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釈尊に代わり教えを説いたサーリプッタ長老

2007-03-28 | ブッダのことば・・北川八郎氏
 私がまわした輪 無上の法輪をサーリブッダがまわす 彼は完き人に続いて
出た人である
 私は知らねばならぬことをすでに知り 修むべきことをすでに修め 断つべき
ことをすべてに断ってしまった それ故に私はブッダ・悟った人 である
 私に対する疑惑をなくせよ 私を信ぜよ 諸々に悟りを開いた人 にしばしば
見・まみ えることは いとも難しい 
 彼ら 悟りを開いた人々 がしばしばこの世に出現することは そなたらにとっていとも得難いことであるが 私はその 悟った人 ブッダ なのである
私は煩悩の矢を抜き去る最上の人である
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こころ静かに 煩労なく 心が清く澄んで 汚れなく 性行が良く 聡明であり
苦しみを滅ぼす者であれ
 尊敬をうけていても 尊敬されなくてもつとめ励んで生活する者は
精神の安定がゆらぐことがない・・迷いの生活に導くものを根絶やしにしました

修行は人に超能力を見せびらかすためにやるのではない 尊敬を求めるために力を
つけるのではない ただひたすら欲を制するために続けると さまざまな力を得て
しまう・・でも自慢する心さえも根絶してしまった・・
 
 あらゆる煩悩をのり超えることが出来た 迷いの根を ことごとく断ち切った
だから尊敬を受けることも 受けないことも 私の人生になは何等 影響がない
ただ慈しみの笑みと 静かな境地と そのそばにいるだけで不思議な 人々を
安らかにする大いなる力 エネルギーを発する人となった・・いつも光につつまれ
 日常起こる奇蹟が日常起こることによって 奇蹟でなく あたり前のことに
なっている・・釈尊の教えと導きが厳としてある・・
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 師を求め 何かを得る 得る事が 徳になり 小悟を 観じ 
夢は観るもの 夢は 叶うもの
FMで・・もったいない の
 もったいない(勿体無い)とは、仏教用語の「物体(もったい)」を否定する語で、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している。
 もともと「不都合である」、「かたじけない」などの意味で使用されていたが、現在では一般的に「物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている」状態やそのような状態にしてしまう行為を戒める意味で使用される日本語の単語である。