数年前、手作り市に行ったことがある。手芸、陶芸、食品などさまざまな物が並び、見て回るだけで面白かった。
東大路通で用事を済ませて百万遍のバス停へ向かう途中、久しぶりに知恩寺の境内を歩いた。東大路から入る。
ここは、法然上人ゆかりの浄土宗のお寺。元は賀茂河原屋と言い、円仁が創建した比叡山功徳院の里坊で、賀茂社の神宮寺でもあった。寺所は今出川(現・相国寺近辺)だったそうだ。ここには法然上人が住んだこともあり、河原屋を継いだ源智が、上人入滅後、御影堂を建立して、上人を開山第一世としたらしい。また、「知恩寺」と改称したのは如空で、「百万遍」の名称は、空円のとき「百万遍念仏」で疫病を鎮めたため、後醍醐天皇により下賜されたのだそうだ。寺所は、一条通小川、寺町通(現・梨木神社)と移った後、この地に落ち着いたということである。
写真は、南門から見たもの。それと、南門を臨んだもの。
念珠が吊るされたお堂の中は圧巻だ。さすがに写真撮影は憚られる。弘法大師筆の利剣名号、紺紙金泥「南無阿弥陀仏」の写真があった。これは現存するのだろうか。中尊寺で紺紙金泥経の美しさと華麗さに目を奪われて以来、紺紙金泥文字がとても気になる。あの美しいものを、実物を見たいと思う。境内に、その文字を写した石碑が建っていた。
ところで、お寺には、寺紋と宗紋があるらしい。
知恩寺は、浄土宗紋の月影杏葉(ぎょよう)。杏葉は、法然上人の生家の漆間家の紋に由来しているそうだ。1915年に、蘂7個、宗歌「月かげ」の月を配した紋が定められたらしい。写真、きれいに写らなくて残念。
堂の飾り瓦には三つ巴が使用されており、今出川通に面した門の飾り瓦は蓮華紋だった。お堂の屋根に乗っている獅子は普通だが、この門の上で睨みを利かせている魔除けの動物は何だろう。亀の甲羅のようなものがついている。愛嬌があると思えなくもない。そして、次の波型のものは、もっと訳が分からない。何を意味しているのだ・・・。
いや、これは玄武かもしれないと、ちらっと思った。しかし、この場所は、南門の南西角。玄武は北の守護神獣だ。知恩寺は洛中の東にある。北東と言えなくもないが。どこか他のところに、他の四神もいたかもしれない。朱雀、青龍、白虎。次に行ったときに、確かめねばなるまい・・・。
いや、やはり玄武の姿は少し違う。亀に蛇が巻き付いているはずだ。これは、かわいい幼獣。絵本に出てくるドラゴンの子どものよう。もう一度行って確かめよう。よく見てこよう。