普通人のサトリ
ある四十代の主婦から。こんな話を聞いたことがある。
下腹部に痛みを覚え、病院へ行ったのだが、その時、ガンの疑いがあると言われて精密検査を受けた。一週間の後、その疑いが晴れ、心配ないとの結果が出た。その時、彼女は素晴らしい嬉しさを体験したのである。思えば、それまでの一週間は、非常に暗く憂鬱な不安の毎日だったのが、一瞬にして、晴れわたった大空へ舞い上がった氣持ちを覚えたのだ。
「その時に、思ったのですがね」と彼女は私に語った。
「人間は、生き死にのほかには、大した問題は無いんだなあ、とつくづく思ったんです。生きてさえいられたら、こんなに有り難いことはない。人間死んでしまったら大変だ。生き死にの問題にくらべりゃ、ほかの問題なんか、どうにもなることだ、と思いました」
実は、この少し前、彼女は息子の進学問題で悩んでいたので、私は、そのことについて尋ねた。すると彼女はこう答えた。
「ああ、もうそのことは、子供は自分で好きなように生きてゆくでしょう。勿論、何か頼まれて私に出来ることがあれば、してやりますけれど、自分の問題は、自分で考えて解決すりゃいいんです。私は、自分の生き死にの問題で忙しくて、とてもそこまでは手が回りません」「なるほどなあ」と、私はいたく感じいった。
「これは一つの達観であり、また、サトリでさえある」と私は思った。
もしサトリとは、悩みから脱却して、自由になることだ、とするならば、これも「普通人のサトリ」ではないか。
私がここで言いたいことは「サトリ」とは、なにも哲学者や宗教家の専売特許ではなく、ごく普通の人が体験できる意識経験の一つである、ということなのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
勝ち負けに あまり こだわらぬ ようにしよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生きていれば、丸儲け・・死んでは何も出来ない・・今活かされて
全て起こる事は必然で・・真正面から、向合い・・逃げず
今の悩み、今の恐れは・・未来に起こる確率は低く・・今に感謝して活きる。
ある四十代の主婦から。こんな話を聞いたことがある。
下腹部に痛みを覚え、病院へ行ったのだが、その時、ガンの疑いがあると言われて精密検査を受けた。一週間の後、その疑いが晴れ、心配ないとの結果が出た。その時、彼女は素晴らしい嬉しさを体験したのである。思えば、それまでの一週間は、非常に暗く憂鬱な不安の毎日だったのが、一瞬にして、晴れわたった大空へ舞い上がった氣持ちを覚えたのだ。
「その時に、思ったのですがね」と彼女は私に語った。
「人間は、生き死にのほかには、大した問題は無いんだなあ、とつくづく思ったんです。生きてさえいられたら、こんなに有り難いことはない。人間死んでしまったら大変だ。生き死にの問題にくらべりゃ、ほかの問題なんか、どうにもなることだ、と思いました」
実は、この少し前、彼女は息子の進学問題で悩んでいたので、私は、そのことについて尋ねた。すると彼女はこう答えた。
「ああ、もうそのことは、子供は自分で好きなように生きてゆくでしょう。勿論、何か頼まれて私に出来ることがあれば、してやりますけれど、自分の問題は、自分で考えて解決すりゃいいんです。私は、自分の生き死にの問題で忙しくて、とてもそこまでは手が回りません」「なるほどなあ」と、私はいたく感じいった。
「これは一つの達観であり、また、サトリでさえある」と私は思った。
もしサトリとは、悩みから脱却して、自由になることだ、とするならば、これも「普通人のサトリ」ではないか。
私がここで言いたいことは「サトリ」とは、なにも哲学者や宗教家の専売特許ではなく、ごく普通の人が体験できる意識経験の一つである、ということなのだ。
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勝ち負けに あまり こだわらぬ ようにしよう。
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生きていれば、丸儲け・・死んでは何も出来ない・・今活かされて
全て起こる事は必然で・・真正面から、向合い・・逃げず
今の悩み、今の恐れは・・未来に起こる確率は低く・・今に感謝して活きる。