上御霊神社の祭を見て、下御霊神社の祭を外すわけにはいかない。5月第3日曜日が還幸祭である。
上御霊と同様、神泉苑御霊会での六座に加えて吉備聖霊・火雷天神の計八座「八所御霊」を祀る。創建は「本当の所は全く不明(下御霊神社HP)」としながらも、「おそらく」神泉苑御霊会と同時期とのこと。「愛宕郡出雲郷の下出雲寺(のちに廃絶)の境内に鎮座」の後、新町出水の西に移転、1590年現在地へと変遷している。御所を挟んでその東側の北と南に、ほぼ同時期に御霊神社ができた、ということか。
下御霊神社HP( http://shimogoryo.main.jp/ )
HPに依れば、神幸列の出発時刻は10時だが、かなり前から寺町通丸太町上る京都市歴史資料館辺りに、スタンバイしていた。
下御霊神社敷地はそう広くないので、自転車置き場は設けられていない。
寺町通東側にある鳥居。神社前から二条通まで、南側歩道は屋台が立ち並んでいた。
鳥居の奥にも屋台がいくつか。来年の修理のため協賛金を募っていたが、確かに塀も、拝殿も修理の必要がありそうだ。
上御霊さんでは境内に人がいっぱいだったが、ここはスペースの関係もあり、神輿関係者ばかり。参拝したり、安置された神輿を見たりしているうちに、神幸列出発を見逃してしまった。
河原町通でやっと追いつき、剣鉾を確認。差し手が鈴の音をさせて剣鉾を持って先導した後、台車に乗せられた剣鉾も通る。台車にかけられた幕の菊紋は、もちろん皇室の紋。剣鉾8本は、江戸期の歴代天皇が寄進したものらしい。
同HP(http://shimogoryo.main.jp/index.php?%E9%82%84%E5%B9%B8%E7%A5%AD)
行列は、河原町通を北へ、荒神口で東に入った。神幸列も神輿も、氏子地域を練り歩くが、神輿は、その外周のみ。
さて、その神輿だが、1709年東山天皇が寄進したという「大宮神輿」は、祭りで担がれることはなく、拝殿に安置されている。巡行に出るのは「若宮神輿」で、狭い道でも巡行できるよう作られ、1743年に改造されて今に至るとか。
神輿の先導は、提灯を持つ中学生ぐらいの少年たち。提灯には旧小学校区名が記されている。今でも地域は、旧学区をもとにまとまっているのだろうか。
この少年たちは、鉢巻に枝を挟み込んでいた。葵祭のアオイのように。祭りの法被を着たおじさんに何の葉かと尋ねたら、「葵じゃないみたいや。オモダカらしいで」と答えてくれたが、オモダカではないように思う。
オモダカは、提灯や法被に見えるこの神社の神紋(オモダカに水)の元になった水辺の植物である。この鋭い三枚葉が特徴。オモダカにもいろんな種類があるのだろうが、彼らが身につけていたのは、丸い葉のように見えた。
11時半。神輿は寺町通を北へ向かった。