198万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

【ガロ・COM マンガの時代】報告!!

2012-01-29 21:00:38 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
2012年、映画と漫画史研究家の本間正幸がオススメする映画やマンガ、アニメなどのイベント情報、展示会の紹介です!(画像は、今回の戦利品の一部です!)

のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターで、

『貸本マンガの時代』第4回「貸本マンガの世界~貸本マンガから週刊誌へ~」

のゲストに漫画家の川崎のぼる先生とビッグ錠先生が来館。
会場に展示されていた【のらくろ館】の資料が、在野の漫画コレクターの協力の下、及第点の出来で良かったが、司会進行が残念なマイナス評価。
1700円の有料イベントとしては、総合68点(涙)がいいところか?


さて、今回も案内状が届いたので懲りずに参加。(笑)


私の龍馬イラスト展inお江戸 オープニングパーティ@森下文化センター


当日のプログラムを、変則的に紹介すると

《休憩》

19:55~

久住昌之ライブ

20:10~

セッショントーク
「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」


2階 多目的ホールにて

開場が17:00、 開演時間 が18:00なので10分前に会場入り。

系列の古石場文化センターで前売券を購入済み(当日券は300円増)だったので、入場手続きもスムーズ。(当日券は、森下でのみ取扱いとのこと)


出演 南 伸坊(イラストライター)/長谷邦夫(漫画家)/手塚能理子(「アックス」編集長)
進行役:サエキ けんぞう

日本マンガの黎明期を象徴する二大雑誌をテーマに関係者、作家、愛読者が三つ巴で繰り広げるトークセッション。
龍馬が新時代を切り開いたように、日本のマンガ界では「ガロ」と「COM」がその先駆者となった。
日本マンガに夜明けは来たのか!?

出演者プロフィール

南伸坊・イラストライター

1972~1979年、「ガロ」編集長を務め、マンガというジャンルを越えたサブカルチャーの雄としての雑誌の地位を築く。

長谷邦夫・漫画家

赤塚不二夫のブレイン役として知られる。
「COM」で「バカ式」を連載。
先ごろ上梓した『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』にも当時の模様が描かれている。

18:40~★華麗なる競演!ライブペインティング大会

"お題"「西郷隆盛」と「龍馬が現代にタイムスリップして、一番驚いたこと」をもとに、漫画家がイラスト対決!

(作品はイベント内で販売され、売上げは東日本大震災で被災された方々に寄付されるそうです。)

18:00~

あいさつ サエキけんぞう

18:05~

★ミニライブ サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース/とり・みき

漫画家の"あの人"「とり・みき先生」が歌われました!

21:05~
プレゼント大会&色紙即売会は、来場者100人強に対して20くらい大盤振る舞いだった。(笑)

最後にみんなで「桜三月散歩道」を歌唱して終了!


著書が来場している書籍は、サイン入り販売となった割安感のある関連書籍を青林工藝舎さんと水声社が出張販売。音楽アーティストのCDなどのグッズ販売がありました。


〈出展作家も来場!〉は、

蛭子能収、後藤友香、島田虎之介、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさく、手塚能理子(「アックス」編集長) 久住昌之、真珠子さんでした。

主催・企画・制作
有限会社パールネット(プロデューサー サエキけんぞう)
イベント協力 青林工藝舎
共催 公益財団法人江東区文化コミュニティ財団/森下文化センター
Tel:03(5600)8666


今年の長谷邦夫先生からの年賀状には、


{『あるマンガ家の自伝 =桜三月散歩道』(水声社)が12月22日刊行です。
400字×千枚弱・写16ページの大冊となりました。
お読みいただけたら光栄です。
マンガ単行本も執筆中。
トキワ荘の真実・ファンタジー・パロディ!!!
で一冊。
版元決定で144Pは入稿のこり五月ごろには・・・・と。

長谷邦夫

2012・正月}


と有難いメッセージをいただいていたので、会場で著書(画像右下、定価3500円+税)を購入し、ちゃっかりとサインを入れてもらう。(笑)

私は、井上陽水さんのアルバム【氷の世界】に収録された「帰れない二人」や「おやすみ」と共に長谷邦夫先生が作詞した「桜三月散歩道」が大好きで、中学生の頃はいつも陽水さんの曲を聴きながら、永島慎二先生の作品世界に傾倒してた。
さて、イベント終了後、サエキけんぞうさんに初対面の挨拶、名刺交換をしに行くと、光栄にもスタッフの打ち上げにまで誘っていただけました。(笑)
打ち上げの参加者は、漫画家の先生方にバンドのアーティストのメンバーなど壇上の舞台に上がっていた方々に、書籍の出張販売をしてくれた出版社の編集者の人達など少数精鋭の20名強?
私は、幸運にも長谷邦夫先生の右隣の好位置をキープ。
先生の左隣には、映画についての著作がある古くからの友人の松島利行さん。
正面には、2月3日(金)~から【伝説の雑誌「COM」展」を明治大学米沢嘉博記念図書館1階展示コーナーで開催するスタッフの斎藤宣彦氏。
生前の米沢さんとは、斎藤氏も私も、面識がありました。
本来、私が監修した【少年画報大全】は、明治大学OB繋がりで当時・少年画報社の役員であり編集部長だった戸田さんから、米沢さんに依頼されていたもの。
コミケ代表など多忙を極めていた米沢さんは、直ぐに企画を進行させることが出来ず、数年間お蔵入りの状態。
痺れを切らした編集長の添田善雄さんから、極秘に情報を掴んだ私は、直ぐに出版企画書を作成し提出。
少年画報社の意向に沿うための厳しい条件を奇跡的に全てクリア出来た私は、大物研究者・米沢さんの代役として急遽大抜擢され幸運なデビューを飾ることが出来たのです。

さて、私の右側には、水声社の編集の方々、富崎NORI先生とも名刺交換。
帰りの電車では、花くまゆうさく先生と秋葉原駅までご一緒出来ました。
今回のイベントは、アーティストのコンサートなど盛り沢山の内容でとても割安感あり。
全ては、司会のサエキけんぞうさんのお人柄と、青林工藝舎社長の手塚能理子さんの人脈がそうさせたのか?とても楽しい一日となりました。
トーク内容についても、マニアック過ぎずに会場に来た多くの人達が楽しめる内容で前回のイベントとは違って大盛り上がり。
今回はお世辞抜きに本当に楽しいイベントで総合100点満点の大満足評価!(笑)


さて画像左下の書籍、松本正彦先生の【劇画バカたち!!】(青林工藝舎・2009年・定価1500円+税)は、昭和のマンガ史劇画誕生に興味のある人には絶対のおすすめ必須の一冊!
1996年、2001年発行(購入済み)の限定本を経てやっと出た(涙)完全版です!


【私の龍馬】イラスト展inお江戸

2012年1月27日(金)~2月12日(日)9:00~21:00
*2月6日(月)休館

1階 展示ロビー 入場無料
龍馬・幕末関連のマンガ、150冊ご用意
ご自由にお読みいただけます!

2010年春、長崎ハウステンボスを皮切りに、西日本各地で開催されてきた

「私の龍馬イラスト展」

が、東日本大震災チャリティー企画として復活します。
待望の東京展には新たな作品も加わり、これまでの規模を大きく上回る総勢50名以上の漫画家、イラストレーターが描き下した「坂本龍馬」が大集合いたします。
龍馬さんが、きっと今年の日本を明るくしてくれることでしょう。


今回から参加のアーティスト

出品アーティスト一覧

〈漫画家〉

いしかわじゅん、うえださと士、ウノカマキリ、江波じょうじ、大石容子、沖山潤、おだ辰夫、川崎タカオ、後藤友香、久住昌之、齋藤裕之介、とりみき、永田竹丸、長谷邦夫、ひさうちみちお、堀道広、南伸坊、向さすけ、山根青鬼

〈イラストレーター〉

さくらせかい

これまでの出品アーティスト一覧

〈漫画家〉

江川達也、江口寿史、蛭子能収、大岩ケンジ、清原なつの、久保ミツロウ、西原理恵子、島田虎之介、しりあがり寿、新條まゆ、根本敬、花くまゆうさく、東村アキコ、魔夜峰央、本秀康、柳内大樹、やなせたかし、やまだないと、山本ルンルン、ユキムラ、吉崎観音、吉田戦車、若杉公徳

〈イラストレーター〉

上野アモーレヒロスケ、小田切竜太郎、黒崎玄、佐野良之、真珠子、たま、寺門孝之、富崎NORI、POP

特別出品[書]:TAKAHIRO(EXILE)
以上、五十音順 敬称略

江東区森下文化センター

〒135ー0004
東京都江東区森下3ー12ー17

Tel:03ー5600ー8666

午前9時~午後9時
*休館:2月6日(月)
http://www.kcf.or.jp


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究になります。


《序章》

これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した


【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円


である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。
大学教授の肩書きを持つ著者が、発売数年で増刷もなく自由価格本となり、絶版の道を辿る多くのマンガ評論、研究本の類とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた

【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、当時の市場価格が数十万した稀少本。


それまでの漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本であるからだ。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、判型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要とされる。
戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編(笑)はOKだろう。


映画と漫画史研究家


本間正幸
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赤胴鈴之助の歌(河野ヨシユキ・宮下匡司)

2012-01-28 18:01:39 | スカパー!時代劇専門チャンネル「赤胴鈴之助」武内つなよしの世界(講談社)
赤胴鈴之助の歌(河野ヨシユキ・宮下匡司)
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遠い世界に_五つの赤い風船.wmv

2012-01-28 01:31:59 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
遠い世界に_五つの赤い風船.wmv
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今夜は【ガロ・COM マンガの時代】?

2012-01-27 16:53:44 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
2012年、映画と漫画史研究家の本間正幸がオススメする映画やマンガ、アニメなどのイベント情報、展示会の紹介です!


江東区森下文化センターから、横浜の私の自宅へ案内状が届きました。


私の龍馬イラスト展inお江戸 オープニングパーティ@森下文化センター


特別セッショントーク

「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」

2012年1月27日(金)

会場・森下文化センター

2階 多目的ホール

開場 17:00 開演 18:00

料金2,000円

出演 南 伸坊(イラストライター)、長谷邦夫(漫画家)
進行役 サエキ けんぞう
日本マンガの黎明期を象徴する二大雑誌をテーマに関係者、作家、愛読者が三つ巴で繰り広げるトークセッション。
龍馬が新時代を切り開いたように、日本のマンガ界では「ガロ」と「COM」がその先駆者となった。
日本マンガに夜明けは来たのか!?

南伸坊・イラストライター

1972~1979年、「ガロ」編集長を務め、マンガというジャンルを越えたサブカルチャーの雄としての雑誌の地位を築く。

長谷邦夫・漫画家

赤塚不二夫のブレイン役として知られる。
「COM」で「バカ式」を連載。
先ごろ上梓した『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』にも当時の模様が描かれている。

★華麗なる競演!ライブペインティング大会

"お題"をもとに、漫画家がイラスト対決!
どんな珍品が飛び出すか?
乞うご期待。
(作品はイベント内で販売します。売上げは東日本大震災で被災された方々に寄付いたします。)

★ミニライブ サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース

漫画家の"あの人"も歌います。
その他、来場者プレゼント大会、グッズ販売もあります。
出展作家も来場予定!

〈来場予定〉
蛭子能収、後藤友香、島田虎之介、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさく、手塚能理子(「アックス」編集長)他

主催・企画・制作
有限会社パールネット(プロデューサー サエキけんぞう)
イベント協力 青林工藝舎
共催 公益財団法人江東区文化コミュニティ財団/森下文化センター
Tel:03(5600)8666


今年の長谷邦夫先生から私・本間正幸宛ての年賀状の文面は、次の通り。


{あけましておめでとうございます。

震災でアパート地面が割れ、引っ越しました!
その時、入力していたクロニクル

『あるマンガ家の自伝 =桜三月散歩道』(水声社)

が12月22日刊行です。
400字×千枚弱・写16ページの大冊となりました。
お読みいただけたら光栄です。
マンガ単行本も執筆中。
トキワ荘の真実・ファンタジー・パロディ!!!
で一冊。
版元決定で144Pは入稿のこり五月ごろには・・・・と。

長谷邦夫

2012・正月}


日本の漫画を心から愛する読者の一人として、いつも有難いメッセージをいただいております。
昨日は、江東区古石場文化センターで、脚本家・石森史郎先生のシナリオ講座に参加。その際、前売り券を購入。
久しぶりに長谷邦夫先生と御会い出来そうです!(笑)
私は、井上陽水さんのアルバム【氷の世界】に収録されていた「帰れない二人」や「おやすみ」と共に長谷邦夫先生が作詞した「桜三月散歩道」の歌とセリフが大好きで、中学生の頃はいつも陽水さんの曲を聴きながら、永島慎二先生の作品世界に没頭し、傾倒していました。

遅れて来た読者である私は、自分が生まれる前に創刊された『ガロ』や、『COM』の中に、日本の漫画の青春時代を感じ、自分の青春時代を重ね合わせました。
各地の古本屋から一冊ずつ、随分と長い歳月をかけて二つの雑誌を集め続けたのです。
私が集め始めた頃は、『COM』が創刊号からの60冊揃で何と20万円もの高値がつく状態。
創刊号だけでも、三万円。(今でも一万五千円の値はつく代物)
小学校五年生の時、私の小遣いは500円。
六年生で600円だった時代です。
私は、マンガ喫茶をオープンした1997年秋に創刊号からの『ガロ』と『COM』、朝日ソノラマ発行の『マンガ少年』をやっと揃え終わり、店の看板としたのですから、『ガロ』と『COM』両雑誌を集め終わるのに20年近くかかった計算になります。
私は、つげ義春先生や水木しげる先生、白土三平先生の初出目当てで『ガロ』を、手塚治虫先生、永島慎二先生、石森章太郎先生の初出目当てで『COM』を集め始めたのですが、同時に『ガロ』で滝田ゆう先生の作品の魅力を知り、『COM』では出崎統先生の「悟空の大冒険」や、連作となる「トキワ荘」系の漫画家さんたちの作品群や、漫画の歴史をより深く知り理解することが出来たのです。
私が、特定の作家だけのファンにとどまる通常の漫画オタクと違い、漫画史全般にわたる作家研究、及びコレクターとなるきっかけを作ったのも、今思えばこの『ガロ』と『COM』の洗礼を感受性が一番強い少年時代に受けたからでしょう。
もし、これから当時の雑誌を集めたり、研究をしたいと思う奇特な人がいたなら、初心者には『COM』を、上級者には『ガロ』をおすすめします。(笑)
『COM』は、冊数も60冊と手頃な分量で、連載する作家陣や流通量もそれなりに(現在は保存状態にもよるけど大体一冊500~千円ぐらい?で、復刊号が三千円目安といった所)安定しています。
それに較べて「カムイ伝」掲載前の創刊間もない初期の『ガロ』は、三号目までが白土三平傑作選集として発行されたため、流通量が極端に少なく『COM』に較べて入手困難。
「カムイ伝」未掲載号や、連載終了後には、流通量がめっきり減ってくる上、掲載されている作家さんの顔触れや、誌面全体の雰囲気がガラリと変わるため、創刊から通して集め続けるのには、本棚のスペースの問題もあり、至難の技です。(笑)
今、私が一番におすすめするとしたら、朝日ソノラマ発行の『マンガ少年』揃いになるでしょう。
けれども『COM』や『マンガ少年』でも、これからはバラでなく、割高でも全巻セットの購入をおすすめします。
何故なら、これまでの市場での流通量をみても、バラで揃えるには、相当の根気と歳月が必要。
購入資金が乏しい20代~30代の若者なら、これからバラで集めても良いかも知れませんが、50代~60代の人には、集め終わってから、楽しむまでの至福の時が、短くなってしまいますので、バラでの購入より全巻揃をおすすめしたいのです。

《『ガロ』執筆主要作家一覧?》

[白土三平]

創刊号(1964.9)より短篇を掲載。
【カムイ伝】連載は1964.12~1971.7。
途中、数回の休載あり。
【カムイ伝】には特集号が発行され、単行本は新書判として小学館から発行された。

[水木しげる]

『ガロ』と水木しげる先生との関係は、NHKの朝ドラ人気作【ゲゲゲの女房】で皆さんもご存知だと思われるので、割愛する。


唯一例外となる水木しげる先生以外の当時の『ガロ』を代表する人気作家は、『ガロ』掲載作品を集めた特集号が増刊号として発行されている。

『つげ義春特集』(1968年)
『異色漫画傑作集』
『滝田ゆう特集』
『永島慎二特集』
『勝又進特集』
『林静一特集』
『池上遼一特集』
『楠勝平特集』
『つりたくにこ特集』
『辰巳ヨシヒロ特集』
『つげ義春特集②』
『つげ忠男特集』(1971年)

参考資料【ガロ曼陀羅】『ガロ』史編纂委員会=編(TBSブリタニカ・1991年7月発行)
「あなたの青春は何頁から始まりますか。
時代もあなたもガロと一緒だった。
四〇〇人もの表現者の軌跡と情念。」
には、巻頭カラーで『ガロ』全表紙グラフィティが、巻末に「作家別『ガロ』掲載全作品リスト」(1964年9月号~1991年6月号分)があり、本文は、『ガロ』ゆかりの執筆者&証言者で構成されている。
青林堂からは、『ガロ』ゆかりの作家たちの箱入り限定などの豪華上製本が数多く発行されている。
『ガロ』で活躍した漫画家さんと言えば、街頭紙芝居から貸本漫画家となり活躍を続けた白土三平先生と【カムイ伝】では影武者となる諏訪栄先生こと小島剛夕先生。
そして戦前の街頭紙芝居の名作【ハカバキタロー】を原型としリメイクした【ゲゲゲの鬼太郎】の作者水木しげる先生が雑誌の柱となる。
『COM』が手塚治虫先生の【火の鳥】を柱に、石森章太郎先生や藤子不二雄先生など、商業誌で活躍するトキワ荘世代を中心に創刊したのとは、明らかに趣きが異なるのだ。
以前、私は

「~街頭紙芝居の『墓場奇太郎』はなぜ『ゲゲゲの鬼太郎』へと変貌を遂げたのか~」

をテーマに、成蹊大学文学部学会編として彩流社から発売された

【明治・大正・昭和の大衆文化】(2008年3月発行)

の中に論文

【少年漫画の誕生とその変貌についての一考察】

を発表しました。(笑)
新書判の単行本として虫プロ商事から発行された虫コミックスのラインナップをみても、雑誌のカラーや、読者対象が異なっていることが直ぐに理解出来るはず。
『ガロ』と『COM』の両誌を舞台に連載し、名作を残せたのは、永島慎二先生くらいだろう。
当時の読者層や漫画家志望者達は、『ガロ』派と『COM』派に分かれていたと言われるのだが、残念ながら私は、リアルタイムの読者ではないので、その辺の事情は知らない。


【私の龍馬】イラスト展inお江戸

2012年1月27日(金)~2月12日(日)

会場:森下文化センター
1階 展示ロビー 入場無料

江東区森下文化センター

〒135ー0004
東京都江東区森下3ー12ー17

Tel:03ー5600ー8666

午前9時~午後9時
*休館:2月6日(月)
http://www.kcf.or.jp


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究となります。


それまでの評論家の漫画研究本と、私が監修した【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本になったから。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】(【ゲゲゲの鬼太郎】の原型)の影響があることをいち早く提唱。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主役のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、判型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要だ。
また、個人的な感情や思い入れにより、間違った認識の少年雑誌観を発表する人達が多いのも、漫画史研究を遅らせている明らかな原因のひとつ。
ともあれ、戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要なのは『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』そして『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
青年誌は、今回の『ガロ』と『COM』そして『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の流れを押さえておけば、入門編ならOKだ。


映画と漫画史研究家


本間正幸
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映画「キューポラのある街」予告編

2012-01-27 01:05:22 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
映画「キューポラのある街」予告編
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あしたのために・・・その2 果てしなき闇の彼方に

2012-01-26 23:55:24 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
【出崎統】あしたのジョー2 果てしなき闇の彼方に
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今度の金曜日の夜は『桜三月散歩道 』?赤塚不二夫のまんがNo 1バージョン 井上陽水

2012-01-25 20:02:02 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
桜三月散歩道 赤塚不二夫のまんがNo 1バージョン 井上陽水


よろしくね。(笑)
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少年マガジン, 少年サンデー創刊号の頃

2012-01-24 14:53:13 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
2012年、映画と漫画史研究家の本間正幸がオススメする映画やマンガ、アニメなどのイベント情報、展示会の紹介です!(今回の画像、左上がサンデー&マガジン大同窓会の時に関係者向けに配布された創刊号復刻セットのケース。
左下、少年マガジン創刊号の復刻本。
右上、少年サンデー創刊号。
右下、少年サンデー創刊号の復刻本。)

《はじめに》

BS-TBS
【関口宏の昭和青春グラフィティ】にて、

「昭和のマンガ~子どもから青年そして大人へ僕らの傍にはいつもマンガがあった」


【ゲスト】藤子不二雄A・タケカワユキヒデ


を昨年見ました。
番組を見て、改めて誰でも簡単に判る日本の漫画史と、研究者用資料公開の必要性を痛感する。
その二日前には、のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターで、

『貸本マンガの時代』第4回「貸本マンガの世界~貸本マンガから週刊誌へ~」

のゲストに漫画家の川崎のぼる先生とビッグ錠先生が来館。
大阪の貸本漫画が末期となる時期に上京し、表舞台となる週刊少年雑誌へ登場する過渡期の頃についての珍しい話を聞くことが出来た。


私的には、現在熊本在住である川崎のぼる先生がワザワザ上京していただけたのだから、もう少し聞き手である司会者が作品の研究をして、配布される資料類も充実させてくれたらと大変悔やまれる内容でしたが、正統な日本の漫画史を理解出来る研究者やインタビュアーが少ないこれが悲しい現状なのです。(涙)
会場に展示されていた

【のらくろ館】

の資料の収集が、在野の漫画コレクターの協力の下、及第点を行くものであり、これからの研究成果に期待して大甘に68点の合格点を出しときます。
*このイベントは、1700円と有料である。
(以上再録)


{『少年サンデー』(小学館)}

手塚治虫先生の【スリル博士】を看板に、小学館初のマンガをメインとした少年雑誌として創刊される。
創刊当初は、寺田ヒロオ先生の【スポーツマン金太郎】や、横山光輝先生の【伊賀の影丸】赤塚不二夫先生の【おそ松くん】や藤子不二雄先生の【オバケのQ太郎】が人気を博す。

{『少年マガジン』(講談社)}

戦前からの伝統ある月刊誌『少年クラブ』と低学年向けの『ぼくら』で苦戦していた講談社が、子供たちのライフスタイルがテレビの影響の下、月単位から週単位へと変わり行くことを予見して創刊される。
実際、子供たちの大半が月刊誌から週刊誌へ移ったのは、『少年キング』(少年画報社)が創刊された昭和38年から昭和40年代前半にかけての頃だと漫画史研究家の私、本間正幸は考えている。
月刊誌である『少年クラブ』が休刊となり、週刊誌の『少年マガジン』が、ライバル『少年サンデー』を抜いて人気を博するようになるのが丁度その頃。
我らが桑田次郎先生の【8マン】(原作・平井和正先生)の大ブームから始まり、水木しげる先生の【ゲゲゲの鬼太郎】、川崎のぼる先生の【巨人の星】(原作・梶原一騎先生)、ちばてつや先生の【あしたのジョー】(原作・高森朝雄先生こと梶原一騎先生)と次々に大ヒット作を連発し、昭和40年代には100万部雑誌へと急成長を遂げる。


『少年サンデー』と『少年マガジン』50周年の企画展は全国巡回するも、残念ながら伝統ある両雑誌の名作全体へ対する再評価の起爆剤には繋がらなかったようだ。(涙)
むしろNHKの朝ドラ【ゲゲゲの女房】で改めて注目されたのが、水木しげる先生の作品群と青年漫画雑誌『ガロ』(青林堂)の存在だろう。

そして、上村一夫先生を擁する青年雑誌の先駆け『ヤングコミック』(少年画報社)が、話題になりそうな気がする。
そんなことをひとり考えていると、江東区森下文化センターから、案内状が届く。


私の龍馬イラスト展inお江戸 オープニングパーティ@森下文化センター


特別セッショントーク

「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」

2012年1月27日(金)

会場・森下文化センター

2階 多目的ホール

開場 17:00 開演 18:00

前売 1,700円(当日300円増)

出演 南 伸坊(イラストライター)、長谷邦夫(漫画家)
進行役 サエキ けんぞう
日本マンガの黎明期を象徴する二大雑誌をテーマに関係者、作家、愛読者が三つ巴で繰り広げるトークセッション。
龍馬が新時代を切り開いたように、日本のマンガ界では「ガロ」と「COM」がその先駆者となった。
日本マンガに夜明けは来たのか!?

南伸坊・イラストライター

1972~1979年、「ガロ」編集長を務め、マンガというジャンルを越えたサブカルチャーの雄としての雑誌の地位を築く。

長谷邦夫・漫画家

赤塚不二夫のブレイン役として知られる。
「COM」で「バカ式」を連載。
先ごろ上梓した『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』にも当時の模様が描かれている。


〈来場予定〉
蛭子能収、後藤友香、島田虎之介、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさく、手塚能理子(「アックス」編集長)他

主催・企画・制作
有限会社パールネット(プロデューサー サエキけんぞう)
イベント協力 青林工藝舎
共催 公益財団法人江東区文化コミュニティ財団/森下文化センター
Tel:03(5600)8666


【私の龍馬】イラスト展inお江戸

2012年1月27日(金)~2月12日(日)9:00~21:00
*2月6日(月)休館

会場:森下文化センター
1階 展示ロビー 入場無料
龍馬・幕末関連のマンガ、150冊ご用意
ご自由にお読みいただけます!


今回から参加のアーティスト

出品アーティスト一覧

〈漫画家〉

いしかわじゅん、うえださと士、ウノカマキリ、江波じょうじ、大石容子、沖山潤、おだ辰夫、川崎タカオ、後藤友香、久住昌之、齋藤裕之介、とりみき、永田竹丸、長谷邦夫、ひさうちみちお、堀道広、南伸坊、向さすけ、山根青鬼

〈イラストレーター〉

さくらせかい

これまでの出品アーティスト一覧

〈漫画家〉

江川達也、江口寿史、蛭子能収、大岩ケンジ、清原なつの、久保ミツロウ、西原理恵子、島田虎之介、しりあがり寿、新條まゆ、根本敬、花くまゆうさく、東村アキコ、魔夜峰央、本秀康、柳内大樹、やなせたかし、やまだないと、山本ルンルン、ユキムラ、吉崎観音、吉田戦車、若杉公徳

〈イラストレーター〉

上野アモーレヒロスケ、小田切竜太郎、黒崎玄、佐野良之、真珠子、たま、寺門孝之、富崎NORI、POP

特別出品[書]:TAKAHIRO(EXILE)
以上、五十音順 敬称略

江東区森下文化センター

〒135ー0004
東京都江東区森下3ー12ー17

Tel:03ー5600ー8666

午前9時~午後9時
*休館:2月6日(月)
http://www.kcf.or.jp


以下、再録・再編集記事です。

手塚治虫先生の虫プロアニメや、東映の平山プロデューサーの特撮番組の影響もあり、大の漫画好きとなってしまった私は、小学生の頃から漫画の歴史に興味を持ち、手塚治虫先生の作品を中心にトキワ荘系の漫画家さんに『COM』や『ガロ』、『少年キング』や『少年マガジン』、『少年チャンピオン』系の作家さん達の単行本を集めるようになりました。


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究になります。


日本に数少ない正統な漫画史研究家を名乗る者として、私も2012年からはこれまで以上にネットの利点を十分活用して、正しい漫画史研究の在り方の模範を示さなければいけない時期が来ていることを自覚。
ネットの最大の利点として、情報発信の速報性や、書影などオールカラーによる画像添付が可能であること。
又、完成された文章でなく中途半端な草稿を発表しても、担当する編集者から怒られることがない。(笑)
最大の欠点としては・・・原稿料が出ない。(涙)
そして、発信した情報が直ぐに無断で引用、孫引きされるなど著作権の保護が不完全のままである。
そうした問題点も全て承知の上で、草稿状態の文章での発表をして行きたいと思いますので、皆さん2012年もよろしくね!(笑)


《序章》

これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した


【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円


である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。発行部数は10000部を軽く越える。

自称マンガ好き?の大学教授として三千部を発行し、発売数年で増刷もなく自由価格本となり、絶版の道を辿る多くのマンガ評論家の研究本の類とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌や昭和の少年漫画の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた

【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、2001年の市場価格が数十万した稀少本。


江戸末期から昭和に到る日本の漫画史研究の第一人者である清水勲先生や、小野耕世先生、少年小説研究の第一人者である故・二上洋一先生からは、


「この創刊號の完全復刻のアイデアが素晴らしい!」


と絶賛され、この本が縁となり交流が始まる。
それまでの漫画評論家たちの類型的な漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本だからだ。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、判型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
軈て週刊少年誌が台頭。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要である。
また、個人的な感情や思い入れにより、間違った認識の少年雑誌観を発表する人達が多いのも、漫画史研究を遅らせている原因のひとつ。
ともあれ、戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編はOKだ。


映画と漫画史研究家


本間正幸
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60~70年代はガロ・COM マンガの時代

2012-01-23 07:55:19 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
2012年、映画と漫画史研究家の本間正幸がオススメする映画やマンガ、アニメなどのイベント情報、展示会の紹介です!(左の画像は、1960~70年代に多くの青年たちが漫画を読むきっかけになったと言われる伝説の雑誌『ガロ』(青林堂)と、右が『COM』(虫プロ商事)の貴重な創刊号です!)


江東区森下文化センターから、横浜の私の自宅へ案内状が届きました。


私の龍馬イラスト展inお江戸 オープニングパーティ@森下文化センター


特別セッショントーク

「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」

2012年1月27日(金)

会場・森下文化センター

2階 多目的ホール

開場 17:00 開演 18:00

前売 1,700円(当日300円増)

出演 南 伸坊(イラストライター)、長谷邦夫(漫画家)
進行役 サエキ けんぞう
日本マンガの黎明期を象徴する二大雑誌をテーマに関係者、作家、愛読者が三つ巴で繰り広げるトークセッション。
龍馬が新時代を切り開いたように、日本のマンガ界では「ガロ」と「COM」がその先駆者となった。
日本マンガに夜明けは来たのか!?

南伸坊・イラストライター

1972~1979年、「ガロ」編集長を務め、マンガというジャンルを越えたサブカルチャーの雄としての雑誌の地位を築く。

長谷邦夫・漫画家

赤塚不二夫のブレイン役として知られる。
「COM」で「バカ式」を連載。
先ごろ上梓した『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』にも当時の模様が描かれている。

★華麗なる競演!ライブペインティング大会

"お題"をもとに、漫画家がイラスト対決!
どんな珍品が飛び出すか?
乞うご期待。
(作品はイベント内で販売します。売上げは東日本大震災で被災された方々に寄付いたします。)

★ミニライブ サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース

漫画家の"あの人"も歌います。
その他、来場者プレゼント大会、グッズ販売もあります。
出展作家も来場予定!

〈来場予定〉
蛭子能収、後藤友香、島田虎之介、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさく、手塚能理子(「アックス」編集長)他

主催・企画・制作
有限会社パールネット(プロデューサー サエキけんぞう)
イベント協力 青林工藝舎
共催 公益財団法人江東区文化コミュニティ財団/森下文化センター
Tel:03(5600)8666


今年の長谷邦夫先生から私・本間正幸宛ての年賀状の文面は、次の通り。


{あけましておめでとうございます。

震災でアパート地面が割れ、引っ越しました!
その時、入力していたクロニクル

『あるマンガ家の自伝 =桜三月散歩道』(水声社)

が12月22日刊行です。
400字×千枚弱・写16ページの大冊となりました。
お読みいただけたら光栄です。
マンガ単行本も執筆中。
トキワ荘の真実・ファンタジー・パロディ!!!
で一冊。
版元決定で144Pは入稿のこり五月ごろには・・・・と。

長谷邦夫

2012・正月}


日本の漫画を心から愛する読者の一人として、いつも有難いメッセージをいただいてます。
私は、井上陽水さんのアルバム【氷の世界】に収録されていた「帰れない二人」や「おやすみ」と共に長谷邦夫先生が作詞した「桜三月散歩道」の歌とセリフが大好きで、中学生の頃はいつも陽水さんの曲を聴きながら、永島慎二先生の作品世界に没頭し、傾倒していました。

遅れて来た読者である私は、自分が生まれる前に創刊された『ガロ』や、『COM』の中に、日本の漫画の青春時代を感じ、自分の青春時代を重ね合わせました。
各地の古本屋から一冊ずつ、随分と長い歳月をかけて二つの雑誌を集め続けたのです。
私が集め始めた頃は、『COM』が創刊号からの60冊揃で何と20万円もの高値がつく状態。
創刊号だけでも、三万円。(今でも一万五千円の値はつく代物)
小学校五年生の時、私の小遣いは500円。
六年生で600円だった時代です。
私は、マンガ喫茶をオープンした1997年秋に創刊号からの『ガロ』と『COM』、朝日ソノラマ発行の『マンガ少年』をやっと揃え終わり、店の看板としたのですから、『ガロ』と『COM』両雑誌を集め終わるのに20年近くかかった計算になります。
私は、つげ義春先生や水木しげる先生、白土三平先生の初出目当てで『ガロ』を、手塚治虫先生、永島慎二先生、石森章太郎先生の初出目当てで『COM』を集め始めたのですが、同時に『ガロ』で滝田ゆう先生の作品の魅力を知り、『COM』では出崎統先生の「悟空の大冒険」や、連作となる「トキワ荘」系の漫画家さんたちの作品群や、漫画の歴史をより深く知り理解することが出来たのです。
私が、特定の作家だけのファンにとどまる通常の漫画オタクと違い、漫画史全般にわたる作家研究、及びコレクターとなるきっかけを作ったのも、今思えばこの『ガロ』と『COM』の洗礼を感受性が一番強い少年時代に受けたからでしょう。
もし、これから当時の雑誌を集めたり、研究をしたいと思う奇特な人がいたなら、初心者には『COM』を、上級者には『ガロ』をおすすめします。(笑)
『COM』は、冊数も60冊と手頃な分量で、連載する作家陣や流通量もそれなりに(現在は保存状態にもよるけど大体一冊500~千円ぐらい?で、復刊号が三千円目安といった所)安定しています。
それに較べて「カムイ伝」掲載前の創刊間もない初期の『ガロ』は、三号目までが白土三平傑作選集として発行されたため、流通量が極端に少なく『COM』に較べて入手困難。
「カムイ伝」未掲載号や、連載終了後には、流通量がめっきり減ってくる上、掲載されている作家さんの顔触れや、誌面全体の雰囲気がガラリと変わるため、創刊から通して集め続けるのには、本棚のスペースの問題もあり、至難の技です。(笑)
今、私が一番におすすめするとしたら、朝日ソノラマ発行の『マンガ少年』揃いになるでしょう。
けれども『COM』や『マンガ少年』でも、これからはバラでなく、割高でも全巻セットの購入をおすすめします。
何故なら、これまでの市場での流通量をみても、バラで揃えるには、相当の根気と歳月が必要。
購入資金が乏しい20代~30代の若者なら、これからバラで集めても良いかも知れませんが、50代~60代の人には、集め終わってから、楽しむまでの至福の時が、短くなってしまいますので、バラでの購入より全巻揃をおすすめしたいのです。

《『ガロ』執筆主要作家一覧?》

[白土三平]

創刊号(1964.9)より短篇を掲載。
【カムイ伝】連載は1964.12~1971.7。
途中、数回の休載あり。
【カムイ伝】には特集号が発行され、単行本は新書判として小学館から発行された。

[水木しげる]

『ガロ』と水木しげる先生との関係は、NHKの朝ドラ人気作【ゲゲゲの女房】で皆さんもご存知だと思われるので、割愛する。


唯一例外となる水木しげる先生以外の当時の『ガロ』を代表する人気作家は、『ガロ』掲載作品を集めた特集号が増刊号として発行されている。

『つげ義春特集』(1968年)
『異色漫画傑作集』
『滝田ゆう特集』
『永島慎二特集』
『勝又進特集』
『林静一特集』
『池上遼一特集』
『楠勝平特集』
『つりたくにこ特集』
『辰巳ヨシヒロ特集』
『つげ義春特集②』
『つげ忠男特集』(1971年)

参考資料【ガロ曼陀羅】『ガロ』史編纂委員会=編(TBSブリタニカ・1991年7月発行)
「あなたの青春は何頁から始まりますか。
時代もあなたもガロと一緒だった。
四〇〇人もの表現者の軌跡と情念。」
には、巻頭カラーで『ガロ』全表紙グラフィティが、巻末に「作家別『ガロ』掲載全作品リスト」(1964年9月号~1991年6月号分)があり、本文は、『ガロ』ゆかりの執筆者&証言者で構成されている。
青林堂からは、『ガロ』ゆかりの作家たちの箱入り限定などの豪華上製本が数多く発行されている。
『ガロ』で活躍した漫画家さんと言えば、街頭紙芝居から貸本漫画家となり活躍を続けた白土三平先生と【カムイ伝】では影武者となる諏訪栄先生こと小島剛夕先生。
そして戦前の街頭紙芝居の名作【ハカバキタロー】を原型としリメイクした【ゲゲゲの鬼太郎】の作者水木しげる先生が雑誌の柱となる。
『COM』が手塚治虫先生の【火の鳥】を柱に、石森章太郎先生や藤子不二雄先生など、商業誌で活躍するトキワ荘世代を中心に創刊したのとは、明らかに趣きが異なるのだ。
以前、私は

「~街頭紙芝居の『墓場奇太郎』はなぜ『ゲゲゲの鬼太郎』へと変貌を遂げたのか~」

をテーマに、成蹊大学文学部学会編として彩流社から発売された

【明治・大正・昭和の大衆文化】(2008年3月発行)

の中に論文

【少年漫画の誕生とその変貌についての一考察】

を発表しました。(笑)
新書判の単行本として虫プロ商事から発行された虫コミックスのラインナップをみても、雑誌のカラーや、読者対象が異なっていることが直ぐに理解出来るはず。
『ガロ』と『COM』の両誌を舞台に連載し、名作を残せたのは、永島慎二先生くらいだろう。
当時の読者層や漫画家志望者達は、『ガロ』派と『COM』派に分かれていたと言われるのだが、残念ながら私は、リアルタイムの読者ではないので、その辺の事情は知らない。


【私の龍馬】イラスト展inお江戸

2012年1月27日(金)~2月12日(日)

会場:森下文化センター
1階 展示ロビー 入場無料

江東区森下文化センター

〒135ー0004
東京都江東区森下3ー12ー17

Tel:03ー5600ー8666

午前9時~午後9時
*休館:2月6日(月)
http://www.kcf.or.jp


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究となります。


それまでの評論家の漫画研究本と、私が監修した【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本になったから。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】(【ゲゲゲの鬼太郎】の原型)の影響があることをいち早く提唱。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主役のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、判型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要だ。
また、個人的な感情や思い入れにより、間違った認識の少年雑誌観を発表する人達が多いのも、漫画史研究を遅らせている明らかな原因のひとつ。
ともあれ、戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要なのは『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』そして『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
青年誌は、今回の『ガロ』と『COM』そして『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の流れを押さえておけば、入門編ならOKだ。


映画と漫画史研究家


本間正幸
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漫画家長谷邦夫先生からの年賀状

2012-01-21 20:53:36 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
2012年、映画と漫画史研究家の本間正幸がオススメする映画やマンガ、アニメなどのイベント情報、展示会の紹介です!(今回は、画像を添付した再編集版です!)

《はじめに》

BS-TBS
【関口宏の昭和青春グラフィティ】にて、

「昭和のマンガ~子どもから青年そして大人へ僕らの傍にはいつもマンガがあった」


【ゲスト】藤子不二雄A・タケカワユキヒデ


を昨年見ました。
番組を見て、改めて誰でも簡単に判る日本の漫画史と、研究者用資料公開の必要性を痛感する。
その二日前には、のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターで、

『貸本マンガの時代』第4回「貸本マンガの世界~貸本マンガから週刊誌へ~」

のゲストに漫画家の川崎のぼる先生とビッグ錠先生が来館。
大阪の貸本漫画が末期となる時期に上京し、表舞台となる週刊少年雑誌へ登場する過渡期の頃についての珍しい話を聞くことが出来た。


私的には、現在熊本在住である川崎のぼる先生がワザワザ上京していただけたのだから、もう少し聞き手である司会者が作品の研究をして、配布される資料類も充実させてくれたらと大変悔やまれる内容でしたが、正統な日本の漫画史を理解出来る研究者やインタビュアーが少ないこれが悲しい現状なのです。(涙)
会場に展示されていた

【のらくろ館】

の資料の収集が、在野の漫画コレクターの協力の下、及第点を行くものであり、これからの研究成果に期待して大甘に68点の合格点を出しときます。
*このイベントは、1700円と有料である。
(以上再録)


さて、江東区森下文化センターから、二通の案内状が自宅に届きました。

中身は、同じイベントの案内。
一通は、所長と担当者の連名にて

《各位》

として、もう一通は、マンガ関連講座を受講された方宛てで、担当者からである。(笑)

共に発行の日付は、1月15日付。

私の龍馬イラスト展inお江戸 オープニングパーティ@森下文化センター


特別セッショントーク

「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」

2012年1月27日(金)

会場・森下文化センター

2階 多目的ホール

開場 17:00 開演 18:00

前売 1,700円(当日300円増)

出演 南 伸坊(イラストライター)、長谷邦夫(漫画家)
進行役 サエキ けんぞう
日本マンガの黎明期を象徴する二大雑誌をテーマに関係者、作家、愛読者が三つ巴で繰り広げるトークセッション。
龍馬が新時代を切り開いたように、日本のマンガ界では「ガロ」と「COM」がその先駆者となった。
日本マンガに夜明けは来たのか!?

南伸坊・イラストライター

1972~1979年、「ガロ」編集長を務め、マンガというジャンルを越えたサブカルチャーの雄としての雑誌の地位を築く。

長谷邦夫・漫画家

赤塚不二夫のブレイン役として知られる。
「COM」で「バカ式」を連載。
先ごろ上梓した『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』にも当時の模様が描かれている。

★華麗なる競演!ライブペインティング大会

"お題"をもとに、漫画家がイラスト対決!
どんな珍品が飛び出すか?
乞うご期待。
(作品はイベント内で販売します。売上げは東日本大震災で被災された方々に寄付いたします。)

★ミニライブ サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース

漫画家の"あの人"も歌います。
その他、来場者プレゼント大会、グッズ販売もあります。
出展作家も来場予定!

〈来場予定〉
蛭子能収、後藤友香、島田虎之介、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさく、手塚能理子(「アックス」編集長)他

主催・企画・制作
有限会社パールネット(プロデューサー サエキけんぞう)
イベント協力 青林工藝舎
共催 公益財団法人江東区文化コミュニティ財団/森下文化センター
Tel:03(5600)8666


今年の長谷邦夫先生からの年賀状には、


{あけましておめでとうございます。

震災でアパート地面が割れ、引っ越しました!
その時、入力していたクロニクル

『あるマンガ家の自伝 =桜三月散歩道』(水声社)

が12月22日刊行です。
400字×千枚弱・写16ページの大冊となりました。
お読みいただけたら光栄です。
マンガ単行本も執筆中。
トキワ荘の真実・ファンタジー・パロディ!!!
で一冊。
版元決定で144Pは入稿のこり五月ごろには・・・・と。

長谷邦夫

2012・正月}


と有難いメッセージをいただく。
私は、井上陽水さんのアルバム【氷の世界】に収録された「帰れない二人」や「おやすみ」と共に長谷邦夫先生が作詞した「桜三月散歩道」が大好きで、中学生の頃はいつも陽水さんの曲を聴きながら、永島慎二先生の作品世界に傾倒してた。


【私の龍馬】イラスト展inお江戸

2012年1月27日(金)~2月12日(日)9:00~21:00
*2月6日(月)休館

会場:森下文化センター
1階 展示ロビー 入場無料
龍馬・幕末関連のマンガ、150冊ご用意
ご自由にお読みいただけます!

2010年春、長崎ハウステンボスを皮切りに、西日本各地で開催されてきた

「私の龍馬イラスト展」

が、東日本大震災チャリティー企画として復活します。
待望の東京展には新たな作品も加わり、これまでの規模を大きく上回る総勢50名以上の漫画家、イラストレーターが描き下した「坂本龍馬」が大集合いたします。
龍馬さんが、きっと今年の日本を明るくしてくれることでしょう。


今回から参加のアーティスト

出品アーティスト一覧

〈漫画家〉

いしかわじゅん、うえださと士、ウノカマキリ、江波じょうじ、大石容子、沖山潤、おだ辰夫、川崎タカオ、後藤友香、久住昌之、齋藤裕之介、とりみき、永田竹丸、長谷邦夫、ひさうちみちお、堀道広、南伸坊、向さすけ、山根青鬼

〈イラストレーター〉

さくらせかい

これまでの出品アーティスト一覧

〈漫画家〉

江川達也、江口寿史、蛭子能収、大岩ケンジ、清原なつの、久保ミツロウ、西原理恵子、島田虎之介、しりあがり寿、新條まゆ、根本敬、花くまゆうさく、東村アキコ、魔夜峰央、本秀康、柳内大樹、やなせたかし、やまだないと、山本ルンルン、ユキムラ、吉崎観音、吉田戦車、若杉公徳

〈イラストレーター〉

上野アモーレヒロスケ、小田切竜太郎、黒崎玄、佐野良之、真珠子、たま、寺門孝之、富崎NORI、POP

特別出品[書]:TAKAHIRO(EXILE)
以上、五十音順 敬称略

江東区森下文化センター

〒135ー0004
東京都江東区森下3ー12ー17

Tel:03ー5600ー8666

午前9時~午後9時
*休館:2月6日(月)
http://www.kcf.or.jp


以下、再録・再編集記事です。

手塚治虫先生の虫プロアニメや、東映の平山プロデューサーの特撮番組の影響もあり、大の漫画好きとなってしまった私は、小学生の頃から漫画の歴史に興味を持ち、手塚治虫先生の作品を中心にトキワ荘系の漫画家さんに『COM』や『ガロ』、『少年キング』や『少年マガジン』、『少年チャンピオン』系の作家さん達の単行本を集めるようになりました。


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究になります。


日本に数少ない正統な漫画史研究家を名乗る者として、私も2012年からはこれまで以上にネットの利点を十分活用して、正しい漫画史研究の在り方の模範を示さなければいけない時期が来ていることを自覚。
ネットの最大の利点として、情報発信の速報性や、書影などオールカラーによる画像添付が可能であること。
又、完成された文章でなく中途半端な草稿を発表しても、担当する編集者から怒られることがない。(笑)
最大の欠点としては・・・原稿料が出ない。(涙)
そして、発信した情報が直ぐに無断で引用、孫引きされるなど著作権の保護が不完全のままである。
そうした問題点も全て承知の上で、草稿状態の文章での発表をして行きたいと思いますので、皆さん2012年もよろしくね!(笑)


《序章》

これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した


【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円


である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。
大学教授の肩書きを持つ著者が、発売数年で増刷もなく自由価格本となり、絶版の道を辿る多くのマンガ評論、研究本の類とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた

【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、当時の市場価格が数十万した稀少本。


江戸末期から昭和に到る日本の漫画史研究の第一人者である清水勲先生や、小野耕世先生、少年小説研究の第一人者である故・二上洋一先生からは、


「この創刊號の完全復刻のアイデアが素晴らしい!」


と大絶賛され、この本が縁となり、当時無名だった在野の研究者である私の名前を覚えてもらえるようになったのだ。
それまでの漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本であるからだ。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、判型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要とされる。
また、個人的な感情や思い入れにより、間違った認識の少年雑誌観を発表する人達が多いのも、漫画史研究を遅らせている明らかな原因のひとつだ。
ともあれ、戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編は完成だろう。

次回から、具体的な少年雑誌の歴史と研究方法について触れて行きたいと思う。

映画と漫画史研究家


本間正幸
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映画【ALWAYS 三丁目の夕日】( 涙

2012-01-20 20:50:35 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
私が店長をしているショッピングサイトがあります。

【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com

よろしくです。


2012年現在、私のブログはgooを初め、アメブロ、Yahoo!ブログで昭和をテーマに音楽紹介と記事更新をしております。


さて、先週の金曜ロードショーは映画【ALWAYS 三丁目の夕日】(2005年日本テレビ、ROBOT、小学館、バップ、東宝、電通、読売テレビほか)山崎貴・監督、出演・吉岡秀隆、堤真一、小雪、堀北真希、もたいまさこ、三浦友和、薬師丸ひろ子、須賀健太、小清水一揮でしたね!
「東大を出た」と自慢する吉岡秀隆演じる売れない作家でちっぽけな駄菓子屋を経営する茶川と、縁もゆかりもない淳之介役の須賀健太。
小さな自動車修理工場を経営する鈴木オートの堤 真一に妻の薬師丸ひろ子。
そこに東北から集団就職して来た六子(堀北真希)が加わり・・・。
三浦友和演じるアクマこと医者の宅間先生など、三丁目の夕日の住人達は、喜怒哀楽がはっきりしていて、笑って泣けます。
子供たちの表情にも、笑顔や、明日への夢や希望に溢れていたような気がします。

昭和30年代の東京を舞台に、自動車の修理工場を営む一家と近所の人たちの人間模様を描く。
当時の街並みを再現したVFXが見事。

さて、

今夜の金曜ロードショーは、

【ALWAYS 続・三丁目の夕日】(2007年「ALWAYS 続・三丁目の夕日」製作委員会)山崎貴・監督、出演・吉岡秀隆、堤真一、小雪、堀北真希、もたいまさこ、三浦友和、薬師丸ひろ子、須賀健太、小清水一揮、マギー、小日向文世、温水洋一、神戸浩ほか

▽日本映画史に残る感動作!
数々の名シーンで泣いて笑って幸せに

西岸良平の漫画「三丁目の夕日」を基に映画化した2作目。
東京の下町に暮らす人々の姿を、街の変化とともに懐古調に描く。

再び芥川賞を目指し始めた茶川と、事業に失敗した親戚の娘を預かることになった鈴木家。
前作から4ヵ月後を描いた人情劇の続編。

スカパーの

[日本映画専門チャンネル]

では、

【メイキング・オブ・「三丁目の夕日'64」】

が繰り返し放送されていますね!


昭和の時代の芥川賞と、平成の時代の芥川賞では、その重みもすっかり変わってしまいましたね!

受賞者の人としての品格が象徴してくれているようです。

私にとっては、芥川賞受賞作家のサイン本より、手塚治虫文化賞受賞マンガ家さんのサイン本の方が遥かに価値があります。
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イベント情報~私の龍馬・イラスト展in

2012-01-20 19:17:33 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
2012年、映画と漫画史研究家の本間正幸がオススメする映画やマンガ、アニメなどのイベント情報、展示会の紹介です!(一部再録内容あり。再編集版です!)

《はじめに》

BS-TBS
【関口宏の昭和青春グラフィティ】にて、

「昭和のマンガ~子どもから青年そして大人へ僕らの傍にはいつもマンガがあった」


【ゲスト】藤子不二雄A・タケカワユキヒデ


を昨年見ました。
番組を見て、改めて誰でも簡単に判る日本の漫画史と、研究者用資料公開の必要性を痛感する。
その二日前には、のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターで、

『貸本マンガの時代』第4回「貸本マンガの世界~貸本マンガから週刊誌へ~」

のゲストに漫画家の川崎のぼる先生とビッグ錠先生が来館。
大阪の貸本漫画が末期となる時期に上京し、表舞台となる週刊少年雑誌へ登場する過渡期の頃についての珍しい話を聞くことが出来た。
現在も関西在住で、当時からの熱心な読者代表と思われる風貌のアマチュアの漫画研究者が司会。
会場には、主に川崎のぼる先生の作品や、ビッグ錠先生の作品を週刊少年雑誌やテレビアニメを見て育った私と同世代から上の読者達が集まったため、随分と参加者の年齢層が高いイベントになりました。
私的には、現在熊本在住である川崎のぼる先生がワザワザ上京していただけたのだから、もう少し聞き手である司会者が作品の研究をして、配布される資料類も充実させてくれたらと大変悔やまれる内容でしたが、正統な日本の漫画史を理解出来る研究者やインタビュアーが少ないこれが悲しい現状なのです。(涙)
会場に展示されていた

【のらくろ館】

の資料の収集が、在野の漫画コレクターの協力の下、及第点を行くものであり、年配のアマチュア研究者の精一杯の努力とこれからの研究成果に期待して今回だけ大甘に68点の合格点を出しときますか。(笑)
*このイベントは、1700円と有料である。
お金を徴収する以上、その金額にみあったものであるかどうか数少ない正統な漫画史研究家の立場として採点を下す義務が私にはあるだろう。(以上再録)


さて、江東区森下文化センターから、二通の案内状が自宅に届きました。

中身は、同じイベントの案内。
一通は、所長と担当者の連名にて

《各位》

として、もう一通は、マンガ関連講座を受講された方宛てで、担当者からである。(笑)

共に発行の日付は、1月15日付。

私の龍馬イラスト展inお江戸 オープニングパーティ@森下文化センター


特別セッショントーク

「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」

2012年1月27日(金)

会場・森下文化センター

2階 多目的ホール

開場 17:00 開演 18:00

前売 1,700円(当日300円増)

出演 南 伸坊(イラストライター)、長谷邦夫(漫画家)
進行役 サエキ けんぞう
日本マンガの黎明期を象徴する二大雑誌をテーマに関係者、作家、愛読者が三つ巴で繰り広げるトークセッション。
龍馬が新時代を切り開いたように、日本のマンガ界では「ガロ」と「COM」がその先駆者となった。
日本マンガに夜明けは来たのか!?

南伸坊・イラストライター

1972~1979年、「ガロ」編集長を務め、マンガというジャンルを越えたサブカルチャーの雄としての雑誌の地位を築く。

長谷邦夫・漫画家

赤塚不二夫のブレイン役として知られる。
「COM」で「バカ式」を連載。
先ごろ上梓した『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』にも当時の模様が描かれている。

★華麗なる競演!ライブペインティング大会

"お題"をもとに、漫画家がイラスト対決!
どんな珍品が飛び出すか?
乞うご期待。
(作品はイベント内で販売します。売上げは東日本大震災で被災された方々に寄付いたします。)

★ミニライブ サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース

漫画家の"あの人"も歌います。
その他、来場者プレゼント大会、グッズ販売もあります。
出展作家も来場予定!

〈来場予定〉
蛭子能収、後藤友香、島田虎之介、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさく、手塚能理子(「アックス」編集長)他

主催・企画・制作
有限会社パールネット(プロデューサー サエキけんぞう)
イベント協力 青林工藝舎
共催 公益財団法人江東区文化コミュニティ財団/森下文化センター
Tel:03(5600)8666


今年の長谷邦夫先生からの年賀状には、


{あけましておめでとうございます。

震災でアパート地面が割れ、引っ越しました!
その時、入力していたクロニクル

『あるマンガ家の自伝 =桜三月散歩道』(水声社)

が12月22日刊行です。
400字×千枚弱・写16ページの大冊となりました。
お読みいただけたら光栄です。
マンガ単行本も執筆中。
トキワ荘の真実・ファンタジー・パロディ!!!
で一冊。
版元決定で144Pは入稿のこり五月ごろには・・・・と。

長谷邦夫

2012・正月}


【私の龍馬】イラスト展inお江戸

2012年1月27日(金)~2月12日(日)9:00~21:00
*2月6日(月)休館

会場:森下文化センター
1階 展示ロビー 入場無料
龍馬・幕末関連のマンガ、150冊ご用意
ご自由にお読みいただけます!

2010年春、長崎ハウステンボスを皮切りに、西日本各地で開催されてきた

「私の龍馬イラスト展」

が、東日本大震災チャリティー企画として復活します。
待望の東京展には新たな作品も加わり、これまでの規模を大きく上回る総勢50名以上の漫画家、イラストレーターが描き下した「坂本龍馬」が大集合いたします。
龍馬さんが、きっと今年の日本を明るくしてくれることでしょう。


今回から参加のアーティスト

出品アーティスト一覧

〈漫画家〉

いしかわじゅん、うえださと士、ウノカマキリ、江波じょうじ、大石容子、沖山潤、おだ辰夫、川崎タカオ、後藤友香、久住昌之、齋藤裕之介、とりみき、永田竹丸、長谷邦夫、ひさうちみちお、堀道広、南伸坊、向さすけ、山根青鬼

〈イラストレーター〉

さくらせかい

これまでの出品アーティスト一覧

〈漫画家〉

江川達也、江口寿史、蛭子能収、大岩ケンジ、清原なつの、久保ミツロウ、西原理恵子、島田虎之介、しりあがり寿、新條まゆ、根本敬、花くまゆうさく、東村アキコ、魔夜峰央、本秀康、柳内大樹、やなせたかし、やまだないと、山本ルンルン、ユキムラ、吉崎観音、吉田戦車、若杉公徳

〈イラストレーター〉

上野アモーレヒロスケ、小田切竜太郎、黒崎玄、佐野良之、真珠子、たま、寺門孝之、富崎NORI、POP

特別出品[書]:TAKAHIRO(EXILE)
以上、五十音順 敬称略

江東区森下文化センター

〒135ー0004
東京都江東区森下3ー12ー17

Tel:03ー5600ー8666

午前9時~午後9時
*休館:2月6日(月)
http://www.kcf.or.jp


以下、再録・再編集記事です。

手塚治虫先生の虫プロアニメや、東映の平山プロデューサーの特撮番組の影響もあり、大の漫画好きとなってしまった私は、小学生の頃から漫画の歴史に興味を持ち、手塚治虫先生の作品を中心にトキワ荘系の漫画家さんに『COM』や『ガロ』、『少年キング』や『少年マガジン』、『少年チャンピオン』系の作家さん達の単行本を集めるようになりました。


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究になります。


日本に数少ない正統な漫画史研究家を名乗る者として、私も2012年からはこれまで以上にネットの利点を十分活用して、正しい漫画史研究の在り方の模範を示さなければいけない時期が来ていることを自覚した。
ネットの最大の利点として、情報発信の速報性や、書影などオールカラーによる図版の紹介が可能であること。
又、完成された文章でなく中途半端な草稿を発表しても、担当する編集者から怒られることがない。(笑)
最大の欠点としては・・・原稿料が出ない。(涙)
そして、発信した情報が直ぐに無断で引用、孫引きされるなど著作権の保護が不完全のままである。
そうした問題点も全て承知の上で、草稿状態の文章での発表をして行きたいと思いますので、皆さん2012年もよろしくね!(笑)


《序章》

これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した


【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円


である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。
大学教授の肩書きを持つ著者が、発売数年で増刷もなく自由価格本となり、絶版の道を辿る多くのマンガ評論、研究本の類とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた

【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、当時の市場価格が数十万した稀少本。


江戸末期から昭和に到る日本の漫画史研究の第一人者である清水勲先生や、小野耕世先生、少年小説研究の第一人者である故・二上洋一先生からは、


「この創刊號の完全復刻のアイデアが素晴らしい!」


と大絶賛され、この本が縁となり、当時無名だった在野の研究者である私の名前を覚えてもらえるようになったのだ。
それまでの漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本であるからだ。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、版型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要とされる。
また、個人的な感情や思い入れにより、間違った認識の少年雑誌観を発表する人達が多いのも、漫画史研究を遅らせている明らかな原因のひとつだ。
ともあれ、戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編は完成だろう。

次回から、具体的な少年雑誌の歴史と研究方法について触れて行きたいと思う。

映画と漫画史研究家


本間正幸
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イベント情報~ガロ・COM マンガの時代

2012-01-20 01:35:24 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
昨年から2012年にかけて漫画史研究家として私、本間正幸が考えていること。(再録あり。再編集版です!)

《はじめに》

BS-TBS
【関口宏の昭和青春グラフィティ】にて、

「昭和のマンガ~子どもから青年そして大人へ僕らの傍にはいつもマンガがあった」


【ゲスト】藤子不二雄A・タケカワユキヒデ


を昨年見ました。
番組を見て、改めて誰でも簡単に判る日本の漫画史と、研究者用資料公開の必要性を痛感する。
その二日前には、のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターで、

『貸本マンガの時代』第4回「貸本マンガの世界~貸本マンガから週刊誌へ~」

のゲストに漫画家の川崎のぼる先生とビッグ錠先生が来館。
大阪の貸本漫画が末期となる時期に上京し、表舞台となる週刊少年雑誌へ登場する過渡期の頃についての珍しい話を聞くことが出来た。
現在も関西在住で、当時からの熱心な読者代表と思われる風貌のアマチュアの漫画研究者が司会。
会場には、主に川崎のぼる先生の作品や、ビッグ錠先生の作品を週刊少年雑誌やテレビアニメを見て育った私と同世代から上の読者達が集まったため、随分と参加者の年齢層が高いイベントになりました。
私的には、現在熊本在住である川崎のぼる先生がワザワザ上京していただけたのだから、もう少し聞き手である司会者が作品の研究をして、配布される資料類も充実させてくれたらと大変悔やまれる内容でしたが、正統な日本の漫画史を理解出来る研究者やインタビュアーが少ないこれが悲しい現状なのです。(涙)
会場に展示されていた

【のらくろ館】

の資料の収集が、在野の漫画コレクターの協力の下、及第点を行くものであり、年配のアマチュア研究者の精一杯の努力とこれからの研究成果に期待して今回だけ大甘に68点の合格点を出しときますか。(笑)
*このイベントは、1700円と有料である。
お金を徴収する以上、その金額にみあったものであるかどうか数少ない正統な漫画史研究家の立場として採点を下す義務が私にはあるだろう。(以上再録)


さて、江東区森下文化センターから、二通の案内状が自宅に届きました。

中身は、同じイベントの案内。
一通は、所長と担当者の連名にて

《各位》

として、もう一通は、マンガ関連講座を受講された方宛てで、担当者からである。(笑)

共に発行の日付は、1月15日付。

特別セッショントーク

「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」

2012年1月27日(金)

会場・森下文化センター

2階 多目的ホール

開場 17:00 開演 18:00

前売 1,700円(当日300円増)

出演 南 伸坊(イラストライター)、長谷邦夫(漫画家)
進行役 サエキ けんぞう
日本マンガの黎明期を象徴する二大雑誌をテーマに関係者、作家、愛読者が三つ巴で繰り広げるトークセッション。
龍馬が新時代を切り開いたように、日本のマンガ界では「ガロ」と「COM」がその先駆者となった。
日本マンガに夜明けは来たのか!?

南伸坊・イラストライター

1972~1979年、「ガロ」編集長を務め、マンガというジャンルを越えたサブカルチャーの雄としての雑誌の地位を築く。

長谷邦夫・漫画家

赤塚不二夫のブレイン役として知られる。
「COM」で「バカ式」を連載。
先ごろ上梓した『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』にも当時の模様が描かれている。

★華麗なる競演!ライブペインティング大会

"お題"をもとに、漫画家がイラスト対決!
どんな珍品が飛び出すか?
乞うご期待。
(作品はイベント内で販売します。売上げは東日本大震災で被災された方々に寄付いたします。)

★ミニライブ サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース

漫画家の"あの人"も歌います。
その他、来場者プレゼント大会、グッズ販売もあります。
出展作家も来場予定!

〈来場予定〉
蛭子能収、後藤友香、島田虎之介、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさく、手塚能理子(「アックス」編集長)他

主催・企画・制作
有限会社パールネット(プロデューサー サエキけんぞう)
イベント協力 青林工藝舎
共催 公益財団法人江東区文化コミュニティ財団/森下文化センター
Tel:03(5600)8666


以下も、再び再録・再編集記事になります。

手塚治虫先生の虫プロアニメや、東映の平山プロデューサーの特撮番組の影響もあり、大の漫画好きとなってしまった私は、小学生の頃から漫画の歴史に興味を持ち、手塚治虫先生の作品を中心にトキワ荘系の漫画家さんに『COM』や『ガロ』、『少年キング』や『少年マガジン』、『少年チャンピオン』系の作家さん達の単行本を集めるようになりました。


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究になります。


漫画史研究家は、漫画評論家と違い、独自にデータベースを作るのが最低の必須条件。
作家の作品リスト、単行本リスト、年譜などを調査し、更に本当かどうか作家本人もしくは遺族や編集者など当時の関係者に確認しインタビューする。
他人が発表したデータは実物が確認出来るまで、半信半疑のままである。
ちなみに、私が『少年画報大全』(2001年・少年画報社)を監修した時、それ以前から活躍している評論家達が発表していたデータと私が調べたデータとでは、100箇所以上の違いが見受けられた。
『少年画報大全』巻末の参考資料と本文の記載データが違う場合、原本から実証的に確認した私のデータの方が99.9%の確率で正しいと自負している。
2001年以降に発表された書籍でも、『少年画報大全』を参考文献に加えてないもので、同じ事柄のデータが違っていた場合、私のデータの方が正しい筈だ。(笑)
『少年画報大全』発表後、私に何の挨拶もなく、データや掲載した画像を無断引用している評論家や研究者がいる。
素人のファンの人やマニアの人が趣味で楽しんでくれているならお役に立てて嬉しい限りだが、評論家や研究者を名乗りながら、参考文献として、『少年画報大全』の書名をあげてくれる研究者としての最低限のマナーを守れる人が少ないのはなぜだろうか?
彼等のような高学歴ではなく、横浜鶴見の不良少年上がりの私では全く理解出来ない深い謎である。


漫画史研究家は、漫画評論家と違い、日々の地道なデータ集めが必要とされ、その成果を発表する場も非常に少ない。
出版不況が深刻となり、書籍や雑誌などで研究者が、その研究成果を発表する場が少なくなっている今、購読者の少ない専門の学会誌や自費出版だけでなく、ネットによる情報発信もこれからは、十分有効性を持つようになるだろう。
かつて映画スターがテレビドラマに出演することは少なかった時代がある。
けれども、足掛け三年の歳月をかけて制作されたNHKの『坂の上の雲』を観る限り、最近はテレビドラマでも、映画を越えるクオリティーを持つ作品が制作されるようになり、映画でもテレビドラマよりクオリティーの低い作品がたくさん溢れている。
出版の世界でも、大学教授など肩書きがご立派なだけで、自費出版などネットで地道に活動している在野のブロガーより知識や成果が劣る内容で、商業出版しても直ぐに自由価格本となり古本屋に出回るなど、僅か数年で絶版になるような本が多数出版されているのが悲しい日本の出版界の現状だ。
日本に数少ない正統な漫画史研究家を名乗る者として、私も2012年からはこれまで以上にネットの利点を十分活用して、正しい漫画史研究の在り方の模範を示さなければいけない時期が来ていることを自覚した。
ネットの最大の利点として、情報発信の速報性や、書影などオールカラーによる図版の紹介が可能であること。
又、完成された文章でなく中途半端な草稿を発表しても、担当する編集者から怒られることがない。(笑)
最大の欠点としては・・・原稿料が出ない。(涙)
そして、発信した情報が直ぐに無断で引用、孫引きされるなど著作権の保護が不完全のままである。
そうした問題点も全て承知の上で、草稿状態の文章での発表をして行きたいと思いますので、皆さん2012年もよろしくね!(笑)


《序章》

これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した


【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円


である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。
大学教授の肩書きを持つ著者が、発売数年で増刷もなく自由価格本となり、絶版の道を辿る多くのマンガ評論、研究本の類とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた

【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、当時の市場価格が数十万した稀少本。


江戸末期から昭和に到る日本の漫画史研究の第一人者である清水勲先生や、小野耕世先生、少年小説研究の第一人者である故・二上洋一先生からは、


「この創刊號の完全復刻のアイデアが素晴らしい!」


と大絶賛され、この本が縁となり、当時無名だった在野の研究者である私の名前を覚えてもらえるようになったのだ。
それまでの漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本であるからだ。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、版型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要とされる。
また、個人的な感情や思い入れにより、間違った認識の少年雑誌観を発表する人達が多いのも、漫画史研究を遅らせている明らかな原因のひとつだ。
ともあれ、戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編は完成だろう。

次回から、具体的な少年雑誌の歴史と研究方法について触れて行きたいと思う。

映画と漫画史研究家


本間正幸
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あしたのために・・・。美しき狼たち /おぼたけし

2012-01-18 20:15:03 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
美しき狼たち /おぼたけし
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タツんだ日本!あしたのために! !

2012-01-16 04:50:16 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
私が店長をしているショッピングサイトがあります。

【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com

よろしくです。


2012年現在、私のブログはgooを初め、アメブロ、Yahoo!ブログで音楽紹介と記事更新をしております。


さて、今日いただいた年賀状には、もう何の説明も必要ありませんね!(笑)


私は、小さな子供の頃から、漫画やアニメに特撮と、大のテレビと音楽好き。
そして、父の故郷である庄内地方や、母の故郷である霞ヶ浦や北浦など茨城の水郷地域、日本各地にある故郷の美しい自然や景色が大好きな少年時代を幸せに過ごして来ました。
高校生になった時、初めてアルバイトしたのが、東京ディズニーランドのオープニングスタッフ。
高校卒業後は、全日空系の旅行会社の添乗員として働き、冬場は各地のスキー場へ駐在。
スキーがブームとなります。
奨学金をもらい明治学院大学社会学部社会学科の夜間で学び、四年間優秀な成績(笑)で卒業出来ました。
大卒総合職として日本旅行に就職し、横浜にある修学旅行専門支店に配属されると横須賀地域の新規開拓を命じられました。
地元で有名な私立女子高の修学旅行を獲得するため、それまでの九州地方への電車を使った修学旅行ではなく、学生時代から私の大好きな沖縄への飛行機を使った修学旅行を提案。
すると、修学旅行先が九州地方だけでなく、沖縄も候補地となり、JTBや近ツー、東急観光との大手四社の入札の中から入社一年目と二年目連続で私の沖縄プランに決まります。(笑)
すると同時期に公立高校での修学旅行での飛行機使用が解禁となり、沖縄への修学旅行ブームが起こります。
そして、神奈川県三浦市にある女子高の生徒の春の遠足として、バス二台でサンリオピューロランドを訪れると、当時のサンリオピューロランドの営業マンに驚かれたことがあります。
何故なら、開業したばかりのサンリオピューロランドは、幼稚園や小学校の低学年の遠足には良く利用されましたが、中学生や、高校生が遠足に利用するとは、誰も考えつかず、私が初めて一度にたくさんの女子高生を連れて行ったからです。(笑)
その頃、人気の定番は東京ディズニーランド。
けれども、春の遠足先として、各地から集中するため、神奈川地域の学校で、代わりに考えられたのは、富士急ハイランドや、小田急御殿場ファミリーランド、よみうりランドなどでした。
どこの施設も、晴れれば良いのですが、雨が降った時には行き先を変更するなど最悪となります。
サンリオピューロランドは、屋内なので雨が降っても何の心配もなく、施設の知名度や浸透度もまだ低かったので、ほぼ貸し切り状態で楽しめるはず。(笑)
私の提案に、意外にも、生徒たちからも行きたいとの要望があり、実現することになりました。
遠足実地後、生徒たちからのアンケート結果も大好評で、若くて美人だったバスガイドさん二人も、楽しかったとの意見があり、団体客獲得に苦戦していたサンリオピューロランドの営業マンにその資料を活用するよう渡し、

「女子高生や短大生、専門学校生など若い女性をターゲットに営業してみたら案外いけるかも知れませんよ。」

と、私なりに無責任なアドバイスをしてみたのです。(笑)

当時、私が担当していたのは、横須賀市内全域の公立中学校全25校と、前述の私立女子高、私の評判を聞き、紹介された三浦市内の女子高でした。
私の支店勤務は僅か二年間だけで、直ぐに本社の海外旅行マッハ事業部販売促進部へ国内旅行専門のセクションから海外旅行専門のセクションへ異例の転属になります。
新規開拓した女子高の修学旅行は二校とも私が獲得出来たので、私の女子高修学旅行獲得率はなんと驚異の100%の実績!(笑)
私が先輩の助手としてでなく、修学旅行のチーフ添乗員としてデビューを飾ったのは、沖縄で、全日空機内に160名近くの女子高生を案内してのことですから、社内でも評判を呼びました。

本社の海外旅行事業部ではエジプトのキャンペーンなど、エジプト政府観光局さんやエジプト航空さんなどと一緒に展開し、当時はテレビでもたくさんの特集番組が組まれたので日本でもエジプト旅行がブームとなりましたね!
私は、学生時代にアメリカ・サンフランシスコ郊外へホームスティし、社会人となってからハワイやロサンゼルス、グァム、メキシコ、カナダ、エジプト、オーストラリア、香港、マカオなど1980年代後半から1990年代の前半にかけて、当時の若い男性としては珍しく海外旅行をする機会がありました。
そこで私が痛感したことは、日本が世界に誇れる素晴らしい大衆文化であるマンガやアニメ、特撮などの評価が、日本国内で、あまりにも低過ぎるということでした。
マンガやアニメ、特撮などの大衆文化も文学や映画のように評価され、博物館や美術館などに展示されても良いのではないか?
海外から日本へ訪れる観光客や留学生に、マンガやアニメ、特撮が日本の魅力をアピール出来る文化になるのではないか?
とひとり考え続けていたのです。
さて、いつの頃のことだったか、若い女性たちの間でキティちゃんブームが起こりましたね!
私のアドバイスがサンリオピューロランドの団体営業マンに活かされたかどうかは、今となってはもう判りません。(笑)
私が日本旅行在職中、担当した修学旅行と、エジプトやヨーロッパへの添乗員付き海外パッケージ旅行の分野では、世界一の旅行会社であるJTBと互角に競っていました。
その頃、H.I.Sの新宿本社支店がリニューアルオープンし、その価格設定や、細分化された専門性から「将来海外旅行の分野で、H.I.Sが旅行業界全体の驚異になるのでは?」
と、いち早く指摘したのですが、会社の上層部からは、まるで相手にされませんでした。
同じく、日本旅行で夏のキャンペーンガールを選ぶという話があり、上層部に

「若者に圧倒的人気のある森高千里をパンフレットに使ってイメージソングを歌わせたら?」

と、私が好きな森高千里さんに逢いたいがために提案したら、直ちに却下され、選ばれたのが工藤夕貴さん。(笑)
工藤夕貴さんが選考された理由は、「老若男女に知名度があり、パンフレットに使う水着姿でもセクシー過ぎす、健全なイメージがあり、ファミリー層に向けてアピール出来るはず。」
でした。(笑)
工藤夕貴さん以外に清水美砂さんも最終候補に上がっていたようです。
因みに、当時一番ギャラが安く使えたのが森高千里さんで、その後、全日空のキャンペーンガールに抜擢され、イメージソングを歌ったテレビCMがバンバン流され大評判になりました。
もし、私の提案が受け入れられて、森高千里さんが日本旅行のキャンペーンガールとして、キャンペーンソングを歌っていたら?
森高千里さんのその後の運命や、日本旅行の現状にも少しは影響があったかも知れませんね!(笑)

さて、旅行会社を脱サラし、1997年9月池袋に漫画喫茶をオープンすると、やがてマンガ喫茶が話題となるようになり、日本全国に普及しました。
私のお店の当初のコンセプトは、美人喫茶で、店員に私の好きな森高千里さんか、アンナミラーズのウェイトレスのような格好をさせ、私の通勤に便利な秋葉原か御茶ノ水、横浜にオープンさせようと考えていました。
けれども、秋葉原や御茶ノ水、横浜には、手頃な物件が見つからず、私が通勤するには山の手線内で一番遠い池袋駅前でのオープンとなったのです。
池袋駅前の場所柄、あまり派手な格好だと、風俗営業に勘違いされると友人に指摘され、泣く泣くパン屋さんの店員のように清潔感のある可愛らしい制服にトーンダウンしました。
アルバイトの時給を少し高めに設定し、オープニングスタッフで募集すると、良い人材がたくさん集まり易いと求人情報誌「フロム・エー」の高坂みゆき似の営業の女の子に言われて、一番小さな広告を出したところ、百件近くの電話が殺到し、面接に来た女の子は7~80人に及びました。
その中から、容姿端麗で制服のサイズが合い、交通費が安く済む、普通のマンガ好きで時間に融通も利き、私の話を黙って聞く相性の良さそうな女の子だけ数人選んだのです。

「私は漫画好きなので、このお店にピッタリです!」

と云うオタクの女の子は、全て却下しました。
何故なら、マンガの専門知識は、ある程度私にあるので、女の子を採用する際には、接客してもらうことだけを重視したのです。
マンガの知識については、店内をみれば判るようになります。
店が空いてる時や、読みたい本があれば、人気作や、最新作以外なら貸出しもOKにしました。
女性客やカップルでの利用も視野に入れていたので、店内に男性しかいないと女性客の利用が無くなると判断し、女性からも好感の持てる普通の女の子が必要だったのです。
また、女の子視点からの改善点や要望もモニター代わりに意見を聞きました。
そういった事情があり、男性のアルバイトは、一切採用せず、友人や知人が手伝うことがある程度。
私の知人だったイベントコンパニオンなどの経験のある容姿端麗の女の子たちも、積極的に手伝ってくれました。
中には数人、若くて容姿端麗だったため、クラブやキャバクラ嬢など夜の仕事へ移ってしまった子がいます。(涙)
私のお店、メトロポリスは僅か2年間に、朝日新聞や雑誌、TBSテレビの朝の情報番組だった「おはようクジラ」に生放送で、小林豊アナウンサーが来て、全国中継されるなどマスコミに取り上げらること40数回に及ぶ有名店となりましたが、通勤が大変な上、あまり利益にならなかったので、閉店しました。(涙)
求人広告のセールスにきて、アイデアを提供してくれた高坂みゆき似の「フロム・エー」の女の子は、美人でとても良い女の子だったので、「avexに転職することになりました。」と、ワザワザ挨拶に来てくれたことがありましたね!(笑)

2001年7月に【少年画報大全】(少年画報社)を監修し、発売すると朝日新聞、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞の社会面の記事や書評に取り上げられるなど、出版界で話題となりました。
マンガ学会が設立されるなど、マンガを研究する大学生も増え、東京都江東区森下文化センターに【のらくろ館】や、【杉並アニメーションミュージアム】など、日本各地にマンガ関連の施設が作られるようになり、弥生美術館や、逓信総合博物館などマンガを中心とした大正・昭和の少年少女文化の企画展も頻繁に開催されるようになりました。
名作マンガの復刻や、オンデマンドによる配信も活発になり、私が【少年画報大全】で紹介した時まで絶版だったマンガ家さんたちの名作のほとんどが、読める状態へと変わってきてます。
水木しげる先生の【河童の三平】や【悪魔くん】など、NHKの朝の連続テレビドラマ【ゲゲゲの女房】の影響もあり、復刻されると大人気ですね!
この冬も【怪物くん】や【ワイルド7】が新作映画として公開されるなど、その勢いはとどまることを知りません。(笑)
これからも、日本のマンガやアニメ、特撮などの大衆文化の「あしたのために!!」私の力は蟷螂の斧にすぎないかも知れませんが、粉骨砕身一生懸命頑張って陽のあたる坂道を歩んで生きて行くつもりです。(笑)


さて、私が主宰するメトロポリス漫画総合研究所には、少年マンガ、少女マンガ問わず漫画界の愛すべきキャラクター達が続々と来所(笑)され、大変賑やかで楽しい日々を過ごしています。


ネット全盛時代ではありますが、昔ながらの年賀状が毎年届くと、改めて人と人というのは、大事な絆で繋がっていることを実感出来、とても嬉しく感じるのです。
シリーズで紹介し好評いただいている素敵な年賀状シリーズ!

モンキー・パンチ先生はじめ、今回は、新富町の事務所宛てに届いた年賀状を紹介させていただきました。
次回こそ(笑)、自宅に届いた植木金矢先生からの年賀状を紹介したいと思います!
それでは、また。



2012年1月16日


映画と漫画史研究家


本間正幸
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