198万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

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猛暑日の介護と定年退職とスカパー!衛星劇場

2022-06-26 19:49:11 | tvk銀河鉄道999(1979年8月4日公開)を見た12歳の頃
梅雨時なのに、今年は物凄く暑い日が続いていますが、皆さん如何お過ごしでしょうか?。

小学校五年生(1977年)の頃から、横浜鶴見の自宅より、バスと電車を乗り継いで、神田神保町の中野書店に通いつめ、当時、誰も見向きもしないような日本の漫画史を代表する、後に不朽の名作と呼ばれる絶版漫画をひたすら買い続けた少年の日々。

小学校六年生の時には、子供の頃に同じアパートの下に住む三歳年上の従兄弟が、テレビで夢中になって見ていた桜木健一さん主演の「柔道一直線」の影響で、鶴見駅近くに有る柔道の町道場に通います。

新設された地元の公立中学校に進学すると、柔道部がなかったので、森田健作さん主演の「おれは男だ!」の影響で、剣道部に入部。

夏は暑く、冬は寒い体育館での練習の日々、休憩中に見た水泳部の涼しく楽しそうな風景と、夏の暑い時でも、水を飲んではいけないという理不尽で非科学的、馬鹿な学校教師達の人格に呆れ果て、二年生に進級した際、剣道部から水泳部に転部。

二年間、快適で爽やかな夏の日を過ごします。

さて、アナログ放送終了に伴い、2011年夏より契約を開始したスカパー!も、近年は比較的高額な料金となる衛星劇場も契約に加えているおかげで、映画「神田川」(1974年)を、私の人生において、二度目となる鑑賞の機会に恵まれました。

最初に見たのは、小学生の頃、家族で木造の風呂なしアパートの二階に住んでいた頃で、土曜日の午後辺りにテレビでの視聴。

小学生にとっては、エロとグロの過激な描写が有る当時の日本映画特有の暗い陰鬱な内容で、当時の大学生の恋愛事情と、同棲するカップルに対する嫌悪感、後味の悪さだけがトラウマのように残っていました。

青春時代に実際に、四年間(1986年~1989年)の素晴らしいキャンパスライフを満喫、謳歌した人生経験の有る私の場合、私より前の不甲斐ない学生運動世代の「ぼくたちの失敗」を反面教師として、希望する旅行業界へ就職する前の実践的な添乗員として四年間のアルバイト生活。

北は北海道から、南は沖縄まで、寅さんのように日本中を旅して、自らの適性を確認。

1988年、大学三年生の夏には、私の世代の男性には珍しく、サンフランシスコ郊外へのホームステイまで経験しているので、随分と賢いキャンパスライフを経験出来たことを、我ながら今も誇りに思っています。

私より四歳前後年下となる寅さんの甥っ子、満男世代の不甲斐ない学生生活には、呆れるばかり。

さて、昭和の時代、サラリーマンの定年退職は、高卒の人達も多かった為、55歳と今よりも若く、私の世代での大学進学率、サラリーマンの大卒の学士の数は半数以下とまだまだ少なく、普通の大学生、日東駒専より上となる成成明学クラス以上の大卒の学士ともなれば、同世代の高卒の同級生達より、就職先の選択肢の幅が広がり、有る意味社会へエリート候補として、入社出来る環境と境遇でした。

ライフスタイルの変化に伴い、男女共に日本人の平均寿命が伸びたと同時に、健康寿命の関係で、晩年に介護が必要となる人達も増えているようです。

庄内地方の本間家屈指の旧家の一つで、14代目当主となる祖父の代まで、先祖代々庄内地方の大地主だった私の父親の家系は、国際的に見ても、明らかに理不尽な戦後の農地改革の後でも、古き良き日本の戦前までの家父長制度を維持し続けていた趣きが有り、実践して来ました。

戦後、大地主だった祖父を小学生の頃に亡くした八人兄弟の八男だった私の父親は、戦地より復員して来た年の離れた長兄が父親代わりとなり、戦後の理不尽な農地改革後に、それまでの大地主から、一農家として、伯父、従兄弟、従兄弟ちがいと、三代77年に渡り専業農家を今も続けています。

学歴は無くても、正直で働き者だった両親は、夫婦仲も良く、周りの家族よりいち速く夫婦共働きだった為、母親の介護費用は、母親の年金と、母親の貯蓄で全て賄うことが出来ます。

日本旅行本社マッハ事業部勤務を経て、売れない文筆業に転じた私は、潔く昭和の時代の55歳での定年退職の制度を採用し、母親の介護中心での第二の人生を日々謳歌しています。

家での飲酒の習慣が無く、煙草を吸わない私の場合、同世代のオジサン達が費やす酒代と、煙草代がかからず、身体も健康。

母親と同居を続け、未婚の為、住宅ローンが無ければ、借金、通勤や、職場の人間関係によるストレスも有りません。

子供の頃より、高額なお金の使い途は、欲しかった漫画の本と、レコードの購入に充てて来ましたが、蔵書数が一万冊を越えた頃より、子供の頃に欲しかった本のほとんどが手に入り、蔵書数が、二万冊前後となる現在は、その保管、維持、管理の問題から、自宅で開架式に出来る五千冊程度にまで、蔵書数を削減することを夢見るようになりました。
又、面白かった本を、もう一度、読み返す楽しみを考えたら、新規に新しい本を購入する必要もあまり感じられず、近年は、本代もほとんどかからない新しいライフスタイルに日々進化しています。

収入が多ければ多いなりに、少なければ、少ないなりに、ライフスタイルを日々進化させていけば、日本人なら、春夏秋冬、日本に住み続けることは、年々、楽に楽しくなる気がして来ました。

政治や、宗教観など、人それぞれだと思いますが、進学の自由と、職場選択の自由が有り、徴兵制の無い日本は、日本を取り巻く好戦的な周辺諸国と違い、私には大変住みやすい国でも有ります。

今年は、猛暑日には、サマータイム制を導入し、朝5時から9時迄と、夜7時以降に「売れない文筆業」としての活動を済ませたいと考えています。
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父の日とガーデニング

2022-06-19 20:53:20 | tvk銀河鉄道999(1979年8月4日公開)を見た12歳の頃
私の中で、今年の父の日までに、父親が家を新築した際の構想を引き継ぎ、庭の手入れ、ガーデニングを始めてみたいと考え、実践して見ました。

チラシによると、庭木の剪定など、中木(高さ3~5m未満)で、一本八千円。

高木(高さ5~7m未満)で、一本二万円。

高さ7m以上は、別途お見積りになりますと有り、我が家の裏のマンションと接する裏庭の庭木は、築43年前後となる為、7m以上の大木にまで成長した木が、複数有る状態に。

玄関前の南高梅の木の収穫と剪定に合わせ、裏庭の木の剪定に初挑戦。

比較的、手応えを感じる成果と、達成感を感じることが出来、大満足です。

但し、これは我が家の立地条件と、建物の構造、庭木のバランスが絶妙であり、私の健康状態が良好だったからこそ可能だったレアなケースで、普通の素人のオジサンが庭木の剪定に初挑戦する場合、せいぜい中木(3~5m未満)の剪定までにとどめておいた方が無難と思われます。

私自身、この後、還暦を迎える際には、ガーデニングは、中木クラスの剪定にとどめるつもりです。

自分自身で剪定が出来なくなった場合の庭木のお手入れと、維持費を考えた場合、7m以上の大木を維持するガーデニングは、今の時代、余りにもコストがかかり過ぎます。

又、年老いた父親が、直接自分自身で庭木のお手入れをされているお宅が有りましたら、せいぜい中木程度にするように促すか、自分自身で一回、試してみるのも良いかも知れません。

年齢と共に、様々な環境の変化を感じ、出来ることと、出来ないことが、ハッキリと感じられます。
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「エースをねらえ!」

2022-06-12 23:59:11 | tvk銀河鉄道999(1979年8月4日公開)を見た12歳の頃
現在、我が家では、母親の81歳の誕生日(5月1日)と、母の日に向けて、断捨離と大掃除を再開。

「お家ミュージアム」と題して、毎月、テーマを決めて、二万冊の蔵書の中からセレクトした物の展示と解説も始める予定です。😊

準備の為、家の玄関に録画機能と、音声通話機能の有る最新式の防犯カメラも設置。

私の母親の誕生日は、五月。😊

五月は母の日だけでなく、父親の命日も有る為、家中の断捨離と、大掃除を敢行。

昨夜、映画「ショーシャンクの空に」を、地上波の吹替えで見た。

父親が亡くなった際に、テレビの深夜放送で見た映画「華麗なるギャツビー」の時のように、今の私の気分に妙にマッチした映画で、前に購入して有った携帯の音楽配信で、西城秀樹さんの「若き獅子たち」や、「ブルースカイブルー」を聴いた。


6月となり、関東も梅雨入り。

庭の南高梅の収穫も、7年目を迎え、以前と比べると、随分と手際よく収穫することが出来るようになりました。

最初の数年は、梅酒作りがメインでしたが、豊作だった去年から、梅干しモードに変えました。

子供の頃より喫煙の習慣が無く、酒は付き合い程度の私の場合、梅酒を消費するより、梅干しを消費する方が多いのです。

子供の頃、気管支炎喘息に苦しんだ私は、未成年の喫煙は、体に良くないと考え、飲酒も、体質に合わなかった私は、喫煙はせず、飲酒も付き合い程度。

その分、欲しかった漫画の本や、レコードを購入することに、子供の頃からのお小遣いのほとんどを、使って来ました。

これまでの半生で、使った煙草代はゼロで、水商売のお姉ちゃんのいる店で、使ったお金も、ほとんど有りません。

小学生の頃、夕方のテレビで再放送されている「エースをねらえ!」が話題となりました。

中学校に進学した際、六組240名前後いた同級生の内、百名以上がテニス部に入部。

子供の頃にテレビで見た「柔道一直線」の影響で、小学生の頃、柔道の町道場に通っていた私は、柔道部に入部したかったのですが、残念ながら柔道部がなかった為、「おれは男だ!」の影響で、剣道部に入部。

剣道部の新入部員は、十名前後でした。

「エースをねらえ!」のアニメは、直ぐに「新・エースをねらえ!」として、放送されましたが、主題歌とエンディング曲は、新作よりも、旧作の方が当時から私の好み。

tvkの再放送で、実に43年ぶりに見ましたが、小学生の頃、高校二年生の「お蝶夫人」が、妙に大人っぽいと感じましたが、当時の定年年齢となる55歳となった今見ても、高校二年生なのに、夫人というアダ名をつけるセンスにだけは、違和感を感じてしまいます。

映画寅さんシリーズの放送で、寅さんの甥の満男が、将来、作家になってしまう違和感の理由が、中学時代の満男の行動から、発見出来ました。

中学時代の満男は、吹奏楽部に所属し、フルートを担当。

フルート奏者に成りたいという夢を、中学校の教師から、「成れる筈がない」と嘲笑され、憤っていたのですが、当時の日本では、フルート奏者と同じく、作家となり、文筆業で生計を立てていくのは、夢の又夢の世界の話。

海外旅行も夢で、私の周りで、エジプト旅行をしたことが有る人など何処にもおらず、漫画の歴史の本を書いて、商業出版出来た人も、世の中にほとんどいません。

大学を卒業するまで、一度も作家を夢見ていなかったのに、突然、作家に成ることを志し、作家に成れた人など、私の周りでは、一人もいません。

昭和時代の古き良き日本の故郷を旅して歩く寅さんには、心より共感出来ますが、寅さんの甥の満男と、同時代を数年先に生きて来た私にとって、子供の頃から甘やかされ、ぬるま湯に浸かりきった満男の人生を見るにつけ、「因果応報」「自業自得」としか感じません。

1980年前後、当時、校内暴力で、学校が荒れたのは、世の中や、親が悪いのではなく、ロリコンなどの性犯罪者で、再犯率の高い問題の有る学校の教師達を野放しにし続けて来た戦後の日教組や、教育委員会の無責任な体質にこそ、有るのではないでしょうか?
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