☆愛猫ココノスケ親ばか日記♪

約15年間家族の心を支え続けたキジネコ
ココ嬢の声はもう聞こえないけど
飼い主が思い出を綴ります

ありがとう&さようなら

2008年08月04日 | 本 / 音楽 / 映画
漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなりました。
おかあさんはボンヤリして、新聞記事を読みながら目から出た汗を拭いています。
おかあさんのコメントです。

小さい頃、毎月本屋さんから届く「なかよし」という雑誌に赤塚さんの漫画が連載されていました。(「ハナちゃん」というタイトルだったかしら?)
短い中に楽しさ満載の漫画で、私の闘病生活が少し和らぎました。
私の田舎の隅々まで「シェー」は浸透していて、母までがそれをやっていました。
そして、我が家ではゴムの伸びきった靴下を「イヤミの靴下」大きめの下着を「デカパン」とみんなが呼んでいました。
祖父を看病していた20歳の頃に観ていた「天才バカボン」のあまりのバカバカしさに大笑いして、看護の疲れも吹き飛びました。あんなお父さんに、なぜあんなにきれいで頭のいい奥さんがいるのか、バカボンというタイトルなのに、ほとんどがパパが主演ではないか、などと母とツッコミながら話していたことを思い出します。一家が渡米してしまうというショッキングなラストには、もうバカボンたちに会えないのではないかと感慨深く思ってしまったものです。
赤塚さんはずっと意識が戻っておられなかったようですが、私は密かに、「きっといつか意識が戻って『あ~よく寝たのだ。これでいいのだ』などと言いながら回復へ向かうはずだ」と信じていたのです。
でも、今はふたりの奥様方とネコの菊千代に会えて、喜んでおられるかも。
上の写真は、以前行った「赤塚不二夫展」のチケットとその時買った絵葉書です。
今からちょうど10年前、1998年の8月でした。
赤塚さんが漫画を描いていたトキワ壮時代のお部屋が再現されていて、そこでタモリさんとのトークショーがあったのですが、私は最終日に行ったので残念ながらそれは見られませんでした。
でも、赤塚さんの原画の数々は本当に面白くて、ひとりで行った私は笑いを堪えるのに苦労しました。キャラクター商品や面白い仕掛けのものが飾られていたし、赤塚さんの若いころの写真がすごく男前だったのに驚いたり、とにかく今思い出しても楽しかった展覧会でした。
少し前、赤塚さんが目の不自由な人のために、手で触って楽しめる本を作っていたのをテレビで観ました。やさしい人なんだなあと改めて思いました。
何だか、知り合いのおじさんが亡くなったような淋しさです。
私の人生の半分以上を楽しませてくれて、ありがとうございました。
そして、さようなら。

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2 コメント

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Unknown (えふさん)
2008-08-07 09:03:36
にゃっはほー。

ココちゃんのお母さん、赤塚不二男さんのフアンやったんにゃ。
えふ母さんも昔は赤塚先生の漫画が大好きやったそうにゃ。

えふ母さんのコメント
大昔、私は少女フレンド、なかよし、の愛読者で弟は
少年マガジン、少年サンデーをとってたので毎週「おそ松くん」や「天才バカボン」など見て笑ってました。
もちろんテレビでも観ましたし「ひみつのアッコちゃん」
も好きでしたよ。
赤塚せんせいの菊千代君が芸達者で預金通帳まで持ってると聞いて
「すごいなー」と思ったものです。
私はそのころから少女漫画より少年漫画が好きで石ノ森章太郎さんの「サイボーグ009」などもよく読んでました。
手塚先生などもそうですがトキワ荘の住民だった方たちが
だんだん少なくなってきますね、寂しいです。
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さみしい (ココ)
2008-08-07 15:12:33
えふ母さんへ
コメントありがとさん。
えふ母さんも、雑誌の定期購読者だったのね。
毎月楽しみだったわって、おかあさんもなつかしがっています。
赤塚さんも大好き、石森さんもちばてつやさんも大好き。でも一番大好きなのは、手塚さんだったみたいです。
ファンレターも書いていました。
そうそう、菊千代は預金通帳まで作ってもらってシアワセだったのね。バンザイするニャンコ。CMにも出て。
えふ母さんと、トキワ壮時代の漫画家談義して、おかあさんの気持も落ち着きました。ありがとう。
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