探偵団!

とある。

私と二上先生の名前が一緒に出てくる最初の本だ。

【少年画報大全】(2001年・少年画報社)監修後、当時フリーの編集者だった中野晴行さんの紹介により、芦辺拓先生と御逢いできた私は、芦辺先生の依頼により、光栄にも漫画【ビリーパック】の解説者に大抜擢してもらった。

その後、【少年画報大全】監修の実績により、弥生美術館の日本出版美術研究会へ学芸員以外の研究者では、最年少で私の入会が認められ、会合の時に長老格の二上先生に初めて御逢いすることが出来た。

二上先生は、当時出版関係者の間でのみ高い評価を受けていた【少年画報大全】を発売と同時に購入していただいていた。

そして、親子ほど年の離れた漫画史研究家として、まだメジャーデビューしたての私の才能を、いち早く見極めてくれていた。(実際、二上先生は私の亡き父より一歳年下だったので、酒好きの父が生きていたなら二上先生と同じくらいの年頃になるんだろうな。)

プロの評論家として活動するには、文章が下手だが、新たな分野のパイオニアとなる漫画史の研究者としての才能なら突出していることを見抜いてくれていたのだ。

そして、現在の一億総評論家時代の到来に伴い評論家の肩書きや、大学教授、大学講師の地位待遇が今のように凋落してこそ初めて、在野にいる数少ない漫画史研究家としての私の稀少価値が認められるようになり、活躍する場も増える筈だが、その時が訪れるまではまだまだ時間が掛かることも予見されていた。

私は、二上先生から将来、漫画史研究家のパイオニアとして活動するための覚悟や心構え、人としてのあり方を学ぶようになり、少年小説研究について師事するのだが、師事した矢先に二上先生は急逝されてしまった。

だが、私の手元には、二上先生の残された著書がある。

スタッフとして関わられた【少年小説大系】の膨大な作品群(昨年やっと全巻購入出来た)がある。

私は、二上先生から直接、少年小説大系に懸けた情熱を何度も何度も繰り返し聞くことが出来た。

後は、私自身の才能と努力の問題である。

街頭紙芝居の研究や、無声映画時代の映画やアニメーションについては、マツダ映画社に、我が師匠である故・松田春翠先生が終生情熱を持って集められた膨大なフィルムが残されているので、毎月の無声映画鑑賞会に参加して、私は自分の才能と、独自の視点を持って研究を進めればよい。

漫画史研究家である私が、師事し最も影響を受けた人物は、マツダ映画社を創立し今日まで残る無声映画の発展普及に尽力し続けた故・松田春翠先生と、少年小説大系編纂に関わった故・二上洋一先生の二人である。
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