愛知県所属の公式記録員で、日ソ派遣記録員でもある冨永さんが、おととい(10日)急逝。本日、告別式が営まれました。あまりに急な話で、最初に愛知の事務局長さんから連絡をいただいた時、悪い冗談に決まってる。今どき”冗談”はないでしょと、取るに足りませんでしたが・・・当県の委員長から同じ内容の電話が入ったとき、本当のことなの?と思うとともに、言葉を失いました。57歳の若さです。
私が冨永さんと初めて会ったのは、たぶん、県外派遣で行かせていただいた愛知での東海大会か何かだったと思います。監督会議が始まる前に名刺交換をさせていただいたのを覚えています。本当にソフトボールが好きそうな人だなーっていうのが第一印象でした。
去年4月の日本女子ソフトボールリーグ1部第1節静岡大会(磐田市)では、派遣記録員として来静。集計室ではスコアカードの点検やPC入力を中心に活動し、空き時間を使って愛知県ソフトボール協会HPへのアップなどをしていたのが印象的です。本当に真面目で、まめで、粘り強くとことんやるかたでした。こういう人が、記録の屋台骨を支えていると思っています。そして、立っている後姿のもうおひとかたは、小黒さんです。なつかしい。
冨永さんは愛知県の次期記録委員長の筆頭だったのではと思います。そのくらい多方面にわたって活躍されていました。東海地区の日ソ協記録委員会委員と3名の派遣記録員が講師となって毎年開催するパソコン研修では一番の中心人物。おんぶにだっこだったので、これからどうやっていくのか。協力体制の再構築が必要です。そして、冨永さんは記録員の育成にも力を注がれていました。今月あたりから一斉に始まる公式記録員の認定会に向け、平日の夜ファミレスなどで自主勉強会を開催していらっしゃったようです。愛知の損失は計り知れないものがありますが、東海地区にとっても大きな損失。みんなで力を合わせて、これからやってくる難局を乗り越えていかなければなりません。
たしかおととしの8月、岐阜県大垣市で開催されたジャパンカップだかを見に行ったときのこと。私たちと同じく、日本チームや大会を支える記録員たちの応援に見えていました。試合前、球場近くのデパートまで一緒に歩いて腹ごしらえにいきました。何を話しながら歩いていったのか覚えていませんが、おそらく私たちのおバカな話に「うんうん。」と、時折笑顔を見せながら歩いていったに違いないでしょう。そして、フードコートの数あるお店の中から、なぜかみんな熱いラーメンを選び、一緒に楽しく食べました。ものすごく暑かったですけど、デパートの建物の中は涼しくてヒエヒエだったからかな?はるかちゃんと3人で熱いラーメンを食べたのを覚えています。
告別式の帰りは、愛知県にちなんだものをと思い、温かいきしめんをいただきました。白いお皿の上の食べ物は、こちらも愛知名物あんまきの揚げあんまき。心なしか、すこし地味な色合いに見えるのは私だけでしょうか・・・
愛知の委員長は肩を落とされていましたが、「大変だったねで終わるわけにはいかない。」と、もう次のことを視野に入れて考えていらっしゃいました。そして明日はさっそく認定会があるんだそうです。悲しんでばかりはいられません。冨永さんが教えた受講生のみなさんが、結果で恩返しする番です。
冨永さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。 日本ソフトボール協会HP
日本女子ソフトボールリーグ機構
静岡県ソフトボール協会
2020年の東京オリンピックで
野球とソフトボールが復活します
Welcome back Softball & Baseball
2024年以降もオリンピック競技として続くよう
さまざまな立場さまざまな角度から機運を高めていこう
平成20年(2008年)9月15日upBACKSOFTBALL
オリンピック競技への完全復活に向けて
読売新聞
子どもの目標の場に
静岡新聞
中日新聞