京都逍遥

◇◆◇京都に暮らす大阪人、京都を歩く

詩仙堂

2009-05-28 16:37:35 | まち歩き

ここ数年、さつきの季節・紅葉の季節には必ず、詩仙堂に行く。京都で一番好きなお庭だ。草木はよく手入れされ、掃除が行き届き、いつ訪れても気持ちがいい。さつきの丸い刈り込みはもちろん、いい具合に剪定された高木、室内から見える高さに整えられた楓の枝ぶり、茶花になりそうな草花と、どこを歩いても、どこを見ても、自然でありながら、気を抜いたところがない。

今日は、朝から曇り空。『京都市観光文化情報システム』HPの「花だより」で「五分咲き」となっていたので、どんな様子か行ってみた。三~四分咲きという印象。

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雨はだんだん強くなり、雨どいから流れる落ち水の音が、絶え間なく聞こえる。ザーザーに交じって、カタンと僧都の音。

庭に下りるスリッパは、雨の日には片付けられる。「お帰りの際に、石垣沿いを周って、お庭に出てください」と言われた。雨降りの日に来たのは初めて。この石垣沿いの小道も、歩いたことはないように思う。       

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お庭では、嘯月楼に向かう石段の左側、日当たりのいい場所のさつきだけが満開。写真は、石段上から撮ったもの。

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雨の雫のついた花も、いいものだ。

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お庭を歩いているうちに、雨は小降りになった。今年の満開は、来週半ば辺りかな。去年も、少し遅めだった。上記HPは、先週木曜日更新後は今日まで更新されなかった。満開を狙うのは、結構難しい。

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『ラグジュアリー[ファッションの欲望]』

2009-05-23 01:02:34 | アート・文化

前売り券を買って、まだまだ大丈夫と思っているうちに、終了日が間近。インフルエンザ騒動で人が少なくて見やすいかも・・・と、雨もよいの今日、マスクをつけて国立近代美術館へ。

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この写真は、バレンシアガのミニドレスの生地の接写だった。実物の、なんと美しかったことか。

京都服飾文化研究財団コレクションから、17世紀以降のラグジュアリーファッションが展示されていた。やはり、刮目に値するのは、入り口すぐにある、エリザベス1世のドレス(ボディス)だろう。反逆罪で捉えられた晩年の恋人(エセックス伯爵)の母が、女王に許しを請うために、贈ったというものだ。蝶・毛虫・蛇・いんげん豆・かたつむり・チューリップ・勿忘草などの意匠が、それはもう細かい刺繍で、立体的にちりばめられている。この豪華なドレスの贈り物をもってしても、息子の命を救うことはできなかった。よく見ると、左袖のカフス内側の刺繍が、失くなってしまっている。刺繍が擦り切れるほど好んで着たのか、見向きもしなかったが後世の保管状況でこうなったのか、それは私にはわからない。母の悲しみを思いつつ、400年以上前のドレスがここにあるということの不思議を味わう。

さて、展覧会は4セクションに分かれている。「1.着飾ることは自分の力を示すこと」「2.削ぎ落とすことは飾ること」「3.冒険する精神」「4.ひとつだけの服」。

1では、さきのボディスに代表される宮廷ドレスや、20世紀の有名デザイナーによるドレスが展示される。ヘアスタイルも再現されており、マリー・アントワネットを髣髴させる、頭上に船の模型を載せたものも。

2では、時代が下って、快適で機能的なスタイルを見せてくれる。ポワレ、シャネル、バレンシアガなど。

3は、川久保玲。服の展示と同時に、その服を身に纏わない場合の形状を、写真で見せてくれる。何度も行きつ戻りつして、確かめた。この不思議な曲線は、この形から来るのかと。

4は、メゾン・マルタン・マルジェラによる一点物の服。これは何とも不思議なものが多く・・・。飲み物の王冠をつなげたベストや、レコードを裁断してつなげたドレス、トランプを貼り付けたベストなどなど。3着のウエディングドレスからリメイクしたウエディングドレスは着れそうだけど。

一番気に入ったのは、18世紀の紳士用宮廷服。20センチぐらいの幅広のカフスは、袖に横向きにボタンが並んでいた。飾りかとも思ったけど、きっとこれは、折り返しを袖にしっかり留めるため。ジャケットやジレの刺繍のすばらしさには、目を見張る。はっきりとした植物柄の刺繍は、チュールレースのアップリケや、スパンコールやビーズで飾られ、手にとって見たいと思うほど。この貴重な展示品を手に取ることはできないけど、PS3を使って、すばらしい拡大画像を、納得いくまで見ることができた。空いていたからゆっくり見られて、とても満足。

4階では、関連企画の写真展『都築響一 着倒れ方丈記』が開催されていた。これも面白い。最初の挨拶文も良かったな。さて、次の写真は、その4階から平安神宮の鳥居を撮ったもの。広~いガラス窓なので、いつも、しばらく外を見ていたくなる。

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葵祭

2009-05-16 00:15:40 | まち歩き

葵祭は、賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭で、京都三大祭の一つである。元の名は賀茂祭で、江戸時代以降、葵祭と呼ばれるようになった。その名称の由来は、行列や社殿を葵の葉で飾るからだとか、丸に三つ葉葵(徳川葵)の家紋を持つ徳川将軍が祭を復興したからだとか言われている。

そういえば、両賀茂社の神紋は二葉葵(蕾のついた双葉葵)。徳川家の家紋(由緒・家系)の由来は不確かだが、家康が三つ葉葵の家紋にこだわったこと、賀茂社を崇敬したなどの歴史的事実を踏まえると、賀茂社との関係はありそうだ。(賀茂氏の末裔とか、賀茂社の神官だったとか不確かな情報はいくつかある。)

行列は、朝廷から賀茂社への勅使を中心とした平安貴族たちである。貴族の家紋は、牛車につけるものであり、装束につけるものではなかった。だから、行列で見られる紋は、替牛二頭の背を覆う布の、菊の紋だけである。朝廷側は、賀茂社を崇敬する思いから、賀茂社の神紋であり、象徴であるフタバアオイを、祭の象徴として、目に見える形で取り込んだのではないだろうか。(もし、江戸時代以降、フタバアオイが飾られたのなら、そこに徳川の力が働いていたことになるが。) 

祭は、宮中の儀(現在は行なわれていない)・路頭の儀(=平安貴族の雅な行列が、御所から下鴨神社を経由し上賀茂神社に向かうもの)・社頭の儀(=勅使による御祭文の奏上、舞人による舞の奉納など)から成り、今日5/15は、まさにその日。京都御所で路頭の儀を観た。

◇路頭の儀

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どの馬も、とても美しい。乗尻・検非違使・山城使など、色とりどりの装束をまとった人々が通り過ぎていく。

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こんな派手な装束も。見物客からは、口々に「タイガースや」の声。

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勅使の牛車には、藤の飾り(風流)。すぐ後ろに替牛が続く。

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本来の主役である勅使。キラキラした馬の飾りが目を引いた。装束の色目や形は、官位や身分によっても違う。これは、知識がないとわからないな・・・。

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最も話題にのぼる斎王代。今年は裏千家家元のお嬢さん。

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斎王代の牛車。飾り(風流)は桜。

◇祭のはじまり

567年、天候不順が続き凶作なのは賀茂神の祟りとされ、神鎮めのため駆競を行なったことが、祭の始まり。秋祭りは一般的に五穀豊穣を祈ってのもの、という認識はあったが、初夏の祭である葵祭も、第一義は、荒ぶる神を鎮め五穀豊穣を祈るものだったのだ。今では、見て楽しむ雅な祭・・・という風に、すっかり観光化されているようだが。

祭は、応仁の乱から江戸・元禄の頃まで200年ほどの中断、明治維新と太平洋戦争でそれぞれ10年程度の中断があったとは言え、ずっと続いている。そして、続けるのは大変だ。自然環境の変化や、意識の変化、経済的な負担も。

◇フタバアオイ

祭に使用するフタバアオイの葉は、かつては両神社の境内で摘んでいたが、最近は足らないそうだ。地元の上賀茂・大宮・柊野・市原野・立命館などの小学校で、小学生が600株育てたという新聞記事が、先月出ていた。

(asahi.com http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000000904160001

葵祭直前には、上賀茂小学校の6年生が、フタバアオイを上賀茂神社社殿に飾り付けたという記事。

また少し前には、上賀茂小学校の児童らが、江戸時代の「葵使い」(家康の時代に上賀茂神社から駿府城へフタバアオイを献上した使節)同様、静岡にフタバアオイを運んで、静岡・葵小学校児童らと交流というニュースも新聞にあった。

(参考:葵プロジェクト http://www.afuhi.jp/project/activity.php

こうして伝統を守ろうとする努力が続けられ、祭も守られていくのだろう。ときどき、神社の木彫り装飾部分に、ハート型のものを見かけるが、あれはもしかしたらフタバアオイの形を模したものかも・・・と、ふと思った。

◇行列

行列は、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台で総勢500余名、約8キロの長さと言う。今日は、通り過ぎるのに一時間強。行列の1/3は学生アルバイトだが、昨年は直前になるまで集まらなかったとか。伝統行事に参加するよりも、講義をきちんと受ける、そういう学生が多くなったらしい。去年の祇園祭で、茶髪の学生アルバイトらしき人が行列に参加していたことを思い出す。

費用の問題で言えば、去年は、行列に3500万円ほどかかったそうだ。警備・アルバイト料・牛馬・衣装・着付けなどだろうか。地元の企業も、協賛金を出しにくい時代なのだろう。(3月の決算で過去最高益を出した会社もあるが。)有料席の観覧料2000円は高いなと思っていたが、それどころか設置の手間も考えると、開催費用に比して、雀の涙。

◇斎王代

さて、現在、祭の一大関心事と言えば、斎王代。斎王とは、神の御杖代として祭事に奉仕させる未婚の皇女のこと。伊勢神宮の斎宮は、神話時代に始まり(崇神天皇~)、天武天皇期に斎宮制度確立後は、673~1334年に置かれた。一方、賀茂社の斎院は、810~1212年に置かれ、1956年以降は、斎王に代わる「斎王代」が葵祭のために選ばれている。

斎王代はどんな風に選ばれるのだろうと思っていたが、これも最近の新聞記事で大体判った。

「斎王代は、京都在住で着物の似合う女性から毎年選ばれ、千さんは54代目。」

(asahi.com http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK200904140024.html

*47代斎王代は、京都市出身東京都在住の、裏千家茶道教授のお嬢さん。

また、葵祭行列保存会事務局長の話として、次のような文を見つけた。「お行儀の良い方、ということですね。長時間、腰輿に乗っていなければなりませんし、神社での儀式の際にも30分ぐらい正座をしないといけない。それでお茶を習っておられるお嬢さんということで、京都の三千家さんにお願いして、ご推薦いただくという形にしております。」

(佛大通信 http://www.bunet.jp/world/html/20_5/512_kyotogaku/index.html

同じく事務局長の話として、次のような文もある。「参役者のうち一般から募集するのは47人の女人列参役者と約200人の学生アルバイトで、他は旧公家の堂上会、両賀茂社の社家、平安雅楽会、昔から皇室とご縁のある八瀬童子会、御祭神が下鴨神社の御祭神建角身命の奥方というご縁で参役していただく亀岡市宮前町の宮川神社の氏子たち、それに京都府庁と関西電力のボランティアなど毎年ご奉仕をしていただいています。」

(京都市文化観光保護財団 http://www.kyobunka.or.jp/kaiho/index_20.html

五穀豊穣を祈る祭から、観光に資する祭へ。今年で1200年目という、その伝統を守るということが、今の祭の目的となっているのかもしれない。フタバアオイを育てる子どもたちが、そうした関わりを通じて郷土に愛着と誇りを持ち、次の世代として祭を引っ張っていってくれるような気がする。

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