今日の画像は、松竹で映画化された時の『鐘の鳴る丘』です。
『鐘の鳴る丘』
NHKラジオ
1947.7.5~1950.12.29
原作/菊田一夫
出演/小山源喜、門田弘志、厳 金四郎他
信州の高原で「鐘の鳴る丘」という戦災孤児の収容施設を経営する加賀美修平を中心に、正しく生きようとする子ども達の姿を描いたラジオドラマ。
戦後の荒廃した人々の心に勇気と希望を与え、圧倒的な人気を呼んだ。
テーマソングの原題は「とんがりぼうし」であるが、ここではラジオ・タイトルを表示した。
(データ・解説、『ラジオからテレビへなつかしの子供番組テーマ集』日本コロムビアより)
「鐘の鳴る丘」主題歌
作詞/菊田一夫
作曲/古関裕而
歌/川田正子、コロムビアゆりかご会
一
緑の丘の赤い屋根
とんがり帽子の時計台
鐘が鳴りますキンコンカン
メエメエ小山羊もないてます
風がそよそよ丘の家
黄色いお窓はおいらの家よ
二
緑の丘の麦畑
おいらが一人でいる時に
鐘が鳴りますキンコンカン
鳴る鳴る鐘は父母の
元気でいろよと言う声よ
口笛吹いておいらは元気
三
とんがり帽子の時計台
夜になったら星が出る
鐘が鳴りますキンコンカン
おいらはかえる屋根の下
父さん母さんいないけど
丘のあの窓おいらの家よ
四
おやすみなさい空の星
おやすみなさい仲間達
鐘が鳴りますキンコンカン
昨日にまさる今日よりも
明日はもっと幸せに
みんな仲良くおやすみなさい
参考文献・参考資料
ラジオからテレビへ
なつかしの子供番組テーマ集
1976年10月・日本コロムビア
このLPを手にいれて初めて聴いていたときのことだ。
父が、『鐘の鳴る丘』の歌を懐かしそうに、そして嬉しそうに、口ずさみ始めた。
驚いた私に対して、父は
「この歌は、いつもラジオで聴いていたから歌詞なんかみなくても覚えているんだよ!」
と笑顔で言ったのを覚えている。
8人兄弟の末っ子として、昭和11年10月17日に生まれた父は、3人の兄の出征を見送る。
10代後半に志願兵として出征するその日まで父の面倒をよくみてくれていた3番目の兄は、シベリアに抑留され、その地で亡くなってしまった為、二度と日本に帰ることはなかった。
遺されているのは、数枚の写真と、いくつかの勲章のみ。
戦後直ぐに、地主であった祖父は亡くなり、農地解放のため、広大な農地や財産のほとんどを失なった父の実家では、復員してきた兄が父親代わりとなり私の父を育ててくれた。
数年後、私は、思春期と反抗期を迎え、ほとんど大学へ進学出来る者がいないレベルの公立高校でさえ、暴走族などの非行少年たちとの喧嘩で何度も停学をくらい退学寸前の始末。
私は、病気で父が入院したのを機に改心したのだが・・・。
映画『おくりびと』を見たためだろうか、秋の彼岸のためだろうか、『鐘の鳴る丘』の曲の入ったLPを見ていると、父と『鐘の鳴る丘』のエピソードを思い出してしまう。
いつまでも変わることのない、あの頃の、優しかった父の笑顔を。
『鐘の鳴る丘』
NHKラジオ
1947.7.5~1950.12.29
原作/菊田一夫
出演/小山源喜、門田弘志、厳 金四郎他
信州の高原で「鐘の鳴る丘」という戦災孤児の収容施設を経営する加賀美修平を中心に、正しく生きようとする子ども達の姿を描いたラジオドラマ。
戦後の荒廃した人々の心に勇気と希望を与え、圧倒的な人気を呼んだ。
テーマソングの原題は「とんがりぼうし」であるが、ここではラジオ・タイトルを表示した。
(データ・解説、『ラジオからテレビへなつかしの子供番組テーマ集』日本コロムビアより)
「鐘の鳴る丘」主題歌
作詞/菊田一夫
作曲/古関裕而
歌/川田正子、コロムビアゆりかご会
一
緑の丘の赤い屋根
とんがり帽子の時計台
鐘が鳴りますキンコンカン
メエメエ小山羊もないてます
風がそよそよ丘の家
黄色いお窓はおいらの家よ
二
緑の丘の麦畑
おいらが一人でいる時に
鐘が鳴りますキンコンカン
鳴る鳴る鐘は父母の
元気でいろよと言う声よ
口笛吹いておいらは元気
三
とんがり帽子の時計台
夜になったら星が出る
鐘が鳴りますキンコンカン
おいらはかえる屋根の下
父さん母さんいないけど
丘のあの窓おいらの家よ
四
おやすみなさい空の星
おやすみなさい仲間達
鐘が鳴りますキンコンカン
昨日にまさる今日よりも
明日はもっと幸せに
みんな仲良くおやすみなさい
参考文献・参考資料
ラジオからテレビへ
なつかしの子供番組テーマ集
1976年10月・日本コロムビア
このLPを手にいれて初めて聴いていたときのことだ。
父が、『鐘の鳴る丘』の歌を懐かしそうに、そして嬉しそうに、口ずさみ始めた。
驚いた私に対して、父は
「この歌は、いつもラジオで聴いていたから歌詞なんかみなくても覚えているんだよ!」
と笑顔で言ったのを覚えている。
8人兄弟の末っ子として、昭和11年10月17日に生まれた父は、3人の兄の出征を見送る。
10代後半に志願兵として出征するその日まで父の面倒をよくみてくれていた3番目の兄は、シベリアに抑留され、その地で亡くなってしまった為、二度と日本に帰ることはなかった。
遺されているのは、数枚の写真と、いくつかの勲章のみ。
戦後直ぐに、地主であった祖父は亡くなり、農地解放のため、広大な農地や財産のほとんどを失なった父の実家では、復員してきた兄が父親代わりとなり私の父を育ててくれた。
数年後、私は、思春期と反抗期を迎え、ほとんど大学へ進学出来る者がいないレベルの公立高校でさえ、暴走族などの非行少年たちとの喧嘩で何度も停学をくらい退学寸前の始末。
私は、病気で父が入院したのを機に改心したのだが・・・。
映画『おくりびと』を見たためだろうか、秋の彼岸のためだろうか、『鐘の鳴る丘』の曲の入ったLPを見ていると、父と『鐘の鳴る丘』のエピソードを思い出してしまう。
いつまでも変わることのない、あの頃の、優しかった父の笑顔を。
私も、父が大好きだったこの曲を子供の頃から何度も何度も繰り返し聴いてきました。
うちにあったLPレコードにも、確かに、この白黒の写真が載っていました。
他に、『ヤン坊ニン坊トン坊』とか、『バス通り裏』とか、『赤胴鈴之助』とか、『ひょっこりひょうたん島』とか『さくらんぼ大将』など、他にも何曲か収録されていた記憶があります。
よろしければ、このLPのタイトルと、収録曲を教えていただけませんか?